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磨かれた爪先

「なにかしら、ソニア。じろじろ見て」


 細い月が浮かぶ夜。

 バラの香りに満たされた、王女マルガレーテ様の居室。

 私はマルガレーテ様の爪のお手入れをしつつ、その美しさに、ついぼんやりと見とれてしまっていた。


「申し訳ありません。マルガレーテ様は、本当に美しいと思いまして……」

「そりゃそうよ、いつもソニア達にお手入れしてもらっているもの」


 マルガレーテ様はそう言って、美しくあることを鼻にもかけず、惚ける私をクスリと笑った。

 その手は芸術品のように綺麗で。少女らしい透明感のある白い肌に、ほっそりとした指。指先には形良く美しい爪がつやつやと輝き、年齢よりも大人びた印象を与えた。


 そんな王女マルガレーテ様の夜は忙しい。

 長いピンクブロンドはアップにまとめ、こうして毎晩必ず鏡と向き合い、自分磨きに勤しむのだ。可愛らしい彼女は、部屋着に着替えてもなお隙がない。


「マルガレーテ様は爪先までお綺麗です」

「なあに、急に」

「私もきちんとお手入れしていれば良かったでしょうか……」


 私は、小さく息を吐いた。このような弱音は、気さくなマルガレーテ様の前だからこそ口にできることだった。 

  

「……ソニアもお手入れしましょう? たまには私がマッサージして差し上げるわ。このローションを擦りこんで、次はオイルでマッサージするのよね」

「えっ……マルガレーテ様がそのようなこと、なりません!」

「いいからいいから」


 私をむりやり座らせた彼女は、その美しい手で私の手のマッサージを始めた。使用されているのは、マルガレーテ様のために特注された高価なオイルだ。ふわりと広がるバラの香りが、私を女の子らしい気分にさせてくれる。


「恐れ多くも、マルガレーテ様の香りがいたします……」

「いい香りでしょ」

「ええ、とっても」


 マルガレーテ様によってしっとりとなめらかになってゆく手を見つめながら、私はローランド様の絵について考えていた。


 描かれた絵は、とてもリアルで。たった手だけであったのに、私の野暮ったさがよく表現されていた。せめて、こうしてお手入れしたあとの手だったなら、もう少し違っただろうか。こんな丸い爪ではなくて、マルガレーテ様みたいに形を整えて……


 (うーん……でも……)

 どうせ描かれるのは私の痴態だ。手入れをしたとしても、ローランド様が描こうとする私の姿は、きっと平凡で野暮ったいままだろう。


「ソニアも、こうしてケアしましょうよ。ほら、もうこんなにツヤツヤよ」

「……えっ」


 ついついぼーっとしてしまっていた私は、マルガレーテ様の言葉で意識が引き戻された。

 彼女の言うとおり、何の変哲もないはずの私の手が見違えるほどつやつやと光っている。さすがマルガレーテ様。彼女の手にかかれば、どんな人間もつやつやのぴかぴかに輝くのではないだろうか。


「素晴らしいです、マルガレーテ様……自分の手じゃないみたいです」

「正真正銘、ソニアの手よ。髪もお肌も服も……今のままでもいいけれど、磨けばもっと輝くのに」

「勿体ないお言葉をありがとうございます。でも私、これ以上は……」

「だめ。せっかくローランドに描いてもらえるんだから。ちゃんとしておかないと」


 優しく可愛らしいマルガレーテ様へ、私はあいまいに微笑んだ。


 マルガレーテ様は張り切ってケアをしてくれているけれど。ローランド様が描きたいのは『ちゃんとした私』では無く、『素の私』だ。私が自分磨きをすればするほど、ローランド様の創作意欲は削がれてしまうのではないだろうか。


(ただ、そうなればもう私が描かれることは無くなるかしら……)


 自分の痴態を描かれるのは、当たり前だが恥ずかしい。本来であれば隠しておきたい姿が絵として残ってゆくだなんて、 私にとっては苦行以外の何物でもない。

 けれど、ローランド様から興味を失われることも、なんとなく寂しいような気がして。

 私は複雑な思いを抱いたまま、マルガレーテ様のマッサージを受け続けた。

 


◇◇◇



 その翌朝。

 見違えるほど美しくなった自分の手に、改めておどろいた。

 

 なんてしっとりすべすべの肌ざわり。マッサージされたことによりむくみもとれて、心なしか指がほっそりとして見える。あのあと、丸かった爪もちゃんと整えられ、私の野暮ったかった手は見事に上品な手へと生まれ変わった。 

 さすがマルガレーテ様御用達のオイル。さすがマルガレーテ様のマッサージ。私の手をこれほどまで変えてしまうなんて。


 美しくなった自分の手が視界に入るたび、私はそわそわと浮き足立った。何をするにも少し幸せな気分になって、普段以上にやる気もみなぎる。たった一晩で、見慣れた手がとても大切なもののように変身した。

 

「ねえ。今日もマッサージして差し上げましょうか?」

「えっ?」

「ソニア、とても嬉しそうなんですもの。私も嬉しくって」


 いつも一緒にいるマルガレーテ様には、浮かれ様など見抜かれてしまっていたようだ。少し気はずかしい私は、手をブンブンと振って勢いよく辞退した。


「なりません、マルガレーテ様に連日そのようなことをして頂くわけには」

「では、せめてその手をローランドに見せておいでなさいよ」

「えっ、ローランド様に?」

「ローランドは、あなたの手を描くのでしょう?」


 マルガレーテ様はそう言ってにっこりと笑うと、すぐ別の侍女を呼び寄せた。

 つまり私の勤務は、これにて本日終了ということになる。それではマルガレーテ様の言いつけ通り、このあとローランド様へ会いに行く義務が生じてしまった。



(とは言われても、ローランド様が私に望むのは……)


『決まった行動パターンに、全く変化の無い容姿』

 以前ローランド様が口にした、失礼とも言える言葉の数々。彼が望む私の姿だ。

 それは決して、手をぴかぴかと輝かせ、浮かれている私ではない。分かっているからこそ、あまり彼にはこの手を見せたくない……というのが本音だ。

(でも、マルガレーテ様からわざわざお休みを頂いたのだから一応見せに行かないと……)


 とりあえず、お茶とお菓子を持参することにした。『お疲れでしょう。お茶とお菓子を差し入れに』というのが、アトリエへとお邪魔する口実だ。といっても突然のことだから、お菓子は私の部屋にストックしておいた自家製のもの。気に入られるとは思っていない。

 足どりも重く、離れにあるアトリエへと向かう。どうか彼が留守でありますように。なんとなく、そう願いながら。


「あれっ。ソニア君どうしたの」


 石造りの通路を進んでいると、アトリエまですぐそこ……というところでペドロ様と出会った。どうやら彼もつい先程までアトリエにいたらしい。またローランド様と二人で、コーヒーでも飲んでいたのだろうか。


「ええと、お菓子を差し入れに……」

「そっかー。でもちょっと、今ローランドは取り込み中だし……また今度にしたほうがいいかもね」

「取り込み中?」


 ペドロ様はなにか気まずそうに言葉を濁す。ローランド様が絵の製作中なりで邪魔されたくない……というのならあり得る話だが、ペドロ様の言い淀む口ぶりからしてそのような感じでもないらしい。


 なんにせよ、私はこの手のままアトリエに向かうことが少し憂うつだったのだ。マルガレーテ様にはせっかくお休みをいただいたが、『ローランド様には会えませんでした』という言い訳を手に入れた。ラッキーだ。


「で、では、私はまた日を改めてまいりますね! それでは」

「……あ、ちょっと待って。終わったかも」


 ペドロ様がアトリエを振り返ると、ちょうどそのタイミングでアトリエから侍女達が飛び出した。よく見てみれば、あれは先輩侍女であるシェリル様達ではないだろうか。遠目から見ただけでも、彼女達がきれいな顔を歪ませ、憤慨していることが分かる。


(あれは……? なにを怒っているのかしら)


「信じられない」「有り得ない」と、彼女達はアトリエに向かって口々に捨て台詞を吐いてからこちらへ向かってきた。そして通路にいた私の姿に気づくと、皆一斉にこちらを睨みつける。


「調子にのらないでよね」


 すれ違いざまに、はっきりとそう聞こえた。

 冷たい目と、攻撃的な声。私を一瞥したシェリル様達は、一言いい捨てて去っていったのだった。


 

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