第二十六話 決着
時間は少し巻き戻る。
ウンディーネ召喚、その直後へと。
「なァ、んで召喚が成功したァ?」
「知らない」
左の眼窩に闇をたたえた黒髪の少女は静かに言葉を紡ぐ。
これで決着だと、突きつけるように。
「そしてそんなのどうでもいい。大事なのはようやく殺せるということ」
「舐めるなよォ、女ァ!! このまま終わるとでも思ったかァ!?」
悪魔は嗤う。
まだ嗤うことができる。
(逃げるかァ)
即決。
何せ過去においてもミーシェの力が魔力を直接喰らう、つまり魂だけの悪魔の天敵だったからと、単純な力関係では悪魔のほうが上だったとしても撤退した事実がある。
そこにこの悪魔の本質がある。
(ウンディーネは強い。がァ、まァ、俺様は無数の蛇が集まって第一の騎士として振る舞っている。そのどれか一匹でも生き残れば死にはしない。ウンディーネの一撃で山岳地帯が吹き飛んでもそのどさくさに紛れて逃げてやるゥ! ハハァッ!! 生き残りさえすれば復讐も、アポカリプスの実現もォ! どうとでもなるんだからなァ!!)
悪魔は逃げることに忌避感はない。
過程がどうであれ最後に勝てればそれでいい。世界を好きに引っ掻き回してゲラゲラ嗤う悪意の塊は逃避に至る屈辱さえも最終的な復讐を彩る演出として呑み込む。
(ハハァッ! 効率的に復讐を成し遂げるために今は見逃してやるよ、女ァ!!)
だから。
そこで。
「どうせ逃げるのよね、臆病者」
その一言が。
悪魔を貫いた。
「なんだァ、その口ぶりはァ!?」
「お前はスカーレットと手を組んでいながら、遅れてやってきた」
そして、登場時のスカーレットとの会話。
『ハハァッ、無様だなァ、女・王・様ァ?』
『……遅れておいて減らず口だけは立派でございますわね』
『露払いとしてせいぜい働いてくれるかと手を結んだだけだからなァ。まさかここまで使い物にならないとも思わなかったがァ』
……この会話だけならスカーレットさえも露払いとして雑に消費する悪意の塊、と読み取ることもできる。
が、ミーシェはそうは受け取らなかった。
「お前は万が一にもルドガーさんに殺されるのが怖かった。だからわざと遅れてスカーレットと潰し合って弱ったルドガーさんを殺すつもりだった!! 『四つの災厄』の一角、そしてそんなお前に匹敵するリルの死体の力があってもなおほんの僅かな死の可能性が脳裏にチラつくだけで怯えて隠れる、そんな臆病者なのよ!!」
「ふ、ざけェ……ッ!!」
「だから、お前は過去に私に魔刃鞘収で両腕を斬られた時も逃げ出した。ほんの僅かな死の可能性、万が一にも魂だけの自分が喰い殺されないよう死体という肉の鎧に閉じこもってようやく私の前に立てる臆病者にこれ以上リルの尊厳は穢させない。ここで終わらせる。殺して終わりにしてやる!!」
「ふざけるなよォ、女ァッッッ!!!!」
ドッッッゴォン!!!! とその一撃は山岳地帯近くの森から炸裂した。
悪魔の群れ、その片方が吹き飛んだ瞬間だった。
「……ッッッ!?」
だから。
だから。
だから。
リルの死体から無数の紅い蛇が飛び出した。
臆病者。そう嘲られても、それでも悪魔は生存を選択した。
四散。
とにかく広範囲に散らばることで一匹でも生き残る。
第一の騎士オリエンス=ファーストバイブルという存在は一匹でも生き残ることができれば保てるのだから。
「ほら、やっぱり」
背後からの声に、しかし奥歯を噛み締めて無視する。
この復讐は必ず果たす。
あの少女だけは必ず殺す。
ただしそれは今ではない。
いつか必ず。過去においてもそうやって見逃してやったのだから一度も二度も変わらない。三度目にミーシェの魂を絶望の底ですり潰してやればいいのだ。
「その臆病さがお前を殺す」
「あァ!?」
思わず背後を見たのは悪魔らしい嘲りからか、それとも不安からか。
ミーシェは剣を頭上に掲げていた。
魔力を集めて朱色に輝かせて。
「なァ、にをォ……ッ!?」
そこで悪魔は思い出す。
悪魔とミーシェたちとが本格的に激突する前の言葉を。
『ウンディーネには朱色の光で狙撃地点を教えるから、そこを狙うよう伝えて。裏ボスのウンディーネのステータスなら距離が離れていても光を視認するくらいはできるはずよ!!』、とミーシェは言っていた。
だから、なのか?
あの光を悪魔にぶつけて攻撃の目印にでもすると?
「ハハァッ! 馬鹿がァ!! 今から俺様たち『全員』に目印をつけるつもりかァ!?」
「もしもお前がスカーレットと共にやってきていたら気づけたかもしれない」
「あァ!?」
「私がスカーレットを殺したその瞬間を見ていれば私が何をしようとしてるか力の波動を照らし合わせて推察くらいはできた!! 逃避を優先? 臆病にも生きることが最優先!? だったら少しでも生き残る可能性をあげるために今すぐ私を殺すべきだった!!」
瞬間、それは炸裂した。
水の精霊ウンディーネの全力の一撃。
それは的確に『朱色の光』、つまりは頭上に輝く剣めがけて殺到し、
「我が魂を喰らいて糧とせよ──魔刃鞘収!!」
朱色の光が消えると共に直撃、その魔力を根こそぎ喰らい尽くした。
悪魔には理解できなかった。
どうやってスカーレットが倒されたのか、臆病にも遅れてやってきた悪魔は見ていなかったから、せっかくのウンディーネの魔法を無効化した理由がどうしてもわからなかったのだ。
「続けて──」
だから。
真っ赤な血管のように脈動する無数の管でつくられた改造修道服を纏う少女は言葉を紡ぐ。
「──魔刃抜剣ッッッ!!!!」
ガッッッ!!!! と一度は光を失った剣が輝く。
ウンディーネの魔力、そしてその前に喰らっていた悪魔の魔法を構築していた魔力さえも糧にして増幅する、だけではない。
脈動する真っ赤な改造修道服。
決戦兵器『赤ノ極地』はあらゆるステータスを十倍にまで引き上げる。
つまりウンディーネと悪魔の魔力を加算してさらに十倍。そんなのどこに逃げようとも関係ない。地形ごと消し飛ばして決着をつけられる領域に至っている。
「ふ、ざけェ、何だそれはァッ!?」
「それが最後の言葉? じゃあ、死ね」
「待て、そうだ、その力は魂を消費するだろォ!? 見ればわかる、何せ俺様は魂だけで現存する悪魔だからなァ!! だからァ、ハハァッ、冷静になれよォ。俺様はルドガーの足止めのためにいくらか分散している。今ここにいる蛇だけを殺しても俺様は完全には死なない!! なのにそこまでするのかァ? 魂まで消費して寿命を縮めてそれでも俺様を殺せないとなったら意味がないだろォ!? ……決着はまた今度つけよう。その時は全ての蛇を集めてやるゥ、勝敗が互いの生死を決するよう条件を整えてやるゥ! だから今回は引き分けで終わらせよう、そのほうが魂という貴重なもんを無駄にしてしまうより効率的だろォ!?」
「そもそもウンディーネに任せていればお前なんか殺せる」
それは。
その言葉は。
「ルドガーさんは言った。ウンディーネは『ここら一帯のあの紅い蛇を一匹残らず捕捉、攻撃して殺すくらいは造作もない』って。つまり私が何をしようとも決着はつく。お前なんか殺し尽くす」
「だったらァ!!」
「だけど、私が許せない」
効率的。
損得勘定なんてミーシェの頭にはない。
たとえその身が朽ち果てようとも彼女は止まらない。たった一つの目的を果たすためなら命さえも道具にできる。
「私を守るためにリルは死んだ。そんなリルの死体が操られて死後の尊厳さえも踏み躙られてる」
どこに逃げようとももう遅い。少なくともこの場で散らばった全ての蛇を攻撃範囲内に収めた少女は言う。
「私の手で殺さないといけない」
──ミーシェは『赤ノ極地』によって全ステータスを十倍強化している。
つまり気配探知能力やそれを強化する『気』なども一律で十倍されている今のミーシェならこの場の蛇だけでなくルドガー側に展開されている蛇の居場所も捉えることもできていた。
ルドガー側の蛇はすでに全滅。
あとは目の前で散って逃げている蛇を全て殺せば第一の騎士オリエンス=ファーストバイブルを殺せるのだと見抜いていたのだ。
だから。
だから!
だから!!
「リルにせめて安らかに眠ってもらうために。もう二度とくだらない悪意に晒されないために。私がきちんと殺してあげないといけない!!」
「いいのかァ? ハハァッ、これが本当に死体だと信じていいのかァ!? あの時は嘘だと言ったがァ、それさえも俺様が仕込んだ悪意だったとは思わないわけだァ!! 実はこいつは生きているのに他ならぬお前さんがその手でトドメを刺すことになるかもしれないのにィ!?」
「見苦しい」
リルの死体に未だ纏わりつく数匹の蛇の悪意をミーシェは斬り捨てる。
優しいだけで救いのない幻想を振り切って、辛い現実に向かい合う。
今度は、もう、くだらない悪意には惑わされない。
「リルは死んだ。私が殺した! だからせめて私の手で終わらせる!! 終わらせないといけないのよお!!!!」
そして魔刃抜剣が解放された。
逃避なんて許さない。その一撃は周囲に散らばっていた全ての蛇を消し飛ばした。
この日、第一の騎士オリエンス=ファーストバイブルという存在は消滅した。




