04・待っていたもの
エリノアの目的の場所は、ミレハ内乱の前後。禁足地となるきっかけとなった事件。
淡々と説明文が並ぶ場所に、『ミレハ』の三文字はあった。その文字をエリノアはゆっくりと目で追っていく。
ミレハ正王統の過激派の一部が、スピカヴィル在籍の術具技工師、イーゼル・ハウゼンの工房を襲撃。
工房にいた薬術師の女性と技工師の弟子、二名が重症を負う。
襲撃される原因となった技工を研究していたとして、その研究を一級禁忌技工とし、同技工を研究していたイーゼル・ハウゼンから術具技工師の資格を剥奪。
また、終身の幽閉措置をとることを決定。
「お師匠様の、教本の人だ……」
キリエの書棚に並ぶ多くの本。その著者は、ほぼと言っていいほど彼が書いたものだ。
恐らく彼が書いたその著書すら、破棄された可能性が高い気がする。エリノアが街の本屋に行っても、イーゼル・ハウゼンの名前を見たことはなかったのだから。
イーゼル・ハウゼンの工房にいた薬術師と弟子、やはりというか予想どおり、この二人の名前は載っていなかった。それから少しして、ミレハがスピカヴィルと合併したとある。
一級禁忌技工。終身の幽閉措置がとられるほどの、術具技工。それがどんなもので、どういった理由で研究していたのかは、書かれていない。
本棚から持って来た、技工師名簿も照らし合わせながら見る。確かに、最後に書かれたイーゼル・ハウゼンの名前の横には、赤文字で資格剥奪とある。その後に続く名前に、資格返納の文字。大量に続くその四文字に、エリノアは背筋に寒気が走った。
数十行にも及ぶ、多くの名前と同じ文字を追っていくと、ようやく違うものが現れた。
キリエの名前だ。十年以上前に、最年少術具技工師として登録されたときの記録。その後からポツリポツリと、違う技工師が弟子を迎えたとの記述が出てきた。
キリエが技工師になったのは、ミレハの事件の後だった。キリエは、このことを知っていたのだろうか? 次々と退いていく技工師のことを。この事件の詳細を。
一番下、つまり新しい記録に、キリエが弟子を迎えたとあった。
――間違いなく、エリノアのことだ。
エリノアは名簿を眺めていてふと、奇妙なことに気が付いた。キリエ以外の技工師が資格を得たとき、誰に師事したのか記述があるのに、キリエには書かれていなかったことに。
「もしかして、独学?」
出来なくは、ないだろう。教本は、図書館でも借りることができるのだから。ただ、はるかに難易度の高い習得方法になるだけで。
けど……お師匠様なら出来てしまいそうな気がしてくるのだから、困りものだ。
資料を閉じて、エリノアは深いため息をつく。キリエに黙って、ミレハの事を調べた。結果は……ひどく重たく心に圧し掛かる。自分の故郷の人たちが、一人の技工師とその弟子、それに一緒にいた薬術師を襲ったのだ。
どんな研究をしていたって、人を襲っていい理由にはならないのに。
もしかして、キリエがエリノアを他の師弟に会わせないのは、エリノアがミレハ出身だったからなのだろうか。
「……ちゃん、エリーちゃん」
「は、はい!」
「受け付けのお姉さんが、終わったって呼びに来てるよ」
「大変、すぐに行きます!」
「片付けておくから、エリーちゃんは先に下にいきな」
広げていた資料をルークは手に取ると、やんわりとエリノアを促す。何度もルークに頭を下げて、エリノアは窓口へ戻った。
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成り行きとはいえ、普通にサボってしまったルークだが、屯所に戻ってきたとき特に何も言われなかった。今回の団長の一件で、みんな気が緩んだのだろうか?
キリエからも、委任状のことや戻りが遅いだの言われることはなかった。軽く睨まれただけで終わってしまった。その後、すぐ手伝いに動き回ることになったけど。
工具を片付け整備場を元の状態に戻し、屯所で挨拶をして宿屋に戻る。ルークが送ると言うので一緒に来てもらっている。騎士に配給される明かりの魔導具のおかげで、暗闇の中でも足元はよく見える。
「団長さん、すごく喜んでましたね」
「……だからああなる前に、さっさと連絡を寄越せと言っているんだ」
「ま、これで明日からちゃんと仕事してくれるよ」
そして戻ってみれば、なぜか宿の前に二頭立ての馬車が止まっていた。黒塗りの馬車の側面には、蛇が絡まる剣の紋があった。
この街の有力者、ハウゼン侯爵家の紋……。
馬車の紋が目に入ったらしい、エリノアにも聞こえるくらいのため息をキリエは吐いた。人付き合いの嫌いなキリエには、面倒事が大手を振ってやってきた感覚くらいにしかならないのだろう。
もしかしたら、キリエの知り合いの一人だろうか? 高貴な方とつながりがあるキリエなら、可能性がなくもない。この紋の封蝋がされた手紙を、エリノアは何度か目にしているのだから。
嫌な顔をしつつも、宿の中に入ってみれば、一階の食堂で恐縮しっぱなしの女将と厨房に立つ夫の姿が見えた。他に人の姿はあるが、この時間にしては少なすぎる。
明らかに、貴族がいることで来るのを避けているんだ。
「お久しぶりにございます、キリエ様」
静かに、けれど耳に通る低い声がすぐ傍で聞こえた。
宿屋の入り口の近く、その壁際に、燕尾服姿の一人の老人が立っていた。薄いグレーの髪を撫でつけ、ぴしりと着込んだ服。ズボンの線はまっすぐに伸び、上着ときれいに合わさっている。老人は、キリエの姿を確認すると静かに頭を下げた。
慌ててエリノアも、ルークとともに頭を下げる。少なくとも、相手は違うが権力者には注意しろとダニエラに言われた。エリノアの態度ひとつで、キリエが目をつけられでもしたら大変だ。
ハウゼン侯爵に、そんな横暴な話を聞いたことはないけれど、気を付けるに越したことはない。
「……ずいぶん『予定と』違うような気がするのは、俺の気のせいでしょうか?」
「申し訳ございません。なにぶん『旦那様』は心配性なものでして」
ぞんざいな物言いのキリエが丁寧に言葉を返すのを聞いて、エリノアは驚きに師の姿を振り仰ぐ。
キリエは言い返すことをせず、眉間に皺を寄せるとルークに何かを話す。そしてエリノアへ短く告げる。
「俺はこれから出る、帰りはわからん」
「は、はい」
「明日は好きにしろ。ただし、『また』迷子になるのは迷惑だ。誰かと行動しろ」
「なっ!? わ、私はもう迷子になったりなんてしません!」
「大泣きしながら地べたに座り込んでいたのは誰だ」
「お、お師匠様ぁ!!」
何年前の話をこんな所でするのか! 顔を真っ赤にしながらエリノアは反論するも、キリエにはまったく効果がない。
逆に持ってきていた荷物を渡されてしまった。どうやら部屋に運んでおけ、ということらしい。
「ルーク。お前明日は休みらしいな。暇ならこいつの子守でもしろ」
「えっ!?」
驚愕の表情で声をあげるルークを、キリエは静かに睨みつける。
その鋭い眼光に、「うっ……」と小さく声を出してルークは口ごもった。
「……行きましょうか」
「外に馬車を待たせてあります、そちらでお送りいたします」
あの老人に案内されるように、キリエは入ってきたばかりの扉から出て行った。
よく訓練されているらしい、馬は鳴くこともなく車輪の回転する音だけが響く。
キリエが出て行った扉を、エリノアはあっけにとられた表情で見る。何度も瞬きをして、今のが夢か何かかと考えたが、手に持っているキリエの荷物の重さがそれを現実だと教えていた。
「びっくりした」
「ほ、本当ですね……。なんで侯爵様が、お師匠様を呼んだんでしょうか?」
「んー、ハウゼン候の周りで、術具が必要な人はいなかったはずなんだけどなぁ」
馬車が動いた音を耳にしたのだろう。宿泊客が見はからったように、階段を下りてきた。
あっという間に埋まるテーブルに、始まる雑談。いつもより夕食が遅くなった、侯爵様がなんで来た、森で野盗が見つかり騎士が出向いたらしいなど、細かく聞き分けることの出来ない会話が飛び交う。
「えと、ルークさん。明日はどうしましょうか? 私は一人で大丈夫ですけど……」
流れとはいえ、キリエにエリノアの子守――大変不本意だが――を頼まれてしまったルークを見る。
顔色を伺うようなエリノアの視線に、ルークは苦笑した。
「ま、キリエが言ったことだし明日は休み。エリーちゃんがいいって言うなら、ご一緒しようかな?」
休みといっても、一人じゃ暇してるだけだしね。と、穏やかに微笑みながら言う。
予定では明日はキリエと一緒に、工具と護身用の刃物類の調整をしに鍛冶工房に行くだけだ。残った時間でリムを連れて、屋台に繰り出すつもりだった。予想外に一人の時間が得られてしまったことに拍子抜けしつつ、どうしたものかと考える。これは二人へのプレゼントを探せということか……。
キリエは明日、どうするつもりなのか。帰りが何時になるかわからないと言っていたし。もしかしたら、侯爵様の屋敷に泊まるのかもしれないし……。
難しい顔をして考え込んだエリノアを見て、ルークが小さく噴出した。
「エリーちゃん、すごい顔してる。眉間に皺寄せてるとか、キリエに似てきたんじゃない?」
「えぇっ!?」
思わずぱっと眉間に手を当てる。やはり、弟子は師匠に似てくるのだろうか? 出来ればそういうところは似たくない。これでこのまま、キリエに似て口まで悪くなってきたらどうしよう。
とたんおろおろしだしたエリノアに、今度は隠すことなくルークは笑った。
「ごめんごめん。今のは冗談」
「ルークさん」
自分で思っていた以上に重たく発したエリノアの一言に、ルークが慌てて弁解した。
「いや、エリーちゃん急に考え込んじゃったからね。もしかして一緒に行くのが嫌だったのかなって」
「そう言うわけじゃないですけど……」
そう、ルークと行くのが嫌なわけじゃないのだ。ただ、師であるキリエがなんだか忙しくしている様子に、自分が出かけるのに抵抗があるのだ。
でもお師匠様は、明日は好きにしろって言ったし……。
「寂しい独身男の休日なんて切ないもんだよ。せっかくかわいい妹分のエリーちゃんと出かけられると思ってたのに。はあ、残念だなぁ」
と、言いながらルークがしょんぼり肩を落とす。
その姿にエリノアは罪悪感を持ってしまう。ルークが自分を妹分と思ってくれているのはうれしいし、実際、エリノアも兄のように慕っている。
ルークさんはお師匠様に一緒にいるように言われているし、けど、肝心のお師匠様は忙しそうだし。ぐるぐると頭の中で「でも」と「けど」が回りだす。
「どうかな? この間持って行ったクッキーのお店、実はケーキも美味しいんだ。案内するから、明日は美味しいケーキ屋さんでゆっくりお茶でもしない?」
「ケーキ! ルークのおごりならリムは食べるの!」
「リム!?」
エリノアが答えるよりも早く、リムが割り込む。姿は見せないがエリノアのフード中から、声をあげる。
「もちろん。だだしリムは二個までだよ」
「了解なの!」
エリノアを放置して、リムは行くことが決定してしまった。
ルークは小さく笑いながら、エリノアを諭すようにひらひらと手を振る。
「ここはお兄ちゃんに、かっこいい姿をさせてよ。ね、エリーちゃん」
リムは行くことを決めてしまったし、『お兄ちゃん』にそう言われてしまえばエリノアにうまく断るすべはない。
ちょっと照れくさそうに言うルークに、これまたエリノアも照れながら頷いた。エリノアの周りでは、こういった誘い文句を言う人は皆無だからどうしようもない。
「よし、明日は颯爽とエリーちゃんをエスコートしよう。それに――」
そこで言葉を切ると、ルークはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「お会計のときに領収証をもらえば、全部キリエに請求できる!」
…………それ、やったら一番危険だと思います。
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