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他意はないはずなのに


 ペドロ様とともにアトリエを覗き込むと、そこにはいつものようにローランド様が座っていた。


「ああ、君か。どうした」

「一体なにがあったのですか。彼女達は私の先輩です。すごく怒っていらっしゃいましたけど」


 怒りながら去っていった先輩・シェリル様達の剣幕とは対照的に、ローランド様は普段通り落ちつき払った面持ちで画材の手入れを行っている。

 彼の目の前には、数枚のスケッチ。そこには、結わえられた髪や侍女服の後ろ姿が描かれていた。もしかしたら、これも私の絵なのかもしれない。


「あの子達、ローランドのところによく来るんだよね。今日も『モデルになってあげてもいい』とか居座ってね」

「よくあることだ。しかし、今日はしつこかったな……」


 ローランド様はスケッチをまとめながら、軽くため息をつく。

 以前このアトリエに初めて訪れた際、室内から返ってきたローランド様の声はとても冷たく堅いものだった。そして『押しかけてくる者がいる』ともぼやいていて。それは、おそらく彼女達のことを指していたのだろう。

 事情を聞いた私には、納得いかないことがある。シェリル様達は、モデルになると申し出ているというのに──


「……彼女達がモデルをしたいというのなら、そうしていただけば良いのではないでしょうか? 私より進んで協力してくれると思いますが」

「俺は描きたいものを描く。彼女達は描きたくない」


 ローランド様は視線も合わさず、きっぱりとそう言い切った。


(な、なんて贅沢な……)

 少なからず、シェリル様達は私よりもずっと華やかで美しい。よって、パーティや舞踏会でマルガレーテ様のお供をするのは、決まって先輩達なのだ。そのたびに彼女達は綺麗なドレスをまとい、優雅に笑う。着飾った彼女達が並ぶと、男性達は息を呑むほどで……


「あの、先輩達に何と仰ったのですか。もしかして、そのまま『描きたくない』などと」

「ああ、言った」

「なぜそんな怒らせるようなことを……」


 望まれこそすれ、断られることなど有り得ない彼女達だ。ローランド様の冷たい態度に、よっぽど腹が立ったのだろう。あの剣幕で去っていったことにも納得がつく。


「俺にはソニアという協力者がいるからな。君以外は必要無い」

「……そうなんだってソニア君」

 

 ローランド様の言葉に、他意が無いことは私にも分かっている。

 けれど『君以外必要無い』なんて、そんなことを言われたら。免疫のない私の頬は、我慢のしようも無く赤く染まってゆくのだ。


「わ、私、差し入れにお菓子をお持ちしたのです。お茶も……今、お淹れしますから」


 私はあわてて彼らに背を向けて、アトリエを飛び出した。部屋を出る瞬間、ローランド様のとなりで、ペドロ様が面白そうに笑っている顔が見えた。



 勢いだけで休憩室へ逃げ込んだものの、お茶の準備をするには何を使って良いのか迷ってしまった。ローランド様のカップはこの金縁のものだろうか? ペドロ様のカップは? ケトルはいつもどれを使う? 彼らはお茶にもミルクやお砂糖を入れるのかしら……


 分からないことだらけで、私の動きはぴたりと止まった。


(…………ふ、不自然だったかしら)


 動きを止めたことで、私は再び気を揉んだ。


 いきなり席を立ち、逃げるように休憩室へと向かった私を、彼らはどう思っているだろう。ローランド様は掴みどころが無くてよく分からない人だが、ペドロ様はあの調子だ。私の動揺なんて見透かされているに違いない。毎日観察され続け、少しはローランド様の視線にも慣れてきたつもりだったのに。


(落ち着いて……あのローランド様よ。絵を描くために、私は彼に協力しているだけ。彼も、私をモデルとして頼っているだけ。いわば、これは仕事のうちなの。他意は無いのよ……)


 心を落ち着かせるためのあれこれを自分に言い聞かせていると、なんとなく背後に気配を感じることに気がついた。

 嫌な予感がしてそろりと振り向いてみると、なんとローランド様とペドロ様、ふたり揃って入口に立っているではないか。


「い、いつの間に!?」

「ずっといたぞ」

「ソニア君がぶつぶつとお取り込み中だったから、話しかけなかったんだよー」


 ペドロ様はスタスタと私の横に並ぶと、「ケトルはこれ」「カップはこれとこれ」と指をさす。一回りも歳上の彼には、私の困りごとなどお見通しなのだ。さっそく教えてくれたとおりにペドロ様とお茶の用意を始めるが、私の頭は『どこまでお見通しなのだろう……』と、そのことでいっぱいである。


「……どうぞ」


 やっとのことで淹れたお茶は彼らの前へ出し、お菓子はバスケットにのせたままテーブル中央に置いた。

 今日持参したサブレはバターをたっぷりと使用していて、酪農が盛んな我が領地でよく食べられるお菓子である。寮にストックしておいて本当に良かった。備えあれば憂いなし。


「美味いな」

「そうですか? お口に合って良かったです」

「もしかしてソニア君の手作り?」

「はい。領地でよく作るおやつで、私はこれが大好きで」


 フォルネル男爵家では、唯一のメイドであるリリアンがこのサブレを焼いてくれていた。「塩を少し強めに効かせるのがコツですよ」と彼女からレシピを教わって以来、領地の味が恋しくなっては、寮のキッチンを借りてこのサブレを焼いている。

 一度焼けばたくさん出来てしまうので、侍女仲間に差し入れしたり部屋にストックしておいたりするのだが、まさかローランド様に食べてもらう日が来るとは思わなかった。


「甘すぎず、ちょうどいい」

「ありがとうございます。このレシピを考えたメイドは天才なんです」

「ソニア君の腕も良いんだよー」


 ローランド様とペドロ様は、私の焼いたバターサブレをどんどん口へと運んでゆく。

 領地の味を褒められると、たとえそれがお世辞であったとしても悪い気はしないものである。つい嬉しくなってしまって、自分の顔が緩んでいることに気がついた。

 そんな私の顔をじっと見ているローランド様にもやっと気付いて、思わず顔を引き締める。


「な、なんですか、じろじろと……」

「君も笑うのだな」

「えっ?」

「俺の前では、君は怒ってばかりだ」


 ローランド様はそう言いながら、サブレを頬張る。

 私は怒ってばかりだっただろうか? ローランド様と過ごしたわずかな時間を、よくよく思い出してみる。

『怒る』という感情とはあまり縁のない私だが、たしかにローランド様に対しては怒ったり困ったりばかりであった気がしなくも無い。


「だって、ローランド様は私の痴態ばかり描いてらっしゃるから」

「恥ずかしくなどない。あれが君らしい」

「そう、それですよ。私は恥ずかしいんです。少なからず絵で残るのであれば、私だって取り繕いたいと思うんです」

「だからか。今日、君の手が美しいのは」


 私は動揺してしまって、手に持ったサブレをポトリと落とした。

 会ってからずっと何も言われなかったけれど、ローランド様は気づいていたらしい。サブレをつまむ私の手が、いつものものと違うことに。

 

 マルガレーテ様以外に、私の手など気にかける人もいないのに。ローランド様はやっぱり今日も真面目に観察していたということだ。こんな凡庸な私の、指先まで。

 気恥ずかしくなった私は、思わずテーブルの下へと手を隠した。


「すみません、これはマルガレーテ様が直々にお手入れして下さって」

「なぜ謝る?」

「なぜって……私らしくないでしょう。ローランド様が描きたい私とは違うかと」


 私は内心、気が気で無かった。

 すみませんと謝りはしたものの、もし彼の口から「そうだ」と言われてしまったら、今度こそ私は彼のモデルを辞めるだろう。マルガレーテ様が施して下さったものを否定されてまで、モデルを続ける気力はない。

 けれど。

  

「違わない」

「えっ」

「全てひっくるめて、君らしい」


 ローランド様から返ってきたのは、意外にもとても優しい言葉だった。


「私らしい、ですか?」

「ああ。美しくなった自分の手を恥じらう君は、非常に君らしい」


 平然とお茶を飲むローランド様と対照的に、ペドロ様はまたニヤニヤと笑いながら「そうなんだって。ソニア君」と私をからかう。


「……ペドロ様、やめてください」

「ごめんごめん、嬉しくてね。ローランドが、こんなにも誰かに興味を持つなんて」

 

 たしかに人物画のモデルとして、興味を持たれている自覚はある。ローランド様に、決してそれ以上の他意はないだろうけれど。

 

 私は改めて自分の手に目をやった。

 マルガレーテ様によって手入れされた、普段より美しい手。それを気恥ずかしく思う私。それらをすべて、ローランド様はちゃんと見ていた。

 

 恥じらう姿までひっくるめて、観察されていて。それを描きたいと思ってくれている――

 そう思うと、私の赤い顔が鎮まることは無いのだった。

 

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