第八話 ゴブリンロード
目が覚めたら、視界に岩肌が見えた。天井から壁から岩だらけのどこかにミーシェは寝ていたのだ。
ベッド……というより地面に草を敷いただけの場所──おそらく洞窟の一角だろう──に寝ていたミーシェはゆっくりと身を起こす。
目と鼻の先にゴブリンがいた。
「きゃっ」
甲高い女の子らしい悲鳴だった。
ただし悲鳴をあげて尻餅をついたのはミーシェではなく、ゴブリンのほうだったが。
身長は一メートルあるかないか。
ゴツゴツとした肌をしているし、肌は薄い緑色だったが、その顔は『女の子らしい』ものだった。
リトルゴブリンと呼ばれる種族で、ゴブリンよりもひ弱な代わりに人並みの頭脳と外見の魔獣だった。
そのリトルゴブリンの女の子は尻餅をついた状態でペコペコと頭を下げて、
「ごめんなさいっ。起きているとは思わなくて!」
「いや、私のほうこそ驚かせてごめんね」
「そんなっ! 驚いたわたしが悪いんですっ。こんなダメダメなわたしのことはどうか煮るなり焼くなり頭を踏みつけるなり好きにしてくださーい!!」
「え、ちょっと!」
そのまま土下座でもしそうな勢いだったので慌ててリトルゴブリンの両肩を掴む。
予想以上の膂力だった。
ひ弱、というのはあくまで魔獣の中ではの話。数十メートルのドラゴンとかその辺りと比べれば確かにひ弱なのかもしれないが、人間に比べたら遥かに強靭なのだ。
とっさに『気』を使ったので肩を掴んで顔を上げさせることができたが、少しでも遅れていたらミーシェの両手が砕けていただろう。
「落ち着いて。私は気にしてないから」
「あ……はい」
「?」
なぜか顔を逸らすリトルゴブリン。
初対面で近づきすぎて引かれたのかもしれないと、手を離して距離をとるミーシェ。
どことなく残念そうな表情を浮かべていると思うのは気のせいだろう。
「私はミーシェ=フェイ。貴女の名前は?」
「あ、の、クルミ……です」
「そう、クルミちゃんっていうんだ。貴女が私を助けてくれたんだよね? ありがとう」
「そ、そんなっ。ここに運ぶのが精一杯で、その……」
それがリトルゴブリンにとってどれほど危険を孕むか、ミーシェはよく分かっていた。
『隔離領域』に住む超種族と違い、普通の魔獣が生き残るには人間に見つからないことが大前提だ。
魔獣に人権はない。
いくらリトルゴブリンのように人間と同じように思考ができても、敵意がなくても、人間とは根本的に違う種族だから殺しても罪には問われない。
何なら大陸東部のサラマンダー聖国に総本山があり、国家運営にも深く関わっているスカーレット教においては魔獣とは神の敵と定義されているほどだ。
ウンディーネ王国はそこまで差別意識は広がっていないが、進んで受け入れるというわけでもない。
魔獣。
強靭な肉体や魔法の技術を身につけた、人間とは異なる種族。
遥か昔、魔族に人類が滅亡寸前まで追い込まれたというのが尾を引いているのかもしれないが、転生したミーシェにはイマイチわからない感覚ではあった。
正義とか悪とか論じるつもりはないが、少なくともミーシェ個人はこの世界の一般的な価値観にわざわざ合わせることはない。
助けてくれたならば相手が魔獣だろうが何だろうが感謝する。それがミーシェの価値観であり、曲げるつもりはない。
とはいえ、これはあくまでミーシェが転生者という立場であるからであり、この世界のほとんどの人間は魔獣に対して敵意を向けている。
それなのに、
「ねえクルミちゃん。どうして私を助けたの?」
「倒れていたら助けるものじゃないですか?」
コクン、と首を傾げ、クルミは不思議そうにそう返した。
正義か悪かではなく、好ましいかそうじゃないかで言えば好ましいに決まっていた。
ただし、
「無茶するよね。私という人間が恩知らずにも貴女に危害を加えたかもしれないのにさ」
全員が全員、クルミのように優しいわけではない。
命の恩人だろうが魔獣と(人間が勝手に)分類し、悪だと決めつけて敵意をむき出しにすることは珍しくない。
正義か悪かではなく、この世界の人間の価値観はそうなってしまっている。
「でも、ミーシェさまはわたしに危害を加えていません」
「そういう話じゃ……って、ミーシェさま? そんな堅苦しく呼ばなくてもいいんだけど」
「ミーシェさまはミーシェさまなので、これは譲れません!」
「そ、そう?」
「はいっ。……うはぁ、戸惑っているご尊顔もかっこいいですよぉ」
何やら言っていた気がしないでもないが、もう全体的にふにゃふにゃで聞き取れなかった。うっとり(?)しているので少なくとも悪感情は抱かれていないのだろうが。
「まあ無理にこんなこともうやめろとかは言わないけどね。そういう考え方、私は好きだしさ」
「……えっ!? そっ、それってこく、こくこくこくっ!?」
急に顔を真っ赤にしてあわあわ両手をばたつかせるクルミ。
……岩壁にぶつかってヒビが入っているので印象に騙されて『気』による強化もなしに不用意に近づけば普通に人体破裂もありうる点には注意が必要だ。
向こうにその気がなくても事故で普通に死ねる。
と、そこで奥のほうからやってくる一団を見据えていた。
クルミと同じ小柄ながらも秘める膂力に裏打ちされた肉体の持ち主の群れ。数十のリトルゴブリン。
その先頭。
小さな王冠に金ピカのマント。他のリトルゴブリンと違ってシルエットからして『王』を形作る女の子。
彼女は身の丈以上の大槌をズルズルと引きずっていた。
「ロードさまっ」
クルミが恭しく頭を下げる。
ロードということは彼女こそリトルとかギガントとかマジシャンとか色々と枝分かれしているゴブリンという種族全体の『王』、ゴブリンロードだろう。
『知識』を探っても死体しか知らないので断言まではできないが、ゴブリンロードというのは間違いなさそうだ。
何やら胸を張って偉そうというか、まあ、リトルゴブリンの中では偉いのだろうが、とにかく一歩進むごとに『ふふんっ』と笑うのは癖なのだろうか?
何はともあれ、まさか目的の相手が向こうからやってきてくれるとは僥倖だとミーシェは近くに置いてあった魔剣を手に取る。
「クルミが拾った人間が目を覚ましたようだの」
「あは」
「ひっ」
思わず獰猛な笑みがこぼれてしまった。
怖がらせるつもりはなかったのだが、ゴブリンロードの偉そうな態度が瞬時に消し飛んだ。ミーシェ的には『ラッキー』くらいの心情なのだが、向こうからはいきなり不気味に嗤う気味の悪い人間とでも思われているのかもしれない。
「く、くくくくクルミっ。此奴は何者なのだ!?」
「ミーシェ=フェイよ。よろしくね、ロードちゃん」
「ひゃぁっ」
ズルズルと魔剣を引きずって歩み寄るミーシェ。
なんかもう初っ端から好感度ダダ下がりのようだが、別に仲良く談笑するために探していたわけでもない。
友達は多ければ多いほどいいとは思わない。
大切だと思えるのであれば、たった一人でもいれば幸せになれる。
「ねえロードちゃん」
「ひゃいっ」
「本来の用事はまた別にあるんだけど、それはそれとしてひとまず勝負しよう」
告げ、魔剣を抜き放つ。
ゴブリンロードへ突きつける。
……後でクルミから聞くことになるのだが、武具を相手に突きつける動作はリトルゴブリンたちが『決闘』を挑む時の礼式だった。
普通のリトルゴブリンならともかく、『王』たるゴブリンロードが『決闘』を挑まれて逃げ出すなどあり得なかった。
少なくとも多数のゴブリンの目がある場では、絶対に。
「ははは! ロード様に『決闘』を挑むとは身の程知らずだぜえ!!」
「けちょんけちょんにやってやりやしょうっ」
「我らがロード様の『決闘』だあーっ!!」
周囲はもう大興奮だった。
いくら人間のように喋って考えられるとはいえ血の気の多さは人間よりも上なのだろう。
そもそもゴブリンロードが負けるわけがないと信じているのもあるだろうが。
「ゴブリンロード様っ。もちろん華麗にぶちかますんですよね!?」
「う、うむ。吾を誰だと思っておる? 売られた『決闘』は完膚なきまでの勝利で彩るまでよ!!」
『王』の宣言に周囲は『わああああーーっ!!』とテンションが最高潮に跳ね上がった。
「う、うむうむ。大丈夫、吾は女王だもん。これまで負けなしだし。最強だし」
後から振り返ってみれば自分に言い聞かせているようではあったが、この時のミーシェはまだ快調というわけでもなかったのもあって言葉通りに受け取った。
目の前の女の子が最強を名乗っている。
最強になると誓ったミーシェがそれを見逃せるわけがない。
「最強?」
ピクリとミーシェの眉が動く。
切り替わる。
「私はお前の最強を認めない」
細かいアレソレは今は置いておこう。
ゴブリンロードが最強を名乗るのならば、力づくで自分こそが最強だと示すだけである。
ーーー☆ーーー
魔力を纏う剣を携えた黒髪に眼帯の少女、ミーシェ。
この中で彼女の力の波動を感じられたのはゴブリンロードだけだった。『王』だけあって目の前の敵の力量をある程度読み取ることはできる。
まあそのせいでちびりそうになっていたが。
(この人間、『あいつ』と同等のプレッシャーを放っておらんか!? ちょっ、ちょっと待ってくれ、そんな怪物に吾が勝てるわけ……!!)
「ゴブリンを統べる女王の力、確かめさせてもらう」
「ひゃっ!?」
ザンッ!! と一歩踏み出すミーシェ。朱色に光る魔剣をだらりと下げ、こちらの攻撃を待つような動作だった。
その瞳はギラギラと輝いていた。
本気だ。あんなバケモノが本気でゴブリンロードと勝負しようとしている。
初手で胴体真っ二つだって全然あり得るくらいには力の差が広がっているというのにだ。
「う、うわああああ!!」
恐怖に突き動かされていようが何だろうが、身の丈以上の大槌を振りかざすという攻撃は放たれた。
つまり戦闘開始である。
……すでに涙目であろうともだ。




