第二十話 だから、私は絶対に負けない
リルが殺されたあの過去においてミーシェは魔刃鞘収で紅い蛇が集まって両腕を構築していた箇所を喰らった。魂だけで存在する、つまりは魔力の塊である悪魔に対して魔刃鞘収は触れただけで喰らい殺す必殺として機能する。もちろん当時の悪魔ならいかにミーシェが魔刃鞘収を使えるにしても返り討ちにすることはほぼ確実に可能ではあったが、用心深く撤退を選んだ。その後は『知識』の通りに二代前の聖女が命を捨てて封印したようだが、ゲームの中では復活するのはもっと遅かったはずだ。
つまりゲームと違ってこの世界ではこんなにも早く封印を破壊できるだけの『力』を獲得しているということになる。
悪魔。
第一の騎士、その『本領』。
あくまでゲーム中では生きている人間に乗り移って国家中枢に侵入したとかそんな描写はあったが、死体にまで干渉できるとは『知識』にもなかった。
『知識』は決して万能ではない。
ルドガーの水の魔法・爆水霧中がゲームで描写されていたよりも厄介な性質をもっていたように、ゲームと現実は似て非なるとわかっていたはずなのに。
『本領』を読み間違えた。
悪魔の悪意を甘く見た。
「どうだァ、ハハァッ。なかなかに愉快な展開だろォ?」
その結果、リルの死後の尊厳さえも踏み躙られている。
悪魔が死体に乗り移って操る、悪趣味の極み。
『知識』には操っている人間の力も扱える、という利点があるにしても、ゲーム中ではその点はそこまで強調されてはいなかった。
「ああそうだァ。いいこと教えてやるよォ。俺様たち悪魔はこうして支配した肉塊の力を得ることができるし、魂を喰らわせて育てることだってできるんだぜェ。つまりあの時の俺様と同じとは思うなってなァ。まァこの肉塊をわざわざ選んだのは嫌がらせ以外の何でもないけどなァ、ハハァッ!!」
ただしストーリー内でリル=スカイリリスが悪魔に憑依されたことはなかったし、長期間憑依された状態で戦闘に使われた人間もいなかった。
死体も操れるとか、操っている死体をおそらくは経験値を与えて成長させられるとか、そんなことは『知識』にもない。
『知識』の範囲外。
ミーシェも知り得なかった事実。
悪魔の言葉が真実であった場合、リルが殺されたあの過去が十歳の出来事で今のミーシェは十四歳。つまり四年間かけて主人公の肉体を育て上げているということになる。
主人公。
勇者として世界を救うポテンシャルさえ秘めた素体。
レベリングしたリルの死体に第一の騎士オリエンス=ファーストバイブルの力を上乗せしたら、そのステータスはどれだけ跳ね上がっているのか。
その『力』がゲームよりも早く封印を破壊するという結果を導いた。魂を喰らわせる云々はおそらく敵対者を殺して経験値を獲得してレベリングすることだろう。二代前の聖女、歴代最強の彼女は教会保有の私兵だけでなくサラマンダー聖国の軍勢を引き連れて、そして多大な犠牲と共に最後にはその命さえも捨てて悪魔を封印した。
つまり封印されるまでの間にリルの死体を育てる経験値には事欠かなかったはずだ。
だけど、そんなことは関係ない。
あんなものを見せられてこれ以上我慢なんてできるわけがない。
「よくもリルをお!!!!」
跳ね起きる。
駆け出そうとする。
リル=スカイリリス。友達が、たった一人の友達の死後の尊厳が踏み躙られている。そんなの許せるわけがない。目の前の悪魔を殺せるなら、それなら──
そこで、足が止まる。
ミーシェは立ち止まってしまった。
振り返る。
ルドガーにアリナ、ロードやクルミたち数十のリトルゴブリン。
『みんな』がそこにいた。
「……、お願い」
リルは死んだ。
村のみんなを救えなかった。
幸せは壊れて元には戻らなくて、なのにあの破滅を防げたはずなのに何もできなかった大罪人だけがのうのうと生きている。
だから。
それでも。
こんな大罪人にも決して許せない悪意が目の前にある。あれだけは一時も早く殺さないといけない。
これがどれだけ個人的な闘争であろうとも、やぶれかぶれで挑んでいいものではない。
頑張ったから失敗しても仕方がないで済ませられるわけがない。
何でもやる。
それがどれだけ独りよがりであろうとも、ここまで生き残ったミーシェだからこそこれだけは成し遂げないといけない。
「あの悪魔は村のみんなを殺して、私の友達を殺して、その友達の死体を好き勝手に操っている!! それだけは許せない!! 私が殺さないと駄目だ!! だから! リルをもうゆっくり眠らせてあげるためにみんなの力を貸して!!」
こんなのはミーシェの我儘だ。
『みんな』が命をかけて付き合う義理はない。
だから。
なのに。
「おう」
「うんうん、子供はそれくらいわがままなほうがかわいいんですよ!」
「任せるであるぞ!!」
「はいっ!!」
「「「よっしゃあ、やってやろうぜ!!」」」
これは、もう、ミーシェのためだけの闘争だった。
『みんな』には関係ないと逃げてもよかったはずだ。
それでもルドガーもアリナもゴブリンロードもクルミも、そして数十のリトルゴブリンも何の迷いもなく即答してくれた。
もちろんだと。
友達なんだから遠慮するなとでも言わんばかりに。
これはミーシェの錯覚かもしれないけど。
願望が溢れているだけかもしれないけど。
それでも、だとしても、もうミーシェは一人ではないのかもしれない。
「ありがと」
「気にするな。それよりやるなら気張れよ。あの野郎、スカーレットより強そうだ」
「第一の騎士オリエンス=ファーストバイブル」
「おい、まさか」
「あの野郎は『四つの災厄』の一角。しかも主人公であるリルの力まで取り込んでいる。スカーレットも厄介なボスだったけど、『四つの災厄』はそれ以上。そこにリルの死体まで取り込んでいるならラスボスに匹敵するかもしれない」
「色々と聞きたいことはあるが、今はこれだけ聞かせてくれ。勝機は見えているか?」
「水の精霊ウンディーネ」
ミーシェは左の眼窩に手を突っ込む。
アリナが『ちょっとー!?』と叫んだり、それを見るのは二度目のクルミが心配そうにミーシェを見つめたり、ロードが二度目でも慣れずに驚愕を顔に出さないよう口をぴくぴくさせている間に魔族由来のスキルで具現化した剣を引き摺り出す。
「裏ボスの一角を召喚すれば勝てるはずだけど、それをしないのはどうして?」
「本当色々と聞きたいが、今はいい。王都の俺の屋敷内でしか召喚できないという制限があるからだ。流石にここまでの脅威が潜んでいるとは思ってなかったから事前に召喚しておくまではしなかったが、失敗だったな」
「遠距離攻撃」
「ウンディーネ様は強すぎるし、細かい力の調整はできない。確かに遠距離効果でここまで届くかもしれんが、巻き込まれないよう注意は必要だ」
「それは私がなんとかする。屋敷に戻って召喚するとしてどれくらいかかる?」
「全力出せば屋敷まで三分、召喚に一分の計四分ってところか。とはいっても奴らがそれを許すとは思えないがな」
「……あの悪魔は無数の蛇の集合体。一匹でも逃がしたら厄介だけど、ウンディーネは対応できそう?」
「隠れられたら俺たちじゃ無理かもな。だが、ウンディーネ様は探知能力からして桁違いだ。ここら一帯のあの紅い蛇を一匹残らず捕捉、攻撃して殺すくらいは造作もない。あの悪趣味な蛇は確かに強そうだが、本気のウンディーネ様ほどではないしな」
「だったらいける。召喚までの四分稼ぐことができればウンディーネの力であの野郎を殺せる!!」
「待て。奴らが最悪を想定していた場合、王国所属の精霊にも勝てる算段があるかもしれないぞ? 聖国にも精霊は所属しているから大体の力は把握できるはずだしな」
「あの悪魔が『赤ノ極地』を使うとか? あの悪魔の力を十倍強化されたらウンディーネでも勝てないかもね」
だけど、と。
ミーシェはそう繋げることができる。
「最初からあの悪魔が『赤ノ極地』を装備して襲ってきていたら絶対に勝てなかったのに、わざわざ力を分散してる。それだけ侮ってる今が最大のチャンスなのよ!!」
おそらくは過去と一緒だ。
ミーシェだけが最後まで生かされたあの過去のように悪魔の悪趣味が場を席巻している。
『ハハァッ! もっと愉快な反応を期待していたんだがなァ。反応鈍いし、もういいやァ』、という過去の発言のように、かの悪魔は楽しむためなら瞬殺できるとしても気まぐれにしばらく生かして泳がせてその反応を楽しむくらいはする。もちろん最後には殺すにしてもだ。
「今なら殺せる。あの悪魔が『赤ノ極地』を装備する前にウンディーネを召喚できれば!!」
「何やら愉快な企みしているなァ」
悪魔は嗤う。
悪意の塊が口を開く。
「だけどォ、その作戦が成功するまで俺様が大人しくしているとでもォ?」
「ウンディーネには朱色の光で狙撃地点を教えるから、そこを狙うよう伝えて。裏ボスのウンディーネのステータスなら距離が離れていても光を視認するくらいはできるはずよ!!」
悪魔の悪意を無視してミーシェ=フェイは言う。
「ここは私がなんとか足止めする。お願い、信じて!!」
「……、死ぬなよ?」
「今は大丈夫っ。だからルドガーさんは召喚をお願い!!」
「ならよし。その言葉、信じてやる。四分頑張ってくれ。四分で絶対にウンディーネ様を呼び出してやるから!!」
「あっ。今更で悪いけど、そう易々とルドガーさんを素通りさせてくれるとは思えない。あの悪魔がそのまま立ち塞がってくるような凶悪な妨害があると思う。それでも大丈夫? もしも難しいならスカーレットを連れてみんなで──」
「馬鹿が。俺を信じろ。俺が嬢ちゃんを信じたようにな」
「……、うん」
「アリナっ。ミーシェのことだからどうせ死にはせずとも死にかけるだろうから回復任せたぞ!!」
「言われなくてもです! っていうかもうとっくに治癒をはじめていますよ!! まあミーシェちゃんをこれ以上戦わせて傷つけるってのはちょー不本意ですけどね!!」
「それに、そこのゴブリンたちも。ミーシェのこと頼んだぞ!」
「お主に言われずとも、吾らは友の力になるのであるぞ!!」
「わたしもお姉さまの友だち、いいえ、もっと深い関係になるためにも頑張るんです!!」
『よっしゃ、てめえらダチのためにも張り切っていくぞおー!!』『おおーっ!!』と元気いっぱいなリトルゴブリンたちに隠れて『友』という単語にミーシェが泣きそうになっていることはあえて指摘せず、ルドガーは水の魔法で足元を滑らせるように高速移動で王都に向かった。
そこまで悪魔は待っていた。
わざわざ戦力を分散してくれているというのもあるが、悪魔の悪趣味具合なら一度希望を抱いてそれを奪うほうが愉快だとでも考えているのか。
「女ァ。まさか昔に俺様に一矢報いた程度で勘違いしちゃったかァ? そもそも俺様単体とお前さんとでさえ力の差が開きまくっている。その上でこの死体の力は俺様に匹敵するほどに強大なんだぞォ」
「知ってるよ」
ミーシェは目元に浮かぶ雫を拭う。
切り替える。
『知識』の有無なんて関係ない。
リル=スカイリリスは過去の時点でミーシェよりも遥かに強く成長していた。才能の差は思い知らされている。同じ年月を積み重ねたのであればミーシェがリルに勝てるわけがない。
だけどそれはリルが同じ年月を積み重ねていればの話だ。死体を操って尊厳を踏み躙っているだけの悪魔ごときにリルの力を引き出せるわけがない。
ミーシェ=フェイはリル=スカイリリスに勝てない。ゲームの中でも、この世界でも、絶対に。
だけどそんな絶対のルールは今この瞬間には作用しない。あれがリルの死体であっても、もうリルではないから。
「だから、私は絶対に負けない」




