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錆色の鎌  作者: 左藤
11/14

その十:ラ、ン

 ヴァルは(ひとや)の中、考えていた。


 どうしてこうなった。


 薄暗い牢獄。埃にまみれた薄い毛布にくるまり、地べたにそのまま寝転んでいる。


 どうしてこうなった。


 どこで間違えた。


 ヴァルは考える。間違えていたのは最初からだ。生まれも、生き方も。仕事に失敗して森で力尽きたのも、そこでランに出会ったのも。らしくもなくやり直そうと思ったことも、それが許されるにはもう手遅れだったことも。


 どうやら、何をやっても上手くいかないのが、俺の人生と言うものらしい。自嘲気味の笑いがヴァルの口から漏れた。


 馬車を待ち伏せし、その前に躍り出たときから、違和感があった。


 とにもかくにも、貴族を襲うのだ。その割りに、レスがつれてきた彼らの動きはいまいちはっきりとせず、どことなくぎこちなさを感じさせた。


 そして貴族の護衛は一人だが、十分な実力を兼ね備えており、抑えるのに手間取った。そのうち、仲間の一人が斬られた。


 バシャ、ビチャ、血飛沫と内臓が零れるような濡れた音は、それだけで致命傷かそれに近い傷だと分かる。しかし、それを気にするほどの余裕は無い。


 何て使えねえ奴らだ!


 ヴァルは歯噛みした。相手は貴族で、イェナレン伯爵家は地位も知名度もあり、幾ら護衛が少ないといっても相応の実力があることは予想すべきである。切り捨てられた男は事前の打ち合わせではさぞ自信ありげに、足止めは任せろとのたまっていたはずだ。ヴァルとしてもその様子にいささかの胡散臭さを感じてはいても、それが確かな感覚でもなかったし、レスが用意した人選にケチをつけることも出来なかったのだ。


 だが、それこそがレスの思惑だったのかもしれなかった。


 ヴァルは、ランと出かけたあの日、ランと一緒にいるヴァルを見てレスが何かおかしなことを言っていたことを思い出した。


『ただ、さすがだなあと思いまして』


 いやらしい声音で言われたその言葉。レスは情報屋だ。もしかしたら、あの時、既にレスはランの正体を知っていたのかもしれない。貴族のランとヴァルが一緒にいるのを見たレスは、ヴァルのことを貴族に媚を売っていると思ったのだろうか。そうして、ヴァルを陥れようと、今回のことを企てたのではないか。


 馬鹿げた考えだ。


 しかし、レスがとりわけ貴族を嫌っているのは、多分、貴族への度を越した憧れの裏返しだと、ヴァルは思っていた。そんな人間が、あのときのヴァルを見たら。


 今回の件が上手くいくにしろいかないにしろ、レスにとっては金が入るか、気に入らない人間を始末できるかで、結局不愉快な結果にはならない。あながち的外れな考えでも無いような気がした。


 どうやらもう雲隠れしているようだしな…。


 言葉と暴力で尋問してくれた騎士と呼ぶのもはばかるような騎士から得られた情報で、ヴァルはそれを知ったのだった。


 もう逃げ場は無かった。もう、今のヴァルにあるのは諦めだけだ。


 その時、鉄格子の向こう、外に繋がる扉が開き、灯りと共に誰かが入ってきた。


 コツ、コツ、と足音。ヴァルはもう顔を上げるのも億劫で、倒れたまま床に伸びる影を見つめていた。


「ヴァルさん…」


 声に、顔を上げた。ランだった。


「ラ、ン」


 数日前、闇の中で対峙した時と同じく、名前を呼び合う。ランは、いつも会っていた頃の街娘風のいでたちではなく、華美ではないが一目で高価と分かる、品の良い、薄紫色のドレスを着ていた。


 それだけで、彼女と自分の間にある、あまりに高く、分厚く、硬い壁を思い知らされるようで、ヴァルは皮肉げな笑みに自分の表情が歪むのを感じた。


「…お偉いお貴族様が、こんな穴倉に何の用だ?」

「…っ!」


 ランの顔が強張る。だがヴァルの口は止まらない。


「俺を笑いに来たのかよ。お前に踊らされて、這いつくばっている俺を」

「わ、たし、は」


 何かを言おうとするラン。しかしそれ以上音にならなかったのか、口をつぐんだ。それを見て、ヴァルはさらに言葉を募らせる。


「さぞ楽しかったろうな、馬鹿な庶民を上から眺めんのは。指差して笑おうってんだろう」

「そんな、ことは」


 二人の間にある鉄格子、不可侵かつ絶対の壁を、しかし言葉は少女を突き刺そうと容易くすり抜ける。


「…何なんだよ、何しに来たんだよ、お前はっ。そんなに俺が滑稽か!」


 ああ、まるで子供だ、俺は。駄々っ子さながらに憤懣を吐き出す自分の口。それでも、一度栓が抜けたものはそう簡単に戻らない。


 だから、ヴァルは、これまで生きてきた中で溜まった汚泥を、ランにぶつけてしまう。ランはそれを、ただ歯を食いしばって、静かに聞いている。


「俺だってなあ!」


 悲哀を。憎悪を。理不尽を。怒りを。これまで、何にも、誰にもぶつけたことのなかった心の内、その全てを、目の前の少女に、


「俺だって、好きでこんなんに生まれたんじゃねえんだよ!」


 叫んだ。


 まくし立てた勢いで荒れた息の音が、暗い獄に反響する。佇むばかりのランを、格子の反対側から睨み上げながら、ただ荒々しく息をする。


 刹那の沈黙。


「ごめん、なさい…」


 そして、震える声が聞こえた。


 ヴァルは冷水を浴びたように、はっと我に返った。


 涙を堪えた目で、でも顔だけは無理に笑って見せたランは、表情が歪む前にそのまま身を翻して、その場から走り去った。後には、ランが落としたらしいカンテラが割れる音だけが残った。


 ランが消えた扉を見ながら、ヴァルは呆然とする。


 俺は…俺は、何をした。


 激情のままにほとばしった言葉。ぶちまけた理不尽。それを静かに受け止めたランの、謝罪。


 そのランの言葉を聞いて、ようやく冷静になったヴァルは、今しがたの己を振り返り、身を震わせた。


 俺は、何てことを。


 確かにヴァルは、好きでこのような身に生まれついたわけではない。尊いとされる身分の人間の横暴に、理不尽に、怒りを感じていたのも確かだ。だが、頭が冷えた今、ヴァルは一つの事実を思い出す。


 生まれの違いを叫んだ自分。


 だがヴァルがそうなら、当然ランだって、誰だって、自分で生まれを選んだわけではないのだ。


 たまたま、市井に生まれただけ。たまたま、貴族に生まれただけ。確かに不公平だが、その理不尽は、生まれた子のせいではないはずだ。


 ランのせいではないのに。


 それを、感情のままに詰った。


 ヴァルがそうだったように、彼女にもどうすることも出来ない、この巨大で堅牢な世界の構造。ランがそうあるように仕組んだわけでも願ったわけではないのに、理不尽としか言いようの無い言葉を、ただ思いのままに吐きつけた自分。それ自体がヴァルの憎んだ、己の生まれを理由に理不尽と横暴を押し付ける人間たちと、方向は違えど、本質は同じ行為なのだと、ヴァルは気付いた。


 俺はあいつの夢を知っていたのに。


 彼女の知識が付け焼刃で身につくものではないことくらい、ヴァルにだって分かる。そんな、医者になって分け隔て無く、沢山の人を助けたいという夢をもつ、あの少女に。見るからに怪しいこんな自分を、飄々としながらも、時にからかいながらも、無私の態度で助けてくれた少女に。


 ランはヴァルが憎んだような、そういう人間とは違うと、少し思い起こせば分かるはずなのに。


 しかし一度口を衝いて出た言葉は、地面に零れ落ちた水のように、二度と戻らない。後悔しても、ランと話す機会は、もう訪れない。


 出て行く寸前に見せた、あの、泣き笑いのような表情。ヴァルの胸を貫いた、悲しみに曇った瞳。


 俺が、あんな顔をさせたのか。結局俺は、生まれなんかに関係なく、最低の野郎だったってことなのか…。


 全てを覆い埋めるような後悔に、もう声を出す気力すらわかずに、ヴァルはただ、身を横たえ、汚れた牢獄の壁を見つめる。


 馬車襲撃の賊が処刑されたと、伯爵家に知らせが送られたのは、それから二日後の昼下がりのことだった。

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