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錆色の鎌  作者: 左藤
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その九:ヴァル、さん

 ランは溜息を吐く。がたごとと揺れる馬車の中で、居心地悪そうに身じろぎするも、馬車が止まるわけはない。


 今日は、友人――ということになっている――ゴーシャ侯爵令嬢リュシアンネの誕生日。ランは盛大に開かれるその誕生会に招待されている。


 もう一度溜息。こういう、見栄の張り合いは好きではない。もちろん家族もそれについては知っているが、相手は腐っても侯爵家、招待を断れないことも分っている。仕方ない。仕方ないが、やりきれない。


 あのリュシアンネという娘は、いかにも貴族らしい、しかも悪い意味で貴族らしいご令嬢なのだ。


 ガタゴトと揺れる馬車は、直に衝撃を乗り手に伝え、しかしだからと言ってだらしなく体勢を崩すわけにも行かず、体を軋ませながらランは堪えていた。


「本当に、くだらないですね…」


 対外的にはどうしてか親友と言われているリュシアンネ、愛称リュシー。正直、彼女は、ランの最も嫌いなタイプの少女であったが、残念ながら、ランの猫をかぶる能力の高さにより、一方的に好かれてしまっている。


 延々と続く見栄と自慢話をなるほどそうですかそれはすばらしいですねと聞き流しつつ相槌を打っていたのがまずかったらしく、体の良い話し相手と認識されているのだ。


 相手にとっては気を紛らわせることができるのだろうが、ランにとっては精神を磨耗させる作業でしかない。たまに普段の自分のことは棚に上げて鬱陶しいことこの上ないその口に拳をぶち込んでやりたい衝動に駆られることもあったが、残念ながらランは自制心は持ち合わせていた。


 誕生会での苦行に思いを馳せて顔を顰めると、突然ガタンと音が鳴り、馬車が止まった。


 おやと思い、窓に掛かったカーテンを手で寄せて外を見る。空には見慣れた月が今日は二つ浮かび、静かに夜道を照らしていた。


 町並みを見ると、思ったとおりゴーシャ侯爵の邸宅にはまだ遠い、路程のおよそ半分程度を消費した辺り、時間的なものか人通りが見当たらない、見覚えのある路地であった。少し前、医学校の試験の行き帰りに通りがかったので、覚えている。しかし、今日はこんなところで止まる理由は無いはずなのだが。


「どうしたのですか?」


 外にいる御者と護衛に声をかける。


「お静かに。顔を出さないように」


 思いのほか厳しい声音が返ってきて、ランの顔は引き締まった。声の意味するところつまり、非常事態と言うことだ。


 ちなみにドレス姿のランは、この日、護身用の魔具は身に着けていない。その代わり護衛の騎士が同行していた。


 次の瞬間。


 ガゴンッ! ガッ、ギンッ。何かがぶつかる音。金属音。剣戟の音。


 何者かの襲撃を受けている。


 この非常事態にも、ランは冷静だった。音と共に時折ぐらぐら揺れる馬車の中で、何を考えていたかといえば、自分に人質としてどの程度の価値があるのかに関する考察と、誕生会を欠席した後のリュシー嬢とゴーシャ侯爵の反応はどのようなものかと、犯人は誰か、突き止めたならば後々それを駒に出来ないか、だとすればどういうものか、というものだった。


「ぐあっ」


 誰かの声。同時にバシャ、と水のようなものが跳ねる音。知らない声だから襲撃者だろうか。あの感じだと後で治すのが大変だろう。出来れば、死なせたくないのだけれど。


 馬車が揺れる。鈍い音。叫び声。


「くぅっ!」


 知っている声。御者。近い。


 一層激しく馬車が揺れた。ランはその中息を潜め耳を澄ませる。


「今だ、やれ!」


 別の知っている声。でも誰だったか。こんなところで聞くはずの無い声。だから、ランの思考は彼に結びつかなかった。


「くそっ、お嬢様!」


 護衛騎士の声だ。いつも冷静な彼らしくない切羽詰った声だ。多分、複数聞こえる声から、護衛騎士は彼らの一味に妨害されているのだろう。


 パキンッ。窓が割れ太い腕が入ってきた。そのまま内側から鍵の掛かった馬車のドアに手をかけ、開けた。


 少なくとも、この時点までランは冷静だった。不意打ちのタイミング、護衛を手こずらせる程度には練られた手際、それなりに周到に準備している相手のようだし、ランを殺して得をするような人間もいない。身代金他何らかの要求が目的の人質なら抵抗しなければ身の危険は少ないだろうなどと考えながら、静かにその様子を見守っていた。


 だが入ってきた男の顔を見たとき、全ての思考が吹き飛んだ。


「え…」


 そして暗い馬車の中を見回してランに目を留めたその男も、数秒じっとランを見つめて息を止めた。


「な…」


 状況も忘れ、馬車の中で対峙する二人。


「どうして…」


 どうして、ここに?


 図らずも異口同音で言葉が出た。


「ラン…」


 侵入者は、ランの名を呼んだ。


「ヴァル、さん」


 ランは、侵入者の名を呼んだ。訳が、分からない。


 もう会えないんだろうな、と漠然と考えていた顔がすぐ目の前にある。月明かりが照らす馬車の中、目の前にあるその顔は、最初に驚愕、続いて怒り、悲しみ、何だか色々なものが複雑に交じり合った表情をして、ランを見つめていた。


 一方、珍しく、本当に珍しく茫然自失としていたランは、場違いにも、どういうわけかまた会えて私は嬉しいらしい、とだけ考えていた。そして、冷静を取り戻す暇は、言葉を交わす時間は、二人に与えられなかった。


「貴様っ」

「ぐっ」


 その時、妨害を振り切ったらしい護衛騎士が現れて、ヴァルを取り押さえた。ヴァルは苦痛に声を上げ、床に突っ伏する。そこでようやくランの思考も動き始めたが、既に事態は収束に向かって走り出していた。


 外に連れ出されようとするヴァルと、一瞬目が合った。どうしてこんな、と声に出さず視線に込めたが、ヴァルから返ってきたのは、もう驚きでも怒りでもなんでもなく、ただ諦めたような、暗くて静かな眼差しだった。

遅くなってすみません…。

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