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 雪也は、渡り廊下を歩いていた。

 『2-D』の教室中に響いたドカンッ、という凄まじい音も、雪也の位置にまでは響かなかった。

 だが、そのタイミングとほぼ同時に、雪也の内部、つまり脳味噌の中だと思われるが……菜霧の顔が脳裏に浮かんで、通り過ぎて、霧散した。

 そういう現象がたしかに、まちがいなく、発生していたのだった。

 だがそういった体験をした当人が、その現象を、かすかに奇妙に感じた程度で、深く気にかけるまでには至らなかったため、雪也がきびすを返して教室に様子を見に行くなどという変化は現れなかった。雪也は、渡り廊下を、可愛らしい歩行ロボットめがけて、進んでいる。

 そこで、男の怒声が聞こえたのだ。

 しかも雪也の普段利用させてもらっているスペースの方角からの、大声だった。

 怒声。

 この学校では、怒声=○○と言った具合が成立する人物というのがいる。

 生徒指導の村山だ。

 怒鳴ることで自分の立ち位置を確保しているつもりなのではないかと思えてくるほどに、ひたすらに怒鳴り散らす教師として、教師間でも生徒間でもたびたび話題になる村山教諭。

 もう随分と年配で、いつも誰かの粗を探そうとしているかのように眼光がぎらぎらとしていて、自分よりも若い教師に粗があれば嫌味を言う。そして素行の悪い生徒がいれば途端に、やかましく、怒鳴りつける。ハゲた、今にも杖をついて歩いてもおかしくない調子の老人。

 そんな人物が凄まじく怒鳴りつけたりするのだから、何か異様なほどの圧力があったりする。

 滑舌が悪く、何を怒鳴っているのかよくわからなかったりするが。

 そういう人物の怒声が、渡り廊下で踊っていた。

 雪也は嫌な予感がする。

 嫌な予感はもちろん的中する。

 村山は、雪也の歩行ロボットを挟み込むような立ち位置で、不良生徒を指導していたのだ。

 つまり、村山VS松長。それが雪也の可愛い歩行ロボットを左右で挟んで、発生していた。

 なんでそんなことに。

 唖然としたのも束の間、

「貴様、馬鹿にしゅるのはほどほどにすろよぉ!」

 怒声を上げながら、村山は歩行ロボットに蹴りをいれた。

 雪也はゾッとした。

 下手したらぶっ壊されるんじゃないのか。

 慌てて雪也は二人に近づいていくと、先に松長が雪也に気が付く。そして彼は陽気に片手をあげて、雪也に声をかけた。

「よう……」

 村山教諭も続いて気が付く。

 村山はぎらぎらとしていた両眼を細めて、何かを窺うようにして松長と雪也を交互に見比べた。そして雪也のほうへと身体を向けると、

「貴様はお仲間ってわけかい。この素行の悪い松長 十字朗くんの、お友達かい」

 と神妙な調子で言った。どこかねっとりとした口ぶりで、生徒を上から見下ろした態度を隠そうともしない雰囲気だった。

 雪也は、面倒はごめんだと思う。簡潔に、それでいて正直に答えれば事は大きくならずに何とかなるだろうと見当づけた。

「これを文化祭までに作ろうと思っていて、松長くんには協力してもらってるんです」

「なるほど。そういう間柄かね。この男がそういうのに精を出すとは思っていなかったなあ」 

「生徒指導の教師の癖に、嫌味な感じじゃないですか、ちょっと」

「いまなんていったかな」

「いや嫌味かな、と」

 雪也は感情に任せてついうっかり、そんなことを言ってしまった。口が滑った感じだった。

 松長は、くすくすと村山のすぐ後ろで笑った。

「嫌味ィ……?」

 村山は低く唸ると、顔を真っ赤にして雪也をにらみつけた。

 そして、ハッと何か思いついた顔をした。

 さらには、急に、怒鳴り声を上げた。

「貴様、しゃっき教師が声を掛げたといゅうのに無視をして逃げた輩じゃにゃいかぁあ!?」

(……えっ) 

 雪也は何のことか一瞬理解できなかったが、そういえば、と先ほど自動販売機に飲み物を買いに行こうとした時に聞こえた声のことを、思い出した。「おい」、という呼び声。だが、あの時は振り向いても誰もいなかったはずだった。『3-F』『3-E』『3-D』という教室の表札だけしか映らなかったはずで、村山の姿はなかった。

 しかし村山はたしかに声を掛けた。そして今、村山はこの渡り廊下のスペースにいる。ということは、雪也は三年生の教室側へと顔を向けていたが、村山は渡り廊下の方角から雪也に声を掛けていたということになる。が、雪也の耳には、三年生の教室のほうから声が発されていたように感じられた、という、そういう行き違いがあったということになる。

 となれば、雪也は意図的に無視をしたわけではない。

 だが、この怒りの村山にそんな行き違いを伝えられるわけはないし、仮に伝えられたとて、顔を真っ赤にして怒鳴り散らされるのがオチだとはわかる。

 しかし真横から発された声が、後ろから聞こえるだなんてこの学校の構造はどうなっているんだろう、あるいは俺の耳がおかしいのだろうか、と雪也は思いつつ、村山がギャーギャーと一人で騒ぎ出したのを、聞いてるフリだけをして、聞き流していた。

 やがて、

「覚ぇてろうちゃ!」

 と一番大きな怒鳴り声をあげて、締めにロボットを蹴り付けると、村山はサッサと去っていった。

 彼が立ち去ったことで渡り廊下には静寂が取り戻された。

 しばらく静かな空気を味わったところで松長と雪也は声を掛け合う。

「暴風雨みたいな教師だ」

「とんだ人災だよな、アイツは」

「だね。ていうか、手伝ってもらえないかと思ってたんだけど」

「ああ、……いや、通りかかったら、前より組み上がってるなと思っただけで……」

「悪いんだけどさ、一人じゃ出来ない部分があるんだ。少し手伝ってもらいたいな」

「いや、俺は」

「約束したじゃん。頼むよ。俺もそんなに時間があるわけじゃないんで、ちょっとの間だけでさ」

「…………」

 松長は明らかに嫌そうだったが、雪也はゴリ押しの形で協力を取り付けた。

 というのも、一人ではどうしても手が足りない部分があったためだ。

 本当は授業を抜け出して松長を見つけ出した時にやってもらいたかったことだから、今日のうちに松長と再会できて手伝ってもらえることは、村山に目を付けられたのは不運だったが、まあ雪也はその不運も帳消しとなる心持ちになれた。

 可愛らしい歩行ロボットは、蹴られはしたが損傷もなく、順調に製作が進んできている。

 はじめは材料がバラバラになっていただけのものが0から組み上げられて、今、三分の二ほどは完成している。これは雪也にとって大変気分が良い。

 そして渋々ながらも手伝ってくれている松長の、

「いや、よくやると思うよ、こういう積極的な活動、みたいなさ」

 と言う何気ない言葉でさえも、雪也の良い気分をさらに高まらせるのだった。

 だが、途中、雪也は、ン?と、気にかかった。

 というのも松長に手伝ってもらっている最中、彼の袖から怪しげな、傷痕、らしきが見えたからである。リストカットとも違う、何か、奇妙な傷痕だ。実際にはわからない。だが、見えた。

 そういうものは珍しかったからやけに気にかかったが、松長自身も気にしているのだろうか、彼の目が雪也を鋭く射抜いていたので、雪也も目をすぐに背けた。

 そしてその静かなやりとりのせいで微妙になった空気の中、松長はつぶやいた。ロボットに熱心な視線を送っているのが、雪也の思う松長のイメージとそぐわなくて意外だった。

 松長はロボットをどこか懐かしそうに、目を細めてまじまじみつめていた。

「いや、ほんとうによくやるよなー」

 雪也の機嫌はさらに良くなった。

 雪也の機嫌が悪くなるのは、三十分くらい後のことだ。

 何時までたっても菜霧からメールも電話もこなくなり不安になって『2-D』に赴き、そして彼女が倒れて保健室に運ばれたということを、教えてもらい、ロボットどころではなくなった。

 雪也は、血相を変えて、保健室に急ぐ。



 保健室に入った時、保健室の先生が菜霧の様子を診てくれていた。

 あと倒れた菜霧を運んでくれたと思わしき女子生徒が、丸椅子にちょこんと座っていて、悪いことをしたわけでもないだろうに、どこか申し訳無さそうに萎縮して、俯いていた。

 やけにふっくらとしている保健室のおばさん先生は、雪也が駆け足でうるさい音を経てて入ってきたのが気に食わなかったらしく、それを咎める発言をした。

 雪也は「何があったのか教えてくれ」、と眉間にシワを寄せて、保健室の先生の咎めは無視。申し訳無さそうな顔つきで丸椅子に座っている女子生徒に、様々、質問した。

 女子生徒は、

「私が運んだわけではないんです。非力ですから」

 と言った。こうも続けた。

「私が悪いかもしれないんです。私は呪い掛けで心身の興奮を得ることが生き様なんです。で、脳味噌が悪い想像で過多だから、人として屑モノです。勉強しながら想像してたんですみんな死んでしまえ死んでしまえ死んでしまえって。それで抵抗力の低い状態であった心身の菜霧さんが、もろに影響を受けてそれで意識が途絶えてしまって倒れてしまったんですだから私が悪くてねそれで」

「……ちょっと落ち着いて落ち着いて」

 雪也は圧倒された。何を言っているんだ、と思った。

 とりあえず今にも泣き崩れそうに見えたので、辛そうだな、と雪也は感じる。

「菜霧は……もともと、こうやって倒れることが何回もあるから……」

「いや、でも、あの……」

「だいじょうぶ、大丈夫だから」

 雪也はうっとうしくなってきた。どいてくれ、と思った。

 雪也は菜霧の顔を覗きこんだ。白髪に真っ白な肌。青ざめていて血色が悪いのは元々なので、菜霧の症状が深刻なのか、良いものなのかは、わからない。

「先生、菜霧はどんな感じですか」

 ふくよかな身体の上半身だけを曲げて、雪也のいるほうへと顔を向け保健室の先生は優しい声音を紡ぐ。

「ああ。頭は打ってないみたいだよ。たんこぶ、ないし」

 保健室の先生がそういったので雪也はわずかに心落ち着かせた。と、その時、同時に、ベッドで横たわっていた白髪が揺れた。雪也が慌ててベッドに顔を向けると、

 菜霧が目を覚まして、数回、まばたきをしているのが目に映った。

 まだ意識がハッキリしていなくて、ぼーっと寝起き。

 雪也は安心して、

「よし。……菜霧、かえろうか」

 と手を伸ばした。

 寝ぼけ眼をこすりながら菜霧は、雪也の伸ばした手を握る、

 かと思いきや人差し指を保健室の入り口へと突き出す。

 そしていつも通りの声音で、

「陽は、なんだ、学校にいたんだ……」

 と、貧弱につぶやいた。

 雪也も振り返る。やけに青白い顔をしていて、実に険しい様子の陽一が、保健室の扉を開けたところだった。

 で、陽一は金髪の髪の毛をポリポリしてから言った。

「文化祭のアイデア、良さげなの思いついた」

 


 

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