ソニアの仕事
次の日から、私は仕事に忙殺されることとなった。
「ソニア! これ衣装部屋に持っていって」
「ソニア! この部屋の掃除をしておいて」
「ソニア! このお茶冷めてるじゃない! 淹れなおし!」
ソニア、ソニア、ソニア!!
自分の名前を聞くだけでげんなりする。
息付く暇もないほどに、侍女の先輩であるシェリル様から呼び出されてしまうのだ。仕事が片付く前に次の仕事、次の次の仕事、次の次の次の仕事……と、とにかく仕事が積み上がる。お陰でマルガレーテ様とお会いすることも叶わない。
しかも彼女達から命ぜられるのは、これは侍女の仕事だろうかと首を傾げるようなものばかりだった。
誰も使わないような埃っぽい部屋の掃除や、ずっしりと重いドレスの運搬、挙句の果てにはシェリル様達へのお茶出しまで。
『調子に乗らないでよね』
あの時の、彼女達の鋭い目を思い出す。
シェリル様達は例の捨て台詞を吐いてからアトリエを去っていったのだが、なるほど……あの方々を敵に回すと、こうなってしまうのか。
(調子になんて、乗ってないんだけどな――)
一口も飲まれなかった彼女達のお茶を片付けると、無意識に大きなため息が溢れ出た。
シェリル様達はローランド様から蔑ろにされ、よっぽど頭に来たのだろう。なのにパッとしない私なんかがアトリエへ出入りして、絵を描いてもらったりしているものだから、それが彼女達の苛立ちに拍車をかけてしまったのかもしれない。
「ソニア、私も手伝うわ? このあとも仕事詰まってるんでしょ?」
「いいのいいの。手伝ってもらったりしたら、あなたまで睨まれてしまうかも」
「でも……」
「ありがとう、気持ちだけ頂いておくから」
私に同情的な侍女仲間は、見るに見かねて手助けを申し出てくれる。けれど私は手伝ってもらうことが怖かった。優しい仲間達にまで、迷惑をかけてしまったらたまらない。
それに彼女達にだって彼女達の仕事があるのだ。真面目に働いている侍女仲間を、こんなくだらない嫌がらせに付き合わせるわけにはいかなかった。
幸いにも、ちょっと無理をすれば私一人でこなしていける仕事量で、今のところ何とかなっている。お茶の片付けが終わったなら、また別の仕事に取り掛からなければ。まだまだ仕事は山積みで――
「ソニア」
絶賛力仕事中であった私を、ローランド様が呼び止めた。今日も今日とて、私のことを真面目に観察していたのだろう。
こうして声をかけて下さったことはありがたいけれど、私の手にはドレスの山。すでに手は痺れていて、あまり立ち止まっていたくは無い。
「ローランド様こんにちは。折角ですがすみません、ご覧の通り急いでおりますので失礼します」
「待て、これは何の仕事だ。なぜ君がこんな力仕事をしている」
「ええと……少々、事情がありまして……」
説明しにくい仕事内容に、私は仕方なく口籠る。
これはシェリル様達の部屋に積み上げられていたドレス。もう邪魔だからと、遠く離れた衣装部屋へ移動させろという、これも突然言いつけられた仕事であった。嫌がらせにはもってこいの仕事である。
衣装部屋までは想像以上の距離があって、どんどん指先の力が無くなってゆく。でも落としてしまったら大変だ。ドレスの布地は高級で、汚してしまえば私みたいな下っ端には責任を取ることができない。
欲張らず、持つ量を半分にして、二往復すれば済む話だったのに。早く仕事を終わらせたかった私は、ついつい不精してしまったために、ギリギリの綱渡りをする羽目になってしまったのだ。
「貸せ」
見かねたローランド様が、私の手からドレスの山を奪い取った。突然、重さの無くなった腕は、やっと自由を取り戻す。
けれどこれではローランド様の腕が駄目になってしまう。絵筆を握り、神作品を描く、絵画界の宝。大事な手であるはずなのに。
「だ、駄目です! ローランド様、返してください」
「返せるものか。無理をするな」
「無理なんて……」
「見ていれば分かる。よくここまで運んだな」
ローランド様はドレスを返すことはなく、平然と私の隣を歩き続ける。「どこへ持っていくんだ」と言いながら。私よりも細いというのに、彼は遥かに軽々とドレスを持っていて。
(……やっぱり男性なのね。私なんかより全然力があって)
私は申し訳なく思いながらも、彼の意外な一面に頼もしさを抱いた。
「……これは、衣装部屋に持っていくように言われておりまして。もう着ないドレスだからと」
「あんな遠い場所に? 君一人で?」
ローランド様は、その歩みをピタリと止めた。仕事内容の不自然さに、納得できないようである。
「そのような理由なら、頼めば衣装係達が回収に来るのではないか? 衣装の管理が彼らの仕事だ。それに衣装係だって、一人では運ばない」
「ですが、私に頼まれた仕事ですから……」
「おかしい。あきらかに変だ。君も疑問を持て」
ローランド様はそう言うと、来た道をくるりと引き返す。どんどん行ってしまうので、私も慌てて後を追った。
すると辿り着いたのは、歩き慣れた大理石の廊下。大好きな方のいる場所。
ローランド様が向かったのは、なんとマルガレーテ様の部屋だった。彼は躊躇うことなくそのドアをノックすると、返ってきた返事とともに部屋へと足を踏み入れる。
「ちょ……ちょっと! ローランド様、何をお考えなのですか!」
「衣装部屋へ運び込むより、こちらの方が早い。それにマルガレーテ様に一言お伝えしなければ」
引き止めるも虚しく、ローランド様は「失礼します」とマルガレーテ様の元へ向かっていく。山のようなドレスを抱えたまま。
マルガレーテ様はというと、突然山のようなドレスを抱えてやってきたローランドに、目を丸くして固まっていた。そばに控えたシェリル様達も同様である。
「ロ、ローランド。これは一体なにかしら?」
「こちらのドレスの山。すべて、ソニアが一人で抱えておりました。マルガレーテ様のものでお間違いないでしょうか」
「ソニアが一人で……?」
何も知らないマルガレーテ様は、不思議そうに首を傾げる。そしてローランド様の抱えるドレスを一着一着手に取ると、しげしげと確認を始めた。
私は、チラ、とシェリル様達を見てしまった。案の定、彼女達は顔を青くして俯いている。
それもそのはず、このドレスはマルガレーテ様のものなんかじゃ無い。シェリル様達の部屋に積まれてあったものなのだから。
「……どれも素敵なドレスね。けれど、私のものでは無いわ」
「なら、誰のものだというのですか。ソニアはマルガレーテ様の侍女でしょう。なぜ彼女が誰のものでもないドレスを運んでいたのですか」
「そうね……。ソニア、こちらはどなたから頼まれて――」
「まあ! なんて素敵なドレスなんでしょう!!」
マルガレーテ様とローランド様の『犯人探し』を、ついにシェリル様が遮った。まるで初めて見たとでもいうように、彼女達は大はしゃぎしながら、ドレスの山にワイワイと駆け寄る。
「ソニア、一人で大変だったわね」
「えっ。あ、はい。大変でした」
「重かったでしょう! こちら、私達が衣装係に渡してまいりますわ。さ、皆様」
シェリル様達はいそいそとドレスを手に取ると、あっという間にマルガレーテ様の部屋から去っていった。
部屋に残されたのは、マルガレーテ様とローランド様……そしてそのスピード感に、呆気に取られた私。
(す、凄いわ……ごまかし方を熟知してる……)
「ソニア。シェリル達が持っていってしまったけれど、いいのかしら」
「はい。おそらく……」
私は大きくため息をついた。なんだか、どっと疲れてしまったのだ。
シェリル様達はすれ違いざまに呟いた。
「覚えてなさいよ」と、憎々しげな声色で。
誤字報告ありがとうございます!