第二十二話 唯一の勝機、希望の行方
一分経過。
残り三分。その間に『赤ノ極地』を悪魔に奪取されなければルドガーがウンディーネを召喚して決着をつける。
主人公リル=スカイリリスの死体を成長させて力を得ているとはいっても『四つの災厄』はあくまでストーリー内のボスに過ぎない。ラスボスに匹敵するほどの力を得ていても、裏ボスであるウンディーネほどではない。
ただし、流石にラスボス級にまで成長した今の悪魔の全ステータスを十倍にまで増幅したらいかにウンディーネでも勝ち目はないだろう。
だから残り三分。
この三分が勝敗を分ける。
「ハハァッ!!」
悪魔が迫る。
ミーシェとアリナの背後には毒で動けないスカーレットが倒れている。つまり二人が突破されればそのままスカーレットから『赤ノ極地』が奪われてゲームオーバーだ。
スカーレットから『赤ノ極地』を奪ってミーシェが装備する、というのも一瞬考えたが、そんな隙はないだろう。悠長に『赤ノ極地』を引き剥がそうとしている最中に殺されるだけだ。
「魔毒滅槍ゥ!」
ぐぢゅり!! とリルの死体が右手を向け、そこから禍々しい紫の粘液が槍のように収束して放たれた。
毒の魔法。
それも第一の騎士オリエンス=ファーストバイブルほどの術者が放てば単に触れたら猛毒に侵されるだけにとどまらない。
人肉だろうが鋼鉄だろうが魔法だろうが関係なく溶かし尽くす。致死をもたらす毒という概念の拡大解釈。少なくとも格下の攻撃はその全てが物理的な現象を無視して殺す。
「我が魂を喰らいて糧とせよ──魔刃鞘収!!」
ただしそれはどれだけ強力でも魔法だと『知識』にある。つまり魔刃鞘収で喰らって毒の概念の拡大解釈という効果そのものを無効化できる。
紫の槍を光を失った剣が斬り裂く。
が、悪魔は構わず右手を突き出した。手を開いたまま、拳も握らずに紫の槍を斬り払った直後のミーシェの胸板を押すように叩いたのだ。
バギバギバギィッ!! とそれだけで肋骨がへし折れる嫌な音が炸裂した。内臓を折れた骨が傷つけたのか、喉からせり上がった血の塊を吐き出す暇もなかった。
今度は逆の手。平手打ち。横から顔面に迫る一撃は頭部を粉砕してミーシェを殺せるだけの威力を秘めている。
「……ッッッ!!」
とはいえ余裕ぶっているのか攻撃力に特化していて速度はそうでもないのか、ミーシェの返す刃のほうが速かった。
頭上に振り下ろした剣に魔力を収束、直撃と共に起爆。少しでも怯んで一瞬でも動きが止まればそこから高速挙動による連撃を畳み掛けられたかもしれない。
だが悪魔は揺らがない。
出血の一つもなく勢いそのままに踏み込み、手を振り抜く。ニタニタと笑う悪魔のその手がまともに当たれば人体が破裂してもおかしくなかった。
「白光っ!」
その一瞬前にアリナが放った白い光の束が悪魔の手を撃ち抜いた。弾く、まではいかずとも、僅かな時間でも動きを止められたならば上等。
アリナはミーシェの首根っこを掴んで後ろに飛ぶ。
紙一重で凌げた、と喜んでいい状況ではない。
後ろに下がる。
つまりそれだけスカーレットまでの距離が縮まる。
その距離がゼロになった時がミーシェたちの破滅を意味するのだから。
「残り時間はあと何分だァ? そんな調子でウンディーネ召喚までもつのかねェ!?」
「……、そうやって『本領』を発揮することなく余裕ぶっていればいい」
ようやくの吐血。
やっと血を吐くだけの余裕ができたミーシェは赤く染まった口元を雑に拭ってこう吐き捨てた。
「どうせ最後には私が殺すんだから、今のうちにくだらない優越感にでも浸っていればいい!!」
「ハハァッ、そうかそうかァ。まだお前さんは希望を抱いているんだなァ」
悪魔は嘲笑う。
悪意を堪能する。
「その希望が本当に期待通りに輝いてくれればいいがなァ」
ーーー☆ーーー
山岳地帯を抜けたルドガーは水の魔法でその身が霞むほどの速度を叩き出し、王都を目指していた。
どれだけ早くウンディーネを召喚できるかでミーシェたちの命運は決する。
ルドガーにできるのは身体への負荷を無視してでも速度を出すことだけだった。
だから。
しかし。
ドッシャア!! と目の前の地面が間欠泉でも噴き出したように下から砕けた。
ただし噴き出したのは水ではなく無数の紅い蛇。
ミーシェの友達の右目から飛び出していたものと同じではあったが、その数は桁違いだった。
巨大な壁、あるいは紅い津波のようにルドガーの目の前に無数の禍々しい冠をかぶった紅い蛇が立ち塞がる。
「ハハァッ! まさか素直に行かせるとでも思っていたのかなァ!? だとすれば大将やめたほうがいいぞォ甘ちゃんすぎるからなァ!!」
第一の騎士オリエンス=ファーストバイブル。
ミーシェの言が正しいのであれば、目の前の紅い蛇は『四つの災厄』の一角だ。
かつての人類が討伐ではなく封印を選ぶしかなかった四つの脅威。災厄、とそう呼ばれるほどに絶大な力を秘めた怪物。
「悪趣味だな」
「悪魔だからなァ!!」
ルドガーは目の前の脅威を観察する。
時間はない。急ぐ必要はある。それでも一手の過ちが全滅に繋がるほどの脅威だとわかっているからこそどんな些細な情報も見逃してはいけない。
(……、まさか)
死体の力を上乗せしている『向こうの』悪魔のほうが『こちらの』悪魔よりも上なのか、それとも単純に死体に収まりきれないほど無数の紅い蛇が揃っている『こちらの』悪魔の力のほうが上なのか。
普通ならそうなるはずだ。
だが違う。外から感じ取れる範囲ではあるが、力の波動が同じなのだ。
死体の力の分だけ蛇の数を減らして調整しているとかそんな話ではない。『向こう』と『こちら』、双方の力の量だけでなく質もまったく同じである。
死体という外部から力を取り込んでいる『向こう』と紅い蛇だけの『こちら』の力の質が同じであるわけがない。混ざり合っている『向こう』の力の波動には僅かでも死体の力が混ざってその質に変化があるべきだ。
それがないということは。
まったく同じということは。
「紅い蛇に上下も優劣もない。全ては繋がっている。だから全個体が第一の騎士オリエンス=ファーストバイブル『全体』として振る舞い、その力を出力できるのか!?」
「ハハァッ!!」
言うなれば全てが核であり末端。
紅い蛇の力は集約され、その全てが一匹一匹の蛇の力となる。
だから死体の力も全ての紅い蛇に上乗せされている。距離が離れていようが関係なく。
死体という一箇所に集まっていた時は気づけなかった。こうして死体とは離れた位置に群がっているからこそ気づけたが──
(こうなると『赤ノ極地』も……チッ、悪魔らしい悪趣味加減だ!!)
紅い津波のような蛇の群れ。
その全てが全力の一撃を放つ出力口。
壁のように並べられた銃口から一斉に弾丸を放つように、魔力の紅光がルドガーを襲った。
「く、そ!!」
咄嗟に水の魔法を飛沫のように放ったのは全ての攻撃を受けようとしたのか。焦りからか、蛇の群れの頭上を越えるようにあらない方向に放たれた飛沫さえあった。
そしていかにルドガーが決戦兵器を使用していても分散した魔法で悪魔の紅光を防ぐことはできなかった。
光の壁がルドガーを薙ぎ払う。
肉が抉れて骨が砕ける嫌な音が響き渡った。
ーーー☆ーーー
水の精霊ウンディーネ召喚のためには高度な召喚術式を扱える術者が屋敷にたどり着く必要があった。
だが、ルドガー=ザーバットという名の希望は倒れた。
約束した時間を過ぎても召喚されたウンディーネが悪魔を倒すという展開はあり得ない。
希望を見せてから潰す。悪魔の狙い通りに。




