第七話 一週間後
翌日。
何とか山場を超えた、とアリナ=カーベッタは安堵の息を吐く。
やり過ぎだ。
ミーシェが人間とは思えないほど頑丈だったから死なずに済んだが、こんなの普通の人間だったらいくらアリナがこうして一晩中治癒魔法をかけても回復しきれずに死んでいた。
水の精霊ウンディーネ。
愛くるしいようでいて残虐。人の理が一切通じない怪物とやり合うのを許せばこうなるのは予想できただろうに。
というか四つの国家共通の最高機密をあんな簡単に開示した理由は? 活動範囲や召喚時間に限りがある秘奥。口封じのためなら殺しも厭わない事実をあんなに容易く開示するほどルドガーも考えなしではないはずだが。
とはいえ、だ。
ルドガーの真意はどうであれ、こうして傷だらけの少女が目の前にいる事実のほうが大事だ。
「何がミーシェちゃんをそうも駆り立てているんですか?」
まだ十代前半の少女なのだ。
水の精霊ウンディーネとやり合って生きて帰れるほどの力を得るためにこれまで同じような無茶をしてきたのか。
そしてこれから先も『こんな』になることも厭わず突き進むつもりなのか。
「こんなに心配かけて……目が覚めたら罰としてしこたま可愛がってあげますからねっ!!」
……もしもミーシェが目を覚ましていれば罰とかそんな建前で欲望が隠せていないと慄いていたことだろう。
ーーー☆ーーー
『ルドガーの若造も物好きだよねえ。わっちという最高機密を利用してでもあのマーブルちゃんを成長させたかったのかにゃー?』
『本当はウンディーネ様と戦闘することなく無謀な挑戦を諦めてもらうつもりだったのですが』
『にゃっはっはあ! それは無理だってえ。あの類の生物は死んでも自分を曲げない。そんな顔して頭でっかちな若造には理解に苦しむかもだけどお』
ミーシェ=フェイと水の精霊ウンディーネの『遊び』が終わってすぐの会話であった。
『ねえ。情報漏洩のリスクと引き換えにあのマーブルちゃんを真っ当に育てようとしているのは「戦争」に備えてかにゃ?』
『戦力は多ければ多いほうがいいので』
『勤勉なのは結構だけど、あんまり頑張りすぎないようにねえ。人間はひ弱なんだしい、歳なんだしい、無茶して疲労で倒れるとかなしだからねえ』
『……、ウンディーネ様』
『耳が痛いからって話題を変えるつもりかにゃ?』
『気になっていたのですが、なぜ嬢ちゃんをマーブルと呼ぶので?』
ウンディーネは最初からミーシェのことを『マーブル』と呼んでいた。それが当然のように。
『? だって混ざりまくっているしい』
『何が?』
『何がって……あー、にゃっふっふう。内緒でえ☆ わっちをぞんざいに扱った罰だにゃー!! 悶々として過ごすことねえっ!!』
それじゃあ、またねえ、と手を振り、そしてウンディーネの全身が弾けて消えた。
顕現における制限時間を使い切った。
最期の最後に嫌がらせを残して。
『クソガキが』
どれだけ長生きでもウンディーネの本質はその一言に集約されている。
ーーー☆ーーー
ミーシェの治療が終わったとアリナから報告を受けてからさらに六日。つまり一週間もミーシェは眠り続けていることになる。
傷自体は治せても治癒魔法で無理に治した負荷は痛みや疲労感として確かに残るし、体力も大きく消耗している。なのですぐに目覚めるということはないが、それにしても長いと言わざるをえなかった。
もっと早く止めるべきだったかとルドガーが後悔しはじめてきた、そんなある日。
ドッバァン!! と仮にも大将であるルドガーの自室の扉を蹴り破って飛び込む影が一つ。というか副官でありながら『個人的嗜好ですので!』と胸を張ってメイドもやっているアリナだった。
「ルドガー様、大変ですっ!」
「何だ、ついに聖女気取りの悪女が痺れを切らして攻め込んできたか?」
「これっ、こんなの残して、ああもうあのおばかちゃんっ!!」
ぐいぐいと、何かを顔に押しつけてくるアリナ。これが公的な場であれば普通に処罰モノである。
「やめ、なんだ、これは?」
「ミーシェちゃんの置き手紙ですよお!!」
「なんだって?」
どうにかアリナから手紙とやらを受け取り、目を通す。
『お世話になりました』、という一文。
そして端のほうにミーシェ=フェイと書かれていた。
「……置き手紙だと言ったな? 嬢ちゃんは今どこに?」
「いなくなったからこんなに慌てているんですよ、馬鹿ですか!?」
もう色々と不敬とか通り越しているのは置いておくとして。
(ひとまずお世話になったという認識はあるなら、必要になったら今回のアレソレを引き出して味方に引き入れることはできるかもしれない。ウンディーネ様を連れ出したことに見合ったリターンは得られた……かどうかはあんな無謀な真似を続けていくだろう嬢ちゃんが『戦争』まで生きているかどうかで決まる。が、まあ、多少強引でも今からなら連れ戻して手元に置いておくことでそこらで野垂れ死ぬことは阻止できる、か)
…………。
…………。
…………。
「こうなったら王国軍総出で──」
「好きにさせておけ」
「はい? 自分から進んであんなにボロボロになっていたんですよ!? 放っておいたらどこかの誰かに殺されちゃうかもしれないって少し考えたらわかるでしょうが、ばかばかっ!!」
「それでも、だ」
力づくで手元に置こうとしても反発してくるのは目に見えている。それこそ殺されようとも逃げ出してやる、くらいはやってきそうだ。
ミーシェ=フェイ。
本気になった彼女が暴れ回ったらどれほどの被害が出るかわかったものではない。
「なあ、一ついいか?」
「何ですか人でなし!!」
「それ、なんだ?」
もう副官としてもメイドとしてもダメダメな彼女は置き手紙の他にも手に持っていた。
ゆるふわゴスロリ衣装とかバニーガールとかまあそんな感じのを。
「もちろんあの子をかわいく着飾ってあげようと用意していたのですけど、それが何か!?」
なぜそうも堂々とできるのか理解できないのは年が離れて感性がズレているせいではないと信じたかった。
今時の若者のスタンダードが『こう』なのは流石にあんまりだ。
……アリナ以外のメイドもミニスカメイド服のミーシェを前にしてお祭り状態だった、というのが耳に入っているので、少なくとも屋敷内のメイドは『こう』なのが頭痛の種ではあるが。
ーーー☆ーーー
もうちょっとちゃんとした手紙を残しておくべきだったかと不安になりながらもミーシェは魔剣を片手に屋敷を出ていた。
本当ならちゃんと挨拶して出ていきたかったが、ちょっと寝過ぎた。ルドガーたちを巻き込んだら問題が大きくなる可能性もあるので多少は無茶してでも出ていく必要があった。
(……最強になるためには妥協はできない。だったらちょっとは無理してでも頑張らないと)
屋敷の外。
『FBF』においてルドガーの屋敷があったのはウンディーネ王国の王都アクアエリアだったと『知識』にある。前世の記憶とこの世界との乖離はまだそこまで大きくないのか、街並みもゲーム内の王都そのものだった。
治癒魔法で傷は癒えても無理に治した分だけ反動が蓄積している。積み重なった疲労が足を重くしているが、何とか王都の外に出る。
そこでようやく治療しやすいよう着替えさせられていたのか白のネグリジェという格好に気づくくらいには余裕がなかった。
……そんな有様でも朱色の魔剣だけはきちんと持ち出しているところに強くなることへの執念が見え隠れしている。
「痛っつ……序盤で裏ボスに喧嘩を売れたのは予想外の僥倖だった。これで消耗さえ度外視すれば格上にも勝てるようになったし。とはいってもすっごく疲れちゃったから、これが今後に響かないといいけど」
全身を引き裂くような痛みに顔を顰める。
身体の芯がグラグラと揺れるような感覚がしていた。
王都近くに広がっている山岳地帯付近、岩肌が目立つところまで来るのが限界だった。
意識が途切れる。
電源を切るように彼女の意識は途絶した。