間話 ミーシェ=フェイについて その六
見覚えのある光景だった。
忘れられるわけがなかった。
小さな部屋だった。
そこはリルの部屋だった。
二人の一日はミーシェに付き合って魔法や『気』の特訓で終わるのが大半だったが、リルのしたいことをしようと提案すれば大体がこの部屋に連れられていた。
リルは明るく元気だが、外で駆け回るよりも家で遊ぶほうが好きだから。ミーシェのわがままに付き合わせていただけで、本来は部屋にいるほうが性に合っているのだ。
幼い頃におままごとに使ったぬいぐるみも、肩を触れ合わせて一緒に読んだ本も、並んでおやつを食べたテーブルも、他にも何もかもが当時のままだった。
当時。
リルが殺される前のまま。
つまりは夢。
もう失われた過去を反芻しているだけなのだ。
(悪魔は一匹残らず殺した……までは覚えてるけど、そこで気を失ったっぽい。まあ結構無茶したし、仕方ないか)
これは単なる夢だ。
だから目の前に白い光が溢れたかと思えば、その中から『彼女』が現れたのもそうおかしなことでもなかった。
リル=スカイリリス。
金髪に碧眼、主人公らしく凛々しい女の子は昔のまま変わらずそこにいた。
十歳。
ゲームの中での十四歳の彼女よりも幼く、決してこれ以上は成長しない女の子。
死んだから。
ミーシェが救えなかったから。
直視できなかった。
自然と俯いてしまっていた。
「ごめん」
ぽつり、と。
自然とそれは口から漏れていた。
一度漏れたら、もう我慢できなかった。
「死後の尊厳を守り抜く。安らかに眠らせてあげる。そんなの何の意味もない。みんなが悪魔に襲われたあの時に何もできなかった以上、今更何をやっても意味はない。リルは死んだんだって、失ったものは戻ってこないんだって、本当はわかってて……」
「…………、」
「ごめん、ごめんね、リルっ。私、わた、しが、何もできなかったから、だから!!」
「……シェの……」
「えっ!?」
何か、そう、声が聞こえた気がした。
夢だから。過去の反芻か、勝手な想像か、どちらにしてもミーシェの脳がつくった幻でしかない。
そうだとわかっていても、何であろうとも、ミーシェは顔を上げていた。
夢でも、幻でしかなくても、聞き逃すなんてできるわけがなかった。
罵倒でもいい。
殺意でだって構わない。
もしも奇跡的に幽霊なんてものが存在して、化けて出てきたのだとしたら、このまま呪い殺されても文句はない。
だから。
だから。
だから。
「ミーシェのばあーかっ!!」
それでも、まさか、涙を浮かべながらも、ばっこおーん!! と思いきり殴られるとは予想もしていなかった。
「痛い!? え、痛い、あれ、えっ!?」
「こんのばか、ばかばかっ!! 何をやっているの!? あんなに無茶していっぱい怪我をして!! 久しぶりに会ったらあたしの死後の尊厳とかなんとかそんな小さいもののためにボロボロになって戦って本当ばっかじゃないの!? 耳障りのいいこと言っていた気がしないでもないけど本音は自分『なんか』どうでもいいから無茶して死んでもいいってだけだろうしね!! なんでわかるかって? 幼馴染み舐めるな全部ダダ漏れだっつーの!!」
「え、あ?」
「みんなは助けられなかった。あたしの選択がミーシェに辛いものを押しつけてしまったのは本当に申し訳ないと思っている。でも、それでも、ミーシェはまだ生きている。未来がある! だからっ!!」
あの日から何も変わっていない友達は言う。
夢とは思えないほど力強く。
「最後まで幸せに生き抜いて。あたし、気長に待っているからさ」
リルはミーシェのせいで死んだなんて思っていない。
恨んでなんているわけがない。
村のみんなを救う。それは無理でもせめてミーシェ一人だけはと命を捨てて悪魔の猛威を代わりに引き受けた彼女がそんなことを思うわけがない……なんてのはミーシェが自分で自分を慰めているだけかもしれないけど。
夢は夢、それ以上でもそれ以下でもないのかもしれないけど。
「ほん、とうに? 私なんかを、まだ、まっててくれる?」
「当たり前じゃん。あ、もちろんちゃーんと最後まで生き抜かないとダメだからね? 長寿をまっとうして幸せな思い出話をたあーっぷり手に入れてさ。それ、聞かせてくれるの待っているから」
だって、と。
リルは確かにこう言ったのだ。
「あたしたち、友達じゃん」
「うん。うんっ。待ってて。私、頑張るから。ちゃんと生きるから、だから、あの、リルっ!!」
夢に決まっている。
そうに違いない。
こんな都合のいい言葉の数々はミーシェの脳内でつくられた願望で決して彼女が友達を守れなかった罪が赦されたわけではない。
それでも、だとしても、ミーシェはどうしても目の前の友達を夢や幻の存在として切り捨てることはできなかった。
根拠なんかない。
だけどミーシェにはリルに関することなら絶対に当てられる自信があった。
理屈なんて知らない。
どうでもいい。
大事なのは一つ。
目の前の彼女は確かにリル=スカイリリス本人だとミーシェの魂が確信していた。
そんな彼女が待っていると言った。
他ならぬリルがミーシェに最後まで幸せに生き抜くことを望んでいるのならば、何があっても負けて死ぬわけにはいかない。
『四つの災厄』。
そしてその奥のラスボス。
そんな定められた破滅になんて殺されるわけにはいかない。
最後まで幸せに生き抜くために。
こんなミーシェを待っててくれる友達に胸を張って会うためにも、しばし別れる必要がある。
もう夢が終わる。
そんな予感があった。
あと一言。
長い別れの前にせめて何か伝えたいと、そう思ったらミーシェの口は自然と動いていた。
「私、リルのこと大好きだから!!」
「もちろんあたしもミーシェのこと大好きだよっ」




