第三話 アリナ=カーベッタ
目が覚めると、そこはふかふかなベッドの上だった。
ルドガーに半ば強引に馬に乗せられたまでは覚えているが、そこからの記憶が曖昧だ。
度重なる爆撃のダメージはミーシェが考えていたよりも深刻だったのか、気を失ったタイミングすら覚えていなかった。
ゆっくりと身体を起こす。
何やら豪華な部屋だった。
前世はもちろん今世もそんなにお金持ちというわけではないのでなんとなくでしかわからないが、そこらへんに飾ってある絵画とか天井のシャンデリアとか輝いているようにすら見える大理石っぽい(けど異世界なので多分似たような何か)テーブルやら椅子やら、そして単純に部屋が広くて、とにかく豪華だった。
おそらく見る人が見ればその価値も十全に理解できるのだろうが、前世も今世も高級品というものを見慣れていない彼女にはその辺の感性が乏しくてなんか凄いとしか言えなかった。
と、そこで部屋に入ってきた女性が一人。
メイド服姿の彼女は──
「アリナ=カーベッタっ」
「え?」
「あ、いやっ」
つい『記憶』にある女性を見て口が滑ってしまった。
前世の記憶。
『FBF』、その中のキャラクターの一人。
薄い青を基調としたメイド服、銀髪に赤目の彼女はアリナ=カーベッタである。
メイドでありながら二十五歳という異例の若さで大将たるルドガーの副官も勤めている彼女の得意技は治癒魔法。
治癒魔法の使い手としては最高峰とまで評されている。
ゲーム内ではルドガーとのペアで模擬戦としてやり合うイベントがあるのだが、回復量が多すぎてまずはアリナから倒さないとどれだけダメージを与えても意味がないほどであった。
それはそうと迂闊に名前を呼んでしまったせいて訝しんでいるアリナに何か言わなければとあわあわ両手をばたつかせるミーシェ。
「アリナさんは有名なので、はい」
「そうですか?」
「それはもう、はい!!」
「ふむ。いつのまにか私も有名人だったのですね」
うまい言い訳が思いつかず、適当なことを言ったのだが、納得してくれたようで胸を撫で下ろすミーシェ。
大将の副官ともなればそれなりに有名そうなので初対面でも名前を知られていることは多いのかもしれない。
「お怪我は大丈夫ですか? あのルドガー様とやり合ったとのことですが」
「しょーじきにゆっていい? めっちゃいたいっ!」
そうなのだ。
どこかではない、全身だ。意識すると止まらない。先ほどから我慢していたがもう無理だ。身を引き裂くような痛みにミーシェは涙目で叫んでいた。
爆撃で肉が抉れていた気がしないでもないが、よく見ると傷自体はほとんど治っていた。
いくら治癒魔法でも普通ならこんなに治りが早くなるわけがない。肉が抉れるともなれば何日もかけてようやく塞ぎはできても傷跡が残るくらいなのだが、すでに傷跡すらよく見えないほどだった。おそらく痛み自体は急速な治癒による反動のようなものであり、それもしばらくすればなくなるだろう。
これがアリナ=カーベッタ。
『FBF』でも屈指の治癒魔法の使い手である。
「はい、どうぞ」
と、そこで。
アリナがベッドにあがって正座してその足にミーシェの頭を乗せて撫でて……と現状に疑問を抱く頃には膝枕状態だった。
「なんです、これ?」
「よしよし」
「なんでいきなり甘やかされているの!?」
見た目は柔らかくて優しい感じだが、こう、全身が痛くて力が入らないのを抜きにしても頭を撫でるその手を跳ね除けようとしても全然動かなかった。
強制なでなでプレイとはこれいかに!?
「まったく、ルドガー様ったら。こんなにもかわいらしい女の子相手にやりすぎですよ」
アリナはため息をつき、額に手を当てる。
「いえ、私が本気できてって頼んだんですっ。そうじゃないと意味ないですからっ」
「ルドガー様から事の顛末は聞いていますが、最強を名乗るのは認めないでしたっけ? 若く綺麗だというのに、随分と物騒な道を選びましたね」
「……それでも私の意思で最強になると決めましたので」
それはそうと、だ。
先ほどから気になることがある。
ミーシェの格好。
着ているのは漆黒のマントやレザーアーマーにあらず。
では何かというと、ネグリジェだった。
真っ白でひらひらで煌びやかで、まあ、普通に色々と透けて見えそうになっていた。
こんな姿で何を言っても格好つかない!!
本当なんなのだ、これは!?
「私、なんでこんなの着ているんですか?」
ひらひらスケスケなネグリジェを掴むその指はプルプルと震えていた。
現状を正しく認識すればする分だけ顔に熱が集まって赤くなっていくのがわかる。
「ミーシェちゃん、でしたよね。できるだけ血や汗は拭い取りましたが、やはり一度湯浴みはするべきだと思います。それと、すっきりしたら食事にしましょうね」
「それはありがたいんだけど、それよりこれは、あっ、お風呂に入るならもちろん着替えられるんだよね!? この防御力皆無な薄っぺらいの!!」
「……、うふふ」
「笑顔が怖い!!」
ーーー☆ーーー
「おっ。もう大丈夫……なのか?」
ウンディーネ王国の王都アクアエリア。
その中でも一等地にあるルドガー=ザーバットの屋敷の一角、見渡すように広い中庭でのことだ。
地面に何やら模様を描いていたルドガーは訝しげに首を傾げる。
アリナの治癒は完璧なはずなのだが、それにしてはこちらにやってきたミーシェはフラフラしていた。
というか格好が大胆にもほどがあった。
ミニスカメイド服とはこれいかに?
「……お風呂……肌色わっしょい……あーん……メイドさんたちの前で……ふぐう」
「うっふっふ☆」
なぜか隣のアリナが満面の笑みを浮かべているのだが、果たして何があったのか。
ミニスカメイド服には不釣り合いな魔剣を腰に帯びたミーシェはパチンと両手で頬を挟み、大きく首を横に振って、絞り出すようにこう叫んだ。
「それより、それより!! ウンディーネに会わせてくれるというのはどうなったんですか!?」
「…………、」
「ん?」
「いや。もちろん忘れてはいないが、何だ、あれだけ熱烈にやり合っていた時はぞんざいな口調だったのにと思ってな」
「うっ。あ、あの時は本気できてもらうためには舐めた態度をとって挑発してでもと思っていたんです。本当にごめんなさいっ」
「ああ違う、別に気にしていない。楽に話していいと言いたかったんだ」
「……、いいの?」
「俺たちの仲じゃないか。そうつれない態度をしてくれるな」
それよりも、とルドガーは一度区切ってから、
「ウンディーネ王国における最強、我が国の真の『王』を呼び出すのはいつでもできる。まあ俺以外の大将でも不可能な超高難易度魔法だからおいそれと他の奴が使えるもんじゃないがな」
「サラッと自慢挟んでいるし」
「はっはっはっ! こいつは最高機密でろくに披露もできないからな。こんな時くらい自慢させてくれよ。この召喚魔法、一国に一人か二人くらいしか使用者がいないとびっきりなんだぞ」
「わーすごーい」
「……、嬢ちゃんは少しくらいお世辞を覚えような」
ルドガーは軽く肩をすくめて、
「で、だ。嬢ちゃんもまだ疲れがとれていないだろう。何ならしばらく俺の屋敷で休んでくれてもいいぞ」
「ううん、今すぐ呼び出していいよ。早く勝負がしたくてうずうずしてるし」
「……一応言わせてくれ。真の『王』は俺よりも強い。武者修行として俺に喧嘩を売った気概は買うが、あれは強さの次元が違う。対峙してからでも遅くない、勝負を挑むのをやめるのは何ら恥ずべきことじゃないからな」
「うん。心配してくれてありがと」
それでも、と。
ミーシェはそこで終わらない。
「私は最強になるって誓ったから」
「そうか」
言いたいことはなくはなかったが、この手の人間は言葉で止まらないのは理解している。
「アリナ」
「……、本気ですか?」
「必要なことだ」
「それが大将閣下の決定ならば」
納得はしていないのだろう、わざとらしく礼をして、その場を後にするアリナ。
あとで機嫌をとっておかないとな、と呟き、ルドガーはまず初めに中庭の外周を濃霧の魔法で覆う。魔法の効果で外からの観測を不可能にしてから改めて地面に描いた模様に手をかざして魔力を流す。
魔法陣。通常の魔法は体内の回路に魔力を通して魔法に変換するのだが、その一連の流れを『体外』で『大規模』にするための陣。
内で完結するべき工程を外に持ち出すのがまず困難であり、また大規模にすればする分だけ魔力消費も大きくなり、制御も難しくなる。
だが、難度に比例して具現される魔法もまた強力なものになる。
召喚魔法。
それも遠く離れている人やモノを呼び出すのではなく、この世界とは異なる異界から特定の存在を呼び出す極大魔法。
最高機密であるのもそうだが、そもそも習得難度が高過ぎて並の魔法使いでは覚えようとしても覚えられない。
召喚のための陣を適切に描き機能させられること、ルドガーに匹敵する魔法技術や膨大な魔力を保有していること、そして何より精霊自身から許可を得ていること。特に最後の許可の有無があるからこそルドガーは召喚のための神をミーシェに見せても構わないと考えた。技術や魔力量があっても許可がなければ召喚は不可能なのだから。
最低でも大将に匹敵する魔法技術や魔力量が必要というのもあって(王国に三人いるうちのルドガー以外の大将でさえも技術や魔力量が足りないほどなのだから)、条件が厳し過ぎて現在では各国家に一人か二人程度の使い手が存在する超高難度魔法である。
それほどの秘奥が真なる『王』をこの場に呼び出す。
ウンディーネ王国の頂点。
国王のさらに上。この国に所属しているのならばどんな肩書きがあろうとも『彼女』の決定には逆らえない絶対支配者。
ドッバァ!!!! と。
魔法陣から大量の水が噴き出し、そして『彼女』は現れた。
ーーー☆ーーー
一歩後ろに。
邪魔にならないよう下がりながら、ルドガーは思う。
(お前は世界を知らなすぎる)
ミーシェ=フェイは確かに強い。
だが、このまま強者へ喧嘩を売っていれば、いつかどこかで殺されるのは目に見えている。
これだけの逸材を失うのは惜しい。
ならばここで絶対的な『強者』にぶつけて挫折を味わってもらうのが最善だろう。
ミーシェほどの実力なら一目見ればわかるはずだ。刃を交えるまでもなく勝てやしないと。
それで折れるならば、残念だが、いつかどこかで死ぬよりはマシだ。
折れず己の分を知り、さらに腕を高めようとするならばウンディーネ王国軍に入れば訓練相手には事欠かないとか誘ってみるのもいいだろう。
とにかくここで現実を教える。
一度立ち止まり、現実を見て、己の進むべき道を確認させる。
(お前はまだまだ強くなれる。つまらない若気の至りで死ぬには惜しい人材なんだ)
ルドガーは最高機密まで開示するほどにミーシェを気に入っていた。
ただし、ミーシェは『それより、それより!! ウンディーネに会わせてくれるというのはどうなったんですか!?』と口を滑らせていた。
まだ真の『王』がウンディーネだと言ってもいないのに知っていたというのが気になるが、それを差し引いても味方に引き入れる価値があると考えたからこそ。
『何か』秘密はあっても悪意はない。
もしもミーシェを取り込むことで害になることがあったとしても、それ以上にあれだけの実力者がもたらす利のほうが大きいはずだからだ。
だからミーシェが真の『王』──ウンディーネとの力の差を見抜き、戦わずして折れてからどうするかをルドガーは考えている。
それだけでいいはずだ。
そのはずだ。
だけど、そう。
それならどうして邪魔にならないよう後ろに下がった?
(いいや)
ミーシェ=フェイ。
彼女ならどれだけ圧倒的な力の差を見せつけられても、無謀だとわかっていても、殺されるだけだとしても、それでも目の前の強敵に挑むのではないか。
(まさかそこまで馬鹿じゃない、よな?)
一度やり合っただけだが、全力でぶつかったからこそ嫌な予感がルドガーの脳裏を掠めていた。




