ジャニー喜多川の性的虐待問題を考える
ジャニーズ事務所の生みの親で、多数の人気男性アイドルを育てたジャニー喜多川が、少年タレント達に性的虐待をしたという事件がここ最近ずっと報道されています。被害者の数は少なく見積もっても数百人という事で、要するに片っ端から手を出していたという状況なのでしょう。
この件については以前から噂されていました。一時は、スキャンダルとして告発した週刊文春と、ジャニーズ側が裁判になり、裁判の中で、性的虐待が行われたという事実認定はされましたが、大手メディアはその件についてはスルーしました。その後も大手メディアはこの件についてはだんまり状態でした。
ジャニー喜多川は、2019年に死去しています。彼のした事を考えれば、やりたい放題の人生だったと言えるでしょう。彼の葬儀には、ウィキペディアによると、8万8000人の一般人が参列し、当時の首相が弔電を送ったそうです。ほとんど神様のような扱いを受けていたと言ってもいいでしょう。
ですが、その後、イギリスのBBCがジャニー喜多川の性的虐待の件をドキュメンタリーとして取り上げて、状況は変わってきます。相変わらず、日本の大手メディアは無視しようとしましたが、問題は海外に拡散され、大手メディアも渋々取り上げるようになってきました。
今では国連が取り上げる問題にまで発展しています。ジャニー喜多川の性的虐待は、世界的な問題にまで発展しています。しかし、日本のメディアは相変わらずジャニーズタレントを今まで通り起用しようとしているようです。
また、私はリアルタイムでジャニーズのファン(通称ジャニオタ)の反応を見ていましたが、ジャニー喜多川の件をなかった事にしようとする反応が結構多かったです。一番ひどいと思ったのは「性的虐待を訴えるのは、成功できなかったジャニタレ(ジャニーズのタレント)の嫉妬だ」といった意見です。
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大体以上が事件の概要です。私はBBCのドキュメンタリーが放映されたというニュースを聞いた時から、この件を注視していました。BBCのドキュメンタリーも見ました。
ドキュメンタリーを見た印象としては、かなり気分が悪くなるものでした。日本社会の暗部を真面目に描写するとこうなるのか、という感じです。印象としては想田和弘の「選挙」に近いものがありました。
ちなみに、補足しておくと、大手メディアがジャニー喜多川の件をスルーしたのは、大手メディアはジャニーズタレントを積極的に起用して、それで儲けていたからです。ドル箱のジャニーズに縁を切られたくなかったので、報道しなかったようです。
私はこの問題を注視していましたが、SMAPとか嵐とかいった、いわばジャニーズのエース格のメンバーは、直接的にこの件に言及しませんでした。言及があるとしても、他人事のような感じで、「自分もジャニー喜多川にやられた」とか「自分は何とか逃げた」とかいう直接的な発言は見当たりませんでした。
本題に入りましょう。私が、この事件で最も悪質だと思うのは、権力に頭を下げて、権力者が好き放題やったところで、それをまわりの人間が止めるどころか、それを容認するのが正義であるという、そういう社会構造です。ジャニーズタレントが大人気であるという表面的な事実の背後には、そうした構造が存在した。これが私には最もグロテスクな事に思えました。
私は報道を見ながら、考えてみました。『もし、ジャニー喜多川の人生を映画にしたら、それは一体どんな内容になるだろう?』と。
ジャニー喜多川は苦労、努力して、ジャニーズ事務所を作ります。そして次々に、日本の大衆に受けるような綺麗な顔立ちの若い男を起用して、彼自身もプロデューサーとしてのし上がっていく。また、ジャニーズ事務所の力が強くなると共に、その力を使ってメディアに圧力をかけていく。「男性アイドル=ジャニーズ」のような印象がテレビの世界では当たり前のようになっていましたが、この事態も今から考えると、そもそも異常だったのでしょう。
ジャニー喜多川は、人気男性アイドルを次々と輩出する一方で、事務所に入ってきたアイドルの卵に片っ端から手をかけていきます。ここでは言えないような性的行為をどんどんとやっていきます。
私の想像する映画では、そうした行為もあますところなカメラは映していきます。中には精神的ショックを受けて事務所をやめた人間もいるでしょう。そういう人間が芸能界から去っていくところも映画は描きます。
普通のエンタメ作品では、こうした人間は、最後には罰されるのが普通だと思います。いくら人気男性アイドルを生み出したからと言って、片っ端から権力を使って性的行為を強要するのは人間的に許されない事だからです。
しかし現実はどうなったでしょうか。ジャニー喜多川は87歳という長寿を全うし、彼の葬儀は盛大に行われ、日本の人々は彼を涙の内に見送ります。彼はほとんど神様のような扱いで、人生の幕を閉じます。
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エンタメ作品として見た場合、この映画は駄作中の駄作でしょう。あまりにも胸糞が悪いからです。
今になって告発者が出てきましたが、精神的に被害を受けている人も多いようです。十代前半の少年時にいきなりそうした行為をされれば、ショックを受ける事もあるでしょう。あるいは、そうした事をしたたかに利用して、自分の成り上がりの道具としたタフな少年もいたでしょうが。
私が言っておきたいのは、これが現実に起こった事だ、という事です。これが現実です。我々は普段、都合のいい物語を「エンターテインメント」という形で享受しています。右を見ても左を見てもエンタメばかりです。ジャニーズという組織は日本のエンタメの中枢と言ってもいい存在です。
しかしそのように、我々を楽しませ、喜ばせるエンタメという世界の裏で、そういう事が起こっていました。
ジャニー喜多川の人生を描いた映画は、一体、我々にどんな教訓を与えてくれるのでしょうか? 「権力を握る事ができれば、好きなように性的加害を行える」あるいは、「性的加害をどれだけ行ったとしても、大衆が喜ぶアイドルを生み出す能力があれば、全て許される」…こんな感じでしょうか。
もちろん、これは胸糞の悪いメッセージでしかありません。だから、映画としては駄作です。しかし、日本社会で実際に起こっていた事は、フィクションにするのはあまりにも胸糞悪い現実でした。そして、その胸糞悪い現実をメディアはスルーし、また今も、メディアは自分達の利益の為にジャニーズの件についてはいい加減に流そうとしています。
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繰り返し言いますが、これが現実に起こった事柄です。エンターテインメントという都合のいい嘘の裏で起こっていた現実です。
今はみんなエンターテインメント作品が大好きですが、この世のものには必ず裏面というものがあります。「都合の悪い現実には目を瞑り、都合のいい嘘を見るのが何が悪い!」 そんな事をみんなで合唱している内に、日本社会ではこういう事が起きてしまったという事です。
ジャニー喜多川の性的虐待の件で、私が特に問題だと思うのは、「ジャニーさんの性行為を耐えるのが大人になる為の通過儀礼」のような機能を果たしてしまっていた事です。
ジャニー喜多川が片っ端から手を出していたという事は、我々の「神」と言っていいSMAPや嵐といった面々も、おそらくそういう行為を受けていたのでしょう。
一方で、そういう行為に対して耐えきれず、文句を言ったり、告発したりした人間は、メディアの主要な舞台から消されていきました。
これは本来はおかしな事のはずですが、おかしな事が当然のようにまかり通っていたという事です。しかし、それを我々は疑わなかったか、見て見ぬふりをした。
ツイッターなんかを見ると「自分達はジャニーズに生きがいをもらった。あんまり批判をするのはやめて!」といった感傷的な意見が散見されました。もしそうだとしても、その場合はその「生きがい」が間違っていたのだと思います。
腐った銅像をみんなで崇拝するというのは今まで、人間は散々やってきました。スターリンという偶像、毛沢東という偶像、ヒトラーという偶像。彼らは生きている時は神でしたが、後に悪魔であった事がわかりました。(毛沢東は中国国内では未だに神ですが)
今回の事件もそういう事件なのだと思います。我々が崇めていた神が、単なる中身の抜けた空虚な人形だったという事です。
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しかしテレビを見ていると、相変わらず、大手メディアはジャニーズタレントを起用し続けるつもりのようです。
「被害を受けたタレントには罪がない! 彼らを責めるのはおかしい!」という意見もありますが、今、我々がスターとして見ているジャニタレの多くは、おそらくはジャニー喜多川の性的加害を受けていたでしょう。つまり、彼らは、性的虐待を受ける事を「大人になる為の通過儀礼」と我慢した人達なのだと推測されます。
そして彼らは見事、それを我慢したので、国民からスターとかアイドルとか言われる存在になり、大きな地位、権力、金銭を獲得しました。そこには互いに取引のような関係があったのでしょう。
テレビ局はジャニーズを今まで通り起用するつもりのようですが、それは「大人になる為の通過儀礼として性的虐待を受け入れる」という政治的構造を今まで通り肯定するものになると思います。
そもそもで言えば、ジャニー喜多川の性的虐待がここまで放置されたのは何故なのでしょうか? それはジャニー喜多川という人自体が、「権力の源泉」であったからだと思います。
ビッグモーターの不正事件においても、好き勝手にやっている副社長の行為や意識それ自体が一つの組織の「ルール」となっていました。
そして彼らが、自らを「権力の源泉」「ルールそのもの」に化せたのは、彼らが現実的に大きな権力を握ったからです。
今の世の中は、利益至上主義が当たり前のようになっていますが、利益を一番に考えるならば、テレビ局のしている事は正解です。また、スターになる為にジャニー喜多川の性行為を受け入れるのも正解です。そして、自分達の利益を考える限り、自分より力の強いものに積極的にひれ伏すのは当然と言えば当然です。みんなそんな風に生きています。
そして、自分達に都合の悪い事に目を瞑っている内に、問題はどんどん大きくなっていきます。それでも誰もが見ないふりをする。
ルールとか、道徳、法のようなものは組織内に形作られていきます。私はこんな想像をします。「ジャニーズのダンスレッスンに遅刻するのは悪である。ジャニー喜多川の性的行為を受け入れないのは同じよう悪である」 こんな感じの規範がジャニーズ事務所内にできていたのではないでしょうか。
子供はルールを学ぶ事によって大人になります。そしてルールを守る事によって、自分も大人として認められ、地位が認められていく。そこに「成長」があると通常言われます。
しかし、現実というのはそれほど単純ではありません。自分達が正しいと信じて進んでいたルールや規範が、とてつもない偽物だった事がある日、突然に暴露される事もあるでしょう。
ジャニー喜多川の少年に対する性欲は、彼自身が有能なプロデューサーであった事、ジャニーズ事務所が大きくなり、メディアで大きな力を持った事、多くの人がジャニーズのアイドルに熱狂した事、そうした事柄と関係して、社会構造と結託したものになっていきました。
こうなるとジャニー喜多川の性的嗜好を批判する事は、その他多くの諸々を批判する事になるので、それをほとんどの人間がやりたがらなかったし、やった人間がいても黙殺される事になりました。
国外からの一撃によって、この問題は明るみになりましたが、それはこの社会が神のように崇めていた存在が実は邪神だった事を証明したのだと思います。
私は、SMAPや嵐といったメンバーが、ジャニー喜多川に性的行為を強要されたかどうかを明らかにした方がいいと考えています。もちろん、こんな事はメディアはやりたがらないし、今も多くいるジャニーズのファンは絶対に許せない事柄でしょうが、その部分を明らかにする事が、聖域化される事によって誤った方向に行った、この社会的問題の全貌を照らし出す事につながると思います。
これは、単にヒアリングという形でもいいと思います。国連が、SMAPや嵐、V6、トキオといった面々に性的行為を強要されたかどうかを質問し、その回答結果を明らかにするのがいいと思います。
ジャニー喜多川のおかげで、今の地位までこれたので、本当の事を言わないメンバーが多いでしょうが、タレント活動をもうしていない元メンバーもいるので、そのあたりからぽろっと本当の事が明らかになるかもしれません。
結局のところ、いくら大勢の人間が気持ちよくなろうと、楽しかろうと、経済的利益が生まれようと、都合のいい嘘によって生まれたのはいずれ、嘘だと見破られるという事ではないかと思います。昔、マルクス主義の盛んな頃は、ソ連は素晴らしい国だと思われていましたが、今ではソ連は悪魔のような国だったと周知されています。今回のジャニーズの件ももしかしたら、そんな風に推移していくかもしれません。