000,あの熱をもう一度
――コンボが、繋がらなかった。
「……ッ、しまっ!」
画面の中のキャラクターが吹き飛ばされるのを、ただ見ているしかなかった。
爆音のようなKOコールが、会場の空気を切り裂く。
観客席が揺れる。湧く。
だが、俺には何も聞こえなかった。
まるで、音だけが消えたかのような感覚。
スローモーションのように、相手プレイヤーが立ち上がり、コントローラーを掲げる。
その名は全国屈指の猛者、《K2》――
反応精度、選択精度、立ち回り……すべてが俺より一枚上手だった。
いや、ほんの一瞬だけの“読み負け”だった。
それが、すべてを決めた。
「白羽雷牙選手、ここで敗退――ベスト4進出止まり!」
実況の声が届いた瞬間、心の奥で何かが、音を立てて崩れた。
握りしめたままのアケコンが、やけに重かった。
「……クソッ……」
ステージを降りる足取りは重い。
誰も責めていないし、誰も咎めていない。
むしろ、観客たちは“善戦だった”と称えてくれた。
でも――
「“善戦”じゃ意味がねぇんだよ……」
俺は勝ちたかった。
誰よりも、強く、速く、読み勝って、証明したかった。
今まで全部、それだけを見て生きてきた。
学校も、バイトも、全部削ってきた。
そして、それでも届かなかった。
試合の録画を確認しながら、控室の壁にもたれて座り込んだ。
ラストラウンド、差し返しの読みでワンテンポ早く技を振った。
それが、逆に致命傷になった。
タイミング、読み、そして……勇気。
ほんの“0.2秒”の判断の差。
そのたった0.2秒に、何ヶ月もの努力がぶつかり、砕けた。
――ああ、これが、“格闘ゲーム”か。
どこまでも、残酷で、美しくて、容赦がない。
けど、その悔しさが、不思議と嫌じゃなかった。
涙は出ない。ただ、胸の奥が熱かった。
そして、その熱だけは……きっと、まだ消えていなかった。
「……はぁ……」
ポータブルアケコンを床に置いて、ベッドに沈み込んだ。
天井のシミをぼんやり見つめながら、俺――白羽 雷牙は、ため息を一つ吐いた。
今日は、全国大会だった。
そして俺は、ベスト4で敗退した。
格ゲー歴8年。
毎日フレーム単位の反応を鍛えて、読み合いの地獄を潜り、血反吐を吐くように積み上げてきた。
そのすべてが、一瞬の判断ミスで砕け散った。
「……もう、やめるか」
ぽつりと、自分でも信じられない言葉が口をついた。
引退。それは何度も頭をよぎった言葉。
でも今日ほど、それを現実に感じた日はなかった。
スマホに届く通知の数々――「惜しかった!」「マジで熱かったよ!」「次は優勝だな!」
……ありがとう。でも、もう俺の“次”はないかもしれない。
寝返りを打って、机の横に置いていた旧型VRデバイスに視線がいった。
買ったのは1年前。格ゲー以外のゲームにも触れてみようと、気まぐれで。
けど、結局一度も起動せずに、埃を被っていた。
「……そういえば、何かインストールしてたよな」
起き上がり、ふとした思いつきでデバイスを被る。
目の前に、仮想メニューが浮かぶ。
インストール履歴に、見覚えのないタイトルがあった。
『EXODUS FANTASM』
—完全没入型VRMMORPG
—剣と魔法の幻想世界へ、ようこそ。
「ああ……これ、なんか昔フレンドが送ってきたやつか。確か、“やたらリアルな戦闘ができる神ゲー”って評判だったような……」
“今までと違う何か”を求めていた俺の指が、気づけばログインボタンに触れていた。
【システム:プレイヤー認証完了】
【スキャン開始――身体反応値、神経応答値……完了】
【ようこそ、『EXODUS FANTASM』へ】
次の瞬間、世界が、反転する。
意識が引き込まれるように落ちていく感覚――
瞼の裏が、光に包まれ、空気が変わる。
気がついた時には、俺は――剣と魔法の世界、《エグファ》の大地に立っていた。
「……なんだ、この感覚……」
耳に風の音。鼻に草の香り。足元には土の感触。
完全に“そこにいる”という実感。まるで、現実を超えている。
そして、目の前に現れる職業選択画面。
剣士、魔術士、狩人、僧侶……その中で一つ、異彩を放つ選択肢があった。
【特殊枠:フィジカル系クラス《拳聖》】
「格闘家……?」
思わず声が漏れる。
説明欄にはこう書かれていた。
※この職業はプレイヤーのリアルスキルを基準に性能が決定されます。
※特定の操作入力にて技を発動。完全手動のため、難易度は非常に高めです。
「……格ゲー仕様……だと?」
心が、少しだけ熱くなった。
まるで、“引退するな”と言われた気がした。
なら――これは、最後の腕試しにしてやろうじゃねぇか。
俺の新しい名前は、R・K。
もう一度、拳を掲げるために。
ここから始まるのは――“新しい戦い”だ。