第二十一話 毒と悪意の象徴
「あら」
その場の流れにスカーレット=フィブリテッドは置いていかれていた。
そもそも第一の騎士、かの悪魔と女王とは利害の一致で手を結んでいる。人間を破滅させることを生きがいとしている悪魔と他の三ヶ国を攻め滅ぼしたい女王。二人はまず双方の標的となっているウンディーネ王国攻め込んだ。
罪をなすりつけるために用意した『救世の聖派』を暴れさせて大将であるルドガーを誘き寄せる、後は精霊召喚の担い手でもあるルドガーをを殺せばウンディーネが人間の世界に介入することはできなくなる。
精霊の庇護を失った王国を攻め滅ぼすのは簡単だ。
これまで四ヶ国間で戦争が起きていない理由は主に二つ。
一つは決戦兵器。
だが、何よりも抑止力になっているのは精霊の存在だ。
自国の限られた土地にしか召喚できないという制約はあるが、軍勢よりも強大な精霊も各国に一つずつ所属しているからこそこれまで大きな戦争は起きていなかった。他国に攻め込んでもその軍勢ごと精霊に潰されるのは目に見えている。
この二つの抑止力があるからこそ他国には攻め込めないのならば、その二つを封殺すればいい。
決戦兵器の所有者であり、スカーレットが諜報部門から報告を受けたところによると王国で唯一精霊を召喚可能なルドガー=ザーバットの殺害。それさえできれば王国は征服したも同然だ。
悪魔がついていればルドガーに絶対に勝てる。何せ悪魔の力は『赤ノ極地』装備状態のスカーレットに勝てるわけないにしてもそれなりに強く、一つの決戦兵器しか使えないルドガーは敵ではない、とそう考えてしまった。
もちろんそう考えたスカーレットは知る由もないが、ミーシェの存在が、過去の過ちが、巡り巡って序盤にスカーレットや悪魔が王国に攻め込んでくるという形でストーリーを歪めていた。
だから。
しかし。
「そろそろお前さんの『赤ノ極地』もらうなァ」
なぜそんな話になっている?
ルドガー=ザーバットを殺せばウンディーネが召喚されることもない。ならば今やるべきことはスカーレットか悪魔の片方がこの場の連中を食い止め、その間にもう片方がルドガーを追いかけて殺すことではないのか? それだけで精霊の召喚を阻止できるのだから。
「あらあら、まあまあ!! 愚鈍な悪魔が何を言い出すかと思えば。そんな不遜がまかり通るとでも?」
「まァ、嫌がるなら力づくで奪うだけだなァ」
「あらあら、冗談にしても笑えないですわ。どうやら己の立ち位置を理解できていないようなので教えて差し上げます」
優雅にサーベルを構えて、スカーレットは言う。
「邪魔な連中を皆殺しにするために使い潰して最後にはわらわの手で殺処分する予定だったのですわ!! それなのにこんなに遅く登場してなおかつ高貴なわらわに噛みつくとは何たる不敬で、あびゅっ!?」
言葉が、途切れる。
首。いつのまにそこにいたのか、スカーレットの首筋に紅の蛇が噛みついていた。
膝から崩れ落ちる。
まるでその身を悪魔に献上するように。
「毒と悪意の象徴。それが俺様だ」
もしもスカーレットに『知識』があれば気づけたはずだ。
第一の騎士オリエンス=ファーストバイブル。
『四つの災厄』の一角はゲーム中で毒の魔法を好んで使っていたということに。
「免疫力の十倍強化ァ? さらに十倍の『気』で増幅するゥ? まァだから死なずに済んでいるんだろうが、絶え間なく俺様の毒を送り込んでいれば身動きを封じるくらいはできる」
「あ、れ? わらわ、は……こんな、悪魔ごときに、負ける、はず、が」
「なァおい。悪魔と契約してまさか無事で済むとでも思ってやがったのかァ?」
「ま、まっへっ、わらわは、もう何回か、しんで、『あかのきょくひ』をうばわれひゃら、……じゅうばいにふえひゃ、命が、もとにもどっひゃら……そのまま、しんじゃう、かも」
「かもなァ」
軽く頷き、そして。
悪魔は悪意のままに笑ってこう続けた。
「だけどそれ、俺様が気にする必要あるかァ?」
「ひゃう……っ!?」
優雅で傲慢。
その根底にあったのは自分は誰にも負けないという絶対の自信があったから。
死ぬわけがないと、最後には必ず勝つと、そう信じてきたスカーレットは突然の死の気配に優雅さも傲慢な精神も呆気なく折れていた。
特別の紛い物。
そう自分で証明してしまった。
悪魔の手が伸びる。
決戦兵器『赤ノ極地』を奪うために。
その結果として増えた命が元に戻って、もうとっくに一つ以上命を失っているスカーレットが元通りに死ぬことになろうとも愉快だと笑い飛ばすだろう。
だから。
だから。
だから。
「させるとでも!?」
そこで朱色の斬撃が飛んだ。
魔力の刃が飛び、悪魔の手に直撃する。
「ハハァッ」
数年前に復活直後のオリエンスを撤退にまで追い込んだ人間。
普通に殺すだけでは足りない。
いずれ、必ず、絶望の底で殺すと決めた女が。
「いいなァ、俺様の復讐のためにここまで演出してくれるだなんてさいっこうだなァ!!」
だから、悪魔はリルの肉体を奪った。
悪魔は人間の感情には敏感だ。だからこそ、あの村の中でミーシェが最も好いていた死体を奪ったのだ。
全ては愉快に復讐を遂げるために。
こうして偶然にも顔を合わせたのならば、骨の髄までしゃぶり尽くすしかない。
「俺様の力を十倍強化されたらウンディーネでも勝てない、だったかァ」
こんなご馳走を目の前に出されて我慢なんてできるわけがないのだから。
「だったら『赤ノ極地』が俺様に奪われないよう頑張らないとなァ!! ハハァッ!! せいぜいその希望に縋って足掻けよォきちんと潰して絶望させてやるからァ!!」
そして両者は激突する。
世界の命運なんて関係ない。どこまでも個人的な復讐のために。
ーーー☆ーーー
朱色の魔力の刃による遠距離攻撃。
ミーシェ=フェイの得意技。
ただし今更ただ魔力を飛ばす程度の攻撃がかの悪魔に通用するわけもない。
今度はゼロからトップスピードへ瞬時に加速する体技ジェットスター。瞬間加速で悪魔の懐に飛び込む。
「おおおおおおおおおおおッ!!」
続けてオーバーヒート。
『気』を暴走させて全力以上を引き出す奥義。アリナがある程度傷を癒してくれたので反動で肉体が自壊してもそのまま死ぬことはない。
一閃。
悪魔の首に朱色の魔剣が叩きつけられる。
ガッギィ!! と。
死体の柔肌さえも斬り裂けなかった。
「ハハァッ! あの時とは状況が異なるんだよなァ」
嗤う。
悪意を込めて嘲笑う。
「魔刃鞘収だっけェ? 確かに魂だけで存在する悪魔には魔力を喰らうあの技は致命的だ。が、まァ、今の俺様には便利な肉人形がある。力の差を相性で覆す、そんな奇跡はもう使えないぞォ!!」
右目から噴き出す紅き蛇の群れが嘲る。
リルの死体が動く。
凄まじい轟音が炸裂した。徒手空拳、単なる拳が胸板に叩きつけられただけだというのにミーシェの肉が潰れて骨が砕ける轟音が響き渡る。
「が、ぐぶっ、ァあああ!!」
だが、ミーシェはその場から動かない。
血反吐を吐きながらも朱色の剣を地面に突き刺し、踏ん張って、アリナの治癒である程度動くようになった左手を握りしめる。
悪魔の頬を打ち抜く。
僅かによろけた悪魔に向かって今度は魔力を纏わせた剣を逆袈裟に振るう。
脇腹で止められても構わず次は頭、首、心臓と次から次に斬撃を繰り出す。
その全てが通用しなかった。
オーバーヒート。腕が自壊するのも構わずに放ったというのにだ。
「おいおい酷いなァ!! これはお前さんのお・と・も・だ・ち、だってのにそんなに斬りつけちゃってさァ!! やめてえ痛いようって泣いちゃっているかもしれないぜェ!?」
「黙れ」
ミーシェは切り捨てる。
悪魔のくだらない悪意に付き合っても無駄だと言わんばかりに。
「リルは死んだ。死んだのよ!!」
「本当にィ?」
悪魔は止まらない。
人の欲望、その隙間に悪意を染み込ませる。
「こうして腐ることもなく動いているならもしかしたら生きているかもしれないぞォ? 可能性はゼロじゃない。何せ俺様は悪魔。こいつを死体だと思わせてお前さんが斬り捨ててから、実は瀕死でかろうじて生きていたこいつを俺様の力で生かしていたのに他ならぬその手でトドメを刺しちゃったなんて悪意を仕込んでいるかもなァ!!」
「……ぁ……」
わかっている。
こんなのは悪魔の得意技、単なる悪意なのだ。
人の欲望を刺激して嘲笑う。
それだけだ。わかっている。そんなことはわかっている。
この悪魔にそんな力はない。
本当に?
『知識』は別にこの世界の全てではない。そんなのはこれまで散々思い知らされてきた。
ならば、他にも隠された力がある?
リルは実は生きていた。
リルが死んだように悪魔が何かしらの力で思い込ませていて、何も知らないミーシェがリルを埋葬した後で掘り返して生きた状態で確保した? だからこうして目の前で動いている?
それくらいの悪意を仕込んでいても何ら不思議ではない。
だから。
もしかしたら、と。
その期待、願望、幻想がミーシェの動きを止めた。
「まァ普通に嘘だがなァ」
その一瞬を悪魔は嘲笑う。
ミーシェの心臓めがけてリルの『死体』の手刀が迫る。
回避は不可能。
防御も間に合わない。
死ぬ。明らかに悪意しかなかったのに希望を抱いてしまったせいでリルの死後の尊厳を取り戻す前に死んでしまう。
「ミーシェちゃんっ!」
突き出された手刀がミーシェを仕留め損なう。横からミーシェに突っ込んできたアリナが二人揃って地面を転がったからだ。
「地龍昇撃ッ!!」
次にゴブリンロード。
悪魔の足元から魔法で土の槍を具現化。まるで塔のようにそびえ立つ槍が悪魔を突き上げ、数十メートルは吹き飛ばす。
「ごめん、なさい。リルは死んだのに、わかっているのに、私っ」
「ミーシェちゃんは何も悪くありませんよ。死んだと思っていた大切な人が目の前で動いている。死体だとわかっていても、それでも生きているかもしれないと期待するのは普通です。もう本当は死んでいるとわかっていても、それでも簡単に諦められないくらいミーシェちゃんにとって大切で失いたくなかった人だということなんですから」
「うん。うんっ」
「どうします? 辛いなら下がっていてもいいんですが」
「……ううん、それは嫌だ」
悪魔が降り立つ。
土の槍を叩きつけられて数十メートル上空まで吹き飛ばされても傷ひとつない悪意の塊が。
「私が殺さないといけないから」
「わかりました。本当はもう無茶して欲しくないんですが、仕方ありません」
並び立つ。
アリナとミーシェは悪魔と向かい合う。
「必ず勝ちましょう」
「はいっ!!」
直後、二人は悪魔と激突した。




