第五話 魔刃鞘収
ストーリーの序盤の時間軸、こんなに早い段階でラスボスのその先、裏ボスの一角に挑めば得られる経験値も大きいはずだ。
この世界がどこまでゲームと一緒なのかはわからないが、一度に多くの経験値を得て強くなる方法は自分よりも強い敵に挑むことなのは実感している。
死のリスクさえ呑み込めば、これが最強に至る最短のルートである。
「嬢ちゃ──ッ!!」
「ふうむ」
ルドガーの声が途切れる、消える。
手を横に一閃。
それだけでミーシェとウンディーネを取り囲むように、そしてルドガーを弾く形で外に追いやる。
ルドガーの隠蔽魔法の内側にさらに半透明の淡く青に光る結界が顕現したのだ。
まさしく『FBF』におけるvsウンディーネ戦のステージに似通っていた。
肉体を構築する全てが水であるはずなのに地面を濡らすことなく歩を進める水の精霊ウンディーネは興味深そうにミーシェを眺める。
「確かにマーブルなだけあって若造が気に入るくらいには将来有望そうだねえ。で? なになに? さっき何か言っていたような気がするんだけど」
「私は貴女に挑戦します」
右手で魔剣の柄を握り、躊躇なく抜き放ったミーシェは切っ先をウンディーネに向けながら先の言葉を繰り返す。
明確な敵対行為。
その意味するところを理解しながら、だ。
パチクリと目を瞬くウンディーネ。やがてくつくつとその肩が揺れる。
「ふ、くふふっ。まさかこのわっちに喧嘩を売るような輩が人間の中に残っていたなんてねえ。わっちの力が見抜けないほど間抜けってわけでもないっぽいけど。それでも無謀な挑戦しちゃうんだ? 普通に死ぬのに?」
「どうせ何もしなければ死ぬのは確実だから。それならどれだけ無謀でも足掻いてやる」
それに、と。
ミーシェは言い放つ。
「私のほうが弱いからって負けてやる理由にはならない!!」
「にゃーる」
「無理矢理にでも勝負してもらう!!」
「べっつにそれはいいけどさあー」
言下に水の精霊の背中が爆発した。
そう錯覚するほどの『射出』だった。
走り出そうとしたミーシェの出鼻が挫かれる。
敵が準備を終えて全力を出せるようになる前に仕掛けたほうがいいとはわかっていても、本能が気圧されてしまった。
水の鞭。
いいや触手と言うべきか。
数十メートルの水の塊。それが十以上。明らかに女の子の体躯を構築していた水では足りないのに、長く太い水の触手は構わず伸びていく。
物理的に可能とかそんな次元じゃなかった。
それでも現実としてこうしてできている以上、現実の脅威として相対しなければならない。
「普通に死ぬって言ったけど、いいの?」
ゾァッ!! と。
触手の一つが槍のようにミーシェへと迫る。
スケールが違った。
人の闘争など小さすぎると言わんばかりの猛攻だった。
一本でもミーシェを簡単に押し潰せるだけの大質量が銃弾よりも高速で襲いかかる。
斜め上からの刺突、その極限。
ドッガァッッッ!!!! と轟音がどこまでも炸裂する。高く高く土煙が舞う。猛烈な衝撃波を中庭を覆う半透明の結界がビリジリと震えながらも受け止めていた。
結界がなければ今頃近くの屋敷の壁は剥ぎ取るように吹き飛ばされていたのではないか。そう考えてしまうほどの威力だった。
あくまで衝撃波、余波だけでだ。
当然ながら直撃した時の威力はそれ以上となる。
「ふっふうー☆」
水の精霊ウンディーネは笑う。死んだならそれまで。暇潰しにもならなかったと切り捨てる程度。
愛くるしい女の子という外見に惑わされてはいけない。
ルドガー=ザーバットという王国の軍部における最強が霞むほどの力の持ち主。
そして何より精霊という人の理の外に位置する存在なのだ。
人間の命は大事だとかそんなルールは通用しない。だって向こうから挑んできたから相手してやった、その結果として死んでしまったならば弱い奴が悪い。そう何の悪気もなく考えられるのは人間であれば異常でも精霊の常識においては普通であれば人間の価値観に寄せることはない。
そういう風に生きてきた絶対強者が弱者と目線を合わせる理由はどこにもない。
だから。
しかし。
水の触手は僅かに逸れて地面に着弾していた。
朱色。つまりは魔力の刃。
それも十や二十では足りないほどの斬撃の嵐が攻撃範囲内に乱舞、凝縮され、あたかも朱色の盾のように触手による刺突を横に受け流したのだ。
『FBF』における剣技サウザンドスラッシュ。
ゲーム内では全方位に斬撃を満たす『だけ』だった。ゲームなのでどうしても特定の動作しかできなかったが、ここは現実だ。
『気』による身体強化によって攻撃範囲内、それも全方位を斬撃で満たせるほどに剣速を加速できるのだ。
それを全方位に放つしかしてはいけないという縛りはない。盾のように一箇所に集めれば斬撃の密度は跳ね上がる。数十メートルもの水の触手、その刺突さえも受け流せるほどに。
逆に言えばそこまでしても完全に受け止めることはできなかったのだが。
しかも。
「かっ、は……ッ!!」
危うく魔剣を落とすところだった。
柄を握る両手が頼りなく震える。たった一発受けただけで全身の体力を根こそぎ抉られたようだった。
力が入らない。
視界が点滅する。
生き残ることはできたが、そう何度も凌げるとは思えなかった。
受け身では削り潰される。
勝つには無謀でも何でも攻めるしかない。
「ふッ!!」
斬撃、その凝縮。
ただし今度は盾としてではない。
射出。
魔力の刃を魔剣の軌跡に乗せて放ったのだ。
「ちょっとー! そんなのアリー!?」
まさしく朱色の津波であった。
その全てが斬撃。威力は王国軍部でも最強たるルドガー=ザーバットの結界魔法を破って勝利した事実が裏付けている。
仰け反る水の精霊ウンディーネへと朱色の津波がまともに直撃した。
(よしっ)
これで勝てたとは決して自惚れないが、ダメージは与えられたはず。ウンディーネが完全に油断していたのでうまくハマったが、もちろん同じことをしても避けられるなりするはずだ。
決して楽な道のりではないが、とりあえずの第一歩。ダメージを蓄積していけばいかに裏ボスでも──
「びっくりしたあー」
声があった。
目の前、至近。
あまりにも近すぎて逆に全体像がボヤけてしまうほど近くから、だ。
「な」
一言、いいや一音すら悠長だった。
トン、と女の子の小さな掌がミーシェの胸へ押し付けられ、
爆発した。
そうとしか思えなかった。
実際には力を込めて『押した』だけかもしれないが、込められた力が段違いだったのだ。
ミーシェの華奢な身体が木っ端のように吹き飛ばされた。
「ば、ぼばっ!?」
肋骨が軋む。喉奥より血の塊がせり上がる。赤い雫を撒き散らし、宙で何度も回転しながら、それでも結界にぶつかる前に反射的に体勢を整える。
ドン!! と結界の端に両足をぶつけ、そこを足場に跳躍する。
結界の端まで飛ばされたのだと、そんなことは考えてすらいなかった。
とにかく反射的に身体を動かす。
思考する時間すら致命的な隙になる。
同じ場所に不敵な笑みを浮かべて突っ立っている女の子へ飛ぶように肉薄する。
「はっ!!」
『気』を高ぶらせて、魔力を刃に乗せて、斬撃の威力を上昇させる。
交差。
一閃。
ザンッ!! とウンディーネの首が飛ぶ。軽々と斬り飛ばされる。
「うえっ」
ドンダン!! と勢いが殺しきれず足をもつれさせて地面を転がり跳ねるミーシェは慌てて背後を確認する。
丁度ゴロンとウンディーネの顔が地面に落ちるところだった。
違う。
そんなつもりじゃなかった。
「や、えっ!? 違っ、殺すつもりは全然なくて……うわー! 殺しちゃったーっ!?」
「そりゃーちっとばっか自己評価高すぎでしょ」
ズルズルと水の頭が足のほうへ移動し、そのまま吸収された。
かと思ったら、ボコンと切り口から頭が生えてきた。
「は、生えたー!?」
「ふっふっふうー。凄いでしょ?」
「気持ち悪っ」
「気持ち悪くない! 超絶美精霊ウンディーネちゃんの華麗なる魔法だよう!!」
『知識』の中には確かにウンディーネには一定以下の攻撃は無効化されるという情報があったが、斬っても再生する類の力だったのか。
数を重視して放った魔力の刃をあれだけぶつけてもびくともせず、首を斬っても再生する。
不死の魔法。
少なくとも現時点での力関係ではそうとしか呼べない絶対の壁。
一定以下の攻撃は無効化されるにしても、今のミーシェなら少しくらいダメージを与えられるはず。そんな考えは甘すぎた。
ウンディーネとやり合うには単純にレベルが足りない。
「まあ死んでなかったのはよかったけど」
「……さっき殺されかけておいて敵の心配かあ。兵士には向かないねえ。そんなんじゃ強くなれないぞ☆」
「そんなことないっ。私は最強になるんだから!」
「だったらまだやる?」
「もちろんっ!!」
元気良く答え、地面を蹴る。
不死身の精霊と魔剣を携えた少女が激突する。
水の精霊ウンディーネの攻撃方法は単純だった。背中から飛び出した水の触手を振り下ろし、突き、薙ぎ払う。
物理法則を無視した水の鞭打が多角的にミーシェを狙う。
対し、少女は『気』による強化を両足に集中する。
両足で速度を増加し、鞭の連撃を避けていく。不死性を実現する魔法の使い手に下手な攻撃は通用しない。
一撃。
全ての力を一撃に込めるしかない。
のだが、
(ぐ、ぅ……!!)
地面が抉れる。
衝撃波が炸裂する。
当たらずとも、紙一重で避けていようと。
余波は確実に少女を壊す。
全身を『気』で強化していなければ、当然ダメージも『気』が薄いところから深く通っていく。
だからといって無駄に『気』を散らすと攻撃を避けられなくなる。
掌で『押す』だけであれだったのだ。水の触手が直撃すればダメージは甚大だ。
思考時間がもったいない。
瞬きの間にも戦況は大きく動く。
下手をすれば今の攻防で死んでいたと思えるほどに。
(こいつに頼るのはシャクだけど、他に手はない、か)
一度大きく跳躍し、間合いを切る。八十メートル。これでも至近も至近。ウンディーネがちょっと動けば瞬時に詰められる程度の距離でしかないが、もしも向こうが仕掛けてきたとしても切り札を発動する猶予くらいはある。
そう、切り札。
対抗手段はあるにはあるが、発動するには『気』も魔力も使わずに集中する必要がある。つまり無防備。そこを狙われないためにも間合をあける必要があったのだ。
「おいおーい。逃げてばっかりじゃ勝てないよう?」
「分かってる。だから、これで決める」
「……ふうん」
今のミーシェがウンディーネに挑むにはレベルが足りないかもしれない。
だけどそれがどうした。
だからこそ乗り越えた時、今よりもっと強くなれると不敵に笑うのが正解だ!!
「我が魂を喰らいて糧とせよ」
強靭な爪を向けるように、鋭利な牙を剥くように、十以上の水の触手の切っ先がミーシェ=フェイを多方向から狙う。
「魔刃鞘収」
魔剣が纏っていた朱色の光が『消え』、そして同時に触手と少女が飛び出した。