第十一話 それはまるで雑草でも刈り取るような
ミーシェと『彼ら』が邂逅する少し前に、このような会話があった。
『一応聞くけど、ロードちゃんたちは人間に危害を加えたことはある?』
『何を言っておる!? そんな恐ろしいことできるわけなかろう!! 人間の怒りを買えば吾らなど皆殺しだし、そもそもそんなことをする理由もない!!』
『知識』、前世の記憶においてもリトルゴブリンたちは誰にも迷惑をかけないようひっそりと暮らしていたという情報は提示されていた。だからこそその事実を知った主人公と『彼ら』は敵対することになった。
もちろんこの現実世界においては違う可能性もあったが、少なくともミーシェが事前に調べた限りではここら一帯で犯人不明の不可思議な(つまりはリトルゴブリンたちが関わっている可能性のある)事件は確認できなかった。
というか目の前の女の子が器用に嘘がつけるとも思えない。
『まあ、どちらにしても奴らがこの現実世界でもストーリー内と同じようにくだらない差別意識で悲劇を撒き散らしているようだし、ぶっ倒すのは変わらないけど』
やはり理由は多いほうがいい。
クルミやゴブリンロード。静かに暮らしているだけの女の子たちを守るため。そんな理由があったらやる気だって上がるに決まっている。
ーーー☆ーーー
現在。
クルミを庇うように立つミーシェは後悔していた。
(ストーリーじゃリトルゴブリンたちが皆殺しにされた現場に主人公がやってくる。もう全部終わってからの情報しか知らない。だからこそ早めにリトルゴブリンたちの家に来ておいて待ち伏せするのが確実だと思った)
あくまで序盤の導入。
『彼ら』── 大陸東部のサラマンダー聖国に総本山があり、国家運営にも深く関わっているスカーレット教においては魔獣とは神の敵として定義されている。
そんなスカーレット教の信徒の中でも過激派集団『救世の聖派』。
率先して魔獣を殺処分していくことを信条とする集団であり、ひっそりと隠れ住んでいる魔獣さえも根こそぎ殺してそれが正しいと、聖戦なのだと疑う余地もないその思想に主人公は納得できず、敵対することになる。
『あのお方』が与えた聖戦指南書やリボルバーなどの最新装備。
それらによってこれまでそういう思想はあっても実行に移すことができなかった『彼ら』がここ数年で急成長、一国の兵士さえも上回るステータスを獲得した。
そんな『彼ら』の存在を示唆するイベントとしてリトルゴブリンたちの死体を主人公は見つけるというのがある。
そう、本来のストーリーならリトルゴブリンたちは皆殺しにされるはずだったのだ。そこまでできる『彼ら』がやってくるのは決まっていた。
事前にリトルゴブリンたちを逃がすというのも考えたが、それだと『彼ら』の次の動きが『知識』でも読めなくなる。確実に遭遇できるのは死体発見イベントの前、つまりリトルゴブリンたちを殺しにくるそのタイミングなのだ。
そこが『彼ら』に最も早く遭遇するタイミングだった。
リトルゴブリンたちを助けるために、そしてその後に続く悲劇を防ぐために。
ストーリーの通りに進むだけでは悲劇は起きてしまう。そんなの最強になると誓ったミーシェは認めない。
だから今後のことも踏まえて──攻め込んでくる『彼ら』を殲滅してリトルゴブリンたちをその場限りに救うだけではストーリーと逸れて今度の襲撃のタイミングが読めない。これ以上誰も襲われないよう『救世の聖派』を壊滅させるには『知識』でも足りない情報を引き出す必要があった。
そのためには確実に襲撃がある、つまり情報源が顔を出すこのタイミングは外せなかった。
とんでもない失敗だった。
まだ時間はあるからと、できるだけ強くなっておくのが今後のためだからと、そんな欲をかいてルドガーやウンディーネ、ゴブリンロードと勝負して無様に意識を失っていたから間に合わなかった。
そのせいでクルミが傷ついた。
最強になる。そればかりを考えてそれ以外がおろそかになっていた。
何の罪もないクルミが傷ついたのはミーシェのせいでもある。『知識』があってもそれだけで全ては救えない。最強にはなれないとわかっていたはずなのに。
だけど。
それでも。
そもそも好き勝手に殺しを撒き散らす連中が存在するのがいけないのだ。
正義か悪か? そんなの知るか。気に食わないから殺す。そんな理屈で引き金を引いたのは『彼ら』のほうだ。ならばこちらも同じ理屈で戦うことを咎められる筋合いはない。
ーーー☆ーーー
「待て! 貴様人間だろ!? どうしてリトルゴブリンのような醜い魔獣を庇い立てする!?」
「気に食わない、それ以上も以下もない」
その言葉が終わったその瞬間、彼女の動きを誰も視認すらできなかった。
黒髪に眼帯の少女が消える。
いいやあまりの速度に『気』で強化している動体視力が追いつかなかったと気付く前に黒装束の一人が吹き飛ばされた。
蹴った、と。
それが分かったのはいきなり現れた少女がゆっくりと右足を下ろしたからだ。
「な、ななっ、貴様ッ! 人間でありながら聖戦に挑む勇者に何たる真似を!!」
「勇者?」
それは。
その言葉は。
「静かに暮らしていた者たちの安息を勝手な理屈で踏み荒らし、悲劇ばかりを撒き散らすお前たちが勇者だって?」
「そうだ、勇者だ!! 我らはその命を賭してでも世界を害悪どもから守り抜く誇り高き勇者なのだ!!」
ギヂリ、と。
少女の拳が握りしめられる。
最強とかそのための経験値とかそんなもの考える余地もなかった。ルドガーやウンディーネ、ゴブリンロードの時とは違う。殺すならともかく、そうでなければ全力を出させてから倒したほうが経験値が多く手に入るなんて考えはとっくに吹き飛んでいた。
魔獣を排除する。
その思想自体はこの世界の人間の中ではポピュラーな考えなのかもしれない。
ストーリーにおいても魔獣を殺してきたから罰せられた、というよりも、これから先の時間軸においてその思想が暴走して魔獣を駆除するためなら被害を度外視して人間社会にも悪影響を与えたから。魔獣を擁護する人間にも危害を加えるテロ集団としての側面が強くなっていったからだ。
そう、あくまでこれから先の時間軸においては、だ。
今の『救世の聖派』は魔獣を率先して殺し回っているだけなので、この世界の人間社会においては罪には問われない。ミーシェにとっては胸糞悪い話だが、それがこの世界の正義である以上ルドガーのような王国内で地位を築いている人たちに頼れば信者を不当に傷つけられたとして教会との関係悪化、果ては教会が深く影響を及ぼしている聖国と王国との全面戦争にだって発展しかねない。
過激だっただけで、やることが虐殺だっただけで、それがやり過ぎだと判断されたからストーリーにおいて『彼ら』は倒されただけで、魔獣『だけ』に手を出しているのであれば『救世の聖派』はテロ集団として罰することはできない。
主人公自体は何の罪もない魔獣を殺すことに心を痛めて戦っていたが、少なくとも人間社会の正義は別に『彼ら』の思想自体は否定していないのだから。
だから自分たちのことを正義だと言えるのか。
勇者。世界を救う最強の戦士だと、勇敢なる者なのだと胸を張って言えるのか。
「……、もう喋らないで。殺してしまいたくなる」
「調子に乗るなよ、神の意思に反する背信者が!! 神が、そして『あのお方』が我らにはついている。であればこれは天罰だ。死ぬのは貴様に決まっているだろうがア!!」
おそらくはリーダー格の男が身振りで指示を出す。数十人の黒装束がリボルバーを構える。
「死ねえ!!」
火薬の破裂と共に最新鋭の兵器が火を噴く。
銃弾が壁のように少女に迫る。
いかに彼女が高速挙動できようとも数十人で広範囲に銃弾をばら撒けば避けきれずに当たる。
リトルゴブリンの肩を吹き飛ばすほどの威力だ。かするだけでも人間の肉を吹き飛ばし、そのまま痛みによるショック死あるいは出血多量で殺すには十分だ。
だから。
しかし。
朱色の壁が銃弾を弾く。
それが腰から抜いた魔剣を振るい、前方を斬撃で満たしたからだと気付いたのは銃弾が弾かれて朱色の壁が消えたからだった。
だらりと魔剣を下げて。
侮蔑の表情で。
少女は言う。
「もういい?」
「……ッ!?」
それが合図だった。
その声さえ置き去りにする猛威が『彼ら』に襲いかかる。
ドッ!! と何かを砕くような音がした。ミーシェが地面を蹴って岩肌を砕いたのだと認識する暇もなかった。
それが黒装束たちの耳へ入った時にはリーダー格の目の前に飛び込んでいた少女が魔剣を振るっていた。
魔剣の刃ではなく側面による横殴り。
側頭部を打撃されたリーダーが呆気なく薙ぎ払われた。
「弱い」
不機嫌そうに吐き捨てる。
今更のようにリボルバーを向け直した黒装束の一人の腹部に蹴りが突き刺さる。
「お前たちのような雑魚が勇者になれるわけない」
本当に今更のように『彼ら』は思う。
聖戦指南書。『彼ら』が魔獣とやり合える実力を身につける指標になった書の一節にはこうある。
防御装備『イージスギア』。
十五もの魔獣の鱗や皮を組み合わせた『イージスギア』は鋼鉄よりも強固で布よりも動きやすい。
全身を覆う『イージスギア』は理論上ならドラゴンのブレスさえも防ぐことができる。
それほどの装備なのだ。
『あのお方』が授けてくれた聖戦指南書にはそう記載されていたのだ。
お構いなしだった。
顔から足の先まで覆った『イージスギア』という安全圏、絶対に傷つかない場所から一方的に敵を蹂躙するというこれまでの当たり前が崩れる。
鉄壁の防御装備が通用しない。
全ての攻撃が意識を刈り取る必殺になっている。
あの魔剣に防御を無視する何かしら特殊な効果でもあるのかと思ったが、少女の蹴りや拳でも結果は同じだったと思い直す。
つまり。
だから。
単純に少女が『イージスギア』という安全圏が通用しない怪物である、というだけ、なのか?
「ま、まって、俺たちは同じ人間じゃないか!! だから──」
「同じ? どこが?」
再度消失。
今度は黒装束の顔面へ飛び蹴りを浴びせた。鼻血を撒き散らし、吹き飛ぶ奴には目をくれず、宙に浮いたままの少女は近くの黒装束の肩へ手を置く。さりげなく、軽くやったようにさえ見えたのに、そこに込められた力は尋常ではなかったのか黒装束は耐えられずに膝から崩れる。両足がおかしな方向に曲がる。
そこを土台に旋回。
リボルバーなんて立派な武器を持っていながら当たるどころか発砲する暇もなく黒装束たちが蹴り飛ばされていく。
今更のように『ひぎぃがあ!?』などと膝から崩れ落ちた状態で悲鳴をあげた土台の黒装束を煩わしそうに、それこそ路上のゴミでも見るように見据える少女。
何でまだ意識があるとでも言わんばかりに肩を掴んだままだったその手で黒装束を振り上げ、ぞんざいに地面に叩きつけて意識を粉砕する。
勝負にならない。
左の眼帯という死角を狙うとかそれ以前にそもそも同じ土俵に立てていない。
蹂躙。
まさしく一方的に狩られているだけだ。
「無駄にうじゃうじゃいて鬱陶しい」
「ひいっ。たしゅけ……っ!!」
「お前たちは魔獣がそう言っても助けるわけ?」
「そ、それは」
「だから、私はお前たちを許さない」
侮蔑。
消失。
轟音。
瞬きをしたその後にさらに黒装束が肉でも抉れたのか血を撒き散らしながら吹き飛ぶ。
「覚えてなさい」
残りを見据えて、少女は言う。
「私はミーシェ=フェイ。お前たちがこれから先、魔獣でも人間でも誰かを傷つけたならば、どこに逃げ隠れても潰す女の名よ」
少女が迫る。
『彼ら』にできることは何もなかった。




