ぬれぎぬ①
昼下がり、晴れわたるテラス。
細工の施されたテーブルでは、マルガレーテ様がティータイムを楽しまれていた。愛らしい色彩に囲まれたお庭には庭師御自慢のバラが咲き乱れ、マルガレーテ様の華やかさを演出してくれている。
「ローランドの人物画制作は、順調かしら」
マルガレーテ様は、華奢なカップで優雅にお茶を飲みながら、後ろに侍る私を振り返るけれど。
ローランド様の人物画について進捗状況を尋ねられた私は、返答に頭を悩ませた。
どうかと聞かれてしまえば、実はあまり思わしくない。少なくとも順調とは言えないだろう。
「そういえば……最近はアトリエへ伺っても、人物画のスケッチを目にしておりません」
「まあ、そうなの? せっかくソニアが協力しているというのに、困ったものね」
そう言って肩をすくめるマルガレーテ様に、私もつられて苦笑いを浮かべる。
声をかけられてからというもの、モデルとしてローランド様のアトリエに出入りさせていただいているが、このところ私を描いた絵を目にすることは無くなった。
かわりにローランド様が描かれているのは、アトリエに飾った青い花の鉢植えや、アトリエから見える満開のバラ。窓際へ遊びに来る可愛らしい小鳥……
そのどれもが、そのまま額に入れて飾りたいほど素晴らしい出来ではあるのだが、一向に私を描こうとしないのだ。
心配症なローランド様のこと。
私を描かなくなった理由は、おおよそ分かる。
それは――
「――私が倒れたりしたからでしょうか」
「あら。ソニアもローランドの事情をご存知なのね。なら、なおさら貴女には頑張って貰わないと」
「そうですね……ただ、頑張るといっても私はどうすればよいのか分かりません」
「簡単よ。可愛らしく、『私を描いて』ってお願いすれば良いのだわ」
マルガレーテ様は小首を傾げて、長い睫毛をパチパチと瞬かせ、ぷりっと可愛らしく『お願い』して見せた。
これは……胸を撃ち抜かれるほど可愛らしい。ただし、マルガレーテ様がやるならば。
「こ、これを私がやると事故になりませんか」
「ソニアがしなきゃ誰がやるのよ」
「マルガレーテ様のような愛らしいお方が……」
「私がやってどうするの。ローランドが描きたいのは、愛しの貴女だけなのよ」
そのように強く励まされることで、ローランド様と私が恋仲であるという噂はまだまだ健在なのだなと思い知らされた。
当然、そのような事実は無いのだが――
『君は特別だ。誰よりも』
先日、妙な雰囲気になった時の記憶がよみがえる。
恋人では無いものの……私はいつの間にか、ローランド様にとって特別な存在にまで昇格できていたらしい。
その事実にまず驚いて。次に、甘い期待が湧き上がってくる自分の気持ちにも驚いた。あんなに、ローランド様から観察されることを拒んでいたのに。
私はマルガレーテ様の言葉を否定することもできず、ついつい彼女から視線を外した。
そんな私を、マルガレーテ様が見逃すはずがなくて。
「あら? 否定しない、ということは……ローランドと何かあったのね?」
「えっ」
形よく整えられた眉が、ピクリと動く。
しまった、と気付いたときにはもう遅かった。マルガレーテ様の瞳は、好奇心に溢れキラキラと輝いている。
「教えて。私、貴女達のそういう話、とーっても聞きたいの」
「特になにもございませんよ!」
「嘘。その顔はローランドと――」
マルガレーテ様は、恋の話が大好物だ。身近な人間にそれらしい雰囲気を察知すると、それはそれは敏感に反応する。
案の定にじり寄られ、この話題から逃げたくて後退りをしていると、ちょうどタイミング良く後ろから足音が聞こえる。
「やだ。どなたかしら?」
「そうですね……」
残念がるマルガレーテ様からの追求から逃げるように、後ろを振り向くと――
「マルガレーテ様。シェリルでございます」
「シェリル様……」
「シェリル? あなた、怪我をしていたのではなかったの?」
テラスに現れたのは、シェリル様だった。
このところ怪我を理由に休みを取られており、姿を見ることがなかったのだが。よくよく見てみると、左腕には大袈裟なくらいグルグルと包帯が巻かれてある。
「お休みをいただき申し訳ありません、マルガレーテ様。このとおり、怪我で仕事もままならず……」
「そのようね。その怪我はどうしたのかしら。まだ随分と酷いようだけれど」
シェリル様は私をチラリと一瞥すると、口の端を僅かに上げた。嫌な予感がする。
彼女の、このような顔は何度も見てきた。私に仕事を押し付ける時。腹いせに嫌がらせを仕掛けてきた時。そして先日、アトリエへ続く通路で待ち伏せをされた時――
「この怪我……実は先日、そこにいるソニアに突き飛ばされたのです」
「えっ……!?」
シェリル様の虚言に、マルガレーテ様は目を見開いたままこちらを見やる。
「ソニア、本当なの?」
「ち、違います。私……」
私は当然、ぶるぶると首を振って否定するけれど。
勝ち誇ったようなシェリル様の顔が物語っている。
私が何を言っても、無駄なのだということを。




