第十話 敵
ミーシェが目を開けると、岩肌の天井が出迎えてくれた。
「お、目覚めたか」
そばに腰掛けていたゴブリンロードは肩に担ぐように持っていた大槌をそこらへ放り投げ、声をかける。
ドスン!! と地響きに似た震動がした。武器が地面に落ちる音にしては重厚すぎる。
よほどの質量があるのだろう。
「よもや吾の一撃を受け止めるとはな。正直驚いたのであるぞ」
「私、は……負けた、の……?」
「まさか。臣下の間ではそういうことになっているが、あれを吾の勝ちにするほど恥知らずではない。……いや本当なんだお主は? 治癒魔法で傷は塞がっておるが、それほど深い反動が残っておってよくぞあれだけ動けたものである。お主が万全だったならば吾は何もできずに負けておった」
「……むう」
「なぜ不満げなのだ?」
そんなの負けは負けだからに決まっている。
こんなでは最強になれるのはいつになることやら。
ミーシェは頬を膨らませ、不服そうに呟く。
「今度はちゃんと勝つんだから」
「勘弁してください!!」
なぜか全力で頭を下げられた。
何なら涙まで浮かべてだ。
ゴブリンロードが何を言おうがこの屈辱は絶対にはらしてやると心に決めるミーシェ。
それはそれとして。
「クルミちゃんだけどさ、あの優しさは大事にすべきかもだけど危なっかしいから気をつけたほうがいいと思う」
「まあ彼奴は若く、まだ人間の悪意に触れていない。外での食料調達も人間とは出くわさないよう気配探知に長けた者たちがついていくわけであるし」
倒れていたミーシェが拾われたのはその時だろう。そうでもなければ人間に出くわす危険性を負ってまでリトルゴブリンが外に出る理由はない。
「それより、その」
「?」
「ずっと聞きたかったのだが、人間とはそんな独特な格好を好むものなのか?」
ミーシェの現状は以下の通り。
ひらひらでスケスケで肌色が隠し切れずに服としての機能が果たせていないどこぞのメイドの好みに合わせた白のネグリジェを着ている。
極力意識しないようにしていたのだが、指摘されては羞恥に顔が赤くなるに決まっていた!!
「ち、ちがっ、これは着替えるのを忘れていただけで普段はもっとまともな服を着ているから!!」
「痴女……」
「違うんだってえ!!」
本当か? と疑いの目を向けられるが、こればかりは誤解を解かないと色々と困る。流石に痴女扱いは嫌だからだ!!
「ま、まあ、好みは人それぞれだしの」
「うわあん全然信じてくれないよお!!」
「それより、本来の用事が別にあると言っておったが、どういうことだ? 単にそこらで倒れていたのを偶然クルミが拾ったのではなく、元々吾らに何かしらの目的があったということか?」
「この流れで真面目な話をしないといけないの? いやまあするけどさ。皆殺しとか胸糞悪いし」
「何だって?」
不穏な単語にようやく引き気味だったロードが表情を改める。
「正確にいつなのかは推測になるから言い切れないんだけど、多分そんなに猶予はないと思う。近いうちに奴らがロードちゃんたちを殺しにやってくる」
「奴ら?」
「クソみたいな差別主義者よ」
ーーー☆ーーー
ミーシェが運び込まれた洞窟はリトルゴブリンたちの棲家である。
ウンディーネ王国の王都近くに広がる山岳地帯、その最も大きな山の中腹付近。ゴブリンを含めた魔獣は生まれながらに多くの魔力と優れた魔法技術をもつ特徴がある。その力を存分に使って複数の隠蔽魔法を展開し、洞窟の入り口は隠蔽されていた(流石に魔の極地とまで評されていた今は滅亡した魔族ほどに膨大な魔力と優れた魔法技術はないにしても)。
そこに、『彼ら』は踏み込む。
入り口、つまり山岳地帯の目立たない場所にある洞窟……その行き止まり『に見える』その奥。
視覚だけでなく感触まで騙す幻覚だが、『その先にも空間がある』ことを知っていれば通ることができた。
だから事前にリトルゴブリンの棲家の入り口や隠蔽術式の破り方まで『あのお方』が派遣した使者から聞いていた『彼ら』の足取りに迷いはなかった。
顔まで覆う黒装束のコート。
右手に刻まれた剣と槍を交差した刺青。
武器は腰に差している剣やリボルバー。
装備も含めれば一国の兵士さえも上回る実力を身につけた数十人の人影はボソボソと陰気な声音で、
「やはりあのお方の情報は正しかったようだ。害悪なニオイがぷんぷんする」
「醜い神の敵め」
「さあ正義を成し遂げよう」
そして『彼ら』は示し合わせたようにこう告げた。
「「「正義は我らにあり!!」」」
そして。
そして。
そして。
ーーー☆ーーー
その時、クルミは何か物音がする方向に足を運んでいた。
致命的だった。
洞窟内でも比較的ひらけたその場所で『彼ら』と遭遇する。
「わっ。に、人間さん、ですか?」
疑問系だったのは顔まですっぽりと黒装束で覆っていたから。
問いに『彼ら』は答えなかった。
機械的にその手が動く。
腰。そこに差してある黒光りする何かを抜いたとクルミが認識した時には突きつけられたその何かから轟音が炸裂。
ドバンッ!! と右肩に衝撃と激痛が走った。
貫き、抉れる。
肩の半分ほどがいきなり吹き飛んだのだ。
「ひっ、ああああ!?」
そこで終わらない。次から次に黒光りする何かが向けられ、複数の轟音が炸裂し、その度にクルミの全身を抉り飛ばしていく。
何が何だかわからなかった。
もんどりうって倒れるクルミは痛みに悶えるしかできなかった。
「な、なんで、にん、げん、さん……?」
どうしていきなり攻撃されたのか。
こんなひどいことができるのか。
「ひゅーっ! やっぱり害悪は一方的に駆除されるのが正しい世界のあり方だよなっ」
こんなにも酷いことをしておいて、そんなに喜んでいるのが心の底から理解できなかった。
クルミはリトルゴブリンの中では比較的若く、隠蔽術式で守られた洞窟の中で育ったので人間の悪意に触れる機会がなかった。そのせいで警戒心が損なわれていたのだ。
人間は危険なのだと、そう聞かされてはいても実感がなく、しかも唯一直に接した人間がミーシェ=フェイというこの世界の常識の埒外の存在だった。
ミーシェを一般的な人間だと思ってしまっていた。
それはまさしく致命的だった。
『彼ら』が近づく。
人間。極端に振り切ってはいても、この世界では珍しくない魔獣に対して敵意を持つ者たちが。
黒光りする何かが向けられる。
クルミは知らなかったが、それはリボルバーと呼ばれる立派な兵器だった。
火器。
大陸東部を支配するサラマンダー聖国で開発された最新鋭の『現代の兵器』。
超常現象さえも引き起こす『遺産』と違ってあくまで物理学の範疇の現象しか起こせないが、その威力は強固な魔獣の鱗さえも砕く威力がある。
『彼ら』の一人は言う。
「醜いなぁ。害悪、はっはっ、これは害悪だ! 我らが女神様が世界に存在してはいけない敵として定義しているのも納得だなぁ!!」
「う……ぁ?」
「魔族は平穏を崩し、騒乱を引き起こし、人類を滅亡寸前まで追い込んだ。魔獣の同類が! 人間様の平穏を乱したんだ!! なあそんな害悪に生きている価値があるか!? ないよなっ! 世界平和のためには駆除しないとだよなあ!!」
意味がわからなかった。
確かにクルミが生まれる遥か昔に魔族という種族が悪さをしたというのは聞いたことがあるが、そのことでクルミが責められる理由がわからない。
大体魔族とリトルゴブリンはまったくの別の種族だ。生まれながらに魔力を多く持ち、魔法が得意というのは似ているが、魔族には己の力を武器の形に集約するスキルという種族固有の能力があるように、根本的に違う生き物なのだ。
種族さえ違うし、そもそもそんな過去のことで今を生きる自分が責められている理由がわからない。
だってクルミは何もしていない。
誰も傷つけていない。
「どう、して……?」
「あん?」
「どうして……こんなひどいことが、できるんですか?」
思わず漏れたその疑問に。
『彼ら』は口の端を歪めて即座にこう返した。
迷う理由がないと示すように。
「ぴーぴー喚いて気持ち悪いなぁ。さっさと死ねよ」
つまりはそういうことなのか。
世界平和とか耳障りのいい言葉を並べておいて、本音はそれなのか。
気持ち悪い、だから殺す。
害悪。そう定義したから、だから罪悪感の一つもなく人間と同じように話せて思考ができる生き物だろうが殺せる。
それが『彼ら』なのだ。
「や、だ……」
「おっ?」
一人の黒装束がこちらに向けていた黒光りする何かが消える。数十メートルほど遠くに落ちる。
クルミの魔法によるものだ。
(わたし自身か、周囲三メートルにある物や人を転移させる魔法……)
転移の魔法。
ただし転移先として選べる範囲は数十メートル程度。短いスパンで使うことはできないので正直に言ってリトルゴブリンの膂力に任せて全力で走れば移動速度はそう変わらない。
(わたしには、これしかないです……)
いかに魔獣が魔法関連では優れていても、ゴブリンの『王』ですらない一般的なリトルゴブリンの魔法はこの程度だ。
先ほどは転移魔法で凶器を奪ったが、一度に複数の対象に発動はできないので、数十人から同時に狙われたらどうしようもない。
「めんどくせえな。なあ、トドメお願いできるか?」
「しゃーねーなー」
一斉に全ての凶器を奪わなかったからクルミの転移の魔法が未熟だと悟ったのか、黒装束たちは焦ることなく揃って凶器を構えた。
「ひっ!?」
複数の黒装束から謎の凶器を向けられ、咄嗟にクルミ自身に転移の魔法を発動。
ただし転移先に選べる範囲は数十メートル程度。それくらいの距離では何かから放たれる攻撃は届く。
つまり逃げられない。
次の攻撃でクルミは殺される。
「ん?」
そこで。
悪意に満ちた流れが途切れる。
何かが壊れる音がしたのだ。
一度や二度ではない。
それは連続していたし、徐々に大きく……いや、近付いていたのだ。
爆音。
粉砕。
クルミに凶器を向けている黒装束。
そのさらに左。
その壁が吹き飛び、飛び込んできた誰かがそのまま黒装束に突っ込む。
ゴッパァンッッッ!!!! と。
その醜く歪む顔面に拳がめり込む。
拳が振り抜かれる。
抵抗する暇もなかった。
人間という塊が軽く五回は回転しなから吹き飛んだのだ。
「ごめん、遅くなった」
新手。
何者か。
可憐な少女。ひらひらとした白い格好はまさしく天使のように可憐で、だけど怒りに燃えるその顔はどこまでも格好よかった。
「ミーシェさまあっ!!」
ミーシェ=フェイ。
彼女が目覚めてすぐに見惚れた記憶が蘇る。
あの時も格好いいとは思ったが、今はその何倍も輝いてみえる。
「何だ、貴様!?」
今更のように『彼ら』の一人が叫ぶ。
恐怖の象徴。あれだけ恐ろしかった『彼ら』が今は視界にすら入らない。
「お前たちの敵よ」
クルミには、もう、ミーシェしか見えていない。




