ローランドの視線
ローランド様と話をしたその翌日から、私は違和感を感じるようになった。
妙に視線を感じるのだ。
最初は気のせいだと思っていた。だって私のようなありふれた人間を選んで視線をよこす人なんて、いるわけがないのだから。
けれどそれは日に数回も。廊下で。食堂で。中庭で。
マルガレーテ王女のお供をしていても、侍女仲間と話していても、ひとりで王宮を移動していても、ふとした瞬間になんとなく見られているような気がして。
(もう何度も……もう、気のせいじゃないわ)
昼休憩の時間、食堂で昼食をとっていた私は、視線を感じた方向──背後を振り返った。
この時間は城勤めの者達でごった返し、席もほぼ満席だ。皆が思い思いに昼食を頬張るなか、私は遠くに見つけてしまった。腕を組み、こちらを静かに見つめる人物の姿を……
(ローランド様……!?)
ローランド様は壁際のテーブルに着き、食事もとらずこちらを凝視している。昼の食堂らしからぬ異様な雰囲気からか、彼の左右は一席ずつ空いていた。
私が振り返ったせいで、ローランド様とは互いに目が合っているはず。しかし彼は構うことなく、私に視線を送り続ける。つまり私達はこの時、見つめ合っている。
様子のおかしい私達に周りの者達も気づき始め、ひそひそと声をひそめながら私たちのことを伺っているようだ。
「ちょっと。あちらにいらっしゃるの、ローランド様よね? ソニアを見てるの?」
「うーん……」
「やるじゃない! いつからローランド様とそんな仲になったのよ?」
「違うのよ……そんなんじゃないの」
隣に座る侍女仲間が、さっそく勘違いを始めている。おおよそ、見つめ合う私達を目撃した周りの者達にも、そのような誤解を招いていることだろう。
(なんなの一体……)
ローランド様がどういうつもりでいるのか、分からない。『君を描きたい』とは言われたが、絵を描く際にモデルにでもなればいいのだろうと軽く考えていた私とは、どうやら認識がズレているようだ。
さすがにここで彼に確認する勇気は無くて、私はしばらく頭を抱えた。
悩んだ結果、私は彼のアトリエへ向かうことにした。
それは、王宮の離れに位置していた。独立した作りのアトリエは、煉瓦造りの外観が美しく、それ自体が美術品のような佇まいで。王宮から石畳の通路を歩くことで、辿り着けるようになっている。
そこであれば、確実にローランド様と会えるだろう。神聖なアトリエに立ち入るなど恐れ多いが、この場合は致し方ない。私は、ローランド様と話をする必要がある。
私は自分の行動を正当化し、勇気を振り絞ってアトリエへと向かった。
白い石畳を歩くにつれ、油彩の匂いが強くなる。ここに用のある人は少なく、しんと静かで。王宮を出入りする者達の声や足音が、遠くからかすかに響いた。
(いた……)
午後のアトリエは、油彩のパネルに囲まれて。
広い空間が広がる中で、ローランド様はその中央に置かれた簡素な椅子に腰掛けていた。身につけられた生成のエプロンは絵の具と炭で煤けているというのに、窓から射し込む西日に照らされている彼は神々しくて……
「誰だ」
入口で思わずローランド様に見とれていたら、先に勘づかれてしまった。彼の鋭い声からは、こちらへの不快感を感じさせる。ほとんど覗き見のようなことをしていた私は気まずさを覚えつつ、アトリエへと足を踏み入れた。
「お邪魔して申し訳ありません。ソニアです」
「……君か。どうした、こんなところまで」
戸口に立っていたのが私であると分かると、ローランド様の声が穏やかなものへと戻った。この様子だと少なくとも迷惑がられてはいない。それが分かっただけでホッとする。
「悪かったな。たまにいるんだ、ここまで押しかけてくる者が」
「押しかけられるのですか」
「絵を教えろだの、絵をかいてくれだの……ひどい奴になるとここに居座ろうとする」
「わあ……それは大変ですね」
ローランド様は一気に捲し立てると、深いため息をついた。憶測ではあるが居座ろうとしたのは女性だろうか。なにせその対応に、よほど苦労したらしい。
それを聞いてしまえば、なおさら長居はできない。私だってここへ押しかけている者の一人だ。手短に話を終えるために、私は話を切り出すことにした。
「じつは私、ローランド様に話があってここにお邪魔したのです」
「なんだ、話とは」
「あの……食堂でずっと見ていましたよね? 私のこと」
意を決して、昼の件を問いただした。内心どきどきしていた。万が一あれが私の自惚れであったとしたら、失礼も甚だしいことを口にしている。
しかしそんな心配は杞憂であったようで、ローランド様は「そんなことか」とでも言うように軽く笑った。
「ああ、見ていた」
「食堂だけでは無いですよね? 私、最近あちこちで視線を感じました。あれもローランド様ですよね?」
「そうだ、私だ。君のことは引き続き観察させてもらっている」
(えーーーー!?)
やはり、行く先々で受けていた視線はローランド様のものだった。
視線の主が判明してホッとしたものの、なぜ観察などされなければならないのかという居心地の悪さも感じてしまう。
「こ、困ります、観察なんて」
「なぜだ。私のことは気にせず、君は君らしく普通に仕事をすればいい」
「無茶言わないで下さいよ。私はローランド様と違って、地味な普通の侍女なんです。今までこんな誰かに見られることなんてあるわけ無かったのに、『気にするな』なんて」
「そんなことを言われても、俺も困る」
私が不満を口にすると、今度はローランド様からの謎の主張が始まった。
「いいか、俺は『君を描きたい』と言った。そして俺が描きたいのは『生きた人物』だ。モデルとして静止している君じゃ無い」
「は、はあ……」
「人物画を描くためには、普段から自然な動作を把握することが大事だと思わないか」
「うーん……そういうものなのでしょうか……」
ローランド様の勢いに押され、ついついその主張に流されてしまう。でも私だって『観察』されるなんて、困るのだ。
今日だけでも、見られたくない場面は沢山あった。エントランスでつまづいたことや、前髪に寝ぐせがついていたこと、食堂のトマト煮込みが美味しかったのでこっそりパンをおかわりしたこと……
「そういえばソニア、先日は普通などと言って悪かった。食欲は人一倍あるのだな」
「!」
「あの食堂で、君は誰よりも美味そうに食べていた。とても生き生きとしていた」
「み、見たのですね!」
ローランド様は「ああ、見ていた」と悪びれることもなく頷いた。私は恥ずかしさと屈辱でぐちゃぐちゃなのだが、彼は私が何に悶えているのかも分からない様子である。
「やはり君は適任だった。君のおかげで良い人物画が描けそうな気がするよ」
ローランド様は満足げに微笑む。
恥ずかしくても、見られたくなくても……観察対象としてそう評価されてしまえば、私はもう何も言えなくなってしまった。