待ち合わせ
城下町の広場は花ざかりであった。
カフェの店先、噴水の脇、ベンチの足元、いたるところに色鮮やかな花々が飾られている。
あまりの賑やかさに、今日はお祭りでもあるのかと周りを見回してみるものの、これといってそのような様子も無く。これが広場の通常運転らしい。
私は今、城下町の広場で、とある人と待ち合わせをしている。
滅多なことでは街へ出ない私は広場の片隅に立ち、あまりの人出の多さに圧倒されていた。
雑踏のなかで、同じように待ち合わせる人々。行列のできるカフェ。あちらこちらから聞こえる笑い声。
(すごい人だけれど、私がここにいることは分かるかしら。本当に来るのかしら……)
本当に、このような人混みに来るだろうか。
あのローランド様が――
◇◇◇
時は、昨日に遡る。
「お礼?」
「はい。先日助けていただいたお礼をしたいと思うのですが。よろしければ、また何かお持ちします。お二人は、お好きなものはありますか?」
「ソニア君、そんな気を遣わなくてもいいのに」
ペドロ様はそう言ってくださったけれど。
特製のコーヒーを飲みながら、私は後悔していた。アトリエまで、手ぶらで来てしまったことに。
彼らからは、よくして貰ってばかりなのである。助けてもらって、心配してもらえて、そしてここには私のカップまで用意していただけた。
私からも、お返しがしたい。けれど、彼らが何を好むのか、何を贈ればお礼になるのだろうか。見当もつかない私は、しばし悩んだ。
先日、自家製のサブレを差し入れた際は喜んでもらえたけれど、またサブレを……とそういう訳にもいかないだろう。お礼にもバリエーションが欲しい。少なくとも私としては。
ならばもう本人に聞いてしまえと、素直に尋ねてみたのだった。気にするほどの質問でもないだろうと、本当に安易に。
しかし。
「べつに礼など必要ない」
「えっ。で、でも、それでは私の気が済まないんです」
「君はなんでも気にし過ぎだ」
「普通は気にしますよ。こんなにもご迷惑をかけていて、気にしないほうが無理というものです」
「別に迷惑だとは思っていない」
ローランド様からは「必要ない」と一蹴され、まったく参考にならなかった。
これは私が甘かった。お礼を相手任せにするなんて、そもそもが間違っていた。日頃のローランド様から予測したら「要らない」と言われて当たり前だろう。なぜそこに思い至らなかったのか。
宙ぶらりんになった『お礼』について悩んだ私は、コーヒーの水面をジト……と見つめる。
(もう、いいかな。また、サブレでいいかな)
サブレはコーヒーのお供にもなるし、彼らも美味しいと言ってくれていたし、すぐに用意出来てしまうし……。
妥協し始めた私の気持ちは、もう九割サブレに傾いていた。けれど、そこにペドロ様の待ったがかかる。
「そういうことなら、僕、お礼はコーヒー豆がいいと思うな」
「え?」
「ローランドは僕のコーヒーが好きだから。すぐに豆が無くなるんだよねー」
コーヒー豆。ペドロ様から、具体的かつ実用的なリクエストが挙がった。
とても助かる。助かるけれど、私はコーヒーに疎かった。コーヒーを口にしたのもついこの間が初めてで、豆の種類や焙煎具合なんかも分からない。
果たしてそんな自分に、彼らが満足のいくコーヒー豆が用意できるのか……。店に聞けばわかるだろうか。ペドロ様が贔屓にしている店はあるのだろうか。
「ペドロ様、すみません。いつもどちらのお店でご購入を?」
「城下町に、古くからやってる店があるんだ。いつもそこで買っているから、その店なら僕の名前を出すだけで同じものが買えるよ」
「そうなのですね! 安心しました。同じものが私に買えるか、少し不安になったので」
少し、というか大分不安であった。見当違いのものを用意してしまったらどうしようかと。けれど決まった店があるのなら安心だ。そこで買えば間違いない。
ほっと胸を撫で下ろしていると、ペドロ様が突然、手を鳴らした。その仕草はどこかわざとらしい。
「じゃあ、ローランド」
「なんだ」
「君も一緒に行っておいで。ソニア君を店まで案内してあげてよ」
「俺も?」
安心して油断していたところに、なぜかペドロ様が要らぬお節介を発動させた。
(ローランド様が一緒に? 私と?)
「だ、駄目ですよ。ローランド様についてきて頂いたりしたら、お礼にならないでしょう」
「でもソニア君、店の場所分からないでしょ?」
「分かりませんが……地図をいただければ私一人でも……」
「だめだめ、街はすごい人出だよ。女の子一人だなんて格好の餌食だし」
「え?」
「もしかしたら悪い男がいるかも……スリや詐欺師がいるかも……ね、ローランド」
ペドロ様は、不安を煽るようなことを次から次へと口にする。そんなことを聞いてしまったら、心配症のローランド様はきっと――
「俺も行こう」
ほらやっぱり。そう言うに決まっている。
「ローランド様。大丈夫ですよ、私一人でも」
「いや、ペドロの言う通りだ。君一人では危ない」
「ただコーヒー豆を買うだけですよ?」
「店は街中にある。どんな事故に巻き込まれるか分からない」
そこからはトントン拍子に、休みの予定を聞かれ、待ち合わせ場所を伝えられ……いつの間にか、ローランド様と行く以外の選択肢は無くなっていた。
私達のそばでは、相変わらずペドロ様がニヤニヤと笑っていて。
私はやっと気がついた。彼のリクエストの目的は、これにあったということに。
◇◇◇
(確信犯、だったのよね……。ペドロ様、ほんと訳が分からない……)
広場のベンチでは、待ち合わせては出発する男女が後を絶たない。手を繋いで、腕を組んで。きっとこれから、楽しいデートに違いない。
私は、そんな恋人達をぼーっと眺めた。
そして思った。
(どうする……? 誰かに見られてしまったら)
ただでさえ噂がたっているところに、休日を合わせて二人きりで外出なんて、言い訳にも説得力が無くなってしまう。もし、デートだと勘違いされたら――
悶々と悩み続ける私の頭上へ、ふいに影が落ちた。
「待たせたな」
彼はやって来た。
広場の喧騒とは一線を画した、眩い後光を背負って。
「ローランド様」
王宮でも目立つ彼は、街の中だと更に目立った。
派手に着飾っているわけでもなく、シンプルなシャツ姿で、ただ足を揃えて立っているだけなのに。スラリとした立ち姿とその美貌が、街の視線を攫ってゆく。
「口が開いているぞ」
「はっ……すみません。思わず、見とれて」
「何を言っている。行くぞ」
「は、はい」
私は、口を開けたまま、ローランド様に見とれてしまっていたようだ。周りを見回してみれば、皆も同じように口を開け、ローランド様の美しさに目を奪われている。
(なんだか……無駄に悩んでしまったわ)
ローランド様の圧倒的な存在感を目の当たりにして、私のくだらない悩みなど吹き飛んだ。
平凡な私が、こんなに綺麗な人と恋人に見えるはずがない。見えてせいぜい、主人と下働きのようなものだろう。
気が抜けた私は、急いでローランド様のあとをついて歩いたのだった。