第二十三話 特別でも最強でもなくても
禍々しい冠に紅い蛇の群れ、第一の騎士オリエンス=ファーストバイブル。
『四つの災厄』の一角にして毒と悪意の象徴。
だけではない。
(まずい……)
二分経過。
残り二分でウンディーネが召喚されるとミーシェは信じているが、『知識』の通りだとすると──
(悪魔の能力の詳細は知っていても対応できない!!)
『知識』によると、無数の蛇に上下も優劣もない。
全ての蛇が繋がり、第一の騎士オリエンス=ファーストバイブル『全体』として振る舞い、全個体の合計した力を出力できる、とゲームで表現されていた。
となると、だ。
『赤ノ極地』はわざわざリルの死体を操って悪魔の本体『のように振る舞っている』だけの集合体が装備する必要はない。一匹でも紅い蛇が『赤ノ極地』を奪い装備すれば、全ステータス十倍強化の効果は全ての蛇、そしてリルの死体にも反映される。
それくらいの悪意は仕込まれている。
だからこそ悪魔は精霊召喚というリミットが迫っている中でも全力を出すことなくニタニタと笑いながらミーシェたちをいたぶる余裕があるのだ。
「ひっひうっ、ひゃあ!? やめっやめて、それとっひゃらわらわしんひゃっ、あああ!!」
だから。
スカーレットの首に噛みついて毒を持続注入することで動きを封じていた一匹の紅い蛇が内側から弾け、無数の触手を生やし、スカーレットから『赤ノ極地』を剥ぎ取ろうと動き出した。
スカーレットから『赤ノ極地』が奪われて紅い蛇が装備したら、それまで。
全ステータス十倍強化。
反則的なまでの機能がウンディーネという希望さえも蹂躙する。
「ハハァッ」
わかっている。
わかっていて、それでも!!
「ハハァッ!!」
悪魔が迫る。
単なる徒手空拳、『気』を使った体技ですらない遊び感覚、それでもミーシェもアリナも致死の空間に閉じ込められる。
少しでも隙を見せれば殺される。
そもそもリルの死体を操る悪魔を食い止めることさえもギリギリなのだ。スカーレットから『赤ノ極地』を奪おうとしている紅い蛇にまで手が回らない。
だから、『赤ノ極地』は奪われて。
だから、一つの個体から悪魔『全体』に全ステータス十倍強化が反映されて。
だから、リルの死体を操っている本体『のように振る舞っている』集合体が『赤ノ極地』を装備せずとも『全体』の力は増幅させるからもう手遅れなのだと、そんな悪意を開花させる。
「まだ間に合うのであるぞ!!」
その一瞬前のことだった。
ゴブリンロードがクルミを含む数十のリトルゴブリンを引き連れて飛び出したのだ。
「皆っ。吾に力を!!」
「まっ──ッ!!」
距離にして数十メートルはあった。このままでは間に合わないと判断したのか、ロードは数十のリトルゴブリンから魔力を大槌に集めて、地面に叩きつけた。
まって、と。
そんなミーシェの言葉を遮って。
「地龍昇撃ッ!!」
ゴッ!! と土の槍がスカーレットの近くの地面から飛び出した。ちょうど首元の紅い蛇だけを狙い撃つ形で。
一振りだった。
蛇が全身から生やす触手、その一本を雑に振るっただけで槍は砕けた。
「くっ。だが、間に合わせれば!」
「まって、ロードちゃんっ、みんなも! 逃げて!!」
リルの死体が唸る。
アリナが裏拳で薙ぎ払われる。宙を何度も回転して地面に叩きつけられた彼女はぴくりとも動かなかった。
「アリナさんっ!?」
たった一手を捌ききれなかっただけでルドガーの副官をつとめるほどの強者がやられた。悪魔の力は徒手空拳、遊びでさえもそれだけ強大なのだ。
つまり。
だから。
一斉掃射。
蛇が無数の触手から放った紅の閃光がロードたちを一人残らず撃ち抜いたのだ。
回避も防御も不可能。
全員が悲鳴もあげられずに揃って崩れ落ちた。
「あ」
「おいおい、なァにシケたツラしてんだァ!?」
今度はミーシェの番。
リルの死体が拳を振るう。
回避なんてできなかった。
防御なんて意味をなさなかった。
ちょっとこれまでより出力を上げただけ。そもそも本気すら出さずともいつでもミーシェたちを潰すことなんてできたのだと言外に示すようだった。
崩れ落ちる。
立ち上がるだけの力も残さず潰される。
ーーー☆ーーー
「さァ、そろそろエンディングの時間だァ」
三分経過。
残り一分、だけどその一分が長い。
「やだ、しにたくにゃっ、わらわはとくべひゅ、なのに、こんなのうそですわ、わらわはぁっ!!」
スカーレットの悲鳴だけが響き渡る。
それも『赤ノ極地』を毟り取られた瞬間にぶぢりと糸を切るように途切れた。
全ステータス十倍強化。
あのまま紅い蛇が『赤ノ極地』を装備すれば勝つのは絶望的になるとわかっていても、地面に倒れるミーシェは指先一つ動かすこともできなかった。
村のみんなを、リルを失ったあの時のように。
ミーシェの力不足がアリナを、ロードやクルミたちを、そしてこれから多くの人間を殺す。
第一の騎士オリエンス=ファーストバイブル、かの悪魔が悪意のままに全てを蹂躙する歩みを止められない。
「ハハァッ、今回は俺様の勝ちだな、女ァ!!」
悪魔の勝利宣言が響き渡る。
ミーシェにはリルの死体を好きに操って嘲笑う悪魔を止めることはできない。
だから。
だから。
だから。
ゆらり、と。
彼女は立ち上がった。
ミーシェ=フェイではない。
アリナ=カーベッタではない。
ゴブリンロードではない。
クルミ。
リトルゴブリンの一人。ミーシェのように『知識』という反則があるわけでも、アリナのように大将の副官になれるほどの才があるわけでも、ロードのようにゴブリンの『王』であるわけでもない、本当にただのリトルゴブリンが。
「わたしの、番なんです」
特別な肩書きの有無なんて関係ない。
クルミはこの場に揃った誰にもできなかった偉業を意思の力で成し遂げる。
「今度は、わたしがお姉さまを助けるんです!!」
「クルミ、ちゃん。だめ……」
これは繰り返しだ。
過去でもそうだった。
ここまで追い詰められても立ち上がることができる強い者から死ぬ。過去のあの時にリルがミーシェを庇って殺されたように。
ミーシェにはできない偉業を成し遂げてしまうから、結果的に何もできない弱いミーシェのせいで死んでしまう。
「まって、にげて。私はいいから、だから……っ!」
「大丈夫です」
クルミは笑う。
ミーシェにもアリナにもゴブリンロードにもできなかった偉業を成し遂げた勇者は、だからこそ止まらない。
『赤ノ極地』まで残り三メートル。
紅い蛇が装備する前にクルミが奪えば希望は繋がると信じて。
「間に合っ──」
「ハハァッ!! ここまで見事な演出もないよなァ!!」
ただし、残り三メートルだろうがゼロメートルだろうがリトルゴブリンでしかないクルミが主人公の力さえも取り込んだ『四つの災厄』の一角から『赤ノ極地』を奪えるわけがない。
力の差は絶対だ。
リトルゴブリンが人間よりも遥かに優れた膂力があっても、魔獣全体が魔力量や魔法技術に秀でていても、悪魔に傷一つつけることはできない。
「あァ、もちろん殺すぞ。奪って奪って奪い尽くして絶望の底まで味わってもらうためになァ!! 女ァ、全てはお前さんのせいでこの勇敢で哀れなリトルゴブリンは死ぬんだよォ!!」
「お願い、クルミちゃん! 逃げてえ!!」
最後の最後までミーシェは動けなかった。
どう足掻いても結局は目の前の危難を突破するためなら奇跡だって起こすリルにはなれないから。
いくら最強になると誓ったとしても、その本質は村のみんなを失ったあの時と何も変わっていない。
ミーシェは、弱い。
だから誰も救えない。
ーーー☆ーーー
いっそのこと呆気ないほどだった。
悪意。用意周到に巡らされていた演出の全てがその一手で跡形もなく吹き飛んだ。
『赤ノ極地』が消える。
正確にはミーシェに着せるように一瞬で移動したのだ。
ーーー☆ーーー
「は、ァ……?」
悪魔は確かに強大だ。
まともにぶつかれば『赤ノ極地』を奪い取るなんて絶対に不可能だった。だからスカーレットの首元に蛇が張りついた時点で横から力づくで奪い取るのは難しかった。そういう風に悪意が仕込まれていたからこそ。
それがどうした。
この世界には魔法という超常がある。
力づくで奪う? そんなことせずとも超常らしい理不尽さで力の差なんて覆してやればいい。
「はァ!? なんだそれはァッ!?」
「お姉さま」
黒装束にクルミが襲われた時のことだ。
彼女は自身の魔法を内心でこう分析していた。
──わたし自身か、周囲三メートルにある物や人を転移させる魔法……と。
つまりわざわざゼロ距離まで近づいて『赤ノ極地』を奪う必要はなかったのだ。
三メートル。
悪魔が『赤ノ極地』を装備してその絶対的な力でミーシェたちを皆殺しにする前に、それまでに間に合えば後はクルミの転移の魔法で『赤ノ極地』は横取りできたのだから。
スカーレット戦での高速戦闘ではそこまで近づいて転移の魔法を発動する余裕はなかったが、わざわざスカーレットの動きを封じてくれている今この時であればどうにかなる。
「情けないですが、わたしにできるのはここまで、です」
クルミが倒れる。
そもそも立ち上がれたのが奇跡なのだ。
ミーシェにもアリナにもロードにもできなかった偉業を成し遂げた彼女もここが限界だった。
だから悪魔は嗤う。
どんな奇跡も踏み躙り嘲笑うのが悪魔だからこそ。
「ハァ、ハハァッ。いやまだだァ。おい、女ァッ!! まさか『赤ノ極地』が手に入ったくらいで俺様に勝てるとでも──」
「うるさい」
轟音。
それはこれまで絶対的な脅威として君臨していたリルの死体を操る悪魔が薙ぎ払われた音だった。
脈動する血管のような無数の赤い管で形作られた改造修道服、決戦兵器『赤ノ極地』
全ステータス十倍強化。
その力でミーシェが無理矢理に身体を動かして悪魔を殴り飛ばしたのだ。
スカーレットに張りついていた紅い蛇を巻き込んで遠くまで吹き飛んでいく悪魔にミーシェは視線すら向けない。
クルミ。
ミーシェなんかよりもずっとずっと強い女の子。
それにそんな彼女が間に合うように尽力してくれたロードたち。
だけどみんなは倒れた。
いくら魔獣が頑丈でもあれだけの攻撃を受けては死は避けられない。
「……っ……」
『赤ノ極地』を託された。
これで悪魔に勝てる可能性は出てきた。
だけどミーシェには何も救えない。そんな力は彼女にはない。
「う、あ」
視界が涙に滲む。
そんな場合ではないと、せめて託された想いを無駄にするなと、頭ではわかっていても感情がミーシェを殺していく。
「へいへーい。何を悲しむ必要があるんですか?」
そこで白い光がみんなを包み込んだ。
ミーシェにクルミにゴブリンロードに数十のリトルゴブリンを包んで、その傷を片っ端から塞いでいく。
治癒魔法。
その使い手。
「アリナ、さん?」
「はい、そうですよ」
ひらひら、と。
起き上がる気力も残っていないのか、倒れたまま手を振るアリナ。
メイドで、大将ルドガー=ザーバットの副官で、何より治癒魔法の使い手としては最高峰。
アリナ=カーベッタ。
『FBF』でも彼女と組んだルドガーとのイベント戦ではまずアリナを倒さないと回復量が多すぎて勝ち目がないほどだった。
「そこのゴブリンたちは私が何とかしてあげる。本当はあの悪魔も私が倒してやりたいんですけど、それは野暮ってもんですよね」
アリナは言う。
とびっきりの笑顔で背中を押す。
「帳尻は私が合わせてあげます、勝っても何かを失うようなくだらないバッドエンドなんてまっぴらごめんですからね!! ですからミーシェちゃんは何も気にせず前だけを見ていいんです!! 死後の尊厳さえも踏み躙られている友達をその手で解放する、それだけを考えていいんですよ!!」
「アリナさん……」
「悪魔の企みなんて全部ご破算にしてやれ、ですよ!!」
「うんっ!!」
憂いはなくなった。
ミーシェよりも遥かに強い仲間たちが張り巡らせた悪意を吹き飛ばして道を切り開いてくれた。
つまりミーシェが勝てば全ては丸く収まる。
それだけでハッピーエンドにできる。
「あんな過去はもう繰り返さない!! ここできちんと殺して終わらせる!!」
水の精霊ウンディーネ召喚まで残り三十秒。
全てはあと三十秒で決まる。
ーーー☆ーーー
ミーシェは弱い。
どこまでいっても中ボス程度の立ち位置で、特別にも最強にも程遠いかもしれない。
だけどそれがどうした。
ミーシェはもう一人ではない。
みんながついてくれている。
だから、『四つの災厄』の一角が張り巡らせた悪意なんか怖くない。
例え、失われた大切なものは元には戻らないとしても、今この手の中にある大切なものは一つ残らず守り抜く。
そのためならミーシェは主人公にだってなってやる。




