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「陽。何をするつもりなのか、いえよ」

 多目的ホールの真上には巨大な悪魔であるサタンが存在しているというのに、台風の目と同じような現象なのか、その場所はひどく静まり返っていて、校舎のどこでも発生していた振動さえ感じられない。そういう多目的ホールに、雪也の神妙な調子の声は響いた。

 火の玉怪物さえいなくて、死体も血もなくて、三人しかいない。

 雪也と陽一は、しばし、睨み合っていた。

 ため息。

 陽一から出たわざとらしく呆れた調子のため息。

「俺が? 俺が何か企んでいるとでも言いたげだけど……」

「そうなんだろ」

「ハハッ。俺は世界が滅びないように、貧弱な悪魔三体を、殺しただけだよな」

「俺も三体殺した。だったらサタンは消えるはずなのに……」

「消えない?」

「そうだろ。それがおかしい」

「おかしくはないらしいんだよ。この菜霧の中にいる奴によれば、六体の悪魔の『生』と『死』の三角形を金と銀に染めるだけでなく、仕上げをしなければ、今この真上にいる図体のでかい悪魔を殺すことはできない」

「仕上げ? 仕上げをすれば……」

「あれを、殺す」

 陽一が人差し指を突き出したその方向に雪也は視線を向ける。

 赤ん坊がいた。

 多目的ホールの丁度、中心に、真っ黒い赤ん坊がいる。

 人間の赤ん坊には見えないが、赤ん坊だと雪也にはわかったし、陽一もあれを赤ん坊だとわかっている。おぎゃあと泣きもせず、宙に浮いた、生物的でどこか気味が悪くグロテスクな器、の中におさまってすやすや眠っている赤子。 

「サタンの実体だ」

 ハッキリとした声音で横から声を出してきた菜霧は、白髪が長く伸びている。

 雪也は、お前は一体何なんだと尋ねたい気分で満ちて、頭がひどくズキズキしてきた。

「あれを殺せば終わる。それを信じろって?」

 傲慢にも上から見下ろす形で髪が長い菜霧にそう尋ねる雪也を咎めることもなく、菜霧はコクリと頷いて、陽一と雪也の二人に吸い込むような視線を送る。

「金と銀、二つの武器で同時にあれを突き刺せば、火の玉の怪物たちもこの世界にはいられなくなる。巨大な悪魔の手助けが無ければ生きていられない程度の悪魔だからな」

「あれが巨大な悪魔の実体。その割には、ちいさいけど」雪也は皮肉気な語調。

「あれがちいさい肉体でこの世界にやってきたのは、大きな状態では壁を越える時に、損傷不能なほどのヒビを入れてしまうからだ。ヒビを入れるのは悪魔の連中にも望ましいことではない。ゆえに、影響力の小さい赤子の肉体でこちら側に渡ってきて、そのちいさな肉体に宿る成熟した精神体で、この世を滅ぼそうとしている」

「ヒビ……?」陽一は、騒動が起こる前に何度も夢で見た、化物たちが壁にヒビを入れて歩いてきた時のことを思い出した。

「そうだ。混沌の連中も、私の世を我が物顔でうろつける機会を利用して、それぞれの手段で壁にヒビを入れずに侵入を果たしてきた。お前達がUFOだと思っているあれが通過したことでさらに広がったヒビなら、赤子程度の影響力の肉体であれば通過できる。六体の悪魔は奇抜な、絵画を使った手段で渡ってきたわけだが、それも赤子たる肉体が通過できるほどの亀裂が、この世に出来てしまったが為に可能にされてしまったことだ」

「混沌……何を……」雪也は傲慢さを失い、戸惑う。

「この世は三つであると遠夜 雪也には教えたはずだな。それさえももう忘れてしまったのか。遠夜 雪也、上ノ原 陽一。お前達が大切な記憶を保管することができないのは、一体全体どういうことなのかといつも疑問に思ってきた。何度繰り返した所で、結局お前達は救うことができない。だが私はお前達にそれを直接、ハッキリと教えることもできない。教えれば解決することではないし、それに、それでは完全な勝利とはいえないのだから。お前達は思い出さなければならない、何を本当に思い出さなければならないのか、思い出さなければどうなるのか、思い出せばどう変わるのか、そしてお前達が昔から何を忘れていて、それがいかに重要なことであるのか」

「……」

「……」

 雪也も陽一も、ただ黙って髪の毛の長い菜霧の言っていることを、聞くしかできない。

 わけがわからないからだ。

 二人、顔を見合わせ、お互いがお互いに憎しみに近い感情を抱いていたことも一時どうでもよくなってしまうほど、わけがわからない。

「もういい……私が何かを言った所でどうにかなるでもないのだ。私から言わせてもらいたいことは、この事態の解決がお前達三人、その記憶に、委ねられているということだけ。そして……いや、これ以上はよそう」

「いい加減にしろよ。結局、あの赤ん坊を殺せばサタンは消えるっていうなら、単純なことで記憶がどうこうなんて問題じゃないだろ! そもそもお前は自分の素性も明かさず、菜霧の身体をそうやって占領していて信用できないんだよ。俺は……あのサタンを殺して、そして、そうだな……俺は陽一が信用できないって思えるから、陽一を斬るんだよ、その後は。陽一だってさ、さっき俺と向かい合った時、尋常じゃない睨みを俺にきかせてた。俺のこと、お前も信用してないんだろ? ならさ、それが正しいんだ。俺は、それで、菜霧を守る」

 雪也の傲慢たる感情が再び溢れ出していて、かなり通常ではなくおかしな様子だったが、陽一も嫉妬の感情に支配されているのは、まだ続いていた。

 陽一は、雪也が菜霧の名前を出しただけだというのに、ひどく彼を憎く思えて心がどす黒く染まった。

 だが言葉は何も返さなかった。なぜならサタンたる赤子を殺すことが最優先であるという考え方はできたからだ。陽一は赤子のほうへと歩き出して、雪也もその後ろから歩いていく。

 揺り篭のような器で眠りこけている赤子の前に立った二人は、それぞれ、互いの顔を一瞥だけしてから、それぞれの武器を振り上げた。

 黄金の槍。

 銀色の刃物。

 同時に、振り下ろして赤子に、容赦なく、突き刺さって、器ごと貫通する。途端、目を瞑っていた真っ黒の赤子が、紅蓮の色遣いをした両眼を開いて、この世のものではない絶叫を甲高くあげて多目的ホール中に響き渡らせた。

 陽一も雪也も、かなり気味悪く感じはしたが、刃物と槍を抜き取ったりはしない。

 その断末魔の叫びがやがて終わると、一瞬サタンの影が赤ん坊に入り込んで、その後には赤ん坊は灰になってパラパラと砕け散っていく。紅蓮の両眼が最後に、ぽとん、とふたつ地面に落っこちて、それも灰になる。器が続いて灰になってゆき、最後には灰だけが地面に黒ズミとして残った。

 仕上げが終わった。

 サタンを殺した。

 多くの人がもう死んでしまった後だが、問題は解決した。

 これにて一件落着。

 とはいかない。

 静まり返っていた多目的ホールで、争いはこれからはじまる。

 まず、武器を振るったのは、陽一からだった。

 黄金の槍をくるんと器用に一回転させたかと思えば、雪也と間合いを取るかのように背後へと跳躍し、雪也を狙って黄金の槍を、本気で殺す勢いで、投擲した。

 そして雪也も向上している身体能力によって槍の軌道を見切ると、刃物でしっかりと槍を捌いてガキンと弾き跳ばす。

 黄金の槍は、床に転がったが、陽一はすぐにそれを手元へと戻して、舌打ちした。

「案外、やるな」

「たいしたことない」

「……言うねぇ、雪也」

「事実を言っただけだよ、陽」

「……悪いけど、手、抜いてるから……」

「……」

 傲慢たる雪也は挑発に乗りやすく、言葉に敏感に反応して身体が動いてしまい、直線的でわかりやすい接近の仕方をして、刃物を振り上げた。

 陽一はその雪也の直線的な動きに合わせて、「レヴィアタン!」と叫びながら黄金の槍を突き出した。黄金の槍が蛇のように曲折しながら伸びることで、雪也の横腹へと瞬時に回りこむと、尖端を雪也の脇腹に突き刺した。

「あぐぁッ!」

 雪也はその痛みに耐えられず痛みを訴える叫び声をあげながら、その場にうずくまった。槍は傷口をややえぐるようにしてから、雪也の脇腹から抜ける。ぽた、ぽたと雪也の脇腹から出血。

「黄金の槍は、殺した悪魔の力を借りて形状を変えるんだ。今のは、蛇の悪魔であるレヴィアタンの力だ。決着がついたな、雪也。おとなしく負けを認めてくれるなら……」

 勝利宣言をしている途中に、陽一へと銃口が向いたので、慌てて避けるために跳躍するが、ビュウウイイイイイ、ビュウウンンという”自動迎撃”は、陽一の頬を掠めた。

 陽一の頬にも鋭い切り傷ができて、血が伝う。

 血を頬から拭って、陽一は舌打ちをして怒りを見せるが、容赦なく”自動迎撃”が続く。しかし陽一は思いついたように言葉を唱える。「ベルゼブブ!」

 すると黄金の槍の尖端が、裂けて、花のように開いた。するとその槍に、”自動迎撃”の銀色ビームがつぎつぎ吸収されていく。さも、食われるように。

「さあ、次はどうすんの」

 陽一がやや得意気になりながら雪也に視線を送ると、驚くことになる。

 先ほど傷を負わせたはずの脇腹からの出血が止まっていて、痛みに苦しんでいた表情も、怒りだけに溢れていた。

「生の銀色の刃物は、悪魔を殺せば殺すほど、身体自体を強化する能力を持つってことか……?」

 そう判断した陽一に、疾風のごとくの速さで雪也が接近してきた。

 今度は直線的ではなく、フェイントも入れた捉え辛い、冷静で知覚的な動きだった。

 しかし陽一は、先ほど黄金の槍に食わせた銀色のビームを、さっきは食わせたのを、今度は吐き出させる。槍の尖端が銃口のようになって、雪也のいる方角へ向かっての、拡散させての射撃。これによってなかなか捉えられない雪也を、怯ませる。

 その隙に陽一は、また槍の形状を変化させようとする。

「マンモン!」

 強欲たる狐の悪魔は…………。

 しかし、陽一の想像を遥かに上回るほどに、雪也の動きは速かった。

 異常な速度。

 黄金の槍を変化させる間を、形状をマンモンへと変える時間さえも、与えてもらえない。

 変化させている途中で、もう雪也は、陽一の、背後に、回っていた。

「……は……」

 戸惑いの声をあげた陽一の背中を、銀色の刃物で雪也は斬りつける。ぶしゃ。学ランごと背中を切り裂いて、鮮血が吹き出る。

「……糞ぐぇがァッ」

 舌が上手くまわらぬままに悪態をつき、しかし一矢報いるために、「レヴィアタン!」、と叫んで槍を曲折させて、再度雪也の、今度はさっきとは逆側の脇腹に、刺し込んで、えぐる。

「あぐぁあッ」

 先程よりも苦しそうに雪也は呻き、表情も苦悶となるが、先ほどと違ってうずくまることもなく、また銀色の刃物も手に持ったままだ。

 もはや、満身創痍で、お互いの息はひどく荒くなっている。それでもどちらもまだ武器を持ち、倒れることもせず、睨み合ったまま、立ち合っている。

「かかってこいよ、雪也」

「おまえがこいよ、陽」

 一瞬だけだが、二人とも笑みを浮べる。実に一瞬のことで、息を切らしながらすぐに真剣な顔つきで睨み合うに戻るが、もう次でどっちかが勝ちで、どちらかが負けになると、お互い察している。陽一の形状変化も、雪也の身体能力向上も、体力を消費するが為に何度も使っていられはしない。どちらも同じ程度に力を使って、同じ程度に体力を失った。

 あとはもう、一撃。

 静寂の多目的ホールに、三人のものとは違う足音が響いていたが、二人は勿論気がつかない。それほどに集中している。

 陽一の黄金の槍のほうがリーチは長いが、その分間合いを詰められれば刃物の方が斬り付けやすいことになる。雪也が懐に入れるか、その前に陽一が雪也の身体を刺せるか。勝敗はそれで決まるということは、お互いわかっている。

 息遣い。気配。

 集中。緊迫。

 垂れる血。間合い。

 一瞬で、勝敗が決まる。片方が距離を詰めようとし、もう一方は肉体を捉えようと突き出す。ぐさり、生々しい肉を鋭利が突き抜ける音。血が出る。

 片一方が倒れて、もう片方は息を切らしながらも、倒れはしない。

「……俺の勝ち」

 立っているのは銀色で、倒れたのは金色だった。槍は雪也の肩をかすめはしたが、致命傷にはならず、よって雪也が間合いを詰めることができて、陽一に斬り付いた。

 陽一から血が出て、彼はぶっ倒れた。といっても命に関わるほどでもなく、倒れていながらも陽一は気絶はしていないし、死ぬほどの出血量でもない傷口。その顔は、負けた人の割には穏やかで笑顔に近いといってもよかった。

 決着がついてみれば、二人とも憎々しいという感情、嫉妬、傲慢も、もうほとんど無くなっていて、お互い落ち着いた気持ちとなって、健闘を称え合うような感覚にさえ転じていて、なんであんなに殺しあおうとしていたのか、もうお互いその理由さえも忘れてしまいそうな程に、勝敗の後にはお互いの仲はすぐに緩和しつつあった。

 二人の決着は、ついた。

 

 だが、問題は、解決されなかった。記憶が最後まで思い出されなかったから。


 パチ、パチ、と拍手の音。

 雪也は拍手の聞こえてきたほうに視線を。すると白髪の、多目的ホールに突っ立っている男と、多目的ホールで倒れている白髪の女、の二人がいると視界を通して理解して、だからこそ理解できない。白髪が、二人。白髪が、二人。白髪が、二人。

 なんどもくりかえしてから、その白髪の男の顔をまじまじ見つめる。

 見覚えがある。

 なんで気がつかなかったんだろう、と雪也は、

 すべておもいだした。

 いまこの瞬間になってすべてをおもいだした。

 でも、いまおもいだしたのでは、だめなのだった。

 なんどもくりかえしてきた。このくりかえしを終わらせるために繰り返してきた。

 それで……忘れていた。

 今回もまた、忘れてしまっていた。

 このことを。

 このことを防ぐために、何回も繰り返しているのに。逆行してきたのに。

 また。

 菜霧はもう死んでしまっているはずだった。 

 この白髪の男に。首を掻っ切られて、死んだ。毎回通りに。

 この男にとっては一度殺した感覚しかないだろう、この男だって記憶を失っていて忘れているはずなのだから。多くの生徒たちはそのはずだ。それはそれで当たり前なのだ。

 この世は運命の主によって、保たれる世。秩序と混沌の世の間を取り持つこの世界。

 運命の主は自分の想定している運命以外の運命を嫌う。自分がすべてをコントロールしていて、自分の思い通りにいっていないと気が済まず、何度も運命を書き直すために世界を逆行させる、頑固な主。

 その頑固たる主の利害と、雪也や陽一の利害が一致しているからこそ、何度も逆行し、運命を書き換えるために何度も繰り返すことができている。

 雪也と陽一が菜霧を死なせてしまいたくないのと同様、運命の主も菜霧を死なすことは本望でないのは、主が自分の世界が他の世界の連中によって乱されることを極端に嫌い、怒っているからだ。秩序からの刺客、混沌からの刺客。

 本来ならば他の世界の存在は、この世界に干渉することはできないというのは、三つの世界間同士の均衡のために当たり前なのだが、この高校で起こったこれまでの一連の出来事は、例外中の例外と言える出来事。

 この出来事の因果は、そもそも遥か過去の出来事が原因。そして、今の今になって世界と世界と世界の壁にヒビを入れて、ややこしい事件を発生させている。

 UFOは、秩序よりの刺客が、この運命世界のヒビをなるべく広げないでやってくるための乗り物だった。

 だが、元々ヒビは入っていた。

 雪也、陽一、菜霧が小学生だった時に、あの『小学校の井戸のような丸い筒』で、今の問題を発生させているヒビは、この運命の世に亀裂として走った。世界にとって亀裂を入れてしまうことは非常に好ましくない。場合によっては三つの世界のバランスを壊すことにも繋がる。

 秩序の主は、この事態を憂い、刺客を運命の世に送り込んで、そのヒビを修正させる狙いだった。

 混沌の主は、この事態を面白がり、刺客を運命の世に放り込んで、世界を完全に壊すまではいかなくても、この事態をそれなりに楽しもうという狙いだった。

 運命の主は、それらどちらの主の動きも気に食わなくて仕方がないために、自分のお気に召す展開にするために、何度も世界の時を逆行させて、運命を自分のもっとも好ましい形に変えようという狙いがある。

 それら三人の主の思惑がはこびって発生した、いや、これからも発生し繰り返されるのが、今回の、そしてこれからも繰り返す、事件だ。

 ではこの事件は、どうしたら逆行せず、終結を迎えるのか。

 それは運命の主が納得する結末を迎えることでしか、終結はしない。それまで運命の主は頑固に逆行を繰り返させて、何回でも運命を弄び、自分の満足行く結末を求める。そのために菜霧の体内に入り込み、雪也や陽一に時たま助言を送っていたが、ストレートに教えず謎めいて教えるのは主の頑固さゆえのポリシーでもあり、また、あまりに運命を変えるであろう発言をしてしまえば主が想像できない結末を迎えてしまう恐れがあるので、迂闊な発言を控えているということもある。

 とにかくそういった理由で、菜霧の体内に入り込んで事態を見ていた運命の主は、逆行によって記憶を失くしてしまう雪也や陽一、菜霧にたいして、事件の全貌を教えることもしないし、できない。とにかく繰返し、事件が運命の主にとって好ましい結末を迎えるよう願っている。

 失敗したら、時を巻き戻す。

 で、また事件が発生する。

 気に食わぬ終末を迎える。だから、また巻き戻す。

 その繰返し。奇跡的な確率を求めての、ループ。

 雪也と陽一が、逆行をした上でも記憶を忘れず、この事件の全容を覚えていれば、この事件のループを終わりにできると運命の主は考えている。そうすれば菜霧が殺される直前で、秩序の刺客を殺すことができて、勝手な真似をしでかしてくれた秩序の主に一矢を報いることが出来るからだ。

 つまり運命の主にとって重要なのは、主同士の関係の中でいかに自分がなめられずにいられるかということであり、なめられないためにも、自分の思い通りに事が進まなければ気が済まない。

 そのためには、雪也と陽一に良いタイミングで秩序の刺客を捕らえてもらい、殺させるのが、一番小気味良い、と運命の主は考えているのだ。

 UFOに乗ってやってきた秩序からの刺客が、目標である深湖 菜霧をようやく殺せると調子に乗った所で、その目論見を失敗させる。

 こういう展開でなければ納得できないと、運命の主は考えている。しかも自分が下手に物事に関与せずに、それを達成したいと考えている。

 ゆえにその展開が訪れるまで、繰り返す、と。

 つまりこの事件は、秩序と、混沌と、運命。その三つの世界の主の、喧嘩のようなものであり、秩序の主は世界のヒビの修復のため、混沌の主は楽しむため、運命の主は自分のプライドのため、に繰り返されていた、主同士の手中におさめられた事件、ということになる。

 それぞれの主が、それぞれの駒を使って、自分にとってもっとも都合の良い結果を求めている事件。運命の主がしつこく時を逆行させるため、終わりを見せない争い。

 菜霧の体内にあった運命の主にとっては、雪也も、陽一も、事件を都合の良い結果に終わらせるために動かす駒にすぎない。

 だが、そうやって駒として動かされているとわかった上でも、その都合の良い結末を迎えることができれば、菜霧の生命を救えることも二人にとってはまた事実。

 ゆえに、二人も何度も繰り返したい。

 菜霧の命を救えるまで。毎回、忘れてしまっているけれど、それでも。

『お前達は、意志が足りない』

 と運命の主は言う。意志さえもっと強ければ、忘れた記憶も何処かで思い出せるはずなのだと。

 それが本当のことなのか、プライドの高い運命の主の無茶な要求なのか、二人にはわからない。

 記憶を取り戻した二人にハッキリしてるのは、繰り返していれば、もしかしたら菜霧の命を救えるかもしれないということだけ。

 だけど、今回も駄目だった。振り返ってみれば、何度繰り返したかわからない。数えていないが、もしかしたら、回数でいえば、百回を超えていておかしくはなかった。それでも二人には、菜霧が殺されるまでに、記憶が戻ってきてはくれない。

 そのショックでようやく、いつも、思い出せる。

 でもそれでは遅い。菜霧は真っ白くなって、呼吸をせず、横たわって動かない。

 逆行すれば、また生きている彼女に二人は出会うことになるし、また救える可能性が出てきてくれる。血が首元からダラダラ垂れていて、もう垂れる血もなくなってしまって、完全にもう、生きていない。

 深湖 菜霧は世界にヒビを入れてしまうのは、秩序の世に行った彼乃 雷都の旅立った瞬間を目撃し、その記憶を、深い深い、湖のような記憶の底に、いつまでも沈殿させているからだった。彼乃 雷都はただの小学生だった。

 でも彼は、誰もが知らないはずのことを、知っている、運命のいたずらによって誕生した子供だった。そう、それこそ本当に元を正せば、この世界にヒビが入ってしまった原因は、運命の主自身にあった。彼乃 雷都という少年は、世界が三つであることを生まれた当時から記憶の底で知っていて、その違う世界へと旅立つ手段さえあることも生まれつきに知っていた。

 運命の主が退屈しのぎに、たまたま生まれた少年に、そういった知識を埋め込んだ過去がある。

 そして少年は、世界から世界を渡るには、幼い肉体を持っている時のほうが、成功の確率が高いことを知っているから、もし他の世界にいくならば、まだ幼い内に旅立つしかないんだと知っているが故に、ある日、学校の中で馬鹿にされて気分が鬱屈し、家にも帰りたくなくなった時に思い切って、小学校の『井戸のような丸い筒』の中で、六芒星を、特殊なやり方で描いた。

 そして、彼は、本当に、跳ぶ。

 運命の世界から、秩序の世界へと。

 世界から世界を跳んで、運命の世界からは、消えさった。

 誰もが、その存在を忘れてしまう。親でさえも、友達でさえも、彼乃 雷都という少年のことを記憶から消去してしまって、紙上などにも記録は一切残らない。そして秩序の世界に跳んだ彼は、彼自身も運命の世界の住人であったことを忘れて、秩序の世界で生きていくことになる。

 こうして、運命の主による退屈凌ぎのイタズラは、達成された。

 運命の主は、その光景を楽しんで眺めていたものだった。

 まだこの時は世界にヒビが入ることは想像さえしていなかったから、気楽な心持ちでいられた。いや、たしかに不安な要素はいくつかあったのだが、元来適当な運命の主は、だいじょうぶだろう、と根拠も無しに決め付けていた。しかし、因果は発生した。

 結局、世界にヒビが入ってしまう要因となることが、起きたのだった。

 原因は、目撃者がいたことだった。

 深湖 菜霧が、六芒星が光を放って彼乃 雷都を別の世界へと運んだ瞬間を、目撃した。

 かごめかごめをしていた。

 その時、少年少女は仲良くかごめかごめをしていたが、ちょっとしたことで、少年と少年が喧嘩をしたのだ。

 上ノ原 陽一と遠夜 雪也だった。

 その二人の喧嘩を仲裁しようと試みたのは、彼乃 雷都だった。

 しかし仲裁は失敗し、少年であった陽一と雪也にうざがられた雷都は、ぶん殴られ、蹴られた。

 朝には親にたてついて怒られた雷都少年は、ここでも嫌な目にあった、と気分が最悪になって、それが故に別の世界へと跳ぼうと決めたわけだった。

 深湖 菜霧は、彼乃 雷都が殴ったり蹴られたりしたのを見たので、彼のことが可哀想だなと密かに思ったりしてて、気を配っていた。

 そしたら彼が、『井戸のような丸い筒』に入って、何か作業をしている。

 気になった菜霧は、その丸い筒へと近づいていく。雷都にさっきのこともあるから、声を掛けようと思った。

 で、『井戸のような丸い筒』を、覗き込んだのだが、彼乃 雷都 少年は、すでに秩序の世界へと跳んだところだったから、消えていなくなっていた。

 ここで複雑なことが発生したのである。

 彼が消えた瞬間に彼乃 雷都の記憶、情報というものは運命の世界のすべてより削除されるはずであるのだが、その作業の途中、中途半端なタイミングで菜霧は少年のことを強く頭の中で認識していたがめに、奇妙なことになった。

 一旦記憶が消失した上で、丸い筒を覗き込んで六芒星を見た彼女の脳内では、ハッキリと彼乃 雷都という少年の記憶が消失はされず、記憶の残滓が脳味噌の深いところにこびりついてしまったのだ。

 そのせいで、忘れているけど、消失はしていないという奇妙なことになった。

 そして六芒星を見てしまったタイミングも、ちょうど世界と世界を繋ぐ特別なゲートが閉じようとしている、悪い瞬間だった。

 深湖 菜霧はひきずりこまれそうになった。

 引きずりこまれそうになったがために、黄金の粒子と、稲妻が走るのを、見て、そしてどんどん引きずり込まれるに伴って、ゲートを通過する行為の副作用である、髪が白く染まるという現象が起きた。

 本来ならばそのままゲートを通過して、別の世界に跳ぶのだが、すでにゲートは一人の少年が通過した後であり、もう他の人間が通る時間はない。

 運命の主は、余裕な調子で寝っ転がっていて、このまま寝てしまおうと思っていたが、少女がゲートに足を踏み入れた時になってようやく、事態が深刻であることに気がついた。

 適当な癖にプライドが高い運命の主からすれば、自分のイタズラが原因で、世界にヒビを入れてしまうことは避けたかった。もう他の人間が使用済みのゲートを、少女とはいえ、無理矢理に通過しようとすれば、少女自身も潰れてしまって死ぬし、世界にも間違いなく深刻なヒビが入る。

 これは運命の主としては避けたい。

 故にあせって自らの万能たる見えざる手で、少女をゲートから引っ張り出した。

 世界にヒビが入ることを防ぐことが出来た、と運命の主は一安心したわけだが、少女の深層に残った記憶の残滓が、後に世界にヒビを入れる原因になるとは、その時は思っていなかった。

 少女の記憶の深層にある消去しそびれた彼乃 雷都の情報。

 これが運命の世界と秩序の世界の間に、一本の細い糸を作り出してしまう。その細い糸は細すぎるがために、誰も気がつけない。

 ゆえにどの世界の主も、誰も対策を打たぬまま放置してしまった。

 この放置が原因で、知らぬ間に世界にヒビが入ってしまう。世界のヒビも、原因がわかっていればすぐに修復が可能なのだが原因がわからない。そのせいでなかなか世界のヒビは修復されず、どんどんと世界にヒビを入れてしまう。一本の糸が世界と世界の壁をぶち壊そうとしていた。

 本来、原因をなんとなくわかっているはずの運命の主も、自分が原因とされて他の主たちに攻められるのはゴメンだったので、その問題をわかっていながらもわからぬフリをし、放置してきた。

 これが後に問題が発覚したため、秩序の主の顰蹙を強く買った。

 ゆえに秩序の主は、運命の主の性格をわかっていながらも、秩序の刺客を送り込みUFOを菜霧の通う高校に出現させた。

 そのUFOの中にいた人物こそが彼乃 雷都であるわけなのだが、彼がUFOにやってきた理由というものも、秩序の主がその方が皮肉めいていて運命の主への嫌がらせになるだろうと思ったからだ。

 彼乃 雷都に、深湖 菜霧を殺させる。

 そうすれば運命の主への皮肉にもなり、ちゃんと世界にヒビを入れる原因であった削除しそこねた記憶の持ち主を消すことにも繋がる。原因である糸を消せば、あとはヒビを修復すればいい。

 これによって秩序は保たれる、と。これが秩序の主の考えであり、これは何度も成功しているはずなのだが、運命の主の、逆行、という時を巻き戻す、運命を捻り変えてしまう手段によって成功にさせずにきている。

 混沌の主はそんな決着はどちらでもいいから、UFOが発生させたわずかなヒビを利用して、運命の世界を壊して楽しみたい、という思惑で、逆行によって何度も破壊を行なっているとは気がついていないながらも、無邪気に悪魔を送り込んでいる。

 これが、この事件が起きた一連の理由であって、雪也も陽一も運命の主によって教えられたはずの情報だった。

 ただここまで教えてもらっていても、逆行が発生すれば、忘れてしまう。

 逆行が起きた後、菜霧が殺される前にこれらの情報を思い出さなければ、秩序の刺客でありかつての同級生だったらしい彼乃 雷都を殺し菜霧を救う、ということにはならない。

 やはりこれからも同じように失敗しつづけるのか。

 思い出せないのか。

 忘れてしまうのか。

 逆行した上でも、記憶を持っている人というのは、学校の中に何人もいて、そういった人たちはストラップを持たされるなど理由をつけて、変な状況を生み出さないために、主やその駒として動いている存在によって、口止めをされている。

 主の駒である田中 由美は、死の力を持ってして、松長 十字朗に呪いをかけて、生の力を渡す。死→生。死によって生が選ばれて、命は生の魂となって身体は消失され、銀の刃物をこの世に召喚する。そして死の魂は、金色の槍を呼び出す。

 生と死の力を持ってして悪魔を殺し、混沌の思惑を失敗させた上で、秩序の思惑も失敗させて、運命こそがもっとも主として誇り高く優秀なのだと証明したい。

 そのためにはこの世界にある無数の命など、どうでもよい。

 生徒や教師たちや自衛隊員の命は犠牲になるが、それで運命の世界の立場というものは保たれるのだから、諦めるしかない。

 そういった考え方をするのが運命の主であり、雪也も陽一も話を聞けば聞くほど、運命の主が下衆ではないかと思ってきたものだが、それでも彼らには理由があった。

 ゆえに、また繰り返そうとも思う。

 だが、もうあまりにも繰返しすぎた。

 もう駄目なのではないかと、菜霧の命を救うことを諦める気分というのは、繰り返される内にたしかに二人の中にあって、だからこそ、二人はこれまでにないほど、今回は気分が荒れた行動を取り、ついには二人で仲違いのようなことまで起こした。

 副作用のためとはいえ、殺し合いそうなほどの争いは、これまで起こしたことがなかった。

 雪也にいたっては、副作用のせいもあるとはいえ、菜霧の首を絞めた。

 殺そうとした。

 記憶を菜霧が死んだというショックで思い出し、今、多目的ホールで呆然と佇む雪也と陽一は、気持ちが死につつあった。雪也は、自分が菜霧を殺そうとしたのはこの繰返しにうんざりしているからなんだ、と自分で察して、愕然と項垂れる気分になりつつある。

 陽一は、雪也を何度も殺そうと思い、さらには雪也を殺して菜霧を自分のものにするという、この計画がそもそも台無しになるような行為をしていたのだとわかれば、彼も次の繰返しのとき、自分がしっかりと悪魔退治をできるかどうかも不安だと感じた。

 どうしようもない、と。

 もうだめなんじゃないか、と。

 これ以上繰り返して、よけいに事態が悪化するくらいだったら、やめたほうがいいじゃないか、と。

 雪也と陽一は、へたりこんだ。

 だが、運命の主だけはそういう方向に向かわせるつもりは、ない。

 彼は自分自身のプライドだけのために、まだ、行うつもりだった。

 それも、本気で。

 絶対に自分が勝利するつもりで、しかも自分のプライドが許せる範疇で、新たな手段を提示しようとする。

 ただこの事件を、自分の満足のいく形で終わらせたいという欲求の元に、運命の主は二人の駒に向かって提案する。

「これがおそらく、最後の手段だ」

 運命の主は、声だけで、二人に語りかけてくる。

 二人はうんざりしたまま、それを耳にするが、やがて、顔だけはあげた。

 蜘蛛の糸を握り締めた、あの泥棒のように。わずかな希望にすがるような。

 そんな顔をしていた。



 


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