【コミックス発売記念SS・後編】愛の言葉を囁いて照れた方が負けゲーム
先攻は勝ち取ったものの。
しかしこのゲームに大きな落とし穴があることを、私はすぐに思い知ることとなった。
「始まる前から二人で照れていたら、何も始まらないんだが」
目を合わせるだけで、なんだかお互い気恥ずかしい。
そんな一向に勝負が始まらない私たちに、陛下が呆れた声を出した。
「夫婦なのだから、愛を語るくらいわけもなかろう。結婚して幸せだのなんだのと惚気ていたではないか」
「それとこれとはわけが違うんですよ……」
口からツルッと出すのと、考え抜いて捻り出すのとではまったく違う。
そもそも大好きな人に大好きと伝えるなんて、奥ゆかしき大和撫子には勢いがなければなかなか難しいのだった。
しかしそんな私にだって、ギリギリ言えそうな言葉が一つだけあった。かなり遠回しだけれど、勝算はある。なんせ相手は国一番のピュアボーイ、アルバート様なので。
――絶対に、照れさせる!
そう覚悟を決めた私は、アルバート様から若干目を逸らしつつ。大きく息を吸い、口を開いた。
「つっ、月が綺麗、ですね……?」
沈黙が広がった。
照れすぎているのだろうかとそうっと目を向けて、びっくりする。
アルバート様が、あと30秒でなんとかしなくちゃ爆発する時限爆弾を目にした探偵のような顔で、真剣に何かを考えこんでいた。
陛下は(今は昼間だが……?)と言うような顔をしているし、ルラヴィ様も少し困惑したご様子だ。
その様子に、それもそうだとはたと気づく。ここは日本じゃない。「月が綺麗ですね」=「愛してる」だなんて、そんな無茶な連想ゲームをできる人などいるわけがないのだった。
私が詰んだと内心で頭を抱えていると、ルラヴィ様が優しく苦笑する。
そのあと陛下にじろっとした視線を向けて、有無を言わせないような口調で言った。
「さ、陛下。夫婦の勝負に外野は不要ですわ。帰りましょう」
そう言って陛下を急かしつつ、「陛下は愛の言葉よりもデリカシーを学んでは?」とちょっとちくちくしたことを言う。
そんなルラヴィ様が私にウインクをして、陛下と共に颯爽と出て行った。
ルラヴィ様ー!
なんという仕事ができる方。ゴドウィンに次いで二人目の心の友に尊敬と感謝を捧げつつ、とりあえずこれで今日の勝負はお流れになっただろうと安心する。
そもそもこのゲーム、最初はやるつもりがなかったのだ。アルバート様に釣られて乗ってしまったのだけれど。
やっぱりアルバート様、ちょっとだけ趣味がアレなのかな……私がそんなことを考えていると、なんだか考え事をしていた様子だったアルバート様が、慎重に口を開いた。
「……月が綺麗とは、君にとって愛の言葉なのか」
驚いた。どうやら、まだ先ほどの言葉の意味を考えていたらしい。
「そ、そうですね。えーと、大昔に何かで読んだのですが。なかなか愛してると口には出せない恥ずかしがり屋が使う、最上級の愛の表現だとか……」
「さ、最上級……」
私の言葉に、アルバート様が口元に手を当てた。
「……旦那様?」
名前を呼び、じーっとアルバート様を凝視する。
手から覗く頬も、耳も赤い。そして何故か、私と視線を合わせようとはしない。
……これは、つまり。
「……私の負けだ」
私の視線に耐えかねたのか、アルバート様が観念したようにそう言った。
「……君が、私への愛の言葉を考えてくれただけで嬉しかったのに。最上級と言われてしまうと……悔しいが、私の負けだ」
「さ、最上級に決まっているじゃないですか……わ、私の旦那様なんですから……」
なんだか気恥ずかしくなり、ごにょごにょとそう言った。
それにしても、アルバート様が悔しいだなんて言うのは初めてだ。良いことなのだけれど、たった一度の敗北でも悔しいだなんて。アルバート様は、意外と負けず嫌いなのだろう。
初めて見た意外な一面に、かわいいなあなんてちょっと思っていると。
不意にアルバート様が、とても儚くて綺麗な、優しい笑みを浮かべた。
「……やはり、私は君には一生勝てないみたいだ」
「え」
「初めて君を好きだと気づいた時から、こんなに人を愛してしまうものなのかと怖かった。……それなのに毎日、更にヴィオラを好きになる。君が笑ってくれるだけで、幸せで泣きたくなる。それなのに、君は私を愛してると言う」
しみじみと響く声音は、私へ、というよりはアルバート様自身へ言っているようだった。
だからこそ、余計に感情が伝わってきて。
「……ああ、だめだな。照れている君が、本当に、心の底から可愛くてたまらない」
「もう本当に勘弁してください……」
耐えきれなくなり、両手で顔を覆った。なんてことだ。手練れのイタリア人だって、ここまで人の心臓を撃ち抜くことはできないと思う。
どう考えても、負けてばかりいるのは私の方だ。
それから私たちは、どれだけ自分が相手に弱いのかを語った。
それはいつの間にかお互いの大好きなところの暴露大会と様変わりをしていて、気付いた時にはときめきの過剰供給にお互い満身創痍となっていた。
結局その日は、二人とも照れがひかず。
夕食を終えて眠るまで、ぎこちないロボットみたいな動きと真っ赤な顔で、一日を過ごすことになったのだった。
後編までお付き合いいただきありがとうございます。
次の番外編は秋頃に投稿予定です。
引き続き家庭内ストーカーを、どうぞよろしくお願いします!





