その二:怖くねえのかよ
何なんだこの女は。甲斐甲斐しく、しかしどこかふてぶてしい態度で世話を焼く少女を眺めながら、ヴァルは嘆息した。
見たところ、まだ十代程度の街娘風の少女だ。栗色の髪と大きな蒼い瞳が印象的で、笑顔が明るい雰囲気を醸している。それだけならまだ良かったのだが。
「何ですかそのため息は? 幸せが逃げますよ。ああ、ですが見た感じ既に逃げられてますよね。もう手遅れですからどんどんため息吐いて大丈夫です」
なにしろ、口調や物腰はそれなりに丁寧なものの、鈴を転がすような声で話すその言葉には、遠慮というものが全く無い。ヴァルも日陰に生きてきた人間、言葉遣いはお世辞にも綺麗とは言えないが、彼女の言葉を聞くと、むしろ言葉遣いなど些細なものだと感心させられる。
「お前は…」
「何でしょう?」
「なんで、俺を助けるんだ」
「さあ。面白そうだからですかね」
…こいつは、頭がおかしいのか?
「あなたも大概失礼ですね。思っていることが顔に出ていますよ」
「む」
「ほらまた。やっぱりおじさん、面白いです」
「な、俺はおじさんじゃねえっ! まだ24だっ!」
「老け顔なんですね。髭と目つきのせいでしょうか」
この女…! ヴァルは思わず身を起こしかけるも、再び鋭い痛みが走り力が抜ける。少女は特に何の反応も見せずに、淡々と包帯を巻いていく。
助けてもらっている手前、あまり強く出られないところで妙に律儀なヴァルだったが、仏頂面は抑えられない。そして少女は当然それを無視する。
「ああ、そういえば自己紹介してませんでしたね」
「…要らねえ」
「私はランと言います。ピチピチの18歳です」
何がピチピチだ。
「一度言ってみたかったんですけれど、思ったより自分の精神に良くないですね。収穫です」
などと良く分からないことをぬけぬけと言うランという少女。
「あなたのお名前は?」
「さあな…」
「お名前は?」
「知らねえ」
「名前」
「…」
「…」
「…ヴァルだ」
言い募る少女に根負けしてしまう。
「ヴァルさんですか。似合ってますね。物騒っぽいところとか」
「…かもな」
「とにかく、よろしくお願いしますヴァルさん」
「何を言ってる。よろしくなんかしねえぞ」
「私は勝手によろしくしますから。覚悟してくださいね」
「何の覚悟だよ」
「ところで」
「…いいから話聞け」
はて? という風に首をかしげるラン。様になっているような、いないような。お前、とヴァルは言葉を続ける。
「俺が怖くねえのかよ」
「怖いですよ」
事も無げに言われ、ヴァルは困惑する。
「だったらなんで」
「面白そうだからです」
「…」
ヴァルとしてはもう呆れるしかない。
「…やっぱり馬鹿なんじゃねえか」
「そうですね。でも、私は変わっていますから。それに」
「それに何だよ」
何となく、ヴァルさんは私を襲わない気がしますし。
そんなことを言われるのは初めてなヴァルはギョッとランを見る。
「そこでうろたえてしまうところとか、悪人になりきれて無い感じがして良いですよ」
「っ! お前…!」
「ランです」
ふわりとランが笑う。その表情を見ていると、ヴァルはいちいち反応するのが馬鹿らしく思えてきて、自分の顔にも苦笑を浮かべてしまった。
「笑顔も怖いですね」
「…」
「でも似合ってますよ」
歯に衣着せずに素直に喜べないような感想を口にするランに、どう反応すればいいか混乱しているうちに、手当てを終えたランがおもむろに立ち上がった。
「一応毛布も持ってきたので、使ってください。今日はもう帰りますけど、明日また来ますね」
「来んな」
「一応最低限手当てはしていますけど、動いたら傷が開いてアレですから、私が来るまでじっとしててくださいね」
空気のようにヴァルの言葉を無視したランは、さっさと立ち上がって茂みの外に歩き出す。
「いいですね。動かないでくださいね」
「さっさと行け」
ではまた明日、ヴァルさん。腹が立つほどの朗らかさでそう言って立ち去るランに、ヴァルは何度目か分からないため息。
「訳が分からねえ」
全く、物腰だけは穏やかなくせして、嵐のような少女だった。終始ペースが巻き込まれっぱなしだった。
それでも、彼女に出会っていなければ、どうなっていたか分からない。もう死んでも仕方が無いと思っていたのは本当で、だからこそランにもそう言ったのだが、いざ助かってみると、やはり死にたくなかったらしいことが分かる。確かに、助けてもらったことは感謝するべきかもしれない。
ヴァルとて、それなりに危ない橋を渡ってきた人間だ。“鎌”などという物騒な通り名を持ち、結構な評価をされるまでになっている。嬉しいと感じるかどうかはさておき。それをランが知るはず無いが、それでも年端も行かない少女が、ヴァルのような血なまぐさい人間と遭遇して、怖気づくどころか進んで手当てを施し、あまつさえ“面白そう”などと言うとは、俄かに信じがたい。しかも、そこまでそれを不快に思っていない自分自身にも、ヴァルは驚いていた。
名前を聞かれて答えてしまったのも、驚きだった。
今や、ヴァルを名前で呼ぶ人間はおらず、誰からも“鎌”の男と呼ばれている。ヴァル自身、それで不便があるわけでも無いので特に気にはしていなかった。それでもどういうわけか――多少の保身の意味もあるが――ランには“鎌”の名を知られたくなかった。
「そういや、名前で呼ばれたのは久しぶりだな…」
あれほどあけすけに俺と接した人間も。
不思議な感慨に耽りながら、ヴァルは東の空に昇り始めた今宵最初の月を、木立の間からぼんやり眺めていた。