ぬれぎぬ②
「ソニアに突き飛ばされて、怪我をしてしまったのです」
シェリル様はぐるぐると包帯が巻かれた腕を掲げ、いかに酷い怪我であるのか、私がどれほど酷いことをしたのか、マルガレーテ様に訴えた。
その堂々とした立ち振る舞いを目の当たりにすれば、彼女の主張が嘘であるなんて誰も思わないだろう。
「シェリルの言っていることは本当なの? ソニア」
「私はそのようなこと……」
「何を仰っているの? 言い逃れなんてできないわよ、目撃者だっているの。ほら」
シェリル様の後ろからは、用意周到に取り巻きの侍女達が現れた。彼女達も鋭い視線をこちらに向け、シェリル様の言い分を肯定する。
決して突き飛ばしたりなどしていない。言いがかりだ。
けれど……私にはひとつだけ思い当たることがある。
先日、アトリエ手前の通路で待ち伏せされ、シェリル様に捕まってしまった時――彼女から、ローランド様のひどい噂を聞いた時。
私はしつこくまとわりつく彼女の手を、我慢できずに払いのけた。その瞬間に、シェリル様はよろけてその場へと倒れ込んでしまったのだ。
「あの時、シェリル様が倒れて……」
「ほら! ご覧なさい。私が倒れたんじゃないわ、貴女に倒されたの」
彼女の手を払いのけて、シェリルさまがよろけて。ふわりと床へ座り込むように倒れた姿は、怪我など無いように見えた。倒れ込んでからもなお、私への罵倒は続いていて、まさかこのような大怪我を負うような衝撃であったとは思えない。でも……
「いたっ……腕が痛いわ……」
「シェリル様!」
「シェリル様、大丈夫ですか! ああ、ソニアのせいで」
痛がる彼女を前に、責任を感じずにはいられない。
もし私が手を払いのけたせいで、シェリル様が怪我してしまったというのなら。それは私が償わなければならない罪なのではないだろうか。
「私……私のせいで――?」
「あなたも否定しないのね。もういいわ。ソニアはひとまず部屋へお戻りなさい。シェリルには私から話を聞くから」
「で、でも!」
「いいから。周りを見てご覧なさい、ソニア。あなたはここにいるべきでは無いの」
マルガレーテ様はこの状況を見かねてか、うろたえる私に退室を促した。有無を言わさぬその強い声に、私も大人しく部屋を出る。
我に返りテラスを見渡してみれば、遠巻きにマルガレーテ様を心配した人々が集まっていた。私とシェリル様が起こした騒ぎのせいで、護衛やらメイドやら、大勢の方々が駆けつけたらしい。マルガレーテ様をお守りしようと。
「あの人、ローランド様のお相手の……」
「ほんとだわ」
「普通っぽい顔して、乱暴なのかしら」
私の背中を見送る人々の声がチクチクと突き刺さる。
ローランド様との噂もあってか、影の薄かった私の顔はすっかり知れ渡ってしまっていて。シェリル様が大騒ぎしたことも相まって、事の次第はあっという間に広まった。
『ソニアが、シェリルを一方的に突き飛ばし怪我をさせた』
事実であろうとなかろうと、それは実際にあったこととして王宮に行き渡る。
私は、この騒ぎを起こした張本人――シェリル様を怪我させた加害者となってしまったのだった。
その日のうちに、マルガレーテ様により私達には一ヶ月の謹慎処分が下された。
正直、問題を起こした侍女など、王宮には居られなくて当然だと腹をくくっていた。けれどマルガレーテ様の、この計らい。騒ぎを起こした侍女へ、なんと温情のあるご配慮なのだろう。
このところシェリル様からの嫌がらせがあったことはマルガレーテ様も把握されていたようなのだが、今回私がシェリル様を突き飛ばしたとされるのは、その腹いせであると思われたらしい。
『お互いに頭を冷やしなさい』と、マルガレーテ様は呆れたように仰った。
(一ヶ月間か……長いなあ)
私は自室のベッドへ寝転ぶと、どうしようもなくため息が漏れた。
王宮に出仕してからというもの二年間。これほど長い空白の期間を与えられたのは初めてだった。
いっそ、実家に帰ってみるのもいいかもしれない。ゆっくりと羽根を伸ばして、田舎でこれからの身の振り方を考えてみても……
もう、私も十八歳。
今回はマルガレーテ様からのご厚意で謹慎という形に落ち着いたものの、この先ずっと侍女でいられるわけでは無い。遅かれ早かれ、いずれ王宮を去ることは決まっている。
ならば、そのタイミングは今なのではないだろうか。このような問題を起こしてまで、居座り続けることは迷惑なのではないだろうか。
そもそも行儀見習いとして王宮へ上がったのは、貧しいフォルネル男爵家のため。良い縁談を得るために、箔をつけることが目的だったのだから。実家へ帰れば、相応の縁談が舞い込むだろう。
ただ――
『君の絵を描いても良いだろうか』
どうしても、ローランド様のことが心の隅に引っかかる。
人物画が描けるようになるまでは、協力していたかった。
けれどこのように面倒を起こした侍女など、彼のそばにいるべきでは無いということも分かっている。現に、シェリル様を突き飛ばしたとされる私の名前は『ローランドの恋人』として広がりを見せていた。
このままでは、宮廷画家としての評判に関わってしまう。これ以上、ローランド様の名を汚さぬよう、身を引いたほうが良いのでは――
この『特別』は期間限定の立場であると、自覚していたはずなのに。胸の奥がちくちくと痛んで、なぜだか苦しい。
私は初めて経験する謎の痛みに、眠れぬ夜を過ごした。




