大事なモデル
ローランド様に運ばれた翌朝。
朝の身支度をしていると、寮長が私の部屋までやってきた。
女子寮の朝はとにかく忙しいものである。寮長はいつもなら食堂の厨房で朝食準備をしているはずで、こんな所までやってくる暇なんて無いと思うのだが。
「ソニアさん。今日は大事をとってお休みなさい」
寮長はそう言って、わざわざ私一人分の朝食を部屋に用意してくれた。
プレートには半熟の目玉焼きとグリーンサラダ、そして昨日食べたフルーツパン。昨日、中途半端な時間に分けていただいたパンは、どうやら今朝の朝食として出される予定のものであったらしい。
「ありがとうございます。けど、昨日はぐっすり休ませて頂けましたし、問題なく働けますが」
「ダメよ。マルガレーテ王女からもお達しがきているの。今日一日は、きちんと休息をとりなさいって」
「えっ」
聞けば、昨夜のうちにマルガレーテ様から『ソニアを休ませるように』と指示があったらしい。
あのローランド様がわざわざ寮まで抱えてきて、つきっきりで看病したあとに、マルガレーテ様からは休ませろとお達しがあって。
なにもかもが大袈裟で、寮長は驚いたに違いない。
(とは言われても、私、本当に絶好調なのだけど)
昨日は結局、パンの後に夕食まで平らげてしまったし、片付けも掃除当番も、侍女仲間が気を遣って交代してくれたし……手持ち無沙汰な私にできるのは、ただ休息をとることだけだった。
おとなしく部屋へ戻れば、食後の満腹感も相まって、トロンと眠気が襲ってきて。ベッドへ吸い込まれるように寝転がると、いつの間にか朝まで熟睡してしまっていたのである。
だからいつも以上に休息はとれているし、昨日早退してしまった分までちゃんと働きたいとおもうのだが、目の前に仁王立ちする寮長はそれを許してくれそうもない。
「……では、お言葉に甘えて」
「そうなさって。ゆっくりするのよ」
寮長はまるで母親のように私の頭を軽く撫でると、足早に部屋を去っていった。また朝食の支度に戻るのだろう。寮長にこそ、ゆっくり休んで欲しいものだ。
せっかくなので、用意された朝食をいただこうとテーブルについた。
温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに食べましょう。それが、寮長のモットーだ。ここまで運んでもらえたのだから、せめて美味しいうちに食べてしまうのが礼儀である。
冷たいサラダをひと口食べて、温かい目玉焼きをひと口食べて。少しハードなフルーツパンを指先で小さくちぎってから、私は、しばし考えた。
(具合が悪かったことを、マルガレーテ様はなぜご存知だったのかしら……)
マルガレーテ様のお気遣いによって、私は休みを頂くこととなった。充分に休んだ身体は、申し訳ないくらいピンピンしているのだけれど。
このところは先輩達からの命令に振り回され、マルガレーテ様とお会いすることも叶わなかった。だからマルガレーテ様が、私の様子なんて知り得るはずもなかったのに。
侍女仲間が昨日のことを伝えてくれたのだろうか。それとも、王宮内の出来事は筒抜けになっているのだろうか。中庭で、ローランド様に抱えられたあのことも。
(うわ……あああ……!)
思い出すだけで羞恥心がよみがえり、ひとしきり身悶えてしまう。
だめだ。私には免疫が無さすぎた。きっと一生、何度でも思い出しては、こうして悶えることだろう。
ローランド様は、意外と力が強かった。そして意外と心配性で、意外と面倒見が良くて、やさしくて。
(……ちゃんと、お礼しないと)
もしあの時、ローランド様が助けてくれなければ。私はそのままくたびれ果てて、惨めにも倒れていたかもしれない。
少し大袈裟ではあったけれど、私のことを心配してくれていたのだと思うと、自然と胸が熱くなる。
私は彼のやさしさを想いながら、フルーツパンを噛みしめた。
◇◇◇
翌朝、私はマルガレーテ様のお部屋へ伺った。
王宮内で一番愛らしく明るい部屋も、華やかなバラの香りも、ずいぶん久し振りのように感じる。ずっと、先輩達に言いつけられた雑用にかかりきりで、マルガレーテ様から遠のいていたからだ。
「久しぶりね、ソニア」
「はい。昨日はお休みを下さり、ありがとうございました。マルガレーテ様」
「いいの。具合はどう?」
「まったく問題ありません! 元気そのものです!」
マルガレーテ様にこれ以上の心配をかけたくなくて、私は元気をアピールするために力こぶを作った。
そんな私を見たマルガレーテ様は、フフフと大人っぽい笑みを浮かべる。
いつの間にか部屋からは人払いがなされ、私とマルガレーテ様は、二人きりで向かい合っていた。何事かと思い、外の様子を見に行こうとすると、
「ごめんなさい、ソニア」
マルガレーテ様は突然、背筋を伸ばして立ち上がったかと思うと、私に向かって頭を下げた。
「マルガレーテ様! おやめ下さい、どうされたのです?」
「私、あなたが辛い思いをしていたなんて、全然気がついていなかったの」
「辛い思い? もしかして、雑用のことですか?」
「そうよ。ローランドに怒られちゃったわ。しっかりしろって」
「ローランド様が……!?」
まさかここでもローランド様の名前が出てくるとは思わなくて。呆気に取られる私に、マルガレーテ様は事の経緯を話してくれた。
パタリと姿を現さなくなった私のことを、マルガレーテ様も不思議には思って下さっていたらしい。シェリル様達に尋ねてみても『ソニアは今、別の仕事をしています』と、ただそのような返事が聞けるだけ。
別の仕事をしているのなら仕方がない……と、マルガレーテ様もそれ以上深く追求はしなかった。
すると先日、なんとローランド様が怒鳴り込んできたらしい。ソニアへの嫌がらせを野放しにするなんて、と、恐れ多くも王女相手に。
『ソニアは、マルガレーテ様付の侍女ではないのですか』
『王女より優先させる仕事とは何なのか、疑問をお持ちにならないのですか』
『侍女達の行動を、不自然だと思われないのですか』
(ローランド様……)
以前、彼からは『大事なモデルだ』と、そう言われたことがある。それは本当であったらしい。
私はただの観察対象のはずだった。けれど、ローランド様がここまでして下さるなんて。
「ソニア。ローランドにも、改めてお礼を伝えてくれるかしら」
「……もちろんです」
「ふふっ。これからも仲良くね」
そう言って、マルガレーテ様はなんとなく意味深な笑みを浮かべた。
(……? なにかしら)
この時、私は知らなかった。
ローランド様に助けてもらったあの一件が、まさか尾ひれをつけて広まっているなんて。