第三話 素敵な日常の始まり
私はアイリス文庫に圧倒的に合わないだろうこの作品であえて殴りこむ。
絶対死ぬものか、そう啖呵を切ったのは良いが。さて、どうしようかしら?
いや、本当に死ぬつもりは無いのだけど、正直冷静になって考えるとこの状態は非常にまずい。
後ろ左右が囲まれているし、目の前にはさっきを迸らせている不気味な化物。
逃げ場は…… あるにはある。
要は簡単な話、左右後ろに逃げ場が無いのなら真っ直ぐに行くしかない。
あいつを振り切って前へ走れば良いのだ。
敵陣地ど真ん中を突っ走る、某島津の退き口と同じ無謀な作戦だが。
「しないよりはマシよね、どうせ追い詰められたら詰みなのだから」
せめて、壁を走ったり屋根を縦横無尽に走れるフリーランニングのスキルが自分にあれば生存率は急激に上がるのだが。残念ながら、私はあまり動くのが得意じゃないし、そんなスキルを持っていない。だって、女の子だもの。
ペタッ…… ペタッ……
考えている間にも、徐々に近づいてくるマネキン。
やっぱり選択肢は一つしか無いよね。
私はグッと両足に力を入れて、全力で走る準備をする。それと、心の準備も。
あいつが鉈を振り上げたその瞬間を走り抜ける…… その時のチャンスが来るは……
「はぁ!」
「え?」
私が目の前の敵を凝視しているその最中、突然、目の前のマネキンが真上から落ちてきた何者かによって地面へ叩きつけられる。
その真上から降ってきた少女はマネキンの背中を小さなナイフで突き刺しており、化物から黒い液体が噴き出し、彼女の身体と服を汚していった。
まあ、つまり。私が何かをやる前に謎の少女によってマネキンは倒された。
少女の奇襲によって化物はビクンビクンっと痙攣した後、動かなくなり、完全に止まる。
あんな化物を殺す女の子って一体……
少女は顔に付いた血を腕で拭い、何とか綺麗にすると、私の方へ顔を向ける。
それから、何故か先程化物を殺した者とは思えないほど、怯えた表情と声で私に話しかけてきた。
「あ、あの…… えっと…… その…… うぇ……」
「……」
「たたたた、たたたた」
その口から出る音は機関銃か何か?
「たたた、助けに、きま、した」
あぁ、助けに来たのね。しかし、かなり怯えているわね。まるで、真理みたいだわ。
私は恩人の少女に、若干苦笑いっぽくなってしまったけど、笑顔でお礼を言った。
「え、えぇ…… ありがとう」
何はともあれ、彼女のおかげで助かったわけだしね。
「そ、それじゃぁ」
彼女は私から顔を離し、背を向けて走り出そうとした。
「ちょ、ちょっと待って!」
そう簡単にお別れしてなるものか! 折角、この場所でまともな人間を見つけたから、私は彼女の逃げる腕を取る。
「はいぃ!?」
すると彼女は面白いぐらい反応して振り返り、驚きのあまりに足がもつれたのか、私の方へと倒れこんだ。
「い、いたた…… 大丈夫?」
私は彼女を受け止めたまま固い床へと尻餅をついたので、お尻が痛かったのだが、なるべく平然として彼女を心配する。
「ご、ごめんなさい!! すぐに退きますから!!」
彼女はどうやら大丈夫だったみたいで、すぐに元気よく私から飛びずさる。
「ぐふっ……!」
その際、思いっきり彼女は私のデリケートなお腹に両手を突き出したので、私はくぐもった声を出してしまった。
「だ、大丈夫……? ですか?」
「へ、平気よ……」
私は彼女にそう笑顔で答え、よっこらせっと、まるで年寄りみたいな声を出して立ち上がる。
それから、彼女に早速ある質問をした。
「貴女はここの住人よね? ここって一体どこかしら?」
「私は住人では無いですけど…… っというより、あなたと同じ、元、日本人…… です」
「元日本人? にしては、そうは見えないけど…… うーん」
「そ、それは……」
私は彼女を改めて見てから答えた。
彼女の容姿は腰まである流れるシルクのような美しい銀髪、目を引く美しい血のような紅い瞳。それと、何より恰好は中世然としたふわふわのフリルをふんだんにあしらえた黒いドレス。そして、あの高所から飛び降りての奇襲等。到底、私と同じ日本人だとは思えない。いや、日本人にも戦前は異常な奴は居たのは居たけど…… 正直、そんな方々とは違ってこの子は幼い女の子だからますます信じられない。っていうか、人間っというのも信じられないかもしれない。
一応人の形はしているのだけれどね。
だけど、この子はあのマネキンとは違って理性があるし、感情もある。
何よりも…… あの怯えた真理にも似てるし…… それだけだけど、私にとってはだからこそ、信用に値する。
「分かったわ、確かに私の言葉が分かっているしね」
「ほ、本当?」
「えぇ、貴女は危なかった私を救ってくれたのだから」
私が本心からそう答えると、彼女は少し頬を赤くして、それから嬉しそうに笑った。
「え、えへへ…… あ、ありがと…… そ、そんな事言われたの…… はじめてだから、恥ずかしい……です」
「別に敬語じゃなくても良いわ、あ、自己紹介しておきましょう。私の名前は影森真奈、西百合女学園の生徒会長よ、これからよろしくね」
「わ、私の名前は夢野愛。鎮魂中学校の一年生…… よろしく、お願いします」
「鎮魂中学校…… 案外世界って狭いのね、私はそこの生徒だったの。もしかしたら貴女と住んでいる家が近いかもね」
「そ、そうだったんだ…… ね、ねぇ。西百合女子学園って私行こうかなって思ってたけど…… どんなところだった?」
「古臭い制服に古臭い伝統に古臭い建物だったわ」
「えぇ……? で、でも、唯一田舎にある女子学園だからやっぱり憧れはある…… かな? 私、男の人苦手だから」
愛はそう言って、少し頬を染めながら手をくねくねもじもじしながら私に上目づかいで呟いた。
そんな彼女の乙女らしい仕草に私は可愛いと思ったのだった。