六章 『火炎の魔女』
強い日差しが窓から入ってきて、あたしは目を覚ました。
負傷したライウェさんにベッドを使わせているので、あたしとミィナちゃんはソファで座って寝た。そのせいですごく腰がすごく痛い。
寝ぼけながらミィナちゃんを探していると、彼女はトレイに朝ご飯と包帯、そして消毒液を乗せて部屋に入ってきた。
「サナエ、おはよう」
「ミィナちゃん! おはようございますッス」
その後、マクスおじさんも部屋に入ってきた。
「ミィナ、本当に病院へ連れて行かなくてもいいのか?」
「うん! すぐに治ると思うし、ちょっと事情があるから」
「どんな事情なんだ。そいつのせいでお前たちが危険な目に遭ったりはしないのか?」
マクスおじさんはあたしたちを疑うというより、心配をしてくれているようだ。
優しい人なんだなぁ、とホッとする。
「もちろん大丈夫。目を覚ましたらすぐに出て行くと思うから!」
マクスおじさんはそうか、と納得するとあたしに視線を向けた。
「サナエ、目が覚めたか。おはよう」
「おはようございますッス!」
「じゃあ仕事に行ってくるから、今日もお留守番頼んだぞ。今日は美味しいステーキを作ってやるからな」
あたしとミィナちゃんはやったーと声を上げて喜んだ。
それを見て幸せそうに笑うと、マクスおじさんは部屋を出ていった。
美味しい料理を料理が上手なマクスおじさんが作るのだ。想像しただけでも涎が垂れる。
「よーし! ライウェの怪我を治すの、一緒に頑張ろうね!」
ミィナちゃんは笑顔でそういうと、あたしにパンとホットミルクを渡してくれた。
「えぇと、包帯の付け替えと傷口の消毒……やらなきゃいけないことがたくさんだね!」
よーし、とミィナちゃんは袖を捲る。
そして少しだけ沈黙が訪れると、彼女から口を開いた。
「……どうしてわたしを止めたの、サナエ」
「えっ」
止めた、というのは昨日のことだ。
あたしは、サファイアさんを酷い目に遭わせようとしたミィナちゃんを止めてしまった。
「サファイアはわたしたちの居場所なんてすぐに把握できる。あそこで息の根を止めておかなかったから、これからわたしたちは殺されるかもしれないんだよ」
ミィナちゃんは床を見つめてそう言った。全くあたしと目を合わせてくれない。
「そ、そんなこと、サファイアさんはしないと思うッス」
「何を根拠に?」
そんなの、分からないけれど。
でもあたしの相談を親身になって聞いてくれたサファイアさんが、そんなことするとは思えなかった。
いや、思いたくなかった。
「……あたしは、サファイアさんを信じてるッス」
「そう」
あのね、とミィナちゃんは言葉を続けた。
「良いことを他人にしても、それが自分に返ってくることはない。それがこの世界の真実なんだよ」
その言葉は子どもの言葉とは思えないほどに重く、深かった。
「で、でも! あたしはあたしがどんな目に遭おうと、正しいことをしたいッス!」
そう言い返すと、ミィナちゃんは少し呆れながらも柔らかい笑みを見せてくれた。
「なんだかサナエらしいね。わたし、サナエのそんなところも好きだよ。だから、絶対何があっても守ってあげるね」
ミィナちゃんはあたしの顔を見て微笑んだ。
お姉ちゃんのあたしが言うべきことを、子どものミィナちゃんに言われるなんて。
「あ、あたしだって自分の身くらい自分で守れるッスよ!」
口を尖らせてそういうと、ミィナちゃんもあたしもぷっと笑いが込み上げた。
お互い一人では何もできないのにね、って。
「わたし、実はライウェのこと知ってたの」
「え⁉︎」
ミィナちゃんは自分の手をきゅ、と握って話し始めた。彼女自身の話を聞けるのは珍しく、興味が湧いた。
「ライウェはね、わたしのおとうさんのおともだち。ライウェはきっと覚えてないけど、わたしたちは一回会ったことがあるの」
「そうだったんスか!」
「本当はあんまり好きじゃなかった。わたしのことすっごく子ども扱いするし。でも、ちゃんとわたしたちを守ろうとするところは……おとうさんにちょっぴり似てるなって思ったよ」
彼女は懐かしそうに思いを馳せる。どこか温かな笑顔を浮かべながら、丁寧にライウェさんの傷を消毒していく。
「ミィナちゃんのパパさんって、どんな人だったんスか?」
「すごく優しかった。わたしをいーっぱい甘やかして、いつもおかあさんに怒られてた。でも家族に危険があったら一番に動いて、すごーく心配してくれたんだ!」
ミィナちゃんはそう言って遠くを見つめると、幸せそうに笑った。
「本当に、大好きだった」
ミィナちゃんは悲しそうに、そう言った。
「ミィナちゃん……」
あたしはミィナちゃんの側に行って、彼女を抱きしめる。
「サナエ?」
「あたし、バカだから何があったかは分からないんスけど、ミィナちゃんが辛そうなのは分かるッス」
「……」
彼女はされるがままで力が抜けていて、まるで人形のようだった。
「もう、帰ってこないの。わたしがどれだけ頑張っても、何をしても……」
次の瞬間、ピクッとライウェさんの指が動いた。
「ライウェ!」
「すま、ない……」
ライウェさんが夢にうなされながら、何かに謝罪している。
「全ては、私のせいだ……ハミル」
ハミルという名前に、ミィナちゃんは反応した。
「……早く目を覚まして。そしてあいつの居場所を早く教えて」
そう睨みつけるように言って、彼女は再び傷の消毒を再開したのだった。
魔女の墜落の状態にあった時、微かな意識の中で私は死を覚悟した。
誰かに私を止めて欲しかった。更に罪を重ねてしまう前に、私を討って欲しかった。
だが私は生きている。また、私は命を奪ってしまったのだろうか。
目を開けるのが怖い。
もうずっと、このまま目を開けずに眠り続けたい。
現実から逃げようとした私に、懐かしい声が話しかけた。
「サファイア」
ハッとして、目を開けた。
すると、目の前には涙で潤んだ大きな瞳があった。
「! 目が覚めたのか、サファイア!」
「エイダン……」
「良かったぁ、良かった……!」
エイダンは怪我人である私に、何の躊躇いもなく勢いよく抱きついた。
腕や腹、胸が鋭く痛み、表情が歪んだ。
すると、部屋の扉から白衣を着た男性が入ってきた。
「やめなさい、エイダン君。彼女は重傷を負っているんだ」
「確かに痛そうだな、ごめん!」
エイダンがパッと手を放す。彼の行動全てがとても愛おしく、懐かしい気がした。
私は小さな部屋の、白いベッドの上にいた。エイダンや医師がいるということは、ここはルーデンベルクの病院だろう。
「サファイア、二日間もずっと眠っていたんだぞ! すっげー心配したんだからな!」
「一体、誰に何をされたのですか?」
『旋律の魔女』と戦った記憶は断片的に残っている。私を覆った黒い魔力、無数に飛んできた『旋律の魔女』の魔力弾。
そして、私の胸を貫いたレイピアの刃。いくら治癒が早い魔女とは言え、まだ傷は完治していないようだ。
「すまない、この話はしたくない。これは私の問題、君たちには関係ない」
「そうですか……」
「世話になった。私は用があるからな、そろそろお邪魔するよ」
ベッドから立ち上がると、右端の棚が見えていなかったようで、それの角に右半身を思い切りぶつけた。
「サファイア、無理をしちゃだめだ! まだ安静にするんだ!」
「……」
「私は大丈夫だ」
よろめいた足を力強く踏み込むと、私は部屋を出た。
そう、私は確かめなければならない。『旋律の魔女』、ミィナ、サナエの無事を。
もし一人でも命を奪ってしまったなら、私は……
急いでエイダンと医師の横を通り抜け、病室から出た。
「なんだ? 右の視界が、狭い……」
右に垂れた前髪を上げて、お手洗い前にある鏡を覗く。
急いでいた足が止まった。
「これは……⁉」
鏡に映った私の右目は、本来白目であった部分が黒く染まっていた。黒目の部分は血のような赤へと変色していて、それを見ると激しい嫌悪感に襲われた。
「……魔女の墜落の代償」
魔女の目と魔力回路は大きく関わっている。私は魔女の墜落で魔力を暴走させ、片目の魔力回路を壊してしまったようだ。そのために片目が変色し、見えなくなったのだ。
「忌々しい色だ……私にはよく似合っている」
自分のことを嘲るように笑う。
だが、左目には異常がなかった。左目の魔力回路が無事なら、まだ魔力を使うことができる。不幸中の幸いというものだろう。ディアナがくれた魔力が無駄になるような事態は避けられたようだ。
きっと次同じ状況になれば、私の魔力回路は完全に破壊される。
「感情的になったって、もうディアナは帰ってこない。分かっているのに、どうしてあんなことを……!」
私は素直に罰を受けるべきだったのかもしれない。抵抗せず、自分の罪を認めるべきだった。
後悔と自責の念が、再び強く胸を締め付けた。
「おーい、マフラーを忘れてるぞ~!」
サファイアはいつも着けているマフラーを置いて、部屋から出て行ってしまった。彼女を追いかけようとマフラーを手にすると、医者に呼び止められた。
「エイダン、もうサファイアとは関わるんじゃない」
「え、なんでだよ」
「あれは人間じゃない……あんな傷を受けて生きてられるのは、人間じゃない! 最近子どもたちが噂している、魔女なのかもしれない」
「そんな訳ないだろ⁉ サファイアは優しくてかっこよくて……魔女なわけない!」
「取り敢えず、君の安全のためにも彼女にはもう近づかせない!」
医者に手を掴まれる。成人男性だからか力は強く、腕が痛んだ。
サファイアが魔女?
そんなこと、信じられるわけない。
魔女と言うのは物語でいつも悪さをして、人を不幸にする存在だ。
だが、サファイアはどうだ?
彼女はいつもオレと遊んで、楽しい時間をくれる。
あの時も……命を懸けて助けてくれた。
家が炎に囲まれ、一人残された時。街の人の叫び声と家族の叫び声を鮮明に覚えている。でも誰も、助けに来ようとしなかった。生きる気力を失くしてその場にへたり込むと、上から家を構成していた木材が落ちてきた。
「見つけた、今助ける!」
そんな絶望的状況から、サファイアは助けてくれたんだ。
サファイアが本当に魔女なら、オレを助けるなんてことをきっとしないと信じ込んでいた。
でも……
サファイアがオレを家に送った後、すぐに消えてしまうことも、彼女が魔女の話をしたがらないことも。
あの時、落ちてきた木材が突然粉々になったことも。
全部……彼女が魔女だからなのか?
嫌だ、サファイアを疑うなんてことはしたくない。
頭をぶんぶんと振って、サファイアへの疑心を取り払う。
「サファイアからの口から聞くまで、オレは信じない!」
医者の手を振り解き、病院の廊下を全速力で駆け抜けた。
すると、どこからか声が聞こえた。聞いたことのない声だが、それはとても優しかった。
「あなたしかいない、どうか、どうかお願い……」
その先に続く言葉には驚いたが、首を大きく縦に振って頷く。
「分かった、オレも同じ気持ちだ!」
前へ前へと足を出し、病院のエントランスに向かって走り続けた。
病院の外に出ると、たくさんの町の人々が病院の前で待ち構えていた。その中に、子守をよく頼んできていたばあさんもいた。ばあさんは私を、おぞましいもののような目で見ている。
「サファイア、あんた……魔女だったのか」
「ばあさん……? 一体何を」
「あんな重傷だったのにもう歩けるんだ。証明はされたな!」
「魔女狩りだ、魔女は我々を殺すだろう。その前に仕留めるんだ!」
「一体、何の冗談だ……?」
よく見ると、みんな手に銃や鎌、包丁などの凶器を持っていた。
瞬きをした隙に、前方からナイフが飛んでくる。
シュッ、と頬を掠った。
「魔女を捕らえろ!」
群衆が一気に私を襲う。
その光景は、魔女騎士団に追われていた時とそっくりだった。
ただその場所で棒立ちをして、その光景を見ていた。
これはきっと、天罰。
私には抗う資格もない。
彼らの攻撃を甘んじて受け入れようと、目を瞑る。
「やめろーっ!」
突然の大声にびっくりして目を開ける。すると、エイダンが私を庇おうと目の前に立っていた。
だが、勢いよく突進してくる群衆は止まらない。このままだと、エイダンも私も串刺しにされてしまう。
エイダンを後ろに引き、魔力を纏った片手を大きく横に振った。
「わっ!」
「うわぁぁぁぁ!」
群衆は吹き飛ばされ、転倒する。
その隙にエイダンの手を引いて逃げる。私の飛行魔法で飛べるのは私だけ。エイダンを置いて行くのは少しリスクがあった。
民家と民家の間に体を滑り込ませ、エイダンと向き合った。
「はぁ、はぁ……サファイア、大丈夫か⁉」
「この、馬鹿野郎! 容易く命を差し出すんじゃない!」
エイダンは自分が危なかったことより、私の身を心配した。私にはそれが許せなくて、肩を掴んで怒鳴った。
「どうして、怒るんだよ」
「お前には傷ついて欲しくない。いいか、私に味方をするな。町の人達と一緒にいるんだ」
「サファイア……お前は魔女、なのか?」
エイダンが私に味方をすれば、飛び火が彼に行きかねない。ならば、ここらで縁を切らせるのが得策だろう。
「そうだ、私は魔女。お前たちの敵だ」
「……そう、だよな」
「え?」
「家が火事になった時も、さっきも……その海碧色の光が、オレを救ってくれたんだ」
火事とは、私たちが初めて会った時のことだろう。火事の中取り残されたエイダンを、確かに私は魔力を使って助けた。
それにしても、エイダンは意外と冷静だ。全く動じず、更には私が魔女であることを知っていたかのような口ぶりだ。
「分かっているなら、尚更早く私から離れるべきだろう。私はお前達の命を脅かす存在だ」
「それが嘘だってことも分かってるんだよ! サファイアはそんなことしない!」
その言葉に、強く心打たれる。根拠もないのに、なぜ胸を張ってそんなことが言えるのか不思議で仕方なかった。
私を信じてくれていることが、心から嬉しかった。
だが、私はエイダンの言うような善良な人間じゃない。
「私は魔界で魔女を殺した。私はお前が思っているよりずっと極悪人なんだよ」
エイダンの首に、人差し指を突き立てる。心が痛いが、こうするしかない。私がこうすることで、エイダンが町の人々に傷つけられなくなるなら容易い。
「私はいつでもこの首を飛ばせるぞ? 嫌なら逃げろ、今すぐに」
「そうやって、また一人になろうとするんだろ」
エイダンの首元にある手が掴まれる。オレは、と彼の口から言葉が溢れる。
「サファイアを守るために、ここにいるんだ」
いつからそんなことが言えるようになったのだろう。成長したな、なんて思考で色んな思いを掻き消す。
本当は、今にも涙がでそうだった。
私を信じてくれる、そんな夢のような存在はいつも遠かったのに。
今は目の前に、いるんだ。
「ありがとう」
「よし、じゃあこの町から一緒に逃げよう!」
「待て、お前は……」
「あ。サファイア、さっきマフラー忘れてたぞ!」
「あ、ありがとう。助かったがお前、話を聞く気ないな?」
割り込むように言われ、マフラーを渡される。どうやら病院に置いてきていたようだ。
溜息を吐き、エイダンのされるがまま引っ張られる。
「いたぞ、魔女とあれは……エイダン⁉」
堂々と町に出たせいで、すぐに見つかった。エイダンは私の前に立ち、町の人々に説得を試みようとした。
「みんな、聞いてくれ! サファイアは……もごっ⁉」
「エイダンは人質だ。それ以上近づけば命の保障はないぞ」
「こいつ……!」
急いでエイダンの口を塞ぎ、なんとかエイダンに被害が無いように努力した。人質とは我ながら賢いことを言ったと思う。しかし、エイダンは不満気に頬を膨らませていた。
今度は私がエイダンの手を引いて走る。町人達は後ろで私を外道、ろくでなしと罵る。
でも、もう傷つきはしなかった。私を信じてくれる人がすぐ側にいる、それだけで十分だった。ぎゅっと握る手は温かく、まるでディアナと過ごした昔に戻ったようだ。こんな状態だというのに、私はどこか嬉しくて笑みが絶えなかった。
ふと、エイダンと目が合った。
彼も柔らかい笑みを浮かべているのを見て、さっきより強く手を握った。
長い道を走っていると、町の出口が見えた。
そこに人は一人もいない。いくら田舎町と言えど、こんなことは滅多にない。私のせいだろうか。
あと一歩で町を出るというところで、パッとエイダンの手を離した。
「エイダン、ここまでだ」
「え?」
「この先は私一人で行く。お前はこの町で生きていくんだ。お前が生きていくべき場所は、ここだ」
「そ、そんな……」
手のひらを空に向ける。すると、箒が一人でに手の上に落ちてきた。
寂しそうな顔をしているエイダンの頭を優しく撫でる。
「オレ、サファイアを守れなかった。結局守ってもらってばかりで……このままさようならなんて嫌だ」
「いいや、確かにお前は私を守ってくれたよ。私の心を、お前は救ってくれた」
エイダンのおかげで……私はこの人生を、否定ばかりしなくてもいいと思えたのだから。
ー君と出会えて、良かった。
「チッ、うぜぇ……やれ、スピカ」
「う、うん!」
ヒュッ、と後ろで音がした。嫌な予感がして、背中に魔力を纏って防衛魔法を使用する。
それは、何の変哲もない一本の矢。
だがその矢は、私の防衛魔法を貫こうと食い込む。このままでは背中に矢が刺さってしまう。
より魔力を込めて防衛魔法を強化すると、なんとか矢を弾くことができた。
「誰だ!」
エイダンが私の陰に隠れる。私の防衛魔法を貫くほどの矢ということは、きっと矢に魔力が込められていたからだ。だから、この攻撃は人間ではない。
後ろを向いて、上を見上げる。すると、二人分の人影が見えた。
「……なるほど、またお迎えが来たか」
「ハハッ、よく分かってんじゃねェかよ」
「も、もうアンタの好き勝手にはさせへんで……!」
金髪にオールバック、目は細く鋭い青年は筋肉が服の上からもはっきりしていた。彼は良く見た顔で、昔に話したことがあった。
もう一人はくすんだ緑色のボブに、くりくりの目を持つ少女。大きなリボンを頭に付けている。彼女は見たことのない顔だった。手にはアーチェリーを持っている。先程矢を射ったのは彼女だろう。
しかし、二人が魔女騎士団の団員ということは容易に分かった。双方戦い慣れしている目だ。少女はやけにおどおどしているが。
「イ、イクス、作戦通りやん! ぜーんぶ上手くいってる、すごいわ……!」
「作戦通り?」
「町の被害を抑え、『犠牲の魔女』を殺すことがオレ達の目的。お前が魔女だって噂を広げたり、ここの人を追っ払ったり……あー、めんどくさかったぜ。だがベディヴィアの言うことは守らねェとな」
「なるほど、全てお前が仕組んだのか。だがそんなことをしていていいのか? お前達の望みは『救済の魔女』だろう」
「白々しいぜ、そういうところが大っ嫌いなんだ。お前なら分かるだろ? なぜオレがお前に執着するのかよ」
「……ああ、そうだな。私を殺したくて仕方がなさそうだ」
「ずっとお前が恨めしかったんだ! お前がのうのうと生きてると考えただけで虫唾が走った!」
ぶわり、と彼は両手の拳に炎を纏った。まるで私に対しての怒りをそのまま表現しているかのように、炎はメラメラと燃え盛った。
そしてイクスは私を見下しながら静かに、冷たい声で言った。
「よくも、オレの女を殺したな」
「エイダン、逃げろ! 遠くへ!」
「えっ⁉」
男は纏った炎をこちら目掛けて投げてきた。エイダンに逃げろと言ったが、彼は動かなかった。いや、突然のことで動けなかった、の方が正しいかもしれない。
私はエイダンを抱きかかえて走った。
あいつが投げた炎の塊は、草木が生えているこの場所には危険すぎる。
私の魔力弾はあれを弾くことはできても、消すことはできない。下手に抵抗すると、別の場所に引火する可能性もある。それが、『火炎の魔女』の厄介な能力……というのも、私が昔こいつに殺されそうになったことがあったからだ。
「あ、あんな小さな男の子を巻き込んでいいん⁉」
「ああ、あいつと一緒に居るということは味方なんだろ? どうせ邪魔になる。罪人を庇うのもまた罪なんだ、ベディヴィアは許してくれるぜ! いや、許してくれねェのならオレは騎士団をやめる」
「こ、怖いこと言うんやないって……」
しばらく走ってさっきまでいた場所を見ると、そこはもう炎の海だった。エイダンを下ろし、目を見て語りかける。
「振り返らずに、前だけを見て走れ。お前の家族がいる場所まで」
「でも……」
「もう大丈夫だ、私は強い。あんな奴らに負けはしない」
エイダンは黙って俯く。ぽんと肩を叩いた後、私は二人の魔女がいる場所に戻った。
後ろでエイダンが遠くに走る音が聞こえた。私の言う通りにしてくれたのだろう。素直で、本当にいい子だ。そんなところが大好きだった。
歩いた先で炎がチリチリ、と草木を燃やしていて熱い。それは今にも町の大きな看板に引火しそうだ。
「私は強い……か。また、嘘を吐いてしまったな」
「戻ってきたか、それは都合がいいぜ。心置きなくお前をブチのめせるからなァ!」
「こっちは二人やで……相手すんのは無謀ってモンやろ?」
「二人だろうが一人だろうが、私はもう抵抗する気はない」
「は?」
二人は予想外の発言に、眉をひそめて首を傾げた。少女は目をぱちくりさせている。
「私は自分の罪を認める、どんな罰でも受ける……この通りだ」
膝をついて、箒を遠くに投げる。
すると、イクスは気に食わなそうに舌打ちをした。
「ふざけんな、バカにすんじゃねェ!」
ガン、とイクスは町の看板を蹴り飛ばす。看板は壊れ、遠くへ飛んで行った。そして私の目の前に降りる。そして、雑に私の前髪を掴んだ。
「オレはなァ、お前が苦しむ姿を見ねェと気が済まねぇんだよ!」
そして、顔面を蹴り飛ばした。
衝撃で意識が飛びかける。ばたりと地面に顔が着くと、彼はそれを思いっきり踏みつぶした。
「お前がやめてください、って泣き叫ぶまで、絶対に殺さねェ」
「……ッ」
「あーあ。でもお前自身に何をしたって、オレの望む言葉は聞けなさそうだ」
そう言って、イクスは私から視線を離した。彼の視線の先は……エイダンが逃げた道。
「待て、エイダンには手を出すな!」
「ビンゴだなァ! おい、スピカ! こいつを抑えておけ!」
「オ、オッケーやで!」
背中に、小さな体が勢いよく落ちてくる。完治していない傷がズキズキと痛む。このままでは傷が開いてしまう。
「そいつに釘を刺しとけよ、絶対に邪魔させるんじゃねェ」
「わ、分かってるわ……!」
少女をどかそうともがく。すると手首を掴まれ、手の甲に矢を刺された。矢は手を貫通し、地面にしっかりと差し込まれた。
「あ、暴れんといてな、うち非力やから……!」
「くそ……!」
遠ざかるイクスの背中に手を伸ばすが、それは届くことなく地に落ちた。
「あいつ、足遅いなァ? 歩いてでも追いつけそうだ」
遠くに人影が見えた。だがどうも様子がおかしい。人影はそこから動いていない。
なぜなのか分かった時には、オレの足が止まっていた。
「人助けをしろと? それで、私に何の利益があるのです?」
「頼む、オレにできることならなんでもするから……だから……」
「では、あなたの命をいただいても?」
「……い、いいよ。いいからサファイアを助けてくれ!」
「ふふ、なかなか勇気があるのですね。 私、そういう方は好きですわ」
彼女が口に手を当て笑うと、ばさりと長く白い睫毛が瞳を覆った。それが開かれた時、視線はこちらに向かれていた。
肩がぞく、と震える。
あいつは『犠牲の魔女』より危険な存在。数えきれないほどの魔女を虐殺し、血を浴びている。
「サファイア様のところへ行くので、退いてくれませんか?」
「誰が通すか、イカレ野郎」
「ふふ、そうですか」
彼女はエイダンという名の少年を後ろに下がらせ、手を横に伸ばす。すると、成人男性が両手で持つ、背丈くらいの長さの大剣が現れた。彼女は軽々しく、それを片手で持つ。
「では、嫌と言う程に弄んであげましょう」
彼女は気持ち悪いくらいに一定した表情のまま、姿勢を低くして地面を踏み込んだ。
風のような速さで間合いに入られ、反応が遅れる。
振られた大剣を防衛魔法を用いて防いだが、重さに耐えられずに体が吹き飛んだ。
勢いよく地面に体を打ちたが、痛みに耐えて上半身を起こす。
周りを見ると、ここはさっきスピカがいた場所から近い。砂埃で周りが見えないが、声は聞こえるだろうと大声で呼びかけた。
「スピカ!」
「イクス、なんでここにおるん⁉」
「そのままでいい、お前のアーチェリーで『あいつ』の邪魔をしてくれ!」
「今すぐ、離せ……!」
「ち、ちょっと無理あるわ……! こっちも必死やねん、でも『あいつ』って一体……」
砂埃が収まると、スピカと彼女は姿を現した。ゆっくり、歩いてこちらに向かってくる。
『犠牲の魔女』、そしてスピカにもその姿が見えたようだ。
「あいつは、エルカビダにいた……」
「『紅血の魔女』⁉」
「油断したな!」
「いたっ⁉」
スピカは隙を突かれ、サファイアの上からどけられていた。スピカは地面に転がったが、すぐに体を起こした。
「チッ、最悪だな……! だがいいじゃねェかよ。『紅血の魔女』、お前からぶっとばしてやる」
手から全身へ、炎を纏う。
『犠牲の魔女』の戦闘力は分からないが、少なくとも『紅血の魔女』は騎士団の先輩にも手に負えなかった。
最悪の相手であったが、オレは引き下がらない。
ようやく見つけた、自分の愛する人を殺した魔女を放置することはできないのだ。
彼女がいなくなってから、オレの心には後悔と喪失感がこびりついていた。それは一瞬たりとも消えてはくれない。
「イクス、このマフラーをサファイアにあげようと思うの!」
ディアナはサファイアを想って、とても嬉しそうにマフラーを編んでいた。サファイアのことを話すときに、キラキラと輝くような笑顔を見せてくれた。それを踏みにじった『犠牲の魔女』に殺意が沸く。
必ず、オレは『犠牲の魔女』に復讐する。
例え、この選択が最悪の『運命』を招くとしても。