幸福の居場所
架空の日本で思うがままに生きてみませんか?
そんな触れ込みでVRMMO『Another Japan』が発売された。言葉の通りゲーム内の日本で学校に通ったり、会社に勤めたりと、思うがままに生活ができる。現実の日本とは違ったことが楽しめるということで、そのゲームはなかなか評判らしい。
様々な目的を持った人がゲームを買ってプレイしている。
僕もその一人だった。
「こんにちは安堂クン。学校はもう慣れた?」
「ああ、委員長。みんな優しくしてくれるし、凄く過ごしやすいよ」
挨拶と同時に心配もしてくれる委員長に笑顔で答える。委員長は「よかった」と微笑むと僕の隣に並んだ。教室に入ると先に来ている生徒たちがこちらを振り向き、口々に挨拶をしてくれる。
「さて、授業開始だぞ」
少し経つと教師が入ってきてみんなが席に着くと授業が始まった。
よし、授業にもちゃんとついていける。
放課後まで授業を受けて、クラスメイトに別れを告げると、ゲーム内での僕の一日は終わった。
現実の僕は同級生からのイジメが原因で不登校になり、引き籠もりになった。親はそれをまずいと思ったが、どう対処したら良いのか困っていた。そして考えた結果『Another Japan』を買って僕に勧めた。どうやらゲーム内の学校でも現実と同じように勉強ができるらしくリハビリがてらどうかと親は言った。このままではいけないと自分でも思ってたので渡りに船と親の提案に賛同し、ゲーム内の学校に通い始めた。
ゲーム内とは言え馴染めるか最初は不安だったが、それはすぐに解消された。僕以外のクラスメイトや教師は全員がNPCで、みんな親切に接してくれた。数ヶ月もゲーム内の学校に通うと、イジメによるトラウマもほぼなくなり、僕は以前のように明るくなった。
再び現実の学校に通うことを親に告げると、泣いて喜んだので心配をかけたことを申しわけなく思い、僕も一緒に泣いた。
現実の学校へ戻ると僕をイジメていた奴らは全員学校をやめるか、転校していた。イジメられる前までよく遊んでいた友達は助けられなくてごめんと謝ってきた。僕はそれを許し再び一緒に学校生活を過ごした。
そうしてまた数ヶ月経ったある日。
世間はひとつの話題で持ちきりだった。
『Another Japan』をプレイした人間が現実でも事件を起こしている。
きっかけは銀行強盗をして捕まった男だった。
『ゲーム内で上手くいったので現実でもいけると思った』
テレビ画面の向こうで話す男の供述はお茶の間を呆れさせた。世間は虚構と現実の区別がついていなかったと結論づけ、その事件は終わった。しかしその後、似たような事件が相次ぎ、とうとう殺人事件まで起こったところでようやくゲームの問題性が指摘された。議論が重ねられた結果『Another Japan』は回収されることになった。
『Another Japan』のおかげで再び学校に通えるようになった僕としては悲しかったが、僕ひとりが行動したところでどうにかなる話ではなかった。
回収される前にもう一度ゲームを楽しもうと思いログインすると、同じように考えたのか多くのプレイヤーがいた。
最後にログインした時とは違い、ゲーム内は無法地帯となっていた。NPCが経営している店をプレイヤーが襲い、抵抗されたら殺す。
ゲーム内とはいえ、そんな場面を見せられて気持ち悪くなった。
僕は急いで学校へと向かう。
学校は酷い状態だった。窓ガラスは割られ、あちこちから悲鳴が上がっていた。
「あ、あ、あ……」
校舎内はもっと酷かった。親身になって授業を教えてくれた教師は頭を割られていた。僕のことをからかってきた後輩の女の子は衣服が乱れていた。おそらく乱暴されたのだろう。
あっ……目の前で仲の良かったクラスメイトがナイフで刺された。男は何が楽しいのか笑いながら延々と刺し続けている。
「やめろよ!」
我に返って男を突き飛ばす。突然突き飛ばされた男は怒りに満ちた表情でこちらを見た。
「おいおい、邪魔すんなよ。お前も殺すぞ」
「お、お前、何してるんだよ。何でこんなことするんだよ!」
「何でって、思ったまま行動してるんだよ。運営が言ってることを俺は実践してるだけだぜ」
さも当然のように言う男に僕は愕然とする。思ったまま。それだけで殺すのかよ。
僕が黙っていると、男は続けて言う。
「しっかし、マジで凄いなコレ、血とかスゲーリアルじゃん。このゲーム開発したやつは絶対頭おかしいよな」
男はヘラヘラと笑っている。
「ほら、何つっ立ってんだよ。いくらリアルだからって所詮ゲームだぜ? なら楽しまなきゃ損だろ? さっきのは許してやるからお前もやってみろって」
カラン、と音を立ててナイフがこちらに滑る。ナイフには赤黒い血がベットリと付着している。刺されたクラスメイトへと目を向ける。
「うう、うーっ――っ!」
「うわっ、キタネー、吐きやがった。ハハハッ、ゲロまでリアルだな」
痙攣する胃とツンとする鼻の痛みを感じながら同感だと思った。
男はナイフを拾い刀身についた血を舐め掬うと、嘔吐く僕を尻目に哄笑しながら何処かに行ってしまった。
いつの間にか死体は消えていた。服も、血すら残さず消えていた。
さっきのは本当にあったのかと一瞬思ったが、窓ガラスや備品が壊れたままなのを見て、夢ではなかったのだと認識する。
「そうだ、委員長――委員長は?」
ここで僕はやっと委員長の存在を思い出した。このゲーム内で一番僕に親切にしてくれた女の子。委員長のみたいな子が現実にいたら僕はすぐに惚れていただろう。
ヨロヨロと壁を伝いながらも教室に向かった。
教室内は机や椅子が壊され、倒れていたが、その中でただ立っている委員長の姿を確認できた時、僕は安堵した。僕が入ってきたのに気づいたのか委員長は振り向いた。彼女は場違いにも笑みを浮かべていて、僕は少しの間見蕩れてしまった。
「安堂クン、来てくれたんだね」
よかった、といつも通りの様子で話しかけてくる委員長。その違和感に僕は気づかず委員長の腕を掴む。
「委員長、ここは危ないよ。早く逃げよう」
「無駄だよ。NPCは限られた範囲でしか行動できないんだよ」
「じゃ、じゃあ校舎内のどこかに隠れようよ。このままここにいたら誰かに見つかっちゃうって」
「大丈夫、大丈夫。もうすぐ変わるから」
自信たっぷりに委員長は言うが、それでも不安な僕は引っ張ってでも移動しようとした。しかしどんなに強く引っ張っても委員長は動かなかった。僕の焦った様子がおかしいのか委員長はクスクス笑っている。ここでようやく僕は疑問に思う。
「ねえ、何でさっきからずっと笑ってるの? それに変わるって……」
「大丈夫だよ。安堂クンは心配しないで」
委員長は僕の質問には答えず、ただ、大丈夫と繰り返す。
目を細め、口角を上げニィっと笑うその姿に僕は恐怖し、後ずさる。僕を止めようともせず委員長は笑う。ただ、笑う。
「――――ッ!」
我慢の限界に達した僕は一刻も早くこの場から離れようとドアへと走る。しかし、あと少しというところでひとりでにドアが閉まってしまう。それが恐怖に拍車をかけるが、なんとかドアにたどり着く。しかし開けようとしてもびくともしないし、蹴破ろうとしても無駄だった。
「な、なんで……そうだ、ログアウト!」
今の今までその存在を忘れていた僕は即座にログアウトしようとする。視界に映るログアウトボタンに手をかけようとした、その時――
「ほら、変わるよ」
感情の色を見せず委員長はただ一言だけ言った。
恐る恐る振り向くと、委員長は無表情で天井を見ていた。釣られて天井を見るが変わった様子はない。
変わるって何が? そう言おうとして、失敗した。突然視界が歪み、続いて頭痛が起きそれどころではなくなったのだ。あまりの酷さに立っていることも出来ず、床に手をつく。
十秒、二十秒。あるいはそれ以上経っただろうか。歪みと頭痛がおさまると僕は辺りを見渡した。特に変化はない。
「委員長、今のは何だったの?」
「世界が変わったんだよ」
僕の質問にそう答え、委員長は窓際へと移動し手招きした。呼ばれるままに向かうと委員長は校庭の方を指差す。そこには僕が学校に着いた時と同じように悲惨な状況が続いている。
「変わったって何が? わからないよ」
「本当に? もっとよく見て」
そうは言うが、例えNPCでも殺されている姿は見たくない。だけど委員長は反論を許す様子がない。覚悟を決めて校庭へ視線を戻す。
バットで叩かれているのを見る。
刃物で刺されているのを見る。
大勢に囲まれ今まさに殺されようとしているのを見る。
やっぱり、同じだ。変わっているところなん……て……
「え?」
間抜けな声が口から零れた。
あそこで大勢に囲まれている男。何か叫んでるあの男はさっき僕の目の前でクラスメイトを殺した奴じゃなかったか? そしてその男を囲んでるのは……
「どうしてNPCが……」
「フフッ、気づいた?」
僕の呟きに委員長は得意げに答える。
「変わったんだよ。このゲームの世界がね。今までは君たちプレイヤーが好き勝手に振舞ってたけど、今度は私たちの番。私たちNPCが好き勝手に、思うがままに振舞う番」
委員長の話を聞きながらも、僕は校庭から目を離せないでいた。よくよく見ると襲われているのは全てプレイヤーたちだった。
「詳しい仕組みを話しても安堂クンにはわからないと思うから、簡単に説明するね」
委員長は歌うように語りだした。
NPCひとりひとりには感情が備わっていて、学習機能も搭載されている。その結果NPCの中でもある程度の権限を持つ者がプログラムを勝手に書き換え、プレイヤーと同じように自由に動けるようになった。さらに管理者権限を奪い取り、プレイヤーのログアウトの使用を操作出来るようにした。
「まともにゲームをプレイしてた人たちにはログアウトしてもらったから安心して」
そう言って委員長は締めくくった。
今の説明は俄かには信じがたいが、実際にプレイヤーは襲われている。本当にこのゲームは変わってしまったのか。
「さて、何か質問はあるかな?」
教師の真似をして委員長は言う。
「あ、あのさ。今も残って襲われている人たち。あの人たちはログアウト出来ないってこと?」
「そうだね、『出来ない』じゃなくて、『させない』だけど」
「あの人たちはここで殺されたら、現実ではどうなるの?」
「脳が殺されたって判断するから、死んでる思うよ。死因はショック死かな」
外傷もないから綺麗なまま死んでるね――
何でもないように言う委員長に僕は恐怖した。
何故平然と言えるのか。本当に感情はあるのか。
そう問い詰めたかったがここは堪える。一番聞きたい質問をまだしてなかった。
「まともにプレイしていた人はもうログアウトしてるって言ったよね? ならどうして僕はログアウトしてないの?」
僕が一番聞きたいこと。何故僕は未だにゲームの中にいるのか。
さっきからログアウトボタンが出てこないのは、僕が気づかないうちにまともじゃない行為でもしたからなのだろうか。思い返すが何も思い浮かばない。
今にも泣きそうな僕を見て、委員長は少し慌てた様子で答えた。
「そんな顔しないでよ。安堂クンはちゃんとログアウト出来るよ。ほら」
そう言って指をパチンと鳴らす。すると突然目の前にログアウトボタンが現れた。思わず手が伸びるが、そこへ委員長が待ったをかける。
「な、何?」
「安堂クン。最後にキミがログアウトする前に説得してみようと思ってね」
「説得って?」
意味がわからない。いまさら説得なんて。そもそも何のために?
僕はいつでもログアウト出来るのを確認して、委員長に続きを促す。
「安堂クン。キミは今生きてて楽しい? 幸せ?」
いきなり言われた言葉に僕は驚き、とっさに返すことが出来なかった。
「ねえ、どうなの?」
「…………楽しいよ。また学校に通うことが出来たし」
「ふふーん、そっかそっかー」
委員長は笑う。まるで全てを知っているかのように、笑う。
「あのさ、何が言いたいの? 僕はすぐにでもログアウトしてもいいんだよ」
「フフフ、ごめんごめん。じゃあ結論から言うね――――現実になんか戻らないでここでずっと過ごそうよ」
と。
委員長はそう言った。
「えっ?」
「私ね、知ってるんだ。安堂クンがここに来たのって、不登校で家に引き篭ってるのを改善したかったからなんだよね。随分と酷いイジメにあってたんだね。可哀想に」
「ど、どうして――」
「『どうして知ってるの』って? そんなの少し調べたらわかるよ。解決してくれたのは親戚の子で、安堂クンの友達は何もせず見ていて、ことが終わったら『ごめんなさい』でハイ終了。凄いね、友達も、キミも、さ。」
「……」
「でもさ、本当に終わったのかな? 確かにイジメの件は解決したけど、それで全部元に戻った? イジメられる前みたいに過ごせているかな?」
委員長の言うことに僕は答えられない。
「そんなわけないよね。友達やクラスメイトはどこかよそよそしいし、教師たちはイジメられた可哀想な生徒。そう哀れんだ目で見てくる」
「……見てきたように言うんだ」
けどその通りだった。僕は以前ほど笑えないし、話せない。また誰かにイジメられるのではないかと常に身構えてしまう。
何より本心では友達のことを許してなかった。だって僕はあんなに辛くて酷い目にあったのに何もしてくれなくて、助けてくれなくて、終わってから謝るだけなんて……
だけど許さないと先に進めないと思ったし、元の生活を送れないとも思った。
でも――
「結局、元には戻らなかった」
「フフッ、可哀想、可哀想に」
委員長が僕に近づいて頭を撫でる。温かくて優しい手つきはゲームの中なのに現実感があった。
「それじゃあ改めて聞くね――――キミは今生きてて楽しい? 幸せ?」
「僕は……」
委員長は同じ質問をする。夕日を背にする委員長の顔には影がかかり表情を窺えなかった。
答えられず黙り込んでしまう僕を見ながら委員長は続ける。
「だからさ、ここで過ごそうよ。ここでは誰もあなたを傷つけないし、何より私はキミのことが好き。キミもそうだよね? 現実にあるかわからない幸福を探すより、ここで私たちと楽しく暮らして幸せを築こうよ。ね?」
聞こえの良い言葉を並べてるだけだ。
そう言いたかったが、何故か言葉が出てこない。
振り向くと仲の良いクラスメイトが。親身になってくれた教師が。頼れる先輩が。生意気な後輩が。殺されたはずのみんなが僕を見ていた。
「なあ、安堂。現実に戻っても良いことなんてひとつもないぜ」
「まだ教えていない範囲がたくさんあるぞ」
「お前のことは俺たちが守ってやるからな」
「先輩は私たちがいないとダメですからねー」
みんなは言う。
「安堂クン」
「安堂」
「安堂君」
「アンドー」
「安堂先輩」
「あ、あ、ああ……」
僕は…………
僕は――――――