期間限定の関係
画材屋を出た私達は、ペドロ様のメモ書きに従って、コーヒー店を目指した。
「屋敷でも、ペドロはコーヒーばかり飲んでいる」
「本当にお好きなんですね。あの甘いコーヒーが」
「あいつにとっては水みたいなもんなんだ。食事の時もあれを飲む」
「食事の時も……!?」
コーヒー豆はいつもその店で買い求めているらしく、ペドロ様の名前を出せば指定された豆を出してくれるという。ミルクと砂糖を沢山入れるため、決まって深煎りで苦味のある豆を選んでいるらしい。
「好きなものにはしつこい男だ。服も気に入ったものを毎日着ている」
「たしかに、いつも同じ服ですね」
「ペドロのクローゼットにはあの服が何枚も並んでいる。靴もだ」
「そこまでになると、潔い気もします」
私達はペドロ様の話をしながら街を歩く。おかげで、ペドロ様について少し詳しくなったような気さえする。何となく得体の知れないペドロ様だが、お二人の私生活は聞けば聞くほど掴みどころがない。かえってそれがとても彼等らしい気がして、その暮らしぶりに妙に納得してしまった。
そのうちにコーヒー店へと辿り着いた。
無口な店主に「ペドロ・クリストフの豆を」と頼むと、本当にいつもの豆を出してくれた。それもずっしりと、業務用かと思うほど大量に。
「こ、こんなに飲めるものですか」
「ペドロにかかれば、この量などひと月も持たない。それにしても重いな……だからあいつには自分で買いに行けって言ったのに」
「私が持ちます! 元々、私が頼まれたことなので」
「こんな重いもの、君に持たせるわけにはいかないだろう。ペドロも何を考えてこんなことを頼んだ?」
「それは、」
(それは……ローランド様も同行すること前提のプランだからだと思いますよ……)
でもそれはペドロ様が言わない限り、私の憶測でしかなくて。私は思わず口を噤んだ。
重い豆袋を抱えたローランド様は、休憩も兼ねて隣のカフェへと立ち寄った。悔しいが、完全にペドロ様のプラン通りに踊らされている。
テラス席へと通されると、私達はそれぞれカフェオレとお茶を頼んで一息ついた。
(なんだか……みんな見ていくわね)
表通りから良く見える席だ。
通りゆく人々が、すれ違いざまローランド様に見蕩れていく。遠巻きにこちらを見ては黄色い声をあげる女の子や、上階の窓からローランド様を見下ろす向かいの住人。人々の視線が、足を組むローランド様へと集中する。
「席をかえていただきましょうか。店内にも空きはありましたし」
「べつに、ここでも構わない」
「けれどこちらだと、その……気になりませんか、視線が」
「そういうことか。見られることには慣れている」
君が気にするなら移動するが、と言葉を付け加えて、ローランド様は相変わらず落ち着き払ったままカフェオレを口にした。さすがである。
彼がそう言うなら仕方がない。私も諦めてお茶で心を落ち着かせた。
「見られることに慣れる、なんてことあるのですね。私なんて、ローランド様に観察されているだけでも落ち着かないのに」
「君も気にしなければ良い。そのうち慣れる」
「ローランド様から、観察されることに?」
「そうだ」
そんなことなど不可能ではなかろうか。そもそも、慣れるほど観察するおつもりなのだろうか。一体いつまで……
「あの、観察は一体いつまで?」
「いつまで……期限などは考えてなかったな」
「でも、国王様からのご依頼には期限がおありなのでしょう?」
そもそも、観察生活が始まったきっかけは、国王様からの依頼だった。ローランド様は国王様からギャラリーに飾る新作を打診され、その絵に人物も入ると尚良いと言われてしまったのだ。
しかしローランド様は人物画を描くことができない。悩んだ末、藁にもすがる思いで私へ協力を仰いだのだった。
「だいたい、依頼を受ければ二、三ヶ月で仕上げるのだが……人物画となると難しいかもしれない」
「まだ、描けそうにないですか?」
「そうだな……」
ローランド様は黙り込むと、テーブルを挟んで向かいに座る私の顔をじっと見つめた。描けるかどうか、私を見ることで判断しているのだろうか。毎日のように観察されているとはいえ、このように改めて向かい合うと、なんだか緊張してしまう。
私は気を紛らわそうと、テーブルのお茶を一口飲んだ。
「わっ……美味しい」
この季節限定のフレーバーティーは、柑橘の香りがふわりと広がって爽やかな味がした。田舎者の私にとっては、初めて経験する味だ。
「すごく美味しいです。ここのお茶」
「カフェオレも美味い。さすがコーヒー店直営だ」
「ペドロ様は良いお店をご存知なのですね」
「また、美味い店を聞いておこう」
そう言って、ローランド様が柔らかく微笑むから。
私もつられて顔が緩んだ。
(『また』……)
観察される毎日にも、きっと終わりはやってくる。そうなれば、ローランド様とこうして出掛けることなんて、もうこの先有り得ない。私は、ただ人物画のモデルとして彼の視界にいるだけなのだから。
けれど今、ローランド様が『また』と言ってくれたことが私は思いのほか嬉しくて。
私は、緩んだまま戻らない顔を誤魔化すように、何度もお茶を味わった。
湯気を立てるフレーバーティーは、爽やかで、少しほろ苦い味がした。
いつも誤字報告ありがとうございます!