彼女の横顔(ローランド視点)
引き続き、ローランド視点です。
二年前、突然ソニアは現れた。
その日はちょうど個展が終わった直後。疲れも相まってか、俺は中々に苛立っていた。
客の入りは上々であったにもかかわらず、耳に届くのは『風景画しかない』だとか、『面白みが無い』だとか、そのようなものばかり。絶賛の声もあったというのに、酷評は何よりも大きく取り上げられた。
(俺の絵の何が悪い……)
美しいものを美しく描きたい。そこにある全てをありのまま描きたい。
初めて俺の絵が人の目に触れたとき、皆褒め讃えたではないか。あれは全くの嘘だったのか。
十五の頃、俺はペドロの屋敷に引き篭もり、大作を描いた。そうして初めて王宮に献上したパルマ山の絵は、ギャラリーでも一等目立つ場所に飾られて。『十五歳でこのような絵を描くなんて天才だ』『絵画界の未来も安泰だ』と、大袈裟なほどにもてはやされたものだった。
しかし人は慣れる。もっともっと、と欲を出す。
皆、俺の風景画では満足できなくなっている。その日の個展の反応を見るに、それは決定的だった。
『君の才能は天からのお恵みだ』
『エルミナのためにも絵を描き続けよう』
ペドロはそう言って俺を縛りつけるけれど。どう考えたって画家としては短命、先細り。俺はもう自分の絵に可能性を見出せなくなっていた。
そんなとき、ギャラリーに現れたのがソニアだった。
見かけぬ侍女が、歩きながら絵を眺めている。ありふれた栗毛の髪に、白い頬。緊張した面持ちに、真新しい侍女服。新米の侍女がギャラリーに迷い込んだのだろうと、しばらく観察していたのだが。
彼女は、俺の絵の前でピタリと歩みを止めた。
あれはパルマ山の絵だ。朝日を受けて黄金に輝くパルマ山を、彼女はあどけない表情で食い入るように見つめている。そして強ばった顔のまま胸に手を当て、意を決して仕事へと戻って行った。
それからというもの、新米の侍女は度々ギャラリーへ現れた。決まってパルマ山の絵の前に。
ある日は機嫌の良さそうな顔をして。またある日は、この世の終わりのように疲れ切った顔をして。忙しそうな時には一瞬だけ。仕事終わりにはゆったりと。
どんな表情の彼女も、その瞳は俺の絵を見つめていた。
そのうち俺は、ギャラリーへ立ち寄ることが日課となった。運が良ければ彼女がいて、俺の絵を眺めている。
その姿を見ることで、心は妙に癒された。彼女の毎日に、俺の絵が共にある。それだけで、酷評を受けていた俺の胸は満たされて。
いつの間にか彼女の何の変哲もない横顔は、俺の一部となっていた。
そんな彼女を見続けて――王からの依頼を受け頭を悩ませたその時、彼女の横顔が思い浮かんだのは必然だろう。
誰かを描くなら、彼女がいい。
瞼を閉じても、彼女の横顔は蘇って。
なぜ、気付かなかったのだろう。ソニアは最初から、特別であったのに。
◇◇◇
「マルガレーテ様、お話がございます」
「あらローランド。何かしら」
ソニアと会った次の日、処分に納得できない俺はマルガレーテ様のもとへ向かった。
こうして俺が文句を言いに来ることは想定内であったようで、マルガレーテ様は余裕の笑みを浮かべ、ゆったりとこちらを振り返る。
「ソニアの謹慎処分の事です。彼女が処分を受ける必要はあるでしょうか。シェリルから嫌がらせを受けていたのは明らかです。なのに……」
「少し落ち着きなさいローランド。あなた過保護過ぎるわ。本当にソニアのことが大事なのね」
「そうですね、大事です」
「まあ! 素敵!」
マルガレーテ様は俺の返事を聞いた途端、なぜか瞳を輝かせて立ち上がった。その目は好奇心に溢れていて、思わずたじろいでしまうほど。
「ねえ! いつからソニアのことを? ソニアのどこが好き? デートはした?」
「な、なにを」
「ソニアの反応を見るに、あなた達が恋人同士っていう噂には半信半疑だったの。けれど、この噂にはちゃんと信憑性があるようね。ソニアもローランドのことを好きなのかしら? それとも貴方の片思いなのかしら?」
「マルガレーテ様……話がズレておりますが」
矢継ぎ早に質問攻めをするマルガレーテ様は、俺が質問に答える気は無いと分かると、やっとのことで我を取り戻した。
「あら、そうね、謹慎処分のことだったわね」
「そうです。即刻、取り下げて頂きませんと――」
「ごめんなさいね、ソニアひとりを優遇することは出来ないの」
マルガレーテ様は王女の顔に戻ると、きっぱりと俺の訴えを退けた。
「嫌がらせを受けていたとしても、故意ではなかったとしても……彼女がシェリルに手を挙げてしまったことは事実なのでしょう?」
「ですが」
「残念ながら目撃者もいるし、ソニアは否定しなかったの。ならばソニアにも平等に処分を下すのが妥当だわ。それにシェリルは伯爵令嬢、ソニアは男爵令嬢。ソニアだけを取り立てれば、どうしたって角が立つ。彼女にとってもそれは敬遠したいものではなくて?」
マルガレーテ様の言葉には、一歩も引くつもりは無いという強さがあった。謹慎処分はもう覆ることが無いらしい。
俺としては納得がいかないものの、その処分にはマルガレーテ様なりの配慮も感じられて、これ以上何も言うことができない。
「シェリルも同等の処分にしておいたから、この一件がソニアの一方的なものなんかじゃなかったことは皆わかるはずよ。ほとぼりが冷めればソニアへの同情的な味方も増えるのではないかしら。それより」
「それより?」
「あなた、こんな所でゆっくりしていて大丈夫なの?」
意味ありげなマルガレーテ様の表情。
わざとらしいほどに気遣わしげなその瞳は、どこか好奇心が隠しきれていない。これから面白いことが起こるのだという確信と期待に満ちている。
「さきほど、ソニアが来たの。『フォルネル男爵家へ帰らせていただきます』って」
「……え?」
突然の思わぬ事態に、頭の中が真っ白になった。
「すぐにでも発つのではないかしら」
「そ……それは本当なのですか!」
ソニアが、ここからいなくなる。
会えなくなってしまうという現実が、俺から理性を奪ってゆく。
『描かれたくらいでは死にません。約束します』
『私、ローランド様に描いていただきたいのです』
昨日は、なぜ突然……と困惑したけれど。
やっと合点がいった。そういうことだったのか。
ソニアはもう、このような王宮など去るつもりだったのだ。
しかし彼女は俺のことが気がかりで、心残りを放ったらかしには出来なくて。その責任感が、悔しいくらいにソニアらしい。
(あの時は帰るなんて、何も言っていなかったじゃないか……!)
描く約束も出来ぬまま別れてしまった俺は、臆病な大馬鹿者だ。後悔の塊になった俺は、なりふり構わずマルガレーテ様の部屋を飛び出した。
「ソニアは『とりあえず、謹慎中だけ』――って、もう行ってしまったわね」
クスクスと笑うマルガレーテ様の言葉を、最後まで聞かぬまま。
次回、ソニア視点へと戻ります。




