猫をやめた猫(の小話)後
4
おじさんは私を、故郷の漁港でもない知らない場所に置いてった。なんで?って思ったけど、「パチンコに行く」って言ってたから、その行き道だったみたい。
足が一本動かない私にとっては、最悪中の最悪だった。
その町はとにかく餌が少なくて、仲間はみんなすさんだ目をしてた。当然、縄張り争いも激しい場所だった。餌がありそうなとこには必ずヌシたちがいて、よそ者の私は近づくこともできないし。
それどころか、「人間に飼われた裏切り者め」って、叩かれまくった。自分でも驚くくらい、いっぱい血が出た。
なんとか自力でネズミを見つけても、ちゃんと走れない私はネズミに鼻で笑わて、逃げられた。「走るの早いねぇ」って皮肉たっぷりの捨て台詞付きで。じゃあ大人しく捕まりなさいよ、って言ったって、ネズミだってサバイバルを凌いで生きてるんだよね。
ご飯も寝る場所も見つからなくて、めっちゃ寒くて。
何回かみぞれ雨に打たれた後、春が来る前にあっけなく、私は死んだ。
はずなんだけど。はずなんだけどね。
誰もいない採石場の岩陰で、私は確かに死んだ。
体が地面に引っ張られるように重くなって、空に押し潰される感じもあって、ぺちゃんこになるじゃんって思いながら、最後、心臓が止まるのをちゃんと自分の耳で聴いた。
何も見えなくなって、聴こえなくなって、意識が消えた。ところがだよ。
なんでか、私は生き返っちゃんたんだよ。
ふわーって意識が戻って、風の音が聴こえて、採石場の黄色い景色が戻った。
そして体がやたらと軽い。風に巻き上げられる感じで、私は起き上がった。なにこれって思った。死んでないじゃん、生きてんじゃんって。
その状態がなんて呼ばれてるか、あとから知ったんだけど、要は「化け猫」ちゃん。
採石場に停めてあった重機のサイドミラーにしっかりと姿は映ってる。でも、心臓の音がまったく聴こえない。
最初は幽霊になったのかな思った。でも、「うらめしや~」って思うようなこともないから、やっぱり謎だった。
人間の考え方で〈動物愛護の精神〉ってのがあって、それで言ったら、私を捕まえてあっさり捨てた漁師の一家は恨まれて当然な悪党になる。でも私は恨んでなかった。
足一本だめになって、知らない場所に捨てられてそりゃむかつくけど、それなりに餌をくれて、雨風を避ける温かい場所に置いてくれたのは間違いないんだよね。テレビも見れたし。それで恨むってのもなんだかやり過ぎな気がしてさ。
他の猫なら恨んで呪うようなこともあるんだろうけど、私の場合は〈科捜研の女〉で言ってた「恨んだって何も始まらない」的なセリフを知ってたのが大きい。
ともあれ、なんだかなあって思った。人間の言葉を理解できたかと思えば、死んで生き返って。私って何なんだろうって。 しばらく寝そべってうじうじ考えてたけど、重機のミラーに映ってるのは猫だし、私だし。そう思ったら、いろいろ考えても仕方ないかって開き直って、採石場を出た。それが第三の猫生(人生)の始まり。
化け猫のパワーはまじすごい。体が風のように軽くて、三本足でもバイクより速く走れた。あと、テレパシーとか、ちょっとした念動力とか、摩訶不思議さ全開の術を使えるようにもなってて。
一番すごいのは、「にゃあ」以外の人間の言葉を発声できるようになったこと。私は有頂天になって、たくさんイタズラして、たくさんの人間を驚かせた。
そういう私を、他の猫たちは怖がった。少しでも私の匂いが近づけば、「逃げろ」って声が遠くから聴こえた。 餌場に行くと、ヌシが「どうぞどうぞ」って言って餌を置いて、やっぱり逃げた。化け猫になった私はお腹が減らない代わりに、ご飯を食べれない体になってたんだけどね。それが代償みたいなものなんだと思う。
また、なんだかなあって思った。私、猫でもなくなったんだなって。故郷に帰ろうと思えば帰れた。でも、人間に飼われた挙句、超猫的なパワーを手に入れた化け猫の私を、昔の仲間たちは受け入れてくれるのかなって。自信がなかった。
5
私はブラブラと、放浪の旅に出た。それくらいしかすることが思いつかなかった。ゆっくり歩いてあちこちの町を回りながら、ひとり傷心旅行な気分。
けど、どの町に行っても猫には避けられる。そのうち悲しくなるのにも飽きて、考えるのもやめにした。傷心旅行はいつの間にか、ただ普通の観光旅行になってた。
何十万匹入るのかなあってドーム球場を観たり、猫のくせに温泉にも浸かった。ただ熱いだけだよね、あれって。
犬を連れたおっさんの銅像も観た。眉毛太いなあって、自分は眉毛ないくせに言ってみたり。
新しく出来たっていう超高いタワーも観た。真下からてっぺんを見上げようとしたらひっくり返るし。あとでこっそりてっぺんに登ってやった。
そんなこんなしてて、何十個も町を回った。そしてある時、今住んでる町に辿り着いた。
けっこうくたびれた田舎の町だった。とくに見て回るような観光地もなくて、歩くと言えば駅近くのアーケードぐらいだった。
つまんないなあって思いながら歩いてたら、小さな電気店に目が止まった。ガラス張りの店内にテレビが何台か並んでて、好みのイケメン俳優が映ってた。
「お、やってるやってる」って感じでよく見える位置に陣取って、「相棒」の最新作を鑑賞した。
「相棒」が終わると、次はニコラス・ケイジ主演の「ゲットバック」。いいじゃんいいじゃん、ナイスチョイス。店の入り口脇の室外機の上に移動して、そこで居間みたいにくつろぎながら閉店まで過ごした。
あまりにも映画やテレビ番組のチョイスがいいもんだから、私は次の日も同じように居座った。どうやら、電気店だけじゃ儲からないってことで、ビデオレンタルも一緒にやってたみたい。
次の日も、その次の日も、暇を持て余した私は居座った。
タダ見の映画館「松井電気店」に通いつめて一週間が経った。いつものように室外機の上に寝転んで、開店するのを待ってた。
ここ数日邦画とバラエティ中心だったから、今日あたりは渋い洋画を観たいなあ、なんて考えてた時だった。店の裏口から、店主の奥さん、松井美鈴さんが出てきた。
「あなた、最近ここがお気に入りみたいね」
「にゃあ」
不必要に脅かすといけないんで、私は猫語。
「野良ちゃんかな。でも見かけない顔ね」
「にゃあ」イエス。てか、お世話になってます。
「なんだかジーっとここから動かないけど、変な猫ね」
「にゃあ」ですです、変ですよ私。
「ご飯食べてるの?」
「にゃあ」いえいえ、お腹空かないんで。
美鈴さんが傍まで来て、私を触ろうとした。
「にゃあ!」私は室外機から飛び降りた。
「あ、ごめんごめん。怒らないで」
「にゃあ」びっくりしたあ、もう。
「ね、ご飯持ってきてあげよっか」
「にゃあ、にゃあ」いやだからお腹空かないっていうか、どうせ食べれないんで、遠慮しますって。
「あ、お腹空いてる? じゃ、ちょっと待っててね」
「にゃ…」いやだから…。
いっそのこと人間の言葉で喋ってやろうかと思った。でもそうすると映画が観れなくなると思って、やめた。
美鈴さんはアーケードの端のコンビニに走ってって、また走って戻ってきた。この時、再び近づいてくる美鈴さんを見て、私は謎の違和感を感じた。
美鈴さんは缶詰のキャットフードを買ってきた。店から赤いブラスチックの平皿を持ってきて、缶詰をそこに開けた。
「にゃあ…にゃあ」だからですね…私食べ物がのどを通らないんですよ。
昔夢にまで見たキャットフードを、ただ見つめることしかできなかった。
「ん、食べないの? キャットフード嫌い?」
「にゃあ…」そういうわけじゃなくて…。
「ここに置いとくから、お腹空いたら食べていいからね」
美鈴さんは店に戻って行った。
「あ…」
その日を境に、美鈴さんは毎日私に話しかけてくるようになって、その度に私は同じ違和感を感じた。
「あなた、相槌を返すのが上手だね」なんて褒められたから、「にゃあ」としか言えない猫語だけど、話を聞いて、私も喋った。
そのうちご主人の松井孝平さんも出てきて、「今の映画、どうだった?」とか「次は何観る?」なんて猫の私に聞いてきた。決まって私は「にゃあ」とアドバイスをした。
松井夫妻には子どもがいなかった。
美鈴さんは「旦那の他に話し相手ができて新鮮」って言って、孝平さんも「美鈴の他に話し相手ができて有難い」ってまったく同じことを言った。
背格好は孝平さんがボムレスハムみたいな感じで、美鈴さんがソーセージ。ぱっと見はでこぼこだけど、なんとなく二人は似た者同士って思った。
毎朝開店を待って、お話して、映画を見て、お話して、ドラマを見て、お話して、「また明日」って言う。そんな日々が過ぎてくうちに、私は違和感の正体を理解しだした。
思えば、故郷を離れて以来、私はずっと一匹ぼっちだったんだって。人間はもちろん、猫相手にも会話らしい会話をすることがなくなってた。目と目を合わせて一対一になるなんてのも。
すっかり忘れてたというか、認めないようにしてたというか、そもそも猫は寂しがり屋なんだってことを思い出した。だから、ただただ、嬉しかったんだよね。
一ヶ月が過ぎて、二か月が過ぎて、私はいつの間にか電気店の看板猫みたいなポジションにいて、お客さんとも話すようになった。
相変わらず触られるのは苦手だったけど、相槌を打つのだけは得意だった。それまでの猫生(人生)からすれば、やっと手に入れた平和な日々だった。
だけど、問題というか、ひっかかることが二つあった。
一つは、私がご飯を食べないってことで、二人がやたらと心配するようになったこと。後ろの右足が動かないのもきっと栄養が足りてなくて病気になったからだって。実際そうなんだけど、原因はずっと昔の話。
「全然平気なんだよ!」って店の前を歩いて見せたけど、二人の顔色は変わらない。
もう一つは、やっぱり自分の思ってることを、人間に伝わる人間語で話したいって思いに駆られること。映画の話や私の身の上話はもちろんだけど、やっぱり「ありがとうございます」って言いたくて、伝えたくて仕方がなかった。
そして私は、化け猫パワーを使ってどうにかできないか、考えた。
摩訶不思議な術を〈フルパワー〉で使ったらどうにかなるんじゃないかって。何百年とある寿命を使って人間に転生したクダギツネやキンチョウダヌキの話は聞いたことがあった。私もできるんじゃないかって、試したら、驚いたけど、できた。
私は松井夫妻の一人娘、十六歳の松井鈴佳として、生まれ変わった。
んでんで、今に至る。
私が松井鈴佳として、初めて松井家の食卓についた日。ママである美鈴さんが、デミグラスハンバーグを作ってくれた。そしてママは言ったんだ。
「おかわりあるからね」って。
その一言を言われた瞬間、頭の中のずっと奥深くから何かが一直線に溢れてきて、泣かずにいられなかった。
何事かと慌てるパパとママに、そこでやっと「ありがとう」って伝えた。
長くなっちゃったけど、そんな私の小話。
おまけ
なんで十六歳の女の子かって言うと、パパとママが四十歳ちょっと過ぎだったから、二十代真ん中あたりで生まれたってことでちょうどいいかなあ、なんて思ったから。
化け猫パワーの神秘について色々話せば、また同じくらい時間かかっちゃうから今回はやめとく。
今、私は普通の女子高校生を普通にしてる。成績優秀、容姿端麗、やっぱりモテモテ。でも元、化け猫。
テレビ好きは相変わらずで、将来はそっちの業界に進みたいなあなんて考えて、〈きゃりーぱみゅぱみゅ〉さんみたいになりたいなあって思ったけど、実は人間になった今も右足が動かないまんまなんだよね。
きっとダンス踊れないなあって思って、ちょっと路線変更。お喋り好きなヘアメイクアーティストを目指すことにした。私の第四の人生です。