05・見つけたもの
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エリノアがいつもよりゆっくり目を覚ましたのは、街の人たちが活動し始めるのと同時だった。
結局、キリエが宿に帰ってきたのは真夜中を過ぎていた。侯爵の屋敷でどんな話をしたのだろう。煌びやかな社交界とは縁遠い、ただの弟子見習いでしかないエリノアには、まったく予想がつかない。
やっぱりお師匠様が戻ってくるのを待っていない方がよかったのかしら? でも、お師匠様が無事に帰ってくるか心配だったし……。
今のところ、心配をしていたとしても、それはエリノアだけの話だ。キリエはきっと心配なんてされたくないだろうし、されるようなことをしたとすら思っていないのだろう。そんなことを口にすれば、人の心配より自分の心配でもしたらどうだ、と言われてしまいそうだ。
というか、言いそうでたまらない。教本を持って部屋に戻る自分の姿が想像できるくらいには。
「んー。今日も雪は降らなそうね」
カーテンを開いてみれば、真冬の晴天が広がる。真下には宿の裏にある細い通り。配達の業者らしい、大荷物を持った人で込みあっていた。
薄手のカーテンを閉じて、エリノアは自分が使う工具一式を確認する。キリエがどうするのか判らないので、エリノアは自分で鍛冶工房に持ち込むつもりだ。キリエについて行っているので、大体の費用もわかるし。エリノアの貯まっているお小遣いでも出せる金額なのも大きい。
工具より刃物類の調整のほうがエリノアには問題だ。研ぐだけならば、ダニエラに見てもらいながら出来るので、金銭的に今回は見合わせるしかない。
「護身用のナイフは、後回しっと」
めったなことで、一人で出歩くことがないのも一因している。手入れと練習以外で使う場がないナイフを袖口に隠す。さすがにキリエのようにあちこちナイフを仕込む気はない。
ルークには、先に鍛冶工房に寄ってもらえるか聞いてみよう。今日の予定は、まずはそこからだ。
「それじゃリム、行くよ」
「やった! ケーキケーキ」
「ケーキは後だからね」
テーブルの上から高く跳ねて、リムはエリノアのフードの中へすとんと入る。リムは街中では、キリエの言いつけを守って姿を隠している。
霊獣は見る人が見れば喉から手が出るほど欲しい存在だ。あまつさえ、ここまで人に馴れている。大金を積んででも、もしくは奪ってでも手に入れようとする不届きな輩はいる。だから街中では窮屈な思いをさせるが、エリノアのコートのどこかに隠れるのが決まりだ。
普段は毛並みのもふもふが気持ちいい小型の獣だけれど、あの異常な食欲が街中で発揮させられたら目も当てられない。という理由も実はあるのではないかと、エリノアは思っているが。
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店の窓の外で、雪かきに励む子供たちの姿が見えた。フィスラの冬によく見る光景だ。子供たちにはいいお小遣い稼ぎの作業になっている。エリノアも、屋敷の雪かきはよくやっている。
店内の隅、ちょうど外からも中からも見えにくい場所の席に腰を下ろし、エリノアはのんびりとルークと会話をする。
鍛冶工房に向かう途中、ルークは騎士の人たちから恨み言を貰っていたのが不思議だった。みんな昨日の騒動で、今日は休みたかったんだろうと、ルークは苦笑しながら言っていた。
「ベリーのケーキ、美味しいの!」
「だからって、私のケーキはあげないわよ」
「わかってるの!」
エリノアの膝の上に広がるハンカチの下に、リムは隠れていた。それでもケーキはしっかり食べているのだから、食べ物への執着とは恐ろしい。二人なのにケーキが四つという注文に店員の顔が思い出される。エリノアが大食いだと思われてしまわないか不安だ。
「時間的には、もうそろそろかな? 工具は装備品と違うから、いまいち時間がはかりにくいな」
鍛冶工房に行きたいと話したところ、快諾してくれたルークは最初に向かってくれた。おかげで、込む前に持ち込めたのでそれほど待たないはずだ。
キリエは、ルークが来たと同時に用事があるとどこかへ行ってしまったらしい。なんだか、いつも街に来ているときより忙しくしている。しかもキリエが工具を持ち歩いていないのが、エリノアには気になって仕方がない
「それほど込んでいないと言ってましたから、覗いてみましょうか」
「他に行ってみたいお店があるなら、そっちを先に回ったほうがいいんじゃないかい? あんまり街に来ないんだから、お店周りしたいでしょ。エリーちゃん、なんか探してたみたいだし」
「う、バレてましたか……」
一番に工房に工具を預けてから、ぶらぶらと二人で雑貨屋などを見て回っている。けれど、キリエとダニエラへのプレゼントでいいものが見つからない。
真っ先に思いついたのは、ハンカチ、髪留め、シャツガーターだ。どれもこれも実用品なのが、泣けてくる。贈り物の定番のタイピンやブローチは、二人がつけている所を見たことがない。定番が通用しないのがこんなにも大変だとは、エリノアは思ってもみなかった。
無難な選択肢を選んでしまうのはいけないことだろうか? そんな考えに天秤が傾いてしまうのも仕方がない。ここはエリノアより人生経験が豊富な、ルークの知恵を借りるべきなのかもしれない。ためらいながら、エリノアは事情を話し出した。
「と、言うわけでして」
「……なるほど、二人に贈り物ね。あの二人に」
「そこは強調しないでください」
ぼそぼそと相談しながら、ルークの意見を仰ぐ。
「飾りピンとかあるけど。それならいいんじゃない?」
「飾りピン? タイピンとは違うんですか?」
「実用的じゃないけど日常的に使えるし、邪魔にならないからいいと思う。ほら、たまに襟につけてる人、見たことない?」
このあたりと、自分の襟元を見せながらルークが言う。
「あ、お客さんで見たことあります」
そのお客さんが明らかに貴族っぽいのは黙っている。
確かに、あれなら邪魔にはならない。それに別段着飾るときにつける物でもないし、キリエも気が向いたらつけてくれるかもしれない。いつ気が向くかまったく分らないけど。
「あの! 三つ向こうの通りにあった雑貨屋さんに、もう一度行ってもいいですか?」
「もちろん」
散々悩んだ挙句、無難なデザインを選んでしまった気がする。狙ったわけでもないのに、お財布にやさしいのは皮肉か。簡易の包装をしてもらったし、それなりに見栄えはいいから大丈夫、なはず。
リム用のお菓子も一緒に入った紙袋を大事に抱えながら、エリノアは鍛冶工房の扉を開いた。カラカラと少し低いベルの音を響かせて、鍛冶技師の店主の姿を探すと――そこには、
「あれ? お師匠様?」
「あ、キリエだ」
店主の変わりに、相変わらずの目つきでカウンター手前の椅子に座るキリエがいた。
「そっちの用は済んだのかい?」
「ああ。予想より早く済んで助かった」
それでもともとの予定だった、鍛冶工房に来たらしい。
手元の本から視線を動かしたキリエが、無言でエリノアに手を差し出した。
「えっ?」
どきりと、心臓が大きく鳴る。まさか、まさか、隠れてこっそり買っていたものが、すでにお師匠様の耳に入っているんじゃ……。見た目は普通の紙袋である、中身が何かまではわからないはず。でもなぜか、判っていそうな気がしてくるのが恐ろしい。
無駄なものを買ってと捨てられやしないか。表情に出さないように必死に平静を取り繕っているが、エリノアの心臓は早鐘のように動く。
「な、なんでしょうか? お師匠様」
「さっさとナイフを出せ。お前、ナイフは預けていなかっただろう」
「…………はい」
……焦り損である。声が裏返っていなくてよかった。ほっと肩の力を抜いて、エリノアは袖口から小ぶりのナイフを出した。
エリノアがナイフを仕込んでいたことを、ルークは特に何も言わなかった。自衛手段と判断したのかもしれない。
「店主。こいつも頼む」
言うなり、カウンターの奥に広がる工房に向けて、より正確に言うなら店主のいる位置に向けて、キリエは躊躇うことなくナイフを放り投げた。
見事な放物線を描いたナイフは、事もあろうに店主の足元すれすれの床に突き刺さった。
「てめ! キリエ! 刃物投げんなっつてんだろうが!!」
「す、すみませんでした!!」
店主の怒鳴り声が響くのと、エリノアが慌てて謝るのはほぼ同時だった。
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怒り心頭な店主ではあるが、しっかりと調整してもらった工具とナイフを受け取って、半ば追い出されるようにエリノアたちは鍛冶工房を後にした。いつものことなので仕方がないが……。それでも手を抜くようなことをしない店主には頭が下がる。
エリノアは目の前の宿を見上げる。明日には屋敷に帰るのだと思うと、街への滞在期間はあっという間に過ぎてしまった。
そういえば、今回はあんまりお師匠様と一緒にいなかった……。
「明日は団長の様子を見てから帰るってことで、団長に朝はいるように伝えておく」
「頼んだ」
「馬車は……空いてればいいんだけどなぁ。ライナーも仕入れに動いちゃってるし。他の馬車持ちは、野盗がでた方向じゃまず行かないしな」
「馬車、出払ってるんですか?」
「ああ。ほら、街に来るときエリーちゃんが何か見たって言ったでしょ。あれ、ここら辺に流れてきた野盗だったらしくてね。残党の可能性があるから付近見回り中。交代要員の移動に使ってるんだ」
そう言われてみれば、確か昨日の食堂でも誰かそんなようなことを話していた人がいた。
昨日のハウゼン侯爵の使いらしき人を思い出す。
「通りに騎士がいるなら徒歩でも問題ない」
「まあ、そうかもしれないが……何かと最近物騒だからね。ぎりぎりまで調整できるか粘ってみる」
「買えばいいだろう、予算で」
「ここ僻地だから、回ってくる予算が王都の半分だって判ってて言ってる?」
少ない予算でやり繰りしている出納係の苦労も知らないでと、嘆くルークをエリノアはなんとか宥めて屯所へとお帰りいただいた。
背中に哀愁が漂っていたのは、見なかったことにする。
「明日は屋敷に戻るからな。荷物の準備は忘れるなよ」
「はい」
いつもいつも思う。街へ来ても、時間はあっという間に過ぎていくと。今回も、エリノアは他の術具技工師に会うことはなかった。協会でも顔を合わせる事がないのだから、無理もないのかもしれないけれど。
けれど、あの資料を見てしまえば……。エリノアは以前と同じように、後ろめたさも何もない気持ちで、他の技工師に会えない。キリエは、エリノアがミレハ出身だと知っていてもなお、弟子として迎え入れた。
いったいどんな気持ちで、キリエはエリノアを拾ったのだろうか。そっと伺うように、エリノアはキリエを見た。階段を上がっていく横顔は、いつもとまったく変わらない。
それこそ途中でエリノアを捨ててしまえたし、術具技工を教える必要だってなかった。読み書きも、家事も、全部教えてくれた。キリエは、何を思ってエリノアを弟子にしたのか。
答えの出ない疑問は、あの事件を知って余計に大きくなった気がする。自分の好奇心に、一歩踏み込んだ結果は思考に混乱をきたした。
部屋に戻ってベッドの上に腰掛ける。ダニエラがメイクしているものとは違う感触が、なぜか寂しさを呼んだ。大丈夫、明日には屋敷に帰るんだから。ほら、一眠りしてしまえば、もう帰る日になっている――。
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明かりの落ちた屋敷の中を、手燭を持ったダニエラが歩く。扉の鍵、窓の鍵、暖炉の後始末。一つひとつを確かめながら、隅々までくまなく見て回る。家人がいない間、屋敷の安全を守るのも使用人の務めの一つだ。
もっとも広い工房の、厚手のカーテンが閉じているのを確認したとき、ふと窓の外で何かが動いた気配を感じた。
カーテンを開けて手燭の明かりを向けてみるも、外にあるのは白い雪と、暗闇に浮かぶ木々。
「…………」
月明かりが静かに照らす庭に何を見つけたのか、ダニエラが目を細めた。
けれど何か行動を起こすわけでもなく、ダニエラはそのままカーテンを閉める。そして工房の扉を閉め、最初に戸締りを確認した玄関に向かって歩きだした。
靴音を響かせながら、手燭に向けて息を吹きかけ明かりを消す。一瞬で闇に閉ざされる中、まるで見えているかのようにダニエラは迷うことなく進む。
「あぁ……『お客様』をおもてなししないと……」
手燭が廊下に落ちる音を後ろに聞きながら、ダニエラは『あの』肉切り包丁に手を伸ばした。
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