間話 ミーシェ=フェイについて その五
正解は最初から提示されていた。
定められた未来さえ選んでいればとりあえずリルとミーシェは生き残ることができた。
それが及第点、世界は救えるが犠牲は避けられない選択肢だったとしても愚直に『知識』の通りに行動さえしていれば少なくともこんな結果にはならなかった。
呆気なく勝敗は決した。
一撃。たったの一撃でリルが敗北するという結果で。
『う、そ』
リル=スカイリリス。『四つの災厄』を倒して世界を救える才能の持ち主だろうともそれは『知識』の通りに進んだストーリーでの話。今この時点でそれほどの実力を身につけているとは限らない。
リルは呆気なく薙ぎ払われた。
鮮血を撒き散らしながら近くの家の壁を砕く勢いで叩きつけられた。舞い上がった粉塵でどうなったか見えないが、地面をあれだけ真っ赤に染めているほどの損傷だ。
生きているとは思えない。
それに、もしもかろうじて息があったとしてもこの場に治癒魔法の使い手がいない以上、その命はすぐに尽きるだろう。
『リル……?』
未来は変わった。
変わってしまった。
こんなにも簡単に死が突きつけられる。
直後、ゴグシャア!! とミーシェなんて埃でも払うように一蹴された。弱すぎてそもそも敵として認識すらされていなかった。
リルのようにまともに攻撃を加えるだけの戦闘力すら見出しておらず、文字通り片手間だった。
だから負傷はひどく、だけど他の村人たちよりは頑丈だったからこそ意識は朦朧としていながらもミーシェは一部始終を目撃していた。
隣の家の主人が背中に庇った家族ごと吹き飛ばされる。
リルやミーシェを助けようと戻ってきてしまった大人たちが遊び半分で砕け散る。
血は舞い、肉が弾ける。
臓腑は抉られ、命が尽きる。
『ミーシェ……』
村長。
腹部を貫かれて雑に放り捨てられた彼はミーシェを見つめてこう言ったのだ。
『そのまま……じっと、しているんだ』
死体だと思い込ませれば生き延びられるかも、と信じて、村長は死んだ。
ミーシェのせいでこうなったのに。
ミーシェがこのストーリーを思い出すのがもう少し早ければ村長も村のみんなもそしてリルも全員を救えたかもしれないのに!!
『……け。うご、け』
全ては遅かった。
声が出せるまで回復したその時には赤と黒が世界に広がっていた。
全員殺された。
ミーシェを拾って育ててくれた村長も、村の一員として受け入れてくれたみんなも、大切で大好きな友達も。
そこで、ようやく。
ぴくりとその指が動く。
魔人。魔族の遺伝子の影響で普通の人間よりは治りが早いからか。
それでも。
もう助けたい人たちは一人残らず殺されてしまった後だった。
『なんで、いまさら……このポンコツが! 今更動けたってもう遅いのに!! 私だけ生きられるか……。刺し違えてでもお前だけは殺してやる!!』
勝ち目がないことはとっくにわかっていても、育ての親である村長の想いを無駄にするだけだとしても、ミーシェはそう叫んだ。
感情なんて自分でも説明できないくらいぐちゃぐちゃだ。敵討ちとかそんな単純な言葉では説明できない。
それでも立ち上がった。
たったその一動作で血反吐を吐くような有様でも、痛みなんてミーシェを止める理由にはならない。
せめて一矢報いる。
『四つの災厄』、その一角。
遥か昔に初代勇者でさえも封印を選ぶしかなかった脅威だろうが何だろうが関係ない。
殺す。
必ず殺す。
殺せなくても、みんなと一緒に死ねるのならば、それはそれで──
トン、と。
軽く、優しく、だけど確かにミーシェは横から突き飛ばされた。
直後に破壊の嵐があった。
ミーシェの真横を死の一撃が突き抜ける。
あのままでは直撃していた。
そうはならなかった。
横から飛び込んできた誰かがミーシェを突き飛ばしたからであり、代わりに死の一撃を引き受けたから。
肉が裂けて、骨が砕けて、一人の人間の命が潰れる音がした。
リル=スカイリリス。
たった一人の友達がそこにいた。
『あ』
例えその選択が自身の破滅を招くとしても。
それでもミーシェを救った彼女はどこまでいっても主人公だった。
その身体は徹底的に壊れていた。
言葉を発する暇もなく終わっていた。
リルは死んだ。
そこにあるのは死体だった。
それ以上も以下もなかった。
倒れる。
今までそうなっていなかったのが不思議なほどに、当たり前のように。
ーーー☆ーーー
未来は変わった。
この世界の中心に立っていたはずの主人公リル=スカイリリスの死を確定させた。
それがどれだけ望んでいないものだとしても、コンティニューはできない。
この世界がどれだけゲームに似通っていても、あくまで現実世界なのだから。
ーーー☆ーーー
ミーシェ=フェイは呆然と『それ』を見つめていた。
『四つの災厄』、その一角。
禍々しい冠をかぶった無数の紅き蛇が集まり、二足歩行の人間のように形作っている異形。
毒と悪意の象徴。
大陸東部サラマンダー聖国に初代勇者によって封印されていた災厄。
第一の騎士オリエンス=ファーストバイブル。
その正体は悪魔。魂だけでこの世界に存在する超種族である。
魔族はあくまで肉の身体を駆使して人類を滅亡寸前まで追い込んだ怪物ではあるが、悪魔はそもそも肉体という縛りすら必要としない。
魂。
つまりは魔力の塊『だけ』で世界に現存可能なほどにその力は膨大なものだった。
ミーシェとの力の差は明確だ。
ここまできても彼女にはかの悪魔が何をしてみんなを殺したのか視認することすらできていないのだから。
毒。
『知識』によるとかの存在は毒の魔法を得意技にしていたが、まだその魔法すら使っている様子はない。本気を出してもいないのにミーシェは反応もできていなかった。
『ハハァッ! もっと愉快な反応を期待していたんだがなァ。反応鈍いし、もういいやァ』
かの悪魔が動けば、それまで。
一撃で勝敗は決する。
だからそれは当然の結末だった。
無造作に指のように束ねられた紅き蛇がミーシェの左目を貫く。
そこに窪みがあったから突っ込んだ。
それだけで全ては終わった。
眼球から脳まで深々と貫き、死を与える。
悪意。ミーシェを生かしていたのは気まぐれではあっても、一人だけ残したのはそのほうが面白いとでも考えたからか。
一人の人間が絶望する様は堪能した。
だから殺す。それだけだ。
だから。
しかし。
バッッッヂィン!!!! と。
眼球は貫いたが、そのまま脳まで達しようとしていた悪魔の指が弾かれたのだ。
『なァッ!?』
初めて、だ。
『四つの災厄』の一角、第一の騎士オリエンス=ファーストバイブルが驚愕の声を上げる。
悪魔の絶対性が揺らぐ。
『……、なんでよ』
噴き出す、溢れる。
左の眼窩。眼球が潰されて、しかしその中には深い闇が揺蕩っていた。
ミーシェ=フェイ。
ただの人間ではなく、魔族の遺伝子を混ぜ合わせた魔人は言う。
『こんなの知らない。「知識」にもこんなのはなかった』
それでもミーシェの身体は動いていた。
まるで腕を動かすために身体内でどんな反応が起こっているか完全には理解していなくても本能的に腕を動かすことはできるように。
理屈なんて知らない。
『知識』なんて必要ない。
ただそうであるならば、力は引き出せる。
眼窩に手を突っ込む。
引き摺り出す。
ぐっちゅう!! とその剣は当然のように飛び出してきた。
到底眼窩の中に収まるにはサイズがおかしかったが、こうあることのほうが正しいと言わんばかりだった。
その剣の使い方は、わかる。
わかってしまう。
『我が魂を喰らいて糧とせよ』
踏み込み、その剣を振るう。
腕を動かすように自然に力を引き出すコマンドワードを口にしながら。
『魔刃鞘収』
魔力を喰らうその力を解放して。
悪魔。魔力の源である魂だけの存在。つまりその剣は悪魔に対して絶対的な効果を示す。
本能的に危機を察したのか防御のために構えた両腕をミーシェはいとも簡単に斬り裂いて魔力を喰らった。
『なによこれ……』
そこに絶対的な脅威に対抗する力が手に入ったことに対する喜びはなかった。あるわけがなかった。
『こんな力があるなら!! なんでもっと早く使えなかったのよおおおおおおおおおおおおお!!!!』
ミーシェはいつも遅かった。
だから彼女には誰も救えない。




