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ペドロのコーヒー

 観察される毎日が始まり、一週間ほど経った。


 この一週間で、意外に思ったことがある。

 芸術家という気質、気だるげな雰囲気とはうらはらに、ローランド様は真面目だったということだ。


 ふいに視線を感じてから辺りを見渡せば、必ずどこかにローランド様がいる。やや離れた場所から腕を組み、声もかけず……ただじっと私を観察しているのだ。


(ちょっとズレてる気もするけど……真面目だわ)


 画家としての仕事もおありだというのに、その合間をぬって私の観察など……なかなか大変なのではないだろうか。

 私にも行動パターンはあるものの、必ず限った場所にいるわけではないのだし。なのに、彼はこの広い王宮から私を見つけ出し、ほぼ毎日のように観察している。皆が行き交うなか、人目も気にせずに。

 それもこれも、王から依頼された人物画を描かなければという悩みに由来するものだ。ローランド様は、相当悩まれているらしい。


(こんなことで、お役に立てているのかしら……)

 観察されてはいるけれど、果たして人物画の進捗具合はいかがなものなのだろうか。『君を描きたい』と言われたものの、彼が描いた『私』の絵を、私は見たことがないのだが。


 ふつふつと、欲が出た。

 私にも見る権利くらいあるのではないだろうか。


 一週間、不本意ながら観察され続けているのだ。

 大好物のシチューを我慢出来ずにおかわりした時も、眠くてウトウトした時も、ばっちり目撃されてしまっている。

 こうして恥を晒してまで協力しているのだから、絵を見せてもらうくらい良いのでは。


 いきなりアトリエへ押しかけると迷惑だろうか。

 しかし「見たい」と言ってローランド様に迷惑がられたとしても、私は協力者なのだ。そのくらいは許容してもらわないと。

 そうなると、もうローランド様の絵が気になってたまらなくなって。私は勢いに任せて、再びアトリエへと向かったのだった。



 

(……あれ、いない?)


 強気に突撃してみたら、そこはもぬけの殻だった。

 アトリエへ続くドアは開け放たれていたのだが、室内にはローランド様が腰掛けていた木製のイスがぽつんと取り残されたまま。

 どうやら、ローランド様がいつもここにいるとは限らないらしい。それもそうだ。ここは王宮内の一室で、彼にはちゃんとしたアトリエがあるのかもしれない。なにせ伯爵家令息なのだから。

  

(なんだ……)

 肩透かしをくらった私は、帰ろうと踵を返した。

 すると突然目の前に現れたのは広い胸板。


「ローランドなら、こっちだよ」

「わあ!?」


 振り向くとそこには、いつの間にか男性が立っているではないか。

 不意打ちのことに驚いた私は、思わず尻もちをついてしまった。まさかうしろに誰かいるなんて思ってもみなかったのだ。


「大丈夫? きみがソニア君だね」


 その人は、尻もちをついたままの私に向かって手を差し出した。その大きな手は絵の具で汚れていて、先程まで絵を描いていたのだと思われる。


「……どうして私の名前をご存知なのですか」

「どうしてって、最近あのローランドに付け回されてる気の毒な子だろう。誰でも知っているよ」


 ゆるくうねる黒髪のその人は、親しみやすい笑顔で私の手を引いた。顎には僅かに伸びた無精ヒゲ。着崩した黒いシャツ。手を引かれて立ち上がった私は、彼の笑顔を見てなにか引っかかるものを覚える。この人のことを、どこかで見たことがある……


「あ……! もしかして、宮廷画家のペドロ・クリストフ様……」

「そうだよ。ペドロだよー」


 そうだ。以前、マルガレーテ様のお誕生日を祝うパーティーにて。皆が続々とマルガレーテ様へお祝いの言葉を贈るなか、ひときわ異彩を放っていたのがペドロ様だった。

『マルガレーテ様。このたびはおめでとうございます』

 皆きっちりと正装姿であるにもかかわらず、ペドロ様は今日のような白シャツに黒いボトム、ラフなパーマヘアに気の抜けた笑顔で参列されていた。さすがに無精ヒゲは剃っていたのだろう、ヒゲの印象は無かったのだ。


「申し訳ありません、ペドロ様。いまだに皆様方のお顔を覚えきれておらず……」

「いいんだよー。僕なんて、王族の絵を描くだけだし、ね」


 にこにこと、どうでも良さそうに笑うペドロ様からはコーヒーの香りがした。絵を描きながらコーヒーでも飲んでいたのだろうか。それはそうとして、そろそろ手を離してくれてもいいのだが。


「おい」


 ペドロ様の背後から、低い声がする。聞き覚えのある声に覗き込むと、そこには知らぬ間にローランド様が立っていた。


「いつまで手を握ってる。やめろ」

「ローランドが止めに入るまで、握っていようかと」

「だから止めただろう。大事なモデルだ、手を離せ」


 大事なモデル。どきりとした。たった一週間のことなのに、ローランド様からそんな風に言ってもらえるなんて。

 私といえば、観察されていることに不満たっぷりでアトリエまでやって来た。彼との温度差に、後ろめたい胸はチクリと痛む。


 ペドロ様はそんな私達を見ながら、わかりやすく笑いを噛み殺している。そして「あー、おもしろいね」なんて呟きながら、やっと私の手を離した。


「隣で、ローランドとコーヒーを飲んでたんだよ。ソニア君もどうかな」

「コーヒーですか」

「甘くて美味しいコーヒーだよー」


「おいで」と誘われ、アトリエ隣の休憩室へと入ると、そこはさらにコーヒーの香りが立ち込めていた。

 明るいアトリエとは打って変わって、採光は小さな窓のみの薄暗い休憩室には、小さなテーブルが置いてあった。古びたイスがいくつか置かれている片隅に、コーヒーセットとイスが二脚。ここで二人は寛いでいたのだろう。


「私、実はコーヒーを飲んだことがないのです」

「えっ、うそ、その歳まで?」

「では、ソニアもミルクと砂糖を沢山入れるといい。こいつのコーヒーは美味い」

「師匠に向かってこいつとか言っちゃだめ」


 ペドロ様はその辺にあるイスを適当に持ってくると、私をローランド様の隣に促した。座ってみるとガタガタとして、かなり建付けの悪いイスだ。ローランド様もペドロ様もガタガタと音を立てているので、おそらくどのイスも似たようなものらしい。


(えーと、私……何しに来たんだっけ……)


 もはや自分でも何をしにここへ来たのか分からなくなってきた。ただ、少なくとも彼らから邪険にされていないことだけは確かだ。部外者である私の席を用意してくれた。それだけでなんとなく嬉しくなってしまう。我ながら、なんて単純。


 イスをガタガタといわせながら、ペドロ様のコーヒーを待つ。ローランド様達もおかわりをするようで、壁際の机にはカップが三つ。

 ペドロ様がミルクも砂糖もどばとばと入れるものだから、見ているだけで心配になってくる。しかし隣を見ればローランド様は涼しい顔をしているので、彼らのコーヒーはこれが通常運転であるようだ。


「さあソニア、美味しいコーヒーをどうぞ召し上がれ」


 ペドロ様から受け取ったコーヒーは、これがコーヒーかと思うほど白く濁っていた。不安だ。ローランド様は、その白いコーヒーをぐびぐびと飲んでいるけれど。


 しかしせっかく出されたものを飲まずに帰るのも気が引ける。私は彼らがコーヒーを飲む姿を見届けると、心を決めた。


「甘……!!」


 三人で飲んだコーヒーは、喉が焼けるほど甘かった。

 隣で、ローランド様は「甘くて美味いだろう」と得意げに微笑んだ。

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