君を描きたい
(今日も、見られているわ……)
もう、この視線を受けて一週間。
そろそろ慣れたものだけれど、やはり気が散るものは否めない。
私、ソニア・フォルネルは視線の主を探し、あたりをぐるりと見回した。
(……いた)
王宮の中庭を見渡せる壁際に、その人はいた。
ローランド・スペルディア様。スペルディア伯爵家次男の彼は、現在二十歳。王宮内のアトリエに所属する、宮廷画家の一員だ。腕を組んで中庭の壁に寄りかかり、私の一挙一動をずっと見続けている。
「あちら……ローランドだわ。ソニア、気づいていて?」
「ええ、私も今気づいたところです」
前を歩いていらっしゃったマルガレーテ王女は侍女である私を振り返り、にまにまと意味深な笑みを浮かべた。
十五歳のマルガレーテ様は、ちょうど色恋にご興味のあるお年頃。
そして私は十八歳の男爵令嬢。といっても、我がフォルネル男爵家は、田舎に屋敷を構える貧しい貴族であった。貧しいなりに少しでも良い縁談を得るため、行儀見習いとして王宮へ出仕し二年目を迎えている。
マルガレーテ様は好奇心を隠しきれないとでもいうような表情で、私の耳元に愛らしい顔を寄せては、からかうように囁いた。
「いいわね、毎日あつい視線を送られちゃって」
「ローランド様の場合は、ちょっと違うでしょうか……」
マルガレーテ様や仲の良い侍女仲間達にはいつもこうして冷やかされるか、羨ましがられるか。そのどちらかだ。
なにせ、ローランド様はそのお立場だけではなく、見た目もいい。スラリとした長身に端正な顔立ち。それだけでも目を引くし、束ねられた金髪から垂れた気だるげな後れ毛は、彼にミステリアスな雰囲気を醸しだす。そのうえ神秘的な紫の瞳は、強い眼力を持っていて。
彼から見つめられるとドキリとするのが普通かもしれない。
実際、私も胸が高鳴った。そう、最初だけは。
◇◇◇
「君」
それは一週間前のこと。
ギャラリーを兼ねた廊下をひとり歩いていた私は、ローランド様に声をかけられた。
見目麗しいローランド様。有名人である彼のことは知っていた。
スペルディア伯爵家令息。幼い頃から絵を嗜み、彼が個展を開けば多くの人が詰寄せる……若くして宮廷画家の一員として配属された、才能溢れた芸術家。
そんな彼が、私に声をかけることなどあるだろうか。 自分で言うのも何だが、私は見た目も立ち振る舞いもパッとしない、ただの侍女だ。
驚いた私は、あたりを見回した。彼から声をかけられるなんて、自分の勘違いかもしれないからだ。しかし廊下はしんと静まり返っていて、そこにいたのはやっぱり私ただひとりだけ。
「君だ、栗毛の君」
「わ、私のことでしょうか」
「そうだ」
私が反応すると、彼はまっすぐにこちらまで歩み寄った。
間近で見るローランド様は、さらに神がかった美しさであった。アメジストのような瞳に白くなめらかな肌。男性に綺麗などと言ってはおかしいかもしれないが、まるで彫刻のように隙のない、完璧な美しさだったのだ。
彼の美貌に見とれて呆ける私へ、ローランド様は話を切り出した。
「君の絵を描いても良いだろうか」
「え?」
「そうだ、絵だ」
「私の絵……ですか?」
「だからそうだと言っている」
ローランド様とは、これが初対面だ。
突然の申し出に、私の頭はついていけなかった。
(……どういうこと?)
彼は私のどこをどう見て『描きたい』などと言っているのだろう。
何度も言うが、私はなんの変哲もない、没個性的な人間だ。一応フォルネル男爵家令嬢ではあるものの、貧しさゆえに貴族らしからぬ平凡さ。栗毛のロングヘアに普通の体格。顔立ちだって悪くは無いが、絵に描きたいと思われるに値するほど良くもない。唯一誇れるのは、父譲りのブルーの瞳くらいだろうか……
ローランド様の申し出に、やはり理解が追いつかない。自分の容姿を考えると、彼に描かれるなんて申し訳ないくらいで。
「あの……恐れ入りますが、ほかにもっと適役がいらっしゃるのでは?」
「適役とは?」
「描かれるのであれば、私よりもっと美しい方のほうが」
「俺は、君がいい」
「ええ……?」
やんわりと断ったつもりだったのに、ローランド様は引き下がらない。
なぜ、私にこだわるのだろう。考えれば考えるほど、胸がどくどくと音を立てる。皆の憧れである彼に『君がいい』などと言われれば、私の乙女な部分は否応なしにときめいた。が、それも一瞬の事だった。
「君のように描きやすそうな人物はなかなかいない」
開きかけた私の恋心は、数秒も経たぬうちにピシャリと閉じられた。
「君のことは少し観察させてもらった。毎日繰り返される決まった行動パターンに、全く変化の無い普通の容姿……瞼を閉じても思い浮かぶ。まさに君こそ適任だ」
なにげに、とても失礼なことを言われていると思うのだが気のせいだろうか。彼があまりにも自信たっぷりに口にするので、腹を立てようにも立てられない。
「君なら……描ける、描ける気がする」
「どういうことですか?」
私の問いに、ローランド様のまぶたが悲しげに伏せられた。
「君は、俺が絵を描くことを知っているか」
「はい、それはもちろんです……ローランド様の描かれる作品は素晴らしいと評判ですから」
「そうか……しかし俺が描けるのは風景だけだ。人物が描けない」
戸惑う私をよそに、彼は、己の苦悩を語り続ける。
「評論家達からも陰で言われているのを知っているんだ。俺の絵は無機質で、心がないと」
「そ、そうでしょうか。こちらで毎日のように拝見しておりますが、とても素晴らしい風景画だと思います」
このギャラリーには、様々な芸術作品が展示されている。そのひとつにローランド様の風景画もあった。
我がアウストリア王国にそびえるパルマ山脈を描いたその絵は、現在二十歳の彼が十五歳のときのものであるという。朝焼けに染まる峰々が神々しく、 雲の流れさえ感じさせるその絵に『心がない』など……そのような評価が下るなんて。私なんて、その絵を見た瞬間『天才っているんだな』と、言葉を失ったほどだいうのに。
「実は王から新作の打診があったんだ。またギャラリーに展示する絵画を、と」
「はあ……」
「その際『人物画を』と、無茶を言われてしまった」
「なんと……」
さすがローランド様だ。アウストリア国王から直々に、絵の依頼を受けるとは。ただただ凄いなと驚いている私とは裏腹に、彼は深いため息をついている。
「依頼主である王からそう言われてしまえば、人物を描くしかない……けれど描けないんだ、俺は」
「描いてみたことはあるのですか?」
「──描こうとしても、描けない。筆が動かない」
なぜなのだかよく分からないのだが、得手不得手の問題なのだろうか。何にせよ、それは彼にとって大きな悩みであるようで。
「たのむ。俺を救うと思って」
「それは練習用のモデルとして協力を……ということでよろしいのでしょうか?」
「ああ、」
「私でいいのですか、本当に」
「ああ。君、名前は」
「ソニア・フォルネルと申します」
「ソニア。よろしく頼む」
ローランド様は私を見下ろし、安堵したように微笑んだ。どうやら、これで話はまとまってしまったらしい。
本当に私などで役に立つのだろうかという一抹の不安を覚えるが、あのローランド様にここまで頼み込まれれば断るなんて出来っこない。
こうして、私はローランド様に描かれることとなった。
これを機に、のんびりと平坦であった私の生活は一変することになる──。