10
職員室で、絹髪塚のデスクは、たまたま、端っこの方にある。
そのおかげでUFOのこととか、バンドのこととか、ひそひそではありながらも話し合うことができるのだった。
絹髪塚は、希奈にやんわり伝える。
「利用するということは、利用されるということじゃないかな」
希奈は自分の意見が簡単に否定された感じがしたが、絹髪塚は続けた。
「利用されるということは悪いことじゃない。その結果自分も相手を利用できるなら、お互いにとって嬉しいこと、だと僕は思うんだ」
希奈の機嫌は回復した。
絹髪塚は、次の授業の準備をトントンと終えると、椅子から立ち上がる。
「だからもしUFO騒ぎで来た取材陣とかにさ、何とか自分たちの存在を伝えたいって思ったら、彼らが喜ぶような情報を伝えればいいわけじゃない? 宇宙人とのツーショットとか、UFOの目撃情報とか、あとは、そうだな……」
「実は私たちが宇宙人です、とかですね」
「う、嘘まるわかりだよ!」
絹髪塚はツッコミを軽く入れてから、ふぅ、と一息ついて眼鏡を押し上げる仕草をした。
「とにかく、後でまた話をしよう。僕も窓の外を事細かにチェックするくらいはするから、君達もいろいろ面白いことを考えるといい」
「面白い事?」
「そう。面白い事だよ。だって君達は、青春を生きているんだし!」
やけに楽しそうな表情を浮べながら、その台詞。絹髪塚はその台詞と共に職員室から去って行こうとした、その時、怒り老人教師、村山に声を掛けられた。
「絹髪塚先生……ちょっとお話があるんですがねぇ……」
「あ、はい」
絹髪塚は真顔になった。村山は目がぎらぎらしている。
3猿は巻き込まれぬ内にいそいそと立ち去ろうとしたが、その時、
村山が彼女らへも視線を向けた。ビクン、と三人は心内で気分が悪くなったが、ぎらぎらとした目を向けるだけではなく、言葉も向けてきた。
「ちょっとお前達、そこにいるんだ。動くんじゃないぞ」
まるで脅しのような口ぶりだったので、無視して逃げるわけにもいかなかった。
絹髪塚、村山、希奈、美南、依衣那の五人は職員室の片隅で立ち合っている状態になったわけなのだが、校舎の屋上にはたった二人、男子がいる。
遠夜 雪也は、屋上の扉を開けてソレを視界にいれてから数分、動けなかった。
動けるはずがなかった。
明らかにそれは死んでいたから、どうすればいいのかわからなかった。
いや、死んでいない可能性もあるとは想像できた。気絶しているだけかもしれないとは想像したのだ。しかし動けなかった。どうすればいいのか、頭が働かないから、行動に移せない。
雪也は、だが数分停止してからだが、決意した。
死んでいるとは限らない。気絶しているのかもしれない。なら急いで、その確認を。
もし気絶しているだけだとしたら、見殺しにしたということで、それは……。
「ま、まつ、なが……?」
雪也はゆっくりとだが、歩をすすめる。
やけに良い天気だよなと、こんな時に雪也は気が付いた。
歩きながら、今日は晴天だ、と思った。
穏やかな風が吹いていることもわかる。気が付く。
やがて雪也は、松長 十字朗に間違いない背丈、髪型、のうつ伏せになっている姿にまで、一歩一歩踏みしめることで、辿り着いた。
その倒れている後姿を見つめていると、今日の朝からどこかイライラする気分だったのは、これのせいだったのだろうか、と思った。勿論、予知能力者じゃあるまいし、そんな経験がこれまでにあったことはない。だが朝から、やけに雪也が不機嫌だったのも事実だった。彼自身がおかしいなと感じるほどに彼は不機嫌だった。
そのイラつきの原因が、これだとして……だとしたら……。
なんだっていうんだろうか。
別になんでもないに決まってる。それより、松長は、本当に、死んでいるのか。気絶、気絶であってくれないと……ロボット作りだって手伝ってもらえないし、それに、人が死んでるのをどうやって人に伝えればいいのかわかりもしないし、体験したいことじゃないし。
雪也はそう思いつつも、もう膝を屈めて、「まつなが、まつなが」と二回ほど名を呼びながら、彼の顔を両手で掴んで、うつ伏せになっていた顔を、雪也は自分側へと向けた。
そして、はっきりと見る。
松長 十字朗は、真っ青な顔をして死んでいた。
雪也は、松長の顔をすぐに元に戻すと、あたふたするのを押えられぬまま立ち上がった。
うしろに一歩後退りすると、踵に何か引っかかった。
引っかかったものへと視線を移す。
黒い本。
黒い表紙の本を、雪也は見つけて、そして思考停止している脳味噌のまま、それを手で拾い取った。拾い取った瞬間、トクン、と心臓が跳ねるような音が聞こえたかと思うと、
激しい頭痛が彼を襲った。
脳に鉄の針がたくさん生えてきたような痛みだった。
ギリギリ、ギリギリ、痛くて、その場でうずくまって雪也はしばらく、動けるはずもなかった。
黒い本を手に取った途端に発生した痛み。
冷静に考えれば、その黒い本を手離せば治りそうなものだった。
そして思考停止している雪也でも、痛みに対して身体が反応してくれたおかげで、手から自然と黒い本はポトリと落ちた。
でも、痛みは引かなかった。ちっとも引かなかった。
ギリギリ、ギリギリ、雪也の頭ン中で鉄の針が生えてきているような痛みが、育つのだった。
雪也はそのまま、どうしようもないので、気を失ってしまいそうになる。
いや、意識を、失う……
花のストラップは、相変わらず、机の上に置かれている。
暗幕が張られていて、相変わらず部屋は真っ暗い。
この日は、田中 由美と、上ノ原 陽一しかいない。四つん這いのまま尻を動かしていた連中は全ていなくなっていた。
蝋燭の火だけは灯されている。
「これより、儀式をはじめる。心して、垣間見よ」
黒の制服を既に脱いでいた彼女は、ブラウスのボタンにも手を掛けて、いくつかのボタンを外したから胸元がはだけた。そして、その胸元の白い地肌には、痛々しい傷痕があった。
ひどく深い、えぐれたような痕で、蝋燭の火だけが頼りの部屋でも、ひどく目立った。
上ノ原 陽一は、あまりその傷痕を見れないので、視線を蝋燭の火に向ける。
風もないのに、蝋燭の火は、揺れている。
花のストラップと、床に描かれている六芒星と、胸元をはだけたまま両目を大きく開いて、細長い指で空気中をなぞる仕草をしている田中 由美。
点滅するように、蝋燭の火が、フッと消えたかと思えば、すぐにまた灯る。
真っ暗になったかと思えば、また火が点いて、不気味にうす暗い。
何度も何度も何度も。部屋は真っ暗になっては、再び蝋燭の火が点く。
陽一は息を呑んで立ち尽くし、声を出す事もできない……。
状況に流されているというのもあったが、動くことも声を発することも儀式がはじまってからは控えるようにと、言われたからだ。
何度も点滅するように、部屋が明るくなったり、真っ暗になったりが繰り返されると、先ほどの夢での光景がフラッシュバックされてきた。点滅する内に、先ほどの怪物や子供が現れて、そして菜霧が歩いてきて首を絞めるのではないか……
そういう想像に駆り立てられる空気感が、点滅が繰り返されるほどに増しているようだった。
陽一は彼自身が気が付かないが、呼吸が荒くなってしまう。
ハァ、ハァ、と息苦しい。
ラップ音のような、ビキ、ピキ、という音がそこら中から鳴り始めたのと同時に、窓も開けてない室内に風が吹く。風が吹いているのに暗幕は少しも揺れてくれず、窓の外から光が漏れてくれることもない。
ビキ、ピキという音は夢の中で聞いた音と随分と似ていて、本当に怪物が襲い掛かってくるのではないかと思い陽一は背筋がゾッとした。
後ろを振り向いてみるが、扉があるだけで、怪物はいない。そのかわり、他の誰か人間が入ってきてくれるようなこともない。外に逃げるのは、もう遅い。
田中がなにか言葉を、滑らかに、連ねる。陽一は顔を前に向けると、大きく開いていた両目をギュッと瞑っている田中の周辺に、渦のような、風のような、そういう力強い気配が漂いはじめているのをわかった。
本当に、状況に流されるしかできない。
悪魔のようなものが召喚されるだなんて、ありえない。
だがこんなあり得ない現象が起きてしまっては、悪魔が現れても不思議ではない。
そしてこれは夢じゃない。陽一は頬をつねらなくても、これが現実だとわかっている。
「我定められし主に付き従い、偽りの形式を持ってして、今ここに力を持ちし宝具を呼び寄せ、貫き、血肉を持ってして現世に止まらせよう。その血肉を平らげし黄金たる貫きが、今この六芒星を頼りにして赤子に導かれん。呪われし子供らは期待し、諦観を放棄し、主の使命たるに心を任せて、幾重にも命を失おう。だがこの世にはこびろうとする邪悪、縛られし醜い魂に阻害され、使命はやはり頓挫の苦汁を味わう。されども誓約はやがて果たされん。その一片となりてこの世に平穏を運びうる。生と死が呼寄せるは一時の敗北を覆せし可能性。今ここで使命を果たすために、六芒星に現世に黄金の槍を召喚し、我が服従の身の上、その身に苦痛を味あわせることも厭わん。今ここで、誓約する!」
田中 由美が詠唱を終える数分前のことだが、学校にだけ暗雲が立ち込めるようになった。
晴天は陰り、雨や雷を降らすような灰色が、上空に発生した。
降り掛かるかのようだった。いや、実際に降り掛かった。暗雲が、学校全体を覆い隠していく。
そしてUFO取材でやってきていたマスコミの人々が、目撃し、カメラを向ける。
マスコミだけではなく、もちろん、一般人も。
丁度、生放送だった番組が、全国に、学校に突如として現れて学校を覆い隠してしまった暗雲をテレビカメラに映した。
誰も、何で、突如としてそういう事態が発生したのか、理解できない。
『これは、なんでしょう!?』
『一体、何が起きているのでしょうか!?』
『これは実際の映像です!?』
アナウンサーたちは漫画や小説にありそうな、ありきたりな台詞を吐くしかなかった。
戸惑いながらも彼らはテレビカメラに暗雲を収め続ける。
だから、全国のテレビに、映され続ける。
インターネット上でも話題となり、多くの人々が文字を書き込んでいく。
まさしくそれは、事件の発生だった。発生した直後から全国に事件は、報道された。だが報道陣側では、内部のことはわからない。外側から暗雲を撮影する程度のことしかできない。
事件は、内部で発生している。殺戮が、惨劇が、起きる。
屋上では、意識をしばし失っていた雪也が、目を覚ました。
他に例えようのない、強いて例えるなら、流れ星の音、というイメージの音を耳にしながら意識を回復した雪也は、身体を起こして、顔を上げる。
雪也は、見る。
暗雲を、ではない。UFOを、見た。