七章 『運命の魔女』
「サファイア様、どういうおつもりですか?」
『紅血の魔女』は、突然私に話しかけた。
目の前で、自分の命を狩ろうとする者を無視して。
「勝手に自分の身を差し出そうなど……どうやら、ご自分の存在価値をお分かりでないようですわね?」
「存在価値? お前は何が言いたいんだ」
「あなたは『災厄』を滅ぼすために生まれてきたのです」
そう言って、少女は結った髪を解く。
流れる髪は一本一本が繊細で、さらりと風に乗り、風が止むと何事もなかったかのように元に戻る。光の反射を許さず、根元から毛先まで雪のように白一色なそれは、人の目を釘付けにする。
「ですから、その命をお守りしますわ」
そう言って、イクスに大剣を突き出した。
細い腕からは考えられないくらい、大剣を軽々しく持ち上げる。細い腕の割に、物凄い力を持っているようだ。
「『紅血の魔女』は危険な上に邪魔だ。先に仕留めさせていただくぜ」
イクスはそう言って、炎を纏った拳で少女に殴りかかった。
『紅血の魔女』……私はその名前に聞き覚えがあった。
魔界で虐殺を繰り返す、非道な魔女として有名だ。その母は、誇り高き魔女騎士団の団長のベディヴィア。
長年、魔女騎士団は彼女を追っていたらしいが、彼女のあまりの強さから捕らえられたことはないらしい。だが『紅血の魔女』は、ベディヴィアが現れると、いつも戦わずに逃走していた。
ベディヴィア以外の魔女を手あたり次第に殺害し、雪のような白い体を血に染める殺人鬼。
その名は……シヴァニ。
「『紅血の魔女』と仲間なんやな。それはもっと危険や」
スピカと呼ばれていた少女は、私を見てそう言った。アーチェリーを私に向けて構えているが、どこか戦闘の意思が薄い気がした。
戦いたくない、そんな思いがどこかにあるようだ。
「待て、抵抗するつもりは……」
「あら、戦う意思はないのですか? そんな方を守るのは気が乗りませんね」
イクスと戦っていたシヴァニは、イクスを長い足で蹴飛ばす。イクスは私とスピカのいる方に飛んできたが、持ち前の身体能力で受け身を取ったようだ。
「イクス! 大丈夫なん⁉」
スピカが心配して、イクスに駆け寄る。こそこそと何やら耳打ちをしているようだ。だがそれに耳を澄ませる暇はなく、シヴァニがこちらにやってきた。
彼女とすれ違う瞬間、彼女の言葉がはっきり聞こえた。
「戦わなければ、ミィナ様もサナエ様も、あなたの大切なエイダン様も殺します」
驚いて彼女の顔を見ると、彼女は微笑を浮かべていた。
静かで、どこか楽しそうに。
私の大切な人をみんな、殺すと言った。
これが冗談か本気かなんて、疑わずとも分かる。
彼女は人を殺すのに躊躇いなんてない。
戦わなければ。
スピカたちのいる方を向くと、シヴァニが大剣を振り下ろそうとしていた。
「『運命』は変えられない、逆らえない……うちは、『運命』を詠む者」
「ここだ!」
イクスはシヴァニの素早い動きを読み、隙をついて腹を殴った。シヴァニはよろけ、大剣の先は下に向く。
シヴァニを、助けるべきなのか?
大罪を犯した魔女を助けるのはいけないことだと、昔の私ならそう言うだろう。だが……
「あなたは『災厄』を滅ぼすために生まれてきたのです」
シヴァニの言葉が、どうしても気になってしまう。
彼女が私を守る意味も、良く分からない。
だが一つ分かったのは、エイダンが無事だということ。
イクスはエイダンを追って行ったはずなのに、エイダンはここにいない。それはきっと彼女のおかげだ。
私が戦わなければ、シヴァニがイクスにやられてしまう。イクスはエイダンに手を出す気だ。もしシヴァニが生き残ったとしても、私が戦わなければみんな殺される。
「シヴァニ、伏せろ!」
「!」
私がそう言うと、シヴァニはすぐにしゃがんだ。右手の指先に魔力を集中させる。
しかし魔力弾が作成されるのが、以前より遅くなった。
「くっ……!」
やっとの思いで魔力弾を生成すると、それは勢いよくイクスのもとへ飛んで行った。イクスはそれを余裕で躱し、私を睨め付けた。
「んだよ、抵抗しねェんじゃなかったのか!」
「気が変わったんだ、悪く思うなよ」
魔力弾を一個使っただけで息切れしている。右手はだるく、今にも脱力しそうだ。なぜだろうと考えていると、シヴァニが華麗に飛びながら私の隣に戻ってきた。シヴァニは私の右目を隠す前髪をはらりとどけて、瞳の色を見る。
「サファイア様、魔女の墜落を経験なされたのですね。右目のお色、とても美しいですわ」
彼女の白くて細い指は、私の瞼を割れ物のように撫でる。その手つきに恐怖を覚え、目が閉じてしまう。
「右目の魔術回路が壊れているようですので、魔力弾を使うのは左手にした方がよろしいかと」
まさか片方の魔術回路が壊れているせいで、右手で魔力弾が扱いにくくなっているのだろうか。
シヴァニはすぐに手をどけて大剣を持ち直す。
彼女を近くで見ると、大剣の重量が目に見えて分かった。私が両手でも扱えないくらいの重量だ。これを、彼女は容易く片手で振り回す。訳が分からなくて頭が混乱しそうだ。
イクスとスピカはまたもやこそこそ話をしている。
シヴァニはそこに向かって走り、再び大剣を振りかぶった。私も彼女を追いかけるように走り抜ける。
だが、またもやイクスはその動きを読み、それを躱す。スピカは先に別の場所に逃げている。イクスはシヴァニの隙を狙ったが、シヴァニは無理矢理体を捻転させてそれを躱した。 するとスピカが急に振り返り、アーチェリーをシヴァニに向かって構えた。
パシュッと音を立てて、矢は発射される。それを左手で魔力弾を作り、矢に向かって撃ちこむ。矢の軌道はシヴァニから逸れ、町の木に刺さる。
「『犠牲の魔女』、邪魔せんといてくれへん?」
そう言って、スピカはアーチェリーを私に構えた。一本の矢が飛んでくる。それには魔力が乗っていて、普通の矢の速度、威力ではない。それを避け、海碧色の魔力を拳に纏う。
すると、スピカは目を瞑った。
私の攻撃に怯えたのだろう。そのまま彼女に攻撃を仕掛ける。
「……視えたで」
そう言うと彼女は私の攻撃を避けて、ポケットからナイフを取り出した。驚いて咄嗟に避けるが、バランスを崩して膝をつく。
不意に顔を触ると、そこには血がついていた。スピカの手には血のついたナイフが握られている。顎の辺りを切られたようだ。
「そのままでおるんやで。そしたら、うちらの手間が省けるからなぁ」
そう言うと、スピカは突然空に手のひらを向ける。すると、大きなキャンディの形をした杖が落ちてきた。スピカはそれを掴むと、勢いよく上に飛び上がった。
イクスを見ると、彼もまた上に飛び上がっていた。そして、大きな火炎弾を作り出している。シヴァニは地面に立っているが、体が火傷だらけだ。
イクスが火炎弾をこちらに投げようとする。私は落としていた箒を拾って飛び上がる。
「……」
「シヴァニ、飛行魔法で飛ぶんだ、早く!」
シヴァニはその場に立ち尽くしていた。
イクスが火炎弾を投げてくる。シヴァニはその瞬間に飛び上がったが、それは飛行魔法で飛んでいるのではなかった。
それは、常識を逸脱した彼女の身体能力だった。
信じがたいが、彼女から魔力の気配を感じないのは、そういうことだろう。
彼女は、本当に魔力を持っていない。
周りに建物はない。
看板や木はすぐに火が燃え移るだろう。このままだと、シヴァニは火の海に落ちてしまう。
この世には重力が存在する。魔力を使用しない限り、飛行はできない。
「シヴァニ、手を伸ばせ!」
箒でシヴァニを迎えに行く。
伸ばされた手をしっかり掴み、なんとかシヴァニが落ちるのを防いだ。少し遅かったせいで、彼女の足は燃え盛る地面すれすれだった。
ワンピースに引火する可能性があったので、急いで引き上げる。
しかし、シヴァニが手に持つ大剣が重すぎて全く上がらない。彼女はそれに気づき、大剣を急いで側の建物に投げた。
引き上げる途中で、遠くから矢が数本飛んでくる。防衛魔法を用いてそれを防ぐが、右半身の防衛魔法が甘かったようで、右肩に刺さってしまった。だが、シヴァニは傷ひとつなく無事に済んだようだ。
急いでシヴァニを引き上げ、刺さっていた矢を全て引き抜く。血は出たが、傷は浅いので問題はない。
二人を乗せた箒の飛行魔法は操縦が難しい上、飛行魔法二人分の魔力が必要になる。そのため、一般の魔女には到底不可能だ。
私は魔力こそ十分で使い方にも慣れてきたものの、二人分の飛行魔法を使用するための体力は足りていない。
普段より慎重に魔力を集中させ、箒を操縦する。
「捕まっていろ、シヴァニ」
「ふふ、助かりましたわ。服が燃えてしまうのは嫌ですから」
彼女の表情は変わらない。ずっと微笑んだままだ。
今の発言からして、炎の攻撃は平気だったようだ。服が燃えて欲しくないから、という理由で私を利用しているようだ。こいつを箒から突き落としたい。
「掠ったら引火するぜ。燃えて灰になれ!」
「……イクス、次はな」
またしてもスピカがイクスに耳打ちする。
それを見て、ふと気づいた。
私たちの動きを読むように動くイクスとスピカ。
イクスがシヴァニの攻撃を避ける前は、必ず彼女の耳打ちがあった。
スピカが、私たちの動きを読んでいる。
イクスは自前の身体能力とスピカからの情報で、シヴァニを相手に引けを取っていない
のだ。
ならば……
「シヴァニ、スピカの相手はできるか?」
「ええ、勿論。サファイア様がそう仰るのであれば」
「あいつらを引き剝がせ。足場は私が作る」
「承知しましたわ」
そう言うと、シヴァニは箒の上に立ち、手を横に伸ばした。それに吸い込まれるように、大剣が戻って来る。
彼女は勢いよくスピカとイクスの元へ飛び上がると、二人の間に大剣を振った。二人はそれを避けるが、シヴァニが勢いのままスピカを地面に向かって踵落としした。
スピカはそれを読んでいたようで、避けることはできた。だが、シヴァニの動きは私より早い。動きを読む前に攻撃をすることができるだろう。
私は箒を降り、それを空中に浮かべたままイクスの元へ向かった。
私は箒がなくても飛行自体はできる。箒にはお呪いを用いて、シヴァニの足場になってもらおう。
「イクス、お前の相手は私だ!」
「チッ!」
魔力を纏った右の拳で殴りかかると、炎を纏った拳とぶつかった。衝撃で髪が暴れ、マフラーが激しく揺れる。
しかし右の拳に上手く魔力が伝わっておらず、弾き飛ばされる。
右手は使えないと分かっていたのに、癖で使ってしまった。
そのまま建物にぶつかる。『旋律の魔女』との戦いで負った腹の傷が開き、血が滲む。
顔を上げると、イクスが私を見下していた。その瞳には、体をビリビリさせるほどの憎悪が感じられた。
「お前は、ディアナがどんな気持ちでマフラーを編んでいたか知ってるか? 嫌われ者のお前をあいつは大切に思って、お前の喜ぶ顔が見たいと嬉しそうに編んでいたんだぜ」
「……ディアナらしいな」
そうだ。彼女は人にあげるプレゼントでさえ、嬉しそうに幸せそうに選ぶ子だった。
自分の幸せより、人の幸せを願う子だった。
だから、だからこそ。
私にその命を、簡単に渡してしまったんだ。
「お前にそのマフラーを、着ける資格はねェんだよ!」
「私はこのマフラーを、自分の罪を忘れないために着けている! 私はもう自分の罪から逃げない。もう私は同じ罪を繰り返さない!」
「ハッ、オレを今殺そうとしているのにか?」
「私は殺さない。お前たちが退くなら、私はお前たちに攻撃さえしない」
イクスは一瞬、呆気にとられたような表情をした。だが、すぐにニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「そうかよ。だがそういうわけにはいかねェって、お前なら分かるよな?」
「……ああ、分かっている。お前がどれだけディアナを大切に思っていたかは、私が一番理解しているからな」
私が生きている限り彼は私を苦しめ、殺そうとするだろう。それは私が罪を犯したから。こんな形じゃなかったら、私たちは戦わなくて済んだかもしれない。
いや、良い友達になれただろう。
私は彼を嫌っていなかった。彼は初めこそ『犠牲の魔女』である私を嫌悪していたが、時が経つにつれて徐々に心を開いてくれた。
それ故に、彼は私が憎らしくてたまらないのだろう。それは容易に想像できる。だが、彼が私の大切なものに手を出すのなら、私は迷わない。
「エイダンには、絶対に手を出させない」
そう言って、イクスを睨み付ける。イクスは上等だ、と拳を構え直した。それに続いて、私も左の拳を構える。
瞬く間にお互い間合いに入り、拳を叩きつける。
衝撃は周りの木をも巻き込み、葉や木の破片が飛び交った。
「『紅血の魔女』は危険な上に邪魔だ。先に仕留めさせていただくぜ」
やっぱりな。
イクスのことだから、そう言うと思ったわ。
敵を相手にして、アンタが退いたことなんてなかったもんな。
でも、駄目や。
うちらに勝ち目はない。
うちは『運命の魔女』。
念じることで『運命を先読みする能力』。
誰が何をしようと『運命』は変わらず、『運命』は必ず受け入れなければならない。
それが、どんなに残酷なことであろうとも。
そして今日の朝、うちが見た『運命』。
それはここで命を落とすというものだった。
彼にも話せず黙ってたけど、今日ここで私たちは殺される。
『運命』は、絶対だ。
『犠牲の魔女』は親友を『犠牲』にしたのだから、手に入れた魔力は膨大のはず。そして『紅血の魔女』が一番厄介だ。
彼女は魔界で存分に魔女の血を浴びた。彼女が手に入れた力もまた、膨大だろう。
「スピカ、お前は『犠牲の魔女』を頼んだ」
イクスの背中はそう言っていた。
ああなったイクスを止められないことは、分かってた。
うちは、どうしたら良かったのだろう。
決められた『運命』に、どうやったら逆らえる……?
『犠牲の魔女』の箒に乗っていた『紅血の魔女』が、私の元に飛んできて大剣を振った。それは詠んでいたこと、私はイクスに耳打ちをした時から貯めていた魔力でそれを防ぐ。
「めっちゃ力強いなぁ……! イクスが苦戦するわけやわ」
「あなたの魔力もなかなか上等ですね。橙色で綺麗ですわ」
振られた大剣を両手で防ぐ。動きは詠めても、この速さと力では太刀打ちできない。
取り敢えず、イクスが『犠牲の魔女』を仕留めるまで耐えなければ。
だが、大剣は防衛魔法でさえも切ろうとするほどの切れ味。身の危険を感じ、一瞬だけ防衛魔法を緩めた。大剣の刃が生身の腕に当たったが、そのまま大剣を横に流して胴体へのダメージを防ぐ。
「いっ、たぁ! ほんま洒落にならんで、自分」
「褒めて頂きありがとうございます」
掠っただけなのに、腕からは血がだらだらと流れてくる。傷口を見ると肉が見えていて、かなり深く切れたことが分かった。
「うちみたいに貧相な体してる魔女がまともに食らったら、胴体真っ二つで即死やろうな。笑えんわ」
怖い。
こんな化け物を相手にするのだから、死ぬのは当たり前だと妙に納得してしまう。
一番怖いのは、何があっても崩れない『紅血の魔女』の微笑だ。
「同じ魔女とは思えんわ……自分、天使の皮を被った悪魔かなんかやろ?」
「ふふ。さぁ、どうでしょう。本当に悪魔なのかもしれませんよ?」
口を手で押さえて笑う彼女。見た目だけは本当に天使のようだ。『紅血の魔女』は空中に浮かぶ『犠牲の魔女』の箒に一度足を乗せる。そして大剣をもう一度構えると、彼女は一言だけ言って私に飛び掛かった。
「まぁ、ただの冗談ですが」
やばい。
動きが早すぎて『運命』を詠む時間がない。
反射神経だけで大剣を避ける。なんとか避けれたものの、杖から落ちそうになる。
なんとか柄を掴み、杖にぶら下っていると、『紅血の魔女』が杖の上に立った。
これは、避けれない!
うちは飛行魔法が下手で、杖がないと飛べないのだ。
下は火の海。どうやってもうちの命はない。
死を覚悟して目を瞑る。
「スピカ」
イクスの声が聞こえた気がして、目を開ける。
「今すぐ逃げろ!」
今まで聞いたこともないくらいの必死な声。次の瞬間、『紅血の魔女』が、飛んできたイクスと共に火の海に落ちて行った。
「イクス⁉」
「なるほど、道連れですか?」
「……多分、死ぬのはオレだけだろうな」
「ふふ、よくお分かりで」
落ちる途中、イクスが大剣に貫かれたのが見えた。震える手を抑えながら、なんとか杖の上に乗る。そのままイクスを追いかける。火の中を走り、髪やお気に入りのリボンがチリチリと燃える。
炎の中で二つの人影があった。そこに向かって進む。
「……オレにとって邪魔なんだよ、スピカは」
それは間違いなく、イクスの声。思いもしない言葉に足が止まる。
「オレはただ、罪人をブチのめしてやりてェ。憎い『犠牲の魔女』を苦しませてやりてェ。それだけでよかったんだよ。だがなァ、邪魔者のせいで……」
ごほっ、と血を吐きながら、イクスは言葉を続けた。
「そいつを守らきゃなんねェって、思っちまったんだよ!」
それは『犠牲の魔女』に向けた言葉よりも力強かった。
この数年間、イクスは『犠牲の魔女』への復讐心でいっぱいだったはず。うちのことなんかより、最も大事にしていた目的だったはずなのに。
「イクスは……それを捨てて、私を助けてくれたん?」
どうして。
うちはただ、アンタの後輩として魔女騎士団に入っただけ。うちの戦闘力、判断力、能力では一人で任務をこなせないと判断されて、お前と行動するよう命令されていただけ。
「うちなんか、助けんでええやんか……!」
涙が溢れ出る。
イクスを助けたい。
『運命』になんか、負けたくない……!
「やめろやぁぁぁぁぁ!」
アーチェリーを構え、奥にいる大剣を上にあげた人影に向かって放つ。
すると、人影は後ろに下がってそれを避けた。時間稼ぎは出来たようだ。
「イクス、一緒に逃げるで!」
「スピカ、逃げろって言ったじゃねェか!」
「嫌や、絶対に一緒に帰るんや……!」
そう言ってイクスに泣きつくと、背後に人影があるのを感じた。振り向くと、血で塗れた『紅血の魔女』がこちらに歩いてきた。
「あ……」
視えてしまった。
うちらがまとめて切られて、バラバラになる『運命』。
『運命』は絶対だ。
私たちはこのまま切られて死ぬ。
じゃあ、抵抗だって無駄じゃないか。
抵抗せずに、運命を受け入れる事しか……
「っ……そんな『運命』なんかで、諦められる命じゃないんや!」
目を開く。
相手は右上から左下に向けて剣を振るはず。
腕が飛んだって良い、うちは絶対にイクスを守る。
そして絶対に、生きて魔界に帰る……!
意志の強さと比例して、大量の魔力が湧き出てくる。
「はあぁぁぁぁっ!」
轟音が響く。
信じられない光景が広がる。
『運命』とは違う、奇跡の光景。
うちはシヴァニの攻撃を受け止めていた。
「『運命』が、変わった……!」
うちの能力は、『運命を視るだけの能力』。
親がいなくて能力の全てを知らなかったから、そう思っていた。
でも違う。
視る、詠むだけじゃない。
「『運命を超える能力』……!」
『紅血の魔女』は後ずさる。少し驚いたように目を見開いたが、微笑を崩すことはなかった。
どこからか、もっともっと魔力が湧き出てくる。
「先程より魔力が強いですわね。体力も減っているはずなのに、感動致しました」
「……覚悟しーや」
「そちらこそ」
杖を持って、『紅血の魔女』と向き合う。
集中して、相手の次の行動を詠む。相手はまず右上から左下へ剣を振る。それを受け止めた先の運命はまだ視えない。
「その先は、うち次第ってことか……!」
「来るぞ、スピカ!」
最初の攻撃を構えた杖で受け止める。防御魔法で補強しているため、杖を切られることはないだろう。
相手はすぐ次の攻撃に入る。その一瞬で次の『運命』を詠む。
「左からやな!」
「ふふ。楽しい、楽しいですわ。あなたのその強い感情を宿した目。とても美しい!」
右下から中央。
左の首の位置から真横。
次は右からのフェイント、その後左からお腹の位置。
溢れ出る魔力を使っていると、次第に視界が霞み始める。
だが、そんなことを気にしている場合ではない。
次は……正面から刺してくる!
ずっと杖で受けてきたのをやめ、最後の攻撃は体を反らしてかわす。
そのすぐ上を、刃が通った。
「あっぶな……!」
再び『紅血の魔女』が、ゆらりと大剣を構えた。すると、上から一つ人影が落ちてきた。
「シヴァニ、もういいだろう!」
人影の正体は『犠牲の魔女』。『紅血の魔女』を止めに来たようだ。敵が増えたわけではないと悟り、少し安心する。
「……ええ、そうですわね。もういいでしょう」
そう言って、『紅血の魔女』は息を吐く。
その言葉を聞いて胸を撫で下ろす。一番迎えたくなかった『運命』を乗り越えられたことが嬉しくて嬉しくてたまらない。
イクスの方に振り返って、笑顔を見せる。
「イクス!」
ほんまに良かった。
これで、イクスと一緒に帰れるんや。
これからも、魔女騎士団のみんなと一緒にいられるんや……。
「もう十分遊びましたので、用済みです」
イクスの方に振り返ったのに、彼の姿はそこになかった。
急に視界が反転したようだ。よく見ると、すぐ傍に彼の足がある。
―あれ、倒れちゃったんかな?
起き上がろうとしても、体が全く動かない。
ー魔力の使い過ぎやんなぁ、確かにすごい疲れたわ……。
まるでそれがないかのようだ。
ーもう、イクスに褒めてほしかったのになぁ。まぁ、次目が覚めたらでええわ。
意識がもう保てそうにないので、目を閉じて眠りにつく。
ー『運命』を越えられて、本当に良かった……
「え……?」
「とても素晴らしかったですわ! お互いを守り合う行動、そして決意の力で増幅する魔力……」
シヴァニは頬に手を当て、嬉しそうに話す。
首を失った、スピカの前で。
「スピカ……?」
イクスはがくん、と膝をつく。
光を失った目で、落ちたスピカの頭を見ていた。
「い、命まで奪わなくてもいいだろう!」
「ふふ、何をおっしゃいますか? もういいと、貴女がそう言ったのでしょう?」
にっこりと笑うシヴァニ。「普通」ではないと、本能が身の危険を知らせてガクガクと震える。
「こんな……こんなことが……!」
シヴァニは頭を抱えて震えるイクスの前に立った。
大剣を振り上げる。
「ふふ、やはり魔女の血を浴びるのは気持ちがいいですわね。人間だと手ごたえがまるでなかったのです。でもこれで満足ですわ」
お母様、とシヴァニは呟いた。するとイクスははっと我を取り戻して、その言葉に反応した。
「お前、ベディヴィアにもこんなことをするつもりか……⁉︎」
「シヴァニやめろ!」
「頼む、こいつを止めてくれ! ベディヴィアはオレ達の……」
大剣を持つシヴァニの持ち手に魔力弾を放とうと、片手を出す。
だが、私が魔力弾を出す前に、彼女の処刑は執行されたのだ。
シヴァニは林檎のように真っ赤に染まっている。
そして口角を上げて呟いた。
「ふふっ、これでお揃いですね」
その「悪魔」は、私の方に振り向く。
―殺される。
そう思った。
しかし、彼女はただ微笑んで、こう言った。
「時が来たのです、サファイア様。明日の日が昇るころ、私たちが出会ったあの教会でお待ちしております」
天使のような微笑みに足も手も震え、背中につーっと汗が流れる。
行きたくない、という私の思いを見透かしたように、彼女は続ける。
「貴女の大切なものを全て失ってもいいなら、来なくても構いませんよ?」
彼女は目を細めて笑った。
これもまた、冗談で言っているのではない。本気だ。
目の前の二つの亡骸がそれを物語っている。
恐怖で出せなくなった声を、必死に絞り出す。
震えていても、伝わればいい。彼女に、私が抵抗する気はないと伝えなくては。
「分かった、分かった。必ず、行く」
そう言うと、紅い悪魔は少し口角を上げて、炎の中に消えていった。