第一話 一華の誕生日
それは曾良一華、高校一年生の冬のこと。
✿✿✿
不思議な弟を持つと、姉は苦労する。
「姉ちゃん、一華姉ちゃん起きてる?」
「はっ」
扉を叩く音でわたしは目を開いた。扉の外にいる弟が呆れたように小さく息を吐いたのがわかった。
「もう7時過ぎてるよ」
「えっ!」
わたしは勢いよく身体を起こして枕元の時計を見る。いつの間にかアラームの設定は解除されており、チクチクと針は静かに弟が言った時間を示していた。わたしは部屋の寒さに身震いしながら、ベッドから飛び出して壁にかかっている制服を手に取った。
「ぼく、先にごはん食べてるから」
「うん、ありがとう!星一」
扉の外から階段を下って行く音が聞こえた。わたしは大急ぎで寝巻から制服に着替え、洗面台で顔を洗って、うがいをしてからリビングに飛び込んだ。ダイニングテーブルで朝食を食べながらテレビを見ていた星一がわたしに視線を寄越す。
「今何時?」
「7時15分」
「まだ10分ある、間に合った」
わたしは自分の茶碗にごはんをよそい、昨日の残りの味噌汁をお椀に注ぐ。そして星一の向かいの席にそれらを置いて、手を合わせながら椅子に座った。
「いただきます」
「姉ちゃん、また寝過ごしたの」
「布団の中が暖かかったんだ」
「布団のせいにすると布団が泣くよ」
「それは困るな布団が湿ると布団の存在意義がなくなってしまう」
わたしは白米にふりかけをかけながらそんな事を言う。星一はやや呆れた様子でわたしを見た。
「起きる時、部屋が寒いから起き上がれないんでしょ。暖房のタイマーつけたらいいのに」
「寝る前は眠いからなぁ」
「そろそろ本当に寝坊するよ」
「わたしには最終防衛ラインがあるから大丈夫」
「それぼくのこと?」
星一が先に朝食を食べ終わり、両手を合わせる。空になった食器を洗い場に持って行き、椅子にかけてあった学ランを着て紺色のマフラーを首に巻く。そして床に置いていた鞄を肩に担いで朝食をかきこむわたしに視線を寄越した。
「じゃあぼくは先に行くから」
「うん」
「今日部活で練習試合あるから、少し遅くなるかも」
「はいよ」
星一は中学二年生。サッカー部所属だ。わたしが通う高校より少し遠いので、いつもわたしより少し先に家を出る。我が曾良家は両親と長女であるわたしと、弟の星一の四人家族だ。両親は共働きで、父親は現在単身赴任中。母も出勤場所がやや遠いのでわたしたちよりもっと早出だ。ただ今は二週間ほど長期の出張に行っているので、ここのところ基本この家にいるのはわたしと星一だけである。
「いってきます」
「はーい、いってらっしゃい」
わたしは星一に手を振り、テレビに目を向ける。もうすぐクリスマスということもあり、テレビではクリスマス特集をしている。普段ならこの時間はニュースが流れているはずなのになあと思って気付いた。いつもとチャンネルが違うのだ。
「よいしょ」
わたしは星一の方に置いてあったテレビのリモコンを腕を伸ばして手に取り、ボタンに手をかける。
「姉ちゃん!」
「わあっ」
わたしがテレビのチャンネルを変えようとした瞬間、出て行ったはずの星一が突如としてリビングに現れわたしは思わずテレビのリモコンを落としそうになった。
「びっくりした、何?」
星一は一瞬テレビに目を向けた後、わたしに顔を向ける。普段は無表情でいることが多い星一がやや真剣味のある顔をしていた。
「…どうしたの?」
何かを察知してわたしも真剣な顔をしてそう尋ねた。
「あの」
星一は一瞬言いよどみ、口を開いた。
「星が言ってた。もうすぐ星が落ちてくるんって」
わたしと星一はお互い顔を見合わせたまま数秒固まる。
「え?」
「ごめん詳しいことはまた帰ってから話す」
「う、うん」
「あと今日は晴れだって星が言ってたよ」
「あ、うん」
星一はそう言ってあっという間にわたしの前から姿を消した。数秒後に玄関のドアが開いて閉じる音がした。
「落ちてくるって…?」
わたしは星一の言ったことを反芻しながら、リビングの窓から空を見上げる。青い空に白い雲がゆったりと流れている。今日が晴れなのはいいこととして、星一の言葉はそのまま聞き捨てならないことだった。星一のことを知らない人間が先ほどの言葉を聞けば、何を馬鹿なことをと笑うだろう。しかし、わたしはその言葉を無視することはできない。
なぜならわたしは知っているからだ。
曾良星一が星の声が聞こえる人間であるということを。
わたしは星一の言葉を思い返しつつ数秒の間空を眺めていたが、呆けている時間はないことに気付く。朝食をかきこんで慌てて席を立った。鞄と少しよれた黒色のマフラーを掴んで、わたしは家を出る。ドアに鍵をかけて、鍵を無くさないようにいつもの鞄の内ポケットに入れた。
「よう、一華」
背後から声をかけられて振り返る。そこには同じ高校の制服を身にまとった男子が一人立っていた。
「おはよう、ギギ」
彼は三つ隣に住む、幼稚園からの幼なじみの松野三義。ギギというのはわたしが名付けた彼の愛称だ。
「今日早いね」
「まあな」
近くに住んでいるとはいえ、ギギと一緒に登校することはほとんどない。ギギはいつもギリギリまで寝ているので、家を出る時間が遅いのだ。本人は遅刻はしないからいいのだと言っていたが、予鈴と同時に教室に入るのは遅刻みたいなものじゃないだろうか。先生に怒られているのも見たことがあるし。まあ本人が良しとしているならいいのだけれど。
「日直?」
「そんなとこ」
わたしとギギは並んで高校に向けて歩く。わたしたちが通う美鳥南高校は、だいたい家から歩いて20分くらいのところにある。高校は街中にあり、遠方から通う生徒も多いので自転車で通学する同級生は少なくない。始業時間直前になると高校周辺が自転車で溢れかえるので徒歩のわたしは少し早めに登校している。それならわたしも自転車で通学すればいいのにと言われるが、わたしの家が近かったばかりに自転車登校許可が下りなかったのだ。
「一華、何かあったか?」
「え?」
寒いなあと白い息を見ながら歩いていると、ギギがこちらを気遣うような声をかけてくる。
「いつもの威勢がないじゃねえか」
「普段も威勢良いつもりはないけど」
どちらかと言えば、普段から威勢がいいのはギギの方である。ギギは身長が高く、筋肉もあるので簡単に言えば腕っぷしが強い。多少のことなら力で解決してしまう人間だ。そんなギギがわたしを伺うような視線を投げてくると申し訳ない気持ちになるので、わたしは小さく息をつく。
「今朝星一がね」
「星坊が?」
わたしとギギが幼なじみなので必然的に星一もギギと幼なじみである。ギギは星一のことを実の弟のように可愛がってくれている。
「星が落ちてくるって言ったんだ」
そして、星一が星の声が聞こえることも知っている。
「星が?前みたいな隕石か?」
星一が聞こえるという星の声は、星一の妄想でも幻聴でもない。その証拠に、星一は星の声が教えてくれるという天気予報を外したことがないし、過去に隕石の落下地点と落下時間をぴたりと当てたことがある。
「いや…そこまで詳しく聞いてないけど、妙に真剣そうな顔だった」
「そうか」
ギギは神妙にひとつ頷いてから、わたしの背中をぽんと叩いた。ギギの腕力が凄いのは知っているが、その勢いは優しかった。
「そんな深刻そうな顔すんなって」
「いやでも」
隕石と同じくらい大きな事象だったらどうしよう。ただしもし大きな事象だったとして、もちろん宇宙規模のそれを止める力などわたしたちにはない。わたしが何より恐れているのは、その事象が起こることで誰かに星一の能力を知られてしまうことだ。以前の隕石騒動ではかなり危うかったというのに。
星一の星の声が聞こえるという能力は唯一無二で尊く美しく、決して万人に知られてはいけない能力だ。わたしは星一の姉として、星一とその能力を守る義務がある。
「大丈夫だって」
わたしの心配をよそに、ギギは気楽に笑う。この野郎と思いつつギギを見たが、あんまり暗い顔をしているとギギにも無駄に心配をかけてしまうだろう。わたしは両頬をおさえて表情を整えた。ギギはそんなわたしを見て小さく笑い、こう言った。
「ところでそっちの英語どこまで進んでる?チャプター7まで行った?」
「…先週終わったけど」
「和訳見せてくれねえ?今日当たりそうなんだよな」
「自分でやれ自分で。まだ学校ついても時間あるでしょ」
「冷たいな。あ、コンビニ寄っていい?」
「いいよ。わたしも行く」
わたしたちはいつもの通り他愛もない話をしながら学校へと向かった。しかしわたしの頭の中では星一の言葉がぐるぐると巡っていた。そんな中廊下でギギと分かれて、わたしは自分の教室に入る。
「おはよう一華」
するとすでに登校していた小学校からの友人である相原路香が話しかけてきた。
「おはようカロン」
カロンというのはわたしがつけた彼女の愛称である。
「どうしたの?なんか辛気臭い顔してるけど」
「うそ、そんな顔してた?」
わたしが慌てて頬をおさえると、カロンは息を吐いた。
「一華はわかりやすいのよ」
「そんなにか」
わたしは息を吐いて自分の席に鞄を置く。カロンは自分の席を立ってわたしの元にやってきた。
「何?数学の課題でもし忘れた?」
「いや違う」
「あら、違うの」
カロンは綺麗にクスリと笑う。カロンは茶道部に所属しており、所作が綺麗だ。しかし見た目に反して結構中身が綺麗じゃないことをわたしは知っている。
「弟が…」
「星一くんが?」
今朝の話をしようかと思った瞬間に、わたしはただならぬ気配を察知して口を閉じた。その瞬間、わたしとカロンの前に小柄な男子生徒がにこやかな笑顔で現れた。
「やあ!曾良さんおはよう!」
「げっシャチ」
彼は、わたしが思わず嫌な声を出してしまうほど苦手な男子である。彼の名前は太田佐知。シャチというのはわたしがつけた彼の愛称だ。由来は簡単。とても可愛い顔をしているのに中身がとても怖いからである。
「やだなあ。シャチって呼ばないでって言ってるじゃないか」
「わかった。おはよう、シャチ」
その返しにシャチは嫌な顔をせず、カロンにも一見すれば可愛い笑みを向ける。
「おはよう、相原さん」
「おはよう、太田くん」
「相原さんも佐知って呼んでくれていいのに」
「そうね、機会があれば」
シャチはその見た目と誰とでも親し気に話す人懐っこい性格から結構な人気者だ。そんなシャチを別に理由なく苦手に思っているわけでははない。
「ところで」
シャチは笑みを浮かべた顔をわたしに向ける。
「今、星一くんの話してた?」
「してない」
わたしがシャチを苦手とする要因は、シャチが弟に興味を持っているというこの一点のみである。以前の隕石騒動で危うかったというのは誰でもないこのシャチが弟に不思議な力があると勘付いてしまったからである。あの一件以降、シャチはことあるごとにわたしを介して星一の情報を得ようとしている。なぜこのシャチが星一に興味を持っているのか。それは、このシャチはかなりの天体オタクだからである。
「本当かな」
しかし星一の能力についてシャチには言うことはできない。星一の星の声が聞こえる能力のことを知っているのは、わたし以外では幼なじみのギギとカロンだけである。
「そう、ということで自分の教室に戻ってくれない?今日の課題の答え合わせカロンとするんだ」
わたしが机からノートを出すと、シャチは肩をすくめて笑った。
「そっか。それじゃあお邪魔になっちゃうね。じゃあまたね、曾良さん、相原さん」
シャチは軽やかに手を振って教室から出て行く。
「おっ佐知、おはよ」
「佐知くんおはよー」
すれ違う同級生たちに可愛い笑顔を振りまきながらシャチは教室から出て行った。
「賑やかな人ね」
カロンはそう呟いて、呆れたように息を吐いた。わたしはそれに同意するように深く頷いた。それ以上先ほどの話を続ける気にはなれず、わたしとカロンはシャチに言ったとおり課題の答え合わせを大人しくすることにした。
午前中の授業が終わって昼休み。美鳥南高校は昼食は各自持参するようになっている。一応学内に購買がありパンも売っているが、競争率が高いため生徒はお弁当を持ってくるか登校時にコンビニに寄ってパンやお弁当を買ってくる人も多い。
「今日はコンビニなの?」
「うん」
昼休みになると、だいたいカロンがお弁当を持ってわたしの席にやってくる。わたしは今朝コンビニで買ったパンとジュースを机の上に置いた。
「よお、お二人さん。ご一緒していいか」
そこに他クラスからコンビニ袋を引っ提げてギギがやってくる。
「いいけど、珍しいね」
ギギは空いた席の椅子を引っ張ってきて、わたしたちの間に座る。ギギは基本的には自分のクラスで他の男子たちと食べて、グラウンドに元気に遊びに行っているはずだが。そう思って顔を見ると、ニカッと笑う。
「いや、今朝の話を一華がしたいと思ってな」
「ああ」
こういうところは頼りになる男だ。カロンがお弁当を開きながら、声をやや抑えてわたしに尋ねる。
「そうね、星一くんがどうしたって?」
「それが…」
わたしは周囲にシャチがいないことを確認し、今朝のことをカロンに話した。
「落ちてくる?星一くんにしては曖昧な言い回しね」
そう言われてわたしははたと気付く。確かにそうだ。星一は今まで星の声が聞こえたという時は具体的に何が起こるのか言っていた。例えば今日の三時くらいに雨が降るとか、四日後に隣街の山のふもとに小隕石が落下するとか、ナントカ彗星が何時にどこで綺麗に見えるとか。それが今回は、もうすぐ星が落ちてくるときた。時期も場所も何もわからない。
「詳しいことは後で話すって言ってたから、今日帰ってきたら言うつもりなのかも」
「そうね、それを聞いてからでも遅くないんじゃない?」
冷静にわたしを諭してくれるカロン。さすがわたしの友人だ。
「そうだね。そうする」
わたしは少し肩の力を抜いて、メロンパンにかぶりついた。すると、やわらかいシフォンケーキのパンを食べていたギギがあっと声をあげる。
「そういや今日って一華のカレーなんだよな、俺も行っていい?」
「そうだけど、なんで知ってるの」
両親が不在がちの曾良家と違って、ギギの家である松野家は両親が近場で働いていることもあってか毎日いる。そんな家が窮屈に感じられると中学以降ギギはうちで食事を取ることが多くなった。曾良家と松野家はそれをお互いに了承しており、たまにギギのお母さんからおかずのおすそ分けや野菜を貰ったりもしている。
「昨日の帰りに星坊に会って聞いたんだよ、カレールウが山ほどあるからしばらく消費に徹するんだって?」
「山ほどはない」
「じゃあいくつ」
確かに以前スーパーに行くたびにカレールウが安く、どうせ使うだろうからと買いだめをしたのだ。しかしなぜか使う量より買う量の方が多く、一向に減らないカレールウたちの箱を見て星一が今あるカレールウが無くなるまでは新しいのは買うなと言ったのだ。だから、とりあえず今ある分を消費するためにしばらくカレーを作る頻度を増やすことにした。
「5箱くらい」
「それは多いぜ」
「でも全部違う種類なんだけど。まだ試したいのもあるし」
「今日は何のルウを使うの?」
カロンが面白そうな顔をして尋ねてくる。
「今日はスパイスがよく効いているっていううたい文句の…」
結局そうしてカレーの話をして昼休みのほとんどを浪費してしまった。しかしシャチがどこで耳をそばだてているかわからないので、星一のことを話すのは学校では正直避けたかったから丁度いい。
「じゃあ、そういうことだから。今日はそっち行くわ」
「はいはい」
ギギはそう言って、席を立つ。そのまま手を振って教室を出て行くかと思いきや、廊下の外にいる人物を見てあからさまに嫌そうな顔をした。
「げっ」
シャチはギギのそのひと声を聞いて、にこりと笑った。
「人の顔見るなり、それは失礼じゃないかな。ギギ君」
「お前がギギって呼ぶな、シャチ」
「シャチって呼ばないでくれるかな、それと邪魔なんだけど。どいてくれる?ギギ君」
「はあ。お前が避ければいいだろうが」
突然廊下で口喧嘩を始める二人を、同級生たちがやれやれと笑って見ている。
「あーあー」
カロンも楽し気にそう言って、机に頬杖をついて二人を見た。もはやこの一年で学年公認のようになっているが、ギギとシャチは仲が悪い。ギギ曰く、シャチのことは根本的に気に入らないとのことだ。一方シャチがギギをどう思っているかは直接は聞いたことがないが、普段なら人に言わないような悪口雑言をギギに対してだけ言っているのを見るとシャチもギギに対していい感情は持っていないように思う。
「ちょっとちょっと」
そんな放っておけば延々と言い合いをする二人の仲裁をするのはなぜか決まってわたしだった。
「あっどうも曾良さん」
「ああ、どうも」
シャチはにこっとわたしに笑いかける。その笑みも何を企んでいるのかわからないのでわたしにとっては怖いものである。そう、シャチの愛称の語源は鯱だ。鯱は見た目はかわいいが、その本質は獰猛な生き物である。彼も可愛い顔して、星一の情報を得る機会を狙っているのだ。
「そうだ曾良さん」
「え?」
「あ?なんだよ」
「君は曾良さんじゃないだろう」
ギギに冷たい笑みを向けてから、シャチはわたしに可愛い笑みを見せる。
「もし星一くんから聞いたら教えてね、次のり…」
「あーっ!」
突如真横で発生した大声に、わたしは驚いてよろけてしまった。
「びっくりした…突然何?」
大声を発した主であるギギは、顔に笑顔を貼り付けてシャチの肩をがしりと掴んだ。シャチもさすがに面食らったのか、目を白黒させている。
「ギギ?」
「悪い、ちょっとシャチに用事あったの忘れてたからこいつ貰っていくわ」
「ああはい、どうぞ…」
ギギはそう言って目を白黒させたシャチを連れてずるずると廊下の角にきえて行った。辺りにいた同級生たちと呆然とギギたちがいなくなった方を見ていると、カロンがわたしの隣にやってくる。
「ギギ、どうしたの?凄い声だったわね」
確かにこのフロア一帯にギギの声は響いただろう。しかし、その声を発した理由など。
「わからん…」
わたしは眉をひそめてそう言うしかなかった。
その日は、実はフロアどころか一年の校舎全体に響き渡っていた叫び声について、叫び声の元を知らない多くの同級生たちがその正体や理由を面白可笑しく語っていたという。
そんなこんなで一日がつつがなく終わり、家に帰って晩御飯の支度をしていると一度チャイムが鳴ってすぐに扉の開く音がする。ギギが来る予定の時は、こうして鍵を開けている。
「じゃまするぜ」
「嘆きのギギだ」
ギギがリビングに現れたので、さっそく今日新たに彼につけられたあだ名を口にした。
「あ?なんだそりゃ」
「昼休みの叫び声、ギギの声って知らない人たちが嘆きの亡霊の声だって噂してたから、嘆きのギギ」
「勝手に亡霊にすんな」
ギギは苦笑いをして、しかしそんなに気にしていないようにリビングのソファに座る。そしてまるで我が家にいるかのようなくつろぎぶりで、テレビをつけた。
「今日星坊はいつ帰ってくんの?」
「練習試合あるって言ってたから、六時くらいじゃない」
「ふうん」
ギギはそう言ってぼんやりとテレビを眺めているようだ。夕方の情報番組の声が聞こえてくる。その音を聞きながらわたしは材料の下準備を全て終え、我が家で一番深い鍋に肉と野菜を入れて炒める。
「そういやさ」
「わ、びっくりした。何」
炒める音でギギが隣に来たのに気付かなかった。いつもわたしが料理している間はテレビを見ているはずなのに。ちらりとテレビを見ると、電源が消されていた。夕方の情報番組がお気に召さなかったのだろうか。
「今日あのあとシャチに会ったか?」
「シャチに?ううん」
「そうか」
「シャチがどうかしたの?」
「いや、別に」
ギギはそんなことよりと、鍋の中を見る。シャチよりカレーらしい。まあシャチは食えないからな。いろんな意味で。
「肉なに?」
「鳥」
「チキンカレーか」
「そう。星一もギギも鳥の方が好きでしょ」
ちなみにわたしは豚肉の方が好きだ。でも別にギギが来るから鶏肉にしたわけじゃない。たまたま安かったのだ。
「俺は一華の作るものならなんでも食べるぜ」
「調子いい」
芝居じみた言い方をするギギに苦笑いを向ける。まあこのギギの言い分は間違ってはいない。ずっと昔から一緒にいるが、ギギがこの家で食事を残しているのを見たことがない。それはわたしが作ったものだけじゃなくて、星一が作ったものもあるが。
「ところで、今日の数学どこまで行った?」
「練習問題の答えは見せないよ」
「ちっ」
「あっ舌打ちのギギだ」
「通り名みてえに言うんじゃねえ」
そんなくだらないやりとりをしながら、わたしとギギは二人で星一の帰りを待った。
六時前、扉の鍵が開く音がした。星一がリビングに顔を出す。
「ただいま」
「おかえり、星一」
「星坊、おかえり」
星一がギギを見て少し明るい表情になる。星一は常に無表情であると思われがちだが、よく見ると結構表情が変わる。ギギが星一を実の弟のように可愛がっているように、星一もギギのことを実の兄のように慕っている。
「ギギ兄、来てたんだ」
「邪魔してるぜ」
「邪魔の範囲は姉ちゃんだけに止めておいてね」
「ちょっと」
いつもの軽口をギギと星一がして、わたしがそれに突っ込む。それはもはや様式美のようであったが、それをわたしたちは飽きることなく続けてる。
「うそ、ギギ兄は邪魔になんかならないよ」
「そりゃ何より」
「星一、もうご飯できてるから手洗ってきて」
「うん」
星一は小走りで洗面所に駆けていく。その後ろ姿を見送り、わたしとギギは晩御飯の最終準備を始めた。
「では、手を合わせてください」
わたしの音頭に合わせて、ギギと星一が両手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
これは曾良家伝統の食前の挨拶である。
「…それで?星一。今朝の話だけど」
食事を始めてすぐ。わたしは耐え切れずに自分から星一に尋ねた。
「え?あっ」
星一は何かを思い出したように声を挙げ、ギギをちらりと見た。
「俺は一華からちょっと聞いたぜ。星が落ちてくるって?」
ギギの言葉に星一はうんと頷く。
「その、星が落ちてくるってなに?隕石?」
さらに尋ねると、星一は視線を空にうろつかせた。何かを悩むように。
「それが、よくわからないんだ。星が落ちてくるとして教えてくれないから」
なんということだろう。そもそもの星の声の言い方が曖昧であれば、それ以上わかることはない。
「じゃあ、時間と場所は?それもわかんないの?」
「いや、それはわかってる」
星一は頷く。
「今週末の土曜日の夜だね」
「もうすぐそこじゃないの!」
わたしは思わずカレースプーンを置いて頭を抱えた。ギギはカレーを口に運びながら、星一に尋ねる。
「ちなみに、それって危ないことなのか?」
「ううん、それは大丈夫だと思うよ」
「そ、そう」
まあそれならひとつ安心だ。星一は落ち着いた様子で淡々と口を開く。
「ただ、見届けてほしいんだって」
「見届ける?」
わたしは首を傾げた。
「そう」
星一はこくりと頷く。星の声がそう言ったのならば。
「…それなら、そうするしかないか」
わたしがそう言うと、星一は嬉しそうに僅かに微笑む。
「うん」
「それで、場所は?」
「美鳥山が一番適してるかな」
美鳥山とは、この美鳥市の中心にある城山のことだ。山頂には美鳥山城といういろいろと歴史ある城が建っており、有名な観光地となっている。我が高校の登山部がたまに夜間登山なんかもしているので、夜に行くことは珍しくもない。
「そう、わかった。覚悟を決めて行かなきゃね」
わたしは重々しく頷き、再びカレースプーンを手に取る。あまり時間がない。できる準備はできる時間にしておかなければ。
「そうだね」
「ああ」
星一とギギもそう言って頷いた。その後カレーを口に運びながら来週の土曜日どうするか話していると、星一が思い出したようにこう言った。
「そういえば使いたいものがあるんだけど、シャチ先輩に言ったら貸してくれないかな」
「え?」
わたしは思わず眉間に皺を寄せた。ギギも同じような顔をしている。わたしたちはシャチを警戒しているが、当の星一は特にそんなことはないのが困った話なのである。例の隕石騒動でシャチは星一に興味を持ったが、星一も天体オタクのシャチにかなり懐いてしまったのだ。シャチが自分の能力について興味を持っていることも察しがついていないわけではないだろうが、星一はわたしたちよりかなりシャチへの警戒心はない。
「聞くだけ聞いてみてくれない?姉ちゃん、ギギ兄」
そう言って小首を傾げた星一を見て、わたしとギギは顔を見合わせる。一瞬で、お互いの思考を読み取り、同時に頷いた。
「わかった」
「任せろ」
シャチと関わるのはなるべく避けたいが、星一のお願いならば聞かないわけにはいかないのだ。
翌日。日中にシャチを捕まえられなかったわたしとギギは、放課後にシャチの所属する天体観測部の部室である地理資料室へと向かっていた。カロンにもついてきてほしいと頼んだが、部活があるからと断られた。そして実に愉快そうに、後で話しを聞かせてねと言ってきた。幼馴染だが薄情である。
「…」
「…」
わたしとギギの足取りは重く、お互いの間に沈黙が漂う。地理資料室が近付くにつれて重くなる気分に耐え切れず、わたしはギギに尋ねる。
「…どうやって切り出す?」
「なるべく星坊のことは話に出したくねえな」
「…わかる」
いい切り出し方が思いつかないまま、わたしたちは地理資料室へと到着した。そっと扉に耳を近付けると、中から話し声が聞こえる。天体観測部は活動中のようだ。
「い、行くよ」
「ああ」
横引きのドアを軽くノックして、わたしはそっと扉を開けた。
「し、失礼します…」
「はい」
地理資料室の中には、二人しか生徒はいなかった。しかもシャチがいない。
「あれ?うちの部の子じゃないね。何か用かな」
穏やかにわたしたちにそう尋ねてきたのは、確か二年の男の先輩だ。見かけたことがある。シャチがいないのは、嬉しいやら困ったやら。入って何も言わないのはおかしいので、わたしは先輩におずおずと尋ねる。
「あの、太田くんいますか?」
「佐知か、佐知はいまうちの部員と出ているんだ」
「そうですか…」
わたしはギギと顔を見合わせる。どうしようか。するとわたしたちの雰囲気を察してか、先輩が声をかけてきた。
「見たところ佐知の追っかけじゃないみたいだね。僕で良ければ用件を聞こうか?僕は二年の牛飼。これでも天体観測部の副部長だ」
大体の部活動は三年生は秋に引退して、その後は二年生が部長をすることになっている。牛飼先輩もそれだろう。というか、シャチの追っかけなんてものがこの高校に存在することに内心驚く。
「一年の曾良です。帰宅部です」
「同じく一年の松野です。帰宅部です」
牛飼先輩に習って、一応自己紹介をしておく。すると、もうひとりの天体観測部の人もこちらを向いて頭を下げた。眼鏡をかけて、髪をふたつに結った女子生徒だ。
「一年の日野です」
「どうも」
お互い軽く頭をさげて、わたしは牛飼先輩におずおずと申し出る。
「あの、天体望遠鏡を太田くんに借りたいと思いまして…」
星一が言った使いたいものとは、天体望遠鏡のことだ。以前の隕石騒動の時、シャチに私物の天体望遠鏡を天体観測部に持ち込んでいると聞いていたので、それを借りてきてこられないかと星一はわたしたちに言ったのだ。先輩は瞬きをして首を傾げた。
「へえ、何かに使うの?」
星一の話をどう伝えようかと一瞬わたしが躊躇して口ごもると、ギギがきっぱりと答えた。
「星を見ます」
「あは、そりゃそうだ」
牛飼先輩は朗らかに笑った。
「天体観測部として使う予定はしばらくないから部活としてはいいけど、あれは佐知の私物だからね。佐知に承諾を貰わないと貸し出すわけにはいかないな」
「やっぱりそうですよね…」
がくりと肩を落としたわたしたちを見て、牛飼先輩はまあまあとわたしたちに座るように促す。
「佐知たちが帰ってくるのそんな遅くならないはずだから、そこに座って待ってなよ」
「あ、ありがとうございます」
そうするしか選択肢がないので、わたしとギギは大人しく壁際に置いてある椅子に座った。
「ところで二人とも帰宅部って言ってたけど、天体観測に興味あるならうちの部に入らない?」
牛飼先輩が顔を明るくしてそう言ったが、わたしたちはきっぱりと首を横に振った。
「いや」
「それはちょっと」
「あれ」
牛飼先輩はわたしたちの返事を聞いて肩を落としたが、気を取り直すようにまた話始める。
「二人とも一年ってことだけど、日野さんとは別クラス?」
「そうですね」
すると、本に目を落としていた日野さんが顔をあげた。
「私はお二人のこと知っていますよ。太田くんが話しているのを聞いたことがあります」
シャチは一体わたしたちの何を話すというのだ。牛飼先輩は日野さんの話を聞いて興味深そうに頷いた。
「へえ。佐知とは仲がいいんだ?」
「いえ」
「そうではないです」
「あれ」
牛飼先輩はわたしたちの返事を聞いて首を傾げた。そんな会話をしていると、ふと廊下の方が騒がしくなった。何かと思っていると、勢いよく資料室の扉が開いて、女子生徒が入ってきた。
「ただいま!ってあら?」
なぜか紙を腕いっぱいに抱えた女子生徒は室内を見渡して、首を傾げた。
「どなた?」
「おかえり部長。彼らはお客さんだよ」
「え?私に?」
牛飼先輩に部長と呼ばれた女子生徒は、首を傾げた。するとその背後から、シャチが顔を出した。
「白鳥部長、走らないでくださいって…あれ?」
シャチはわたしとギギを見て、一瞬不思議そうな顔をしたと思ったらニヤリと笑った。わたしは思わず苦い顔をする。
「違うよ、部長。彼らは佐知のお客さんだ」
牛飼先輩がそう言うと、シャチが意気揚々とわたしに近付いてくる。
「やあやあ曾良さんじゃないか!どうしたんだい?」
「あーっと…」
なんとなくすっとシャチから目を反らすと、わたしとシャチの間にギギが割り込む。
「おい、俺もいるぞ。シャチ」
「シャチって呼ばないでくれるかな」
ギギとシャチが静かににらみ合う。どうしようと思ったら、先ほど部長と呼ばれていた先輩がこちらを見ていた。
「ど、どうも」
「佐知の友だち?」
「いえ違います。一年の曾良です。えっと、天体望遠鏡を借りたくてここに来てて…」
「へえそうなの!私は二年の白鳥。天体観測部の部長よ」
「どうも」
「天体望遠鏡?」
わたしと白鳥先輩の会話を聞いたシャチが、ギギから視線を反らして首を傾げた。
「君たちが何に使うのさ」
「星を見るんだよ」
「君には聞いてない」
ギギとシャチがまた言い合いを始める前に、わたしは小さく息をついて正直に言う。
「星一が借りたいんだって」
「星一くんが?」
星一の名前を聞いて、シャチの顔色が変わる。
「へえ、天体観測でもするの?」
「…まあそういうこと」
わたしは頷く。シャチは少し考えて、白鳥先輩に尋ねた。
「部長、天体望遠鏡使う予定ってしばらくないですよね?」
「そうね、無かったと思うわ」
白鳥先輩は頷きながら、牛飼先輩の近くの椅子に座る。
「貸してあげていいんじゃない?佐知が良ければ」
白鳥先輩は軽やかに笑ってそう言う。わたしは白鳥先輩からシャチに視線を寄越す。するとシャチはその可愛らしい顔で満面の笑みを作った。
「いいよ」
しかしシャチのその笑顔は可愛いだけでは終わらせられないことを、わたしたちは知っている。
「僕をその使う場に同席させてくれるならね」
隣のギギがため息をついた。だから嫌だったんだとその息が訴えている。しかし、あくまで天体望遠鏡はシャチの私物であり、安いものではないのでシャチの言い分は理解はできる。
「…日程は追って伝える」
わたしが渋々そう言うと、シャチは楽しそうに頷いた。
「わかった、待ってるね」
「じゃあこれで話は終わりだな、行くぞ。一華」
「あ、うん」
さっさとこの場を離れたいのだろう、ギギが早口でそう言ってわたしの手を取る。
「あっ!待ってあなたたち!」
白鳥先輩の声に振り向くと、先ほど大量に抱えていた紙を渡された。
「あげるわ。たくさん刷りすぎちゃったの」
「あ、ありがとうございます」
その紙に目を落とすと、”12月の星空”という文字が目に入る。
「これからの時期に見える星とその逸話を集めた資料よ!」
「へえ」
「それに興味を持ってくれたならまたおいで」
資料は面白そうだが、牛飼先輩の引きの強さがやや怖いところだ。
「ありがとうございます。頂きます」
「行くぞ、一華」
「うん」
「またね~」
にこやかに手を振る白鳥先輩と牛飼先輩に軽く一礼をして、わたしたちは地理資料室を出た。
「それなんだ?」
ひょいとギギがわたしの手元の紙を取る。
「へえ、星一にあげたら喜ぶんじゃないか?」
「そうだね」
「なあ、俺ちょっとこれ借りてていい?」
「別にいいけど…」
ギギがそういった資料に興味あるとは意外だ。
「まあ何はともあれ良かったな」
「うん」
準備はできた。後は、当日を待つだけである。
そして今週末の土曜、集合時間は深夜二時。
「姉ちゃん、準備出来た?」
シャチには集合時間は夜三時だと告げている。騙すのは少々心が痛むが、星一の能力を隠すためだ。仕方がない。
「出来たよ」
「じゃあ行こう」
わたしと星一は寒くないようにしっかり着こんで、家を出た。物音ひとつしない深夜の住宅街は少し不気味だ。
「ふわ」
欠伸をすると、星一とギギがわたしの顔を覗き込んできた。
「姉ちゃん大丈夫?」
「まさかと思うが仮眠してないのか?」
「こんな状況で呑気に寝れる方がおかしくない?」
家に帰ってから今日の夜のことが気になって気になって仮眠なんかできなかったのだ。
「天体観測中に倒れるなよ」
「大丈夫大丈夫」
わたしたちは住宅街を通り抜けて美鳥山を目指した。
美鳥山の登山口は、街灯に照らされてほのかに明るい。わたしは星一とギギが先導する後をついていく。
「ふぅ」
吐く息は白い。懐中電灯で足元を照らしながら、一歩一歩階段を登る。
そして登りながら考える。シャチが来るまではあと一時間あるが、その間に”見届ける”ことはできるのだろうかと。星一は大丈夫だと言っていたが、弟は基本的に楽観的だ。
でももし星一が星と話しているときにシャチが現れてしまったら。
もちろん星一の力を知って、それをシャチが悪用すると決まっているわけではない。シャチはしつこい男だが、悪いやつではないのは知っている。
でも、それでも。
きっと慎重すぎるくらいで丁度いい。だって星の声は特別なのだ。心の底から信頼できて、それを絶対に大事にしてくれるだろう人にしか教えたくない。だって万が一また間違いが起きてしまったら取り返しがつかない。
もう二度と、失ってはいけない。
「姉ちゃん」
声をかけられて自分が物思いにふけっていたことに気付いた。顔を上げて、わたしは気付く。いつの間にか美鳥山の中腹の広場に着いていた。
「ここでいいんじゃないか?」
「うん。いいかも」
星一とギギが空を見上げてそう言った。
「そう」
わたしも空を見上げる。真っ黒な夜空に、散らばる星たち。
綺麗だね。
わたしは声には出さずに、空に向けて呟いた。
それからわたしたちは広場の一角に荷物を置き、天体望遠鏡を設置した。夜はただ静かで、何も起きる気配はない。
「星一、まだなの?」
「もうちょっと」
レジャーシートに腰を下ろしていたわたしは、いつの間にかあまりの静けさと眠気でいつの間にかうとうとしていたようだった。
そっと肩を叩かれて、目を開ける。
「姉ちゃん、来るよ」
「え…」
星一が空を見上げる。わたしもそれにつられて、顔をあげた。
「あ」
きらりとした光の線が、夜空に走った。
流れ星だ。
「あ?」
それはひとつじゃなかった。次から次へと光の線が夜空を彩っていく。
「流星群か…!」
目の前には、まさしく星が落ちていく光景が広がっていた。しかし流星群なら流星群だと言ってくれればいいじゃないかと言おうとして星一の方を向くと、星一とギギが何故か笑みを浮かべながらわたしを見ていた。
「え?」
「一華姉ちゃん」
星一が、何かをわたしに差し出した。リボンがついた包み紙だ。
「え?」
「誕生日おめでとう、一華姉ちゃん」
「誕生日おめでとう、一華」
「ん?」
わたしは包み紙を受け取って星一とギギを交互に見てから、今日は何日だったかと頭を働かせる。
「……あぁ!」
わたしはようやく合点がいって声をあげる。そうかすっかり忘れていた。今日は、12月23日。わたし、曾良一華が産まれた日だ。星一の言葉に夢中ですっかり忘れていた。
「ちょうど姉ちゃんの誕生日に流星群が見えるって聞いたんだ。ギギ兄に話して、せっかくだしサプライズにしようってなって」
「一華っていつも自分の誕生日のこと忘れてるから大丈夫だと思ったんだが、結構ひやひやしたんだぜ」
星一とギギいわく、今日この時までにわたしが自分の誕生日のことや流星群のことを知らないように密かに頑張っていたという。
「どう?サプライズは」
ギギが笑みを浮かべて尋ねてくる。その間にも、夜空は流星群で光に溢れている。まるでわたしの誕生日を祝福するように。
「…大成功なんじゃない?」
わたしは呆れ顔でそう言ったが、二人の気持ちは素直に嬉しかった。
しばらく流星群を眺めていると、遠くから声がした。
「ちょっと!僕に嘘の時間教えたでしょ!」
シャチだった。ギギが時計を見て首を傾げる。
「え?約束の時間より早くね?」
「僕を侮ってもらっちゃ困るね!君たちの嘘を見越して念のため早く来たんだよ!」
「そりゃ悪かった」
「謝るならこっち見ろ!」
ギギとシャチの口論が始まったのをわたしは遠目に眺めた。
「ねぇ姉ちゃん」
「ん?何、星一」
星一は空を見上げていた視線を、わたしに向けた。
「星の声もおめでとうって言ってるよ」
わたしは言葉を一瞬失う。
「……そう」
わたしは星が降る空を仰ぐ。そして空に、星に向かって呟いた。
「ありがとう」
わたしの声に返すものはなにも聞こえない。でもきっとこの声も聞こえているのだと思う。それでいいのだ。例えわたしに聞こえなくても、誰かが、星一がその声を届けてくれるなら。
星たちはキラキラと瞬いて、空に尾を残して落ちていく。楽しそうな星の笑い声が聞こえてきそうな気がして、わたしは耳を澄ませながら星空を眺めた。
「あっ!星一くん、こんばんは」
「シャチ先輩こんばんは」
「ちょっとシャチ!星一に近付かないで!」
静かな夜空にわたしたちの声はしばらく響いていた。
そして月曜日。
「姉ちゃん、一華姉ちゃん起きてる?」
弟の声に部屋を出ると、星一が目を丸くしてわたしを見た。
「起きてたの」
「おはよう、星一」
「おはよう…」
星一が困惑したように今日雨降る?と廊下の窓の外を見て尋ねた。
「…今日は晴れだって」
星の声に天気予報を聞いたようだ。
「失礼ね。たまには早く起きてもいいじゃない」
わたしはギギと星一からもらった朱色のマフラーを手にリビングへ向かう。早くこれを巻いて登校したくて早く目が覚めてしまったことは弟には言わない。
「今日シャチ先輩に天体望遠鏡返しに行くんだよね?お礼言っといてね」
「あー…ギギから言わせておく」
「そんなに邪険にしなくても…シャチ先輩はそんなに悪い人じゃないと思うけどなぁ」
困ったことに星一はシャチのことをあまり警戒していない。
「まぁお礼はするよ。天体観測楽しかったし」
「シャチ先輩の天体観測部って何してるのかな」
「…軽く聞いておく」
そう言うと星一はにこりと笑った。
「ありがとう、姉ちゃん」
星一の頼みは断れない。だってわたしは星一に返しても返しきれない恩がある。
「じゃあ僕先行くね」
「いってらってしゃい」
わたしは星一を見送って、自分も準備をする。もらったマフラーを巻いて、外に出た。
空は青く、高く澄みわたっている。その先にある星の声はわたしには聞こえない。しかしそれは悲しいことではないのだ。だってサプライズは嬉しかったし、もらったマフラーは暖かい。
「いってきます」
わたしは誰にともなくそう呟いて、一歩を踏み出した。
不思議な力を持つ弟を持つと、姉は苦労する。しかし時々、そのおかげでいい思いだってするのだ。
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