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■一章 01・森の中の屋敷

 


■□一章



 ――窓の外は、真っ白だった。

 久しぶりの晴れ間に、平らに積もった庭の雪が眩しい。昨日までの吹雪いた悪天候が信じられないほどに。

 それでも外の明るさだけでは広い室内を照らすには足らず、昼間にもかかわらずランプが点いていた。



「あっ……」



 小さな声が、静かな工房に響く。

 手にある軸芯に使う金属の棒を見て、エリノアは肩を落とした。

 雪が屋根から落ちる音に驚いて、手元が狂った。彫り込まれた模様は途中で途切れてしまい、線のような傷があらぬ方向に伸びている。

 耳に入ってきたため息に、びくりと肩が震える。



「見せてみろ」



 恐る恐るエリノアが後ろを振り向けば、無造作に切りそろえた短い真っ黒な髪を揺らしながら、師匠が静かに近付いてきていた。

 エリノアの手元を見た男の、左右で色の違う瞳が細められる。森の緑の右目と、空の青い左目。きれいなその瞳は、今はただただ呆気にとられているようだった。


 作業台の上に置かれた軸芯を無言で眺めると、その隣に、彫り込んでいた物と同じ模様が描いてある紙を持ってくる。少し荒れた師匠の指先が、彫っていた部分をなぞり始めた。

 いったい今度はどんな評価が下されるのか……。緊張から息を潜めて、エリノアはその作業が終わるのを待つ――。



「……作り直しだ。深部構築式の彫り込みが全体的に甘い。軸芯になるこの部分は、術具技工で最も慎重にやらなければならない場所だ。これだと普段の動作にも支障がでる可能性がある。不良品を相手に渡すつもりか?」



 落胆とも失望ともとれる師匠のため息が再び聞こえてきて、エリノアはうな垂れる。さらりと、後ろで一つに纏めた茶色い髪が落ちてきた。まるで今の気分を表しているようだ。

 目の前で描き写した構築式の紙と、エリノアが彫った軸芯を比べながら指摘していく、時として冷酷にも見える涼しげな顔付きの男は、師と呼ばれるにはまだ若い男だった。

 ぎゅっとスカートを掴みながら、的確な指摘を次々としていく師の言葉を聞き漏らさないよう、エリノアは耳に神経を集中させる。



「ただ、この関節の動きの指示部になる彫り込みはよく出来ている」



 今のは聞き間違いだろうか? ……間違いじゃ、ない。師匠からの珍しいお褒めの言葉に、一拍遅れて表情が明るくなる。



「軸芯の下書きに間違いはない。だから早く作ろうとするな。時間がかかってもいい、神経質と言われるぐらい、慎重に作業しろ」

「は、はい!」



 見上げた先の男に、エリノアが満面の笑みを向けて答えれば、無言で後頭部を叩かれた。地味に痛い。



「お師匠様、痛いです……」



 男は下がっていた袖をシャツガーターで止め直しながら、呆れたような視線をエリノアに向ける。ギロリと動いた目は、とてもこの国一番の術具技工師とは思えない。

 まるで牢屋番の騎士のようだ。……と言っても、エリノアは実際に牢屋番の騎士を見たことはないけど。そもそもお世話になりたいとも思わないし。



「間違えた場所をさっさと埋めて均せ」



 その視線に、エリノアは慌てて修正用の材料を準備しに棚に走る。商品に使う、本番用の軸芯で作業をしたのはまだ数回、数えるほどだ。普段から使っているのは、今のように練習用の材料。

 弟子以前である弟子見習いのエリノアが、一人前になるまでは無駄にはできない。


 ――術具技工師。


 失った四肢の義肢を作る魔導具職人の総称。

 彼はこの国で、一番腕のいい術具技工師。

 ただ一人として弟子を取らなかった男の、たった一人の弟子見習い。それがエリノアだ。



「キリエ! キリエー! おやつの時間なのー!」



 ばったんと、工房へ入る扉が勢いよく開くと、真っ白な生き物が飛び込んできた。

 放物線を描きながら作業台の上に着地したのは、ずん胴体形にふっさふさの毛を持つ二足歩行の小型の霊獣リムクレット。

 長い耳と尾を揺らしながら作業台の上を歩き回る姿に、エリノアは慌てて持っていた物を近くの台の上に置き側に駆け寄る。その作業台には、キリエの製作途中の術具がある。台から落ちたら一大事だ。



「リム、工房の中で騒ぐなと言っているだろ」

「おやつ!」



 その尻尾に巻き込まれた、構築式が描いてある紙に気が付いて、キリエが眉間に皺を寄せた。

 背伸びをするように短い手を振りながら、おやつをねだるリムの尻尾から、エリノアはそっと紙を救出する。少し皺は付いたが紙は無事だ。

 師であるキリエの創った構築式は、既存の物よりずっと複雑なのだ。出来ることなら描き写し作業は遠慮したい。



「お前はしばらく菓子抜きだ」

「キリエいじわる! リムは餓死するの!」



 きいきいと作業台の上でキリエに文句を言うリムの姿に、エリノアは心の中で両手を叩く。必要以上に会話をしないキリエに、ありえないセリフを出させるのはリムぐらいだ。

 エリノアの場合その前に叱責が来る。容赦のない一言は、その日一日気分が滅入るほどに。



「リム、静かになさい」

「キュッ!?」



 聞こえてきた女性の声に、全身の毛を逆立てリムが静かになる。体全体を捻るように辺りを見回す特徴的な仕草をしながら、リムは振り返った。

 そこにいたのは上等な仕立てのメイド服を着たメイドだった。メイド服には不釣合いな刃物が入った鞘が、腰のベルトからぶら下がっている。



「キリエ様は仕事の最中です。おやつをせがみに行ってはいけませんと、あれほど言っているではありませんか」

「ダニエラはリムが餓死してもいいの!?」



 肩口で切りそろえた栗色の髪の、緩いウエーブを持つ毛先を揺らしながら、ダニエラが無表情のまま首を傾げた。

 やや垂れ目がちな目元から、流すようにリムに視線を向ける瞳は、充血しているというより血走った目だ。キリエの右目に似た色の、緑の瞳が余計に赤を目立たせる。

 そしてダニエラはリムから視線を外さぬまま、腰に吊るしていた鞘から取り出した“肉切り包丁”をその手に構えた。



「では、おやつを食べる代わりに、リムには本日のディナーのメニューになっていただきましょう」

「キュキョキョ!」



 まさに早業。鳴くと同時に走り出して、あっという間に安全地帯であるキリエの肩の上に逃げた。

 本当にダニエラがリムを今晩のディナーのメニューにする気はないだろうが、それでも無表情で血走った目を向けられて言われれば恐怖は感じる。あまつさえ、その手に彼女愛用の肉切り包丁があるのだ。冗談であっても普通の人間なら逃げかねない。

 なまじ整った顔立ちだけに、恐怖感が際立つ。そしてその包丁、常日頃持ち歩いているのだ。それはそれで物騒極まりない。



「お、お師匠様。お師匠様も、そろそろ休憩した方がいいんじゃないですか」



 琥珀色の瞳を向けながら、おずおずとエリノアは言った。

 この師匠、放っておくと日がな一日、休みもせずに仕事をしているのだ。ダニエラが食事のために呼びかけなければ、本当に飲まず食わずで作業に没頭してしまう。

 エリノアが知る限り、そんな状況に遭遇したのは指折り数えるほどもある。ただしそういった時はだいたいが急ぎの注文で、しかもかなりの技術を要する構築式を施さなければならなくなり仕方なく、だったが。

 弟子見習いでしかないエリノアは手伝えることがないため、その時は工房に入ることすら許されない。入れないのは分かっていても、何か手伝えることがあるかもと工房の扉の前を何度も通った。結局、その扉が開くことはなかった。



「ダニエラ」



 肩に乗ったリムを摘み降ろしながら、キリエがダニエラの名前を呼ぶ。

 たったこれだけなのに、ダニエラは承知したと言わんばかりに頷くと、一歩後ろに下がる。



「準備は出来ておりますので、談話室へどうぞ」



 促すように、談話室のある方へ腕を動かした。

 何をどうしたら名前を呼ばれただけなのに、お茶の準備が必要だと判るのか不思議でならない。これが出来るのがメイドの条件だというのなら、自分がメイドになるのは無理だとエリノアは思う。



「やった! おやつ!」

「お前のために休憩するんじゃない」



 小さく息を吐くと、キリエはリムを摘んだまま談話室へと足を動かす。

 廊下に出たところでその足を止めると、エリノアを見た。



「お前は休まないのか?」

「や、休みます!」



 キリエの傍に小走りで近付いて、エリノアは先に談話室に入る。事前に暖炉に火は入れてあったが、やはり工房よりは寒い。誰も人がいないのだから強くは着けられない。火事になったら大変だ。

 扉の近くにある薪を持って来ると、エリノアは暖炉にくべる。どうやら古傷を持っているらしいキリエは、あまり寒いとその傷が痛むようだ。だから、キリエより先に来て冷えた部屋を暖めるのはエリノアの役目だ。

 決められた訳じゃない。それは技術の勉強に関係ないけれど、エリノアがキリエのために出来る数少ないこと。



「お前はまた……薪をくべるのはダニエラの仕事だ」



 キリエは呆れた様に言うが、それ以上追求することもなく。リムをテーブルの上に置くと、暖炉近くのソファーに腰を下ろした。

 座るときに、キリエがほっと息を吐いていたのをエリノアは見た。ただ、本人には言わない。きっとキリエは、それに触れて欲しくないはずだから。



「ダニエラさんはお茶を淹れる準備で手が離せないんですから、私がやるのがちょうどいいんです」



 この、人付き合いが嫌いな師は……。ときとして人間が嫌いなんじゃないかと、エリノアが思ってしまうことさえある。

 キリエの傍に居るためには、彼ら屋敷の住人に深く踏み込んではいけない。それはこの屋敷で暮らすようになって、気付かされた。



「物好きなやつだな」

「はい!」



 同意も含めて返事をすれば、さめざめとした視線を向けられる。キリエのその目が、そんなことをする暇があるなら教本を読め、と如実に語っていた。エリノアは表情を引き締めて、暖炉から離れたソファーに座る。

 未だ弟子見習いという弟子ですらない立場に、エリノアは複雑な心境だった。もともと術具技工師の勉強が難しいというのもあるし、キリエの独自技術が施されている術具技工がそれをさらに難解にしている。

 側に置いてあるサイドボードの上の教本を開きながら、エリノアはこっそりキリエを見た。キリエもまた、同じように本を読んでいる。


 エリノアが不出来な弟子なのは今に始まったことじゃないし、キリエの教えが厳しいのも変わらない。けれどそんな弟子見習いのエリノアと、師弟関係を解消しないのは何故だろう。

 国一番と言われるキリエだったら、もっと覚えのいい弟子が見つかるだろうにと卑屈にも思ってしまう。


 八歳のときにキリエに拾われ、十三歳の今日までキリエのもとで学び暮らした。字を書くことすら出来なかったエリノアに、顔をしかめつつ一から教えたのはキリエだ。

 だから、いかに不出来といえども、その恩に報いたいとも思っている。彼の弟子として恥ずかしくない技工師になりたいとも思うのに……。十歳の時に勉強を始めたのに、未だ弟子にすらなれないのには情けなくなってくる。

 基礎だけはキリエから貸し与えられた教本のおかげで、なんとか身につけられたが、そこから先はまだ長い。本を読むように、簡単には進められないのが技術だ。術具技工で最も重要な軸芯の作成に至っては、始めたのは最近になってから。



(他のお弟子さんはどんな風に学んでいるのかしら……)



 他の技工師の弟子に会ったことがないエリノアには、キリエの教え方が普通なのか判断がつかない。一応、教本で基礎を覚え、実習で技術を身につける。だと思っているのだけれど。

 今、エリノアが読んでいる教本の著者はイーゼル・ハウゼン。キリエはこの著者の本が合うのか、この屋敷にある術具技工の本の大半は、この人が書いたものだ。

 ページを捲ろうとしたら、バッと本がエリノアの手から消えた。



「キリエ様、エリノア。お二人はこちらに休憩しに来たのではないのですか? 師弟揃って同じ格好で、術具技工の本をお読みにならないでください!」



 不機嫌なダニエラの声に、エリノアは再びキリエを見る。ソファーの背もたれに体を預け、深く腰かけ本を読む姿は、確かに今のエリノアの姿と似ていた。

 叩きつけるように本をサイドボードに置いたダニエラに、エリノアは急いで姿勢を正す。その音に気付いてか、キリエも慌てて本を片付ける様子がなんだか少しおかしくて、エリノアは笑ってしまった。


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