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 それはもうすぐ起きる事件。起きる全ての引金トリガーのような。

 まだ発生はしない。だが、予兆はすでにある。

 そこは、屋上。高校、校舎の屋上。

 まちのけしきは夜の布を被り、その合間合間でホタルのように、人工物の仄かな光を発している。いろいろなけしき。オブジェは深海のような青に光っていた。いろいろなすべてが、夜の布を身に纏ったまま、光を放っていた。

 松長 十字朗は、まちの景色を見下している。

 夜の布を纏っている彼は、煙草に火をつけることで光を放っていた。といっても煙草に点けられる火などホタルのような仄かささえ持ち合わせては、いないが。

 妹は、みえている。

 妹は見下ろす景色の何よりも、白光している。

 そして妹は、松長 十字朗を見下していた。屋上に、浮遊して。

 妹のスカートが風も無いのにひらひらしている。幽霊は足は無いというが、彼女に足はある。この学校のものではないが、制服を身につけ、生きているかのよう。

 だが無表情だし、白光しているし、浮遊しているし、何も喋らずに兄である松長を見下している。

 正正正正正という彼の腕にこびりつく傷。昼には『一』だったものは、『下』といった有様に化していた。刻み込まれる傷。また、一本増えた。

 妹を、あと一度見かければ、傷は『正』という文字になる。その時は今日中には訪れてもおかしくないと松長は思いつつ、無表情の妹を見上げて、

 少し錯乱しながらも、声を掛けた。

「お前さ…………」

 見上げながら、松長 十字朗が妹に声を掛けたのとほぼ、同時刻。

 それは、PM:7:50。

 校舎の屋上からは15kmほど離れている地点に、金、白、黒、の三人組がいた。

 三人組は、ふるさとを歩いている。都会か田舎かで言ったら田舎の、かといって賑やかな場所もいくつかはあったりする、中途半端といえば中途半端の、街、というより町。

 そういう町の、少し外れを、西に向かって歩いている。

 行く当てがない、ということもない。行く当てはあった。

 楽しかった遠足(楽しかった遠足ー)、蒸し暑い中でのプール(蒸し暑い中でのプールー)、怒ったり優しかったりした先生たち(怒ったり優しかったりした先生たちー)。

 こんなことを卒業式にみんなで絶叫したりした。

 そう、六年間かよって卒業した、『小学校』。

「懐かしいけどな」

「こういう時だから」

「いこうか」

 駅前はやや賑やかで、丁度行き交う自動車が、目映い夜を形作っている。夜空にまたたく星たちのように一つ一つの輝きは、地上を明るいものにして、人の住みやすい物にしている。

 ただ星にしては、騒がしすぎる光。いくつもの騒がしいそれらは、自動車に貼り付いている物は残光を描くし、動かない星々は、飛び交う虫たちの遊び場となっている。

 平凡な夜の風景は、この町を平凡な町として印象付けるかもしれない。

 ただし三人からは、独特な色合いを兼ねている町ではある。ふるさと、という色合いが兼ね揃えられている。長い間住んでいることで備わる、誰でも持ち合わせる独特の色遣い。

 彼ら自身もそのふるさとという色に染められて、ふるさとを肌だけでなく、全身だけでなく、魂までも自然と働かされて、てくてくと歩いている。信号が赤なら止まって、青なら歩き出して、時折他の通行人とすれ違いながら、いくつも通り過ぎる自動車、その星々のような光で照らされる地上を這うようにして。

 這い続けてやがて辿り着いた場所というのが、校庭や鉄筋コンクリートで構成されている校舎や桜、いちょうの木、中庭があり東西南北に門がある、つまりおそらく、ふるさとという色に染まっているから三人にとっては特別だが、実際にはどこにでもある小学校。

 小学校の門前。

 もう遅いから門は閉められていた。もう、先生たちも生徒もいなくなった校舎が、星を一つも光らせることなく、闇のベールをのっぺりと被っていた。

「ここからなら、入りやすいんだよね」

「子供の時でも、ここからなら入れたもんな」 

「じゃあ、ばれないように」

 ちいさい、茶塗りの柵を乗り越えて、闇のベールが深々しい校舎の土に、すとん、と着地する。

 いくつも植えられている木は、真っ黒い。

 三人は音を上げないように慎重にしながら、鉄筋コンクリートの校舎に沿って歩き、目指しているところへ近づいていく。砂利で大きな足音を上げてしまったり、校門のすぐ外を自動車が通過してヘッドライトに照らされそうになったり、というアクシデントがありながらも。

 今までふるさとを西へ西へと歩いて、三人は、思い出のところに、到着した。

 そして時刻は、PM:8:20を回っていた。

 高校の屋上にいる、松長 十字朗は、妹が姿を消した後、屋上へと誰かが見回りにやってくる気配があるかどうかにだけは、気を配っていた。

 相変わらず、屋上からまちを見下ろしていた。ホタルのように仄かな光を放つ、まちのけしきはPM:7:50のころと、たいした違いもない。

 だが天の夜空に、シリウスよりも眩しい光があった。地上にはこびる星のようなホタルのような光とも違い、本物の星とも思えぬまぶしさを持つ、『紫光』。

 松長は、どきっ、と心臓を鼓動させる。PM7:50とPM8:20ではまちのけしきは、たいして違いもない。月が雲に紛れているせいで暗闇が広い、夜空。だがその『紫光』が、月の代わりさえ果たすのではないかと思えるほど、眩しい。

 さらに。

 眩しいその紫色をした光が、まるで生き物のように夜を泳いだ。

 さも、蠅や蚊のように。あるいは、UFOのように。

 妹は見えなくなった。

 妹は見えなくなったが、今度は町の上空にUFOが出現したのだとしたら。

 常人なら、混乱せざるを得ない。松長は、近頃は妹の発生のせいで錯乱することが多かったが、UFOのせいでそれはさらに深まってしまう。不良と言えども、神経の強靭さは常人レベルであるのだから、混乱はする。

 松長 十字朗は煙草をグイッと捻り潰してから、その場でうずくまる。

 UFOなんざオカルト。

 だが死んだはずの妹は確かに見える。

 UFOも見えている。『紫光』はUFO?紫光はオカルトじゃない?妹は幽霊。幽霊はオカルト?

 なにがオカルトで、なにがオカルトじゃないものなんだ?現実は本当で、嘘は幻?違うそういったことではないはずだった。

「おかしい…………おかしいじゃねえか」

 心が虚空の狭間に追いやられるような、現実と夢が混ざり合って境目がなくなってしまうような緊張。縄で縛られていくのは肉体ではなく心であろう。松長はやがて、あああああああ、と声を上げると地面に、拳を叩きつけた。毒電波でも照射されていた。

 必死な形相の彼の意識は、UFOと妹に追い詰められて、時が経つにつれ、混乱を強めていった。あああああ、あああああああ、と松長は声をあげ続ける。

 実際に、UFOはまちの夜空にあって、8の字を描いたりの遊泳をしていた。

 まち歩く人の大勢が、ソレを目撃している。

『紫光』が見えるのは、松長だけではない。でも、松長は混乱してしまったから、もう現実とも夢とも思えぬ境界に追い詰められる混乱を与えられて、正正正正正という傷や、頭の奥に常にある不安に押し潰されて、あああああああああ、あああああああああ、と叫んでいだ。

 呼び声に応えるかのように、あるいは、何事かと嘲笑うかのように、『紫光』が、松長の頭上近くで滞空するようになったのは、PM:8:40頃。

 三人組も、PM:8:40に、現実と夢幻の境界を分からなくするような共通体験をする寸前ではあった。

 現実側がこちら側だとしたら、夢幻は向こう側だろうか。生があり、死があるとしたら、どちらが生で、どちらが死かは誰にもわからない。

 そもそも、生死の問題かどうかさえ、三人には見当がつかない。

 雪也と、陽一と、菜霧は、小学校の中庭にいた。

 中庭の端っこには『井戸のような丸い大きな筒』が、等間隔にいくつも置かれている。

 子供が数人一緒に入れそうな、丸い筒は、コンクリートで作られている。小学校の中庭で遊ぶ子供たちが、かくれんぼ、をする時などに使われたりする。本来はそういった使い方ではないのだろうが、子供たちには関係がないのかもしれない。

 実際、雪也と陽一が小学生の時も、それを使って遊んだことはあった。

 一度、遊ぼうとして、『井戸のような丸い大きな筒』を二人が同時に覗き込んだことがあった。

 で、二人は同時に、

 筒の中で、白髪の少女が、眠りこけるようにして、倒れていたのを見つけた。

 白髪になった彼女を最初に発見したのが、その二人、だった。

 彼女はそれまで普通に黒髪で、別段特別扱いを受けるような子供でもない。

 しかし『井戸のような丸い大きな筒』の中で眠りこけている少女は、その日を境に、白髪になったまま、一度も、黒髪には、戻らない。

 原因は不明。白を別の色に染めることさえ出来ない。まるで呪いのように、絶対に逃れることのできない白髪を彼女は与えられた。誰から?何から?

 三人はおぼえている。

 意識を取り戻した時に少女は、少年二人に話したから。

 それから三人は記憶を共有している。ずっと。一人では記憶を忘れてしまうから、とか、そういう風に小学生だった少女が考えたからかは、もう今の彼女自身でさえわからないだろう。ただ三人で共有したという事実がある。一人が二人に話したことで、三人で保管された。

『井戸のような丸い大きな筒』は、三人にとって記憶を再確認できてしまう代物だと言えた。この中庭も。小学校も。一度足を踏み入れれば、手に取るように、鼻で嗅ぐように、耳で聴くように、舌で味わうように、目で見るように。

 記憶はこれまで保管されてきた。

「そういえばさ」

「ん」

「ひとつだけ思い出せないことがあるんだ」 

 陽一がジャングルジムに足をかけながら、二人に尋ねる。

 二人はブランコを漕ぎながら、首をかしげる。

 ジャングルジムに登りはじめる。

「地面から湧き出る金色の粒子は、天へと昇っていったよな」

 ジャングルジムの天辺で、陽一は夜空へと人差し指を突き出した。

 ブランコを漕いでいる二人は、こくりと頷く。

「……じゃあ、白髪になったのはその、金色の粒子の影響だと思うわけだよな?」

 ブランコを漕いでいる二人は、もう一度、こくりと頷く。

「そして、稲妻のようなものが空気中に走ったところで、菜霧は意識を失い、目を覚ました時にはもう白髪になっていた」

 ブランコを漕いでいる二人は、さらに、こくりと頷く。

 ズザザ、と菜霧が両足を砂に着地させて、ブランコを漕ぐのを止めた。

「それで、何が思い出せないのさ、陽一はさ?」

 菜霧が尋ねると、雪也はジャングルジムの天辺からとんとんと降りる。

「俺たちが、それを見たかどうかだよ」

「見たかどうか?」

「記憶の中では鮮明に、金色の粒子のことも稲妻のことも映像として、音として、伝わってくるんだ。でもそれは記憶として覚えているだけで、実際に体験したことじゃないはずだ。でも体験したかのように鮮明に覚えてる。だから、思い出せないんだよ」

「なにを」

「実際に俺が、それを体験したのか、しなかったのか、だよ。もしかしたら見たのかもしれない。俺も金色の粒子を。そして亀裂のような稲妻を。実際に見たから、だから、こうして、覚えてる。今まで菜霧に教えてもらったことだと思ってきたけど、本当は俺も、いや、俺だけじゃなく雪也も、稲妻や金色の粒子を中庭で目撃していたのかもしれない」

「……そんなわけないだろ。だったら、俺たちが黒髪のままなのは、おかしい」

 雪也は奇妙な感じを覚えながら、ブランコから立ち上がった。

 陽一は続ける。

「だからさ、もしかしたら菜霧が白髪になった原因は、空気中での稲妻や金色の粒子を見たことが原因ではないのかもしれない。俺もさ、今までずっと三人で話してきたこと以外の記憶は、小学校のことだから、ぜんぜん覚えてない。でも、最近、ふと、俺は俺の眼で金色の粒子や、稲妻の亀裂を見たんじゃないかってさ…………」

「じゃあ、何が菜霧の髪の毛を、白くしたっていうのさ。原因不明のこれは、一体何が原因なんだよ。菜霧が体験したことは、普通の体験じゃない。そして菜霧自身が覚えていることが、小学校の保健室で俺らに伝えられた。そこから共有してきた記憶に、間違いがあるってことか……」

 しばらくの間、沈黙した。

 だが、やがて陽一が、ふふ、と笑った。

「冗談だよ、冗談! いくら小学校の時だからってさ、金色の粒子とか稲妻が空気中にあったりしたらさ、ハッキリとこの目で見たかどうかくらい覚えてるよ!」

「はあ? ……」

「楽しくしようと思ったんだよ。冗談……」

「ねぇ、あれ、なんだろ」

 今まで口を開いていなかった菜霧が突然、人差し指を突き出した。

 にやにやしていた陽一と、くだらない冗談を言われたから不機嫌面になった雪也が、不安をまとった真顔になった。菜霧も、人差し指が震えている。彼女もすでに真顔だ。

 三人の視線が、一箇所にあつまっていく。

 ”うっすらとした暗闇の中で、見えた”

 雪也が唾をごくりと呑み込んでから、つぶやいた。

「だれだ、いまの」

 木々がざわめくようだった。

 小学校の中庭で、三人は目撃した。

 それは共有している記憶とも関係のなさそうに思える、見知らぬ影。

 誰もいないはずの、小学校。

 でもそれはわずかな間であったが、まるで三人に何かを思い起こさせようとするかのように、たしかにいた。人の形をしている、怪しげに、浮かび上がるもの。

「は、う……」

 菜霧が苦しそうに唸った丁度その時、PM:9:00。

 PM:9:00。

 松長 十字朗は屋上で、うずめいていた身体を、立ち上がらせた。

 皮膚を切り付ける傷痕が、浮かび上がっている。

『正』

 妹がまた見えた。

 目撃したことによって、増えていく傷痕。

 妹はスカートをひらひらさせながら、松長を見下ろしていた。

 やがて、着陸する。

 これによって、松長 十字朗は、妹と向かい合う。

 妹は黒い表紙の本を抱えていた。

 その黒い本が、手渡される。首をかしげたまま、両手で手渡してきた。

 松長 十字朗は、手をがくがくと震わせながらも、その黒の本を受け取る。

 受け取ると同時に、妹は消えた。

 はじめからいなかったかのように、消失した。

 黒の本だけが手元に残った。松長 十字朗は恐る恐る、そのページを捲ろうと思ったが、捲ることはできなかった。不可思議な力が働いていた。黒の本を開くことはできない。

(なんだよ、これ……)

 それが松長 十字朗の最後の意識だった。思考だった。

 引金が引かれた瞬間でもある。はじまるのだった。

 UFO、もとい『紫光』はそれを見下ろしていたのだった。




 


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