四章 『犠牲の魔女』
サナエとミィナと別れた後、私は魔女の噂があるエルカビダの方角へと向かった。
エルカビダ、と書かれた標識を見て、今自分のいる場所がエルカビダの入口の上空なのだと気づく。風がビュウビュウと吹き、夜の時計塔より寒く感じた。
箒から降り地面に着地する。
もし噂が本当なら、ここで魔女の気配が感じられるはず。
意識を集中させる。
「……うっ」
魔力を感知しようと集中すると、頭がくらくらして吐き気が襲った。感じ取った魔力が、普通の魔女が持つものと桁違いだったのだ。私の持つ魔力量をも超えた存在。それは『救済の魔女』である可能性が高いだろう。
魔界では神と崇められるほど強力な魔力と、神聖な能力の持ち主、『救済の魔女』。
彼と話をすることが出来れば、ミィナやサナエが危険な目に遭うことがなくなる。
希望を抱いて、エルカビダの大通りに足を踏み入れる。そこにはチェルッソとよく似た、賑やかな街が広がっていると思っていた。
しかし最初に目に入ったものは、今まで私が人間界に抱いていたイメージとは正反対の光景だった。あまりの衝撃に足を止めてしまった。
道端で穴だらけの布きれを被って震える子ども。
体中に紫色の痣を無数に作った男性に、痩せ細って動けなくなっている女性。
「故郷と、同じ光景……」
今まで明るいイメージばかり抱いていた人間界の裏に、こんな光景があったなど思いも
しなかった。
人間界も魔界も、同じだ。
過去の自分と重なる部分があり、心が痛くなった。
だが、誰か一人に手を差し伸べてはいけない。
一人を助けるなら、全員を助けなければならない。
そうしなければ、助けられた一人は他者に憎まれ、妬まれ、恨まれてしまう。
そして、富豪の家庭には汚物のように扱われ、一般的な家庭にも嫌悪され、貧しい家庭には卑怯者と無視されて孤立する。
私はそれらを全て経験し、あの助けは不要だったと思っている。結果的に、私は助けてくれた人でさえ傷つけてしまった。
「たすけて……」
「お、お恵みを、どうか……」
耳が痛い。
そんな声は、言葉はもう聞きたくない。
私は助けを求める声を無視して、『救済の魔女』を探した。
街中が生ゴミや、食べ物が腐ったような臭いが充満している。ここまで酷い状態の街は初めて見た。まだ私の故郷の方が臭いはマシだ。
しばらく道なりに歩いていると、今まで見てきたものよりボロボロな家が並ぶ住宅街に着いた。
人が住んでいる気配はない。
「あれは……?」
視界の端に大きな建物が映った。それは街の雰囲気からひどく浮いていて、目立っていた。気になってその場所へ行ってみると、綺麗で立派な教会が建っていた。ボロボロの家や枯れている木に囲われているが、教会の窓ガラスは一枚も割れておらず、薄汚れてさえもいない。この教会だけ見れば、この街が貧しい場所なのだと言われても信じられないだろう。
「ごきげんよう、美しい黒髪の方」
教会を眺めていると、高価そうな黒色のワンピースを着た少女に声を掛けられた。それは優しく、澄んだ声だった。少しグレー色がかった瞳には、長く真っ白な睫毛の影が落ちている。白い髪は後頭部のあたりにリボンでまとめられていた。肌が雪の様に白く、人形のように美しい高校生くらいの少女だ。
「……誰だ?」
「すみません、警戒させてしまったようですね。この街で綺麗な衣服を身に付けている方は珍しいので、つい声をかけてしまったのです」
口元に手を添えてふふ、と微笑む彼女。彼女もまた、この街とは不似合いだった。富豪の娘なのだろうか、言葉遣いも丁寧だ。だが、常にこちらを見透かしているような微笑を浮かべていて、どこか不気味だ。
「何かここに御用ですか?」
「あ、いや……探している人がいるんだ」
「ここは寂れた街、エルカビダ。貴女のような綺麗な方のお知り合いなどいないと思いますが」
長い人差し指を顎に当て、考え込むような仕草をする彼女。もしかして……と言葉を繋げる。
「『救済の魔女』様をお探しですか?」
少女は目を細めて、にっこりと口角を上げる。先程とは違って冷たく刺すような視線に、背筋が凍った。そして、彼女は惜しみなく自分の正体を晒した。
「私も貴女と同じ魔女ですわ、どうぞ仲良くしましょう?」
「待て、お前からは魔力が感じられない」
「ええ、私には魔力がありませんから。それにあの方の近くですから、余計に魔力の感知はしにくいはずですわ」
「あの方? それは『救済の魔女』のことか?」
「ふふ、そうですわよ。あの方は貴女がここに来ることを予想していた。けれど……少し早いのです」
「何を言っているんだ」
「二日後にもう一度、ここに来てください」
「どうしてだ、その間私や二人の魔女が危険に晒される! 『救済の魔女』に魔女騎士団を止めさせて……」
「止める必要がないのです。むしろ、もっとあなたたちが戦うことに意味があるのです」
「なんだと……⁉」
怒りに任せて、その少女の胸倉を掴もうとした時だった。
「うぁッ!」
体が重くなり、頭痛を引き起こす。この感覚は……サナエが来たときと一緒だ。
そんな私の様子を見て、少女が悟ったように語る。
「魔界からのお客様のようですね。彼は魔力を辿って『救済の魔女』を探すでしょう。この場所はゲートから離れているので……先に見つけるのはチェルッソにいる二人の魔女でしょうか」
「まさか、私たちを囮にする気か!」
「ふふふっ、早く行かないとあの二人の身の安全に関わりますよ」
少女を鋭く睨め付けたが、彼女は微笑を絶やさない。かなり気に障るが、それよりミィナやサナエのことが心配だ。私は箒を呼び、それに跨ってチェルッソに向かった。
飛び上がった時に少女を見ると、彼女は私を見上げていた。
何かを見透かしたような彼女の微笑みは、ずっと変わらないままだった。
「答えろ、『拘束の魔女』……ユクはどこにいる」
「『拘束の魔女』なら魔界に帰っていったわ! その後のことは知らない!」
「嘘を吐くな、彼は魔界に帰ってこなかった」
「あ、あ……」
チェルッソの魔力反応を辿って上空から様子を見ると、ミィナがサナエの前に庇うように手を広げて立っていた。サナエは震えて腰が抜けている。人気のない場所にいるため、周りに人は一人もいないようだ。
「では質問を変えよう、『救済の魔女』はどこだ?」
「知らない!」
「そうか。子ども相手になのは気が引けるが……これは魔界の存続に関わる」
そう言って、ミィナの前に立つ長髪の男はレイピアを取り出し、彼女の細い首元にあてがった。ミィナはそれでも怯まず男の前に立っている。
「その武器を下ろせ、『救済の魔女』のことなら私が知っている」
箒から飛び降りて男の後ろに立ち、銃の形を作った手を頭に突き付ける。すると、男はゆっくりとこちらを向いた。
その男は綺麗な顔立ちで、御曹司の音楽家のような服装だ。年齢は『拘束の魔女』と同じで三十代くらいに見える。
「なるほど、では聞かせてもらおう」
「『救済の魔女』はエルカビダの境界にいるようだ。私はまだ会ったことがないが、教会には白い髪の魔女もいた。彼女が番をしているようだ」
「白い髪の魔女……シヴァニか。ではユクもあいつに……」
彼には何かあの少女に思い当たる節があるようだ。かなり動揺していて、その表情からは怒りも感じられた。
「すまない、君たちには怖い思いをさせてしまった。私はライウェ、魔女騎士団の者だ」
そう言って彼はレイピアをミィナの首元から下ろした。緩く結われた長い髪を整え、謝罪の礼をする。その瞬間サナエは安心して、良かったぁ~とミィナを抱きしめた。
「あたしが守ってあげれなくてごめんなさいッス~!」
「大丈夫だよ、サナエ。その気持ちだけでじゅーぶん!」
「サファイアさんもありがとうございますッス~! サファイアさんがいなかったら、危なかったッス」
彼は私の名を知った途端に、声色を変える。
「サファイア?」
ドクン、と心臓が大きく脈打った。
この先に何が起こるか予測してしまい、頭が真っ白になっていく。
彼は魔女騎士団の者、当然私を知っていたんだ。それに、魔女騎士団の者は正義感が強い者が多い。
―過去を捨てて生きていくことはできない。
そんな言葉が頭を過る。
うるさい、うるさい。
私は罪を償うために頑張っていたんだ。
あれから、今の瞬間までずっと。
やめてくれ。
前方から振られたレイピアの刃を咄嗟に避ける。しかし、反応が遅れたようで腕に切り傷ができてしまった。
「昔とあまりに姿が違っていたから分からなかった。……間違いない」
「サ、サファイアさんに何するんスか⁉」
「そうだよ! サファイアは」
「君たちは下がっていてくれ」
ライウェと名乗る男は先程とは逆に、ミィナとサナエを庇うように立っている。あまりの真剣な眼差しに、二人は首を傾げる。冷汗が背中を伝った。
「そ、それ以上は、言うな、やめろ! 頼む、二人には聞かせないでくれ!」
制止する私を無視して、ライウェは私の罪を告げた。
「サファイアは魔力を欲したために、親友の魔女を『犠牲』にした殺人犯だ」
思いもよらないライウェの言葉に、後ろにいる二人は言葉を失っている。ライウェはそんな二人に丁寧に説明した。
「サファイアの能力は、自分と深く関わった魔女の命を奪うことで、自分に魔力を取り込むことができる。君たちは彼女に命を狙われていたんだ」
「嘘、ッスよね、サファイアさん……?」
「嘘じゃ、ない……わたしも新聞で見たことがあるの。本当に同一人物だとは思えないけど、膨大な魔力を持つ理由も、能力を隠していた理由もハッキリするもん。サファイアは……」
「『犠牲の魔女』」
ああ。
その名で呼ばれたのはいつ以来だったか。
私から大切なものを奪っていった、憎むべき能力。
全てが崩れていく感覚に襲われた。サナエの視線には恐怖が、ミィナの視線には強い敵意が感じられる。胸が張り裂けそうなほど痛む。
当たり前だ。きっと彼女達は私が「能力を使うために」一緒にいたのだと思っている。そして、私にはそうではないことを証明する術はない。
気力を失い、その場に座り込む。ミィナもサナエも私を許してはくれないのだろう。
そんなこと分かっている、罪の重さなんて自分が一番分かっているんだ。
「私はお前を捕らえてからエルカビダに行くとしよう」
レイピアが私に向けられる。それが振り下ろされると、キィンと耳を劈く轟音が響いた。それと同時に、激しく強い風が向かってきた。
「ごふっ……」
風は、私の腹部に鋭く突き刺さる。
いや、これはただの風じゃない。きっと彼の能力に乗った魔力弾……
「命中したな。私の『高音』だ、鋭く的確にお前の腹を切り裂いた」
見ると、腹部から血が流れていた。鋭い痛みが走り、口から血が出る。
痛い。
苦しい。
―どうして、私がこんな目に遭うの?
その言葉が頭の中に浮かんだ途端、私の頭は真っ黒な感情で埋め尽くされる。
「私はあの子を失うまで……十八年もの月日を真っ当に生きた。でも私はその間もずっと忌み嫌われていたんだ」
どうして私がこんな目に?
どうして大切な親友を殺さなければならなかった?
「お前なんかと関わりたくない、近寄るな」
『犠牲の魔女』の能力は、相手の命を奪ってそれを自分の魔力にすることができる。また、獲得できる魔力量は能力使用者と、犠牲の対象が深く関われば関わるほどに多くなる。
この能力の家系は、一族の約束で決してその能力を使わなかった。それでも、この異質な能力は嫌悪された。家が貧乏なのも、そのせいで働く場所がなかったからだ。
「魔力を持たない魔女なんて、おかしいわ」
『犠牲の魔女』はその強力な能力の代償に、生まれた時から魔力を持たない。それ故に私は学校に通っていても気味悪がられ、友達もいなかった。周りの魔女と同じように魔法が使えず、空も飛べなければ簡単な呪文ですら使えなかった。魔法実践の授業ではいつものように何もできない。魔界の中で、私たちだけが『人間』だった。
母は私がそんな扱いを受けていると知ってから、ごめんなさいと私に謝り続けていた。それは母が、『犠牲の魔女』で、私は母の能力を受け継いだからだった。
「あら、綺麗に髪が真っ黒ね! 顔立ちも凛々しくて素敵よ」
私が高校生の時だった。長い茶髪を一つの三つ編みにまとめた少女が、私に話しかけてきたのだ。
「私の名前はディアナ、よろしくね」
彼女はお金持ちで、学校で人気者だったから縁がないと思っていたが、高校二年生の時に同じクラスになった。彼女は好奇心が旺盛だから、クラスで浮き続ける私に興味を持ったのだろう。
「ディアナ、そいつに関わると殺されるぞ! こっちに来いよ」
「あんたたちに興味はこれっぽっちもないのよ、べー!」
感じの悪いクラスメイトに向かって、ディアナは舌を出して嫌味を言った。私は普段から彼らに感じていたイライラがそれで吹き飛んで、口に手を当てて笑った。
「あ、笑った~! サファイアちゃん、笑顔もとってもかわいいのね!」
私のぼさぼさな長い髪を撫でながら、彼女は言った。彼女の笑顔は花のようで、私なんかの笑顔よりずっと可愛らしかった。
その日家に帰ると、いつもは私の顔を見ると目を伏せる母が、笑顔で話しかけてきた。
「サファイア、学校で良い事でもあったの?」
「ん、どうして?」
「だって、あまりにも嬉しそうなんだもの」
私より、母さんの方が嬉しそうだけど、と心の中で思った。その時は反抗期真っ只中だったけれど、母の笑顔を見ると反抗心や嫌悪感はなくなっていった。
それから、私はより彼女と心を開いて話すようになった。仲良くなればなるほど彼女は私に過保護になっていき、家の生活費を援助したり、私を大豪邸の自宅に泊まらせたりした。申し訳ないからと断っていたが、ディアナにいいからいいからと流されてされるがままだった。
彼女の家には彼女の父と兄弟が六人ほどいたが、私の能力をディアナが隠していてくれたため、何も問題なく過ごせた。
彼女と過ごす時間は、人生の中で一番楽しかった。
「あれ。ディアナ、髪を切ったの?」
「ええ、ちょっと邪魔だなーって思って! こんなに短くしたのは初めてよ!」
「すごく似合ってる、かわいい!」
「ふふ、ありがとう! サファイアも短い髪、きっと似合うわ! いつか見せてね」
「うん、約束!」
「今日はあなたの誕生日ね、サファイア! プレゼントを用意したのよ、開けてみて」
「これ、マフラー……! ディアナの魔力と同じ海碧色ね、とっても綺麗!」
「ふふ、誰よりも大切な親友のため、頑張っちゃった!」
「ありがとう、ずっと大切にするね」
私にとって最初の、一番大切な友人。
彼女と過ごす日々が、この世で一番大切な宝物だった。
高校を卒業して、必死に仕事を探して二年ほどか過酷な労働をした。勉学は得意だったため仕事はあったものの、休みはほとんどなく、一日に一時間も眠れない日が続いた。体は日に日に重くなっていき、高校生の時より体重が大幅に減った。それでも、家族のためとディアナに援助してもらった生活費を返すためと考えればなんてことなかった。
だが、二年前のある日のこと。突然ディアナに人気のない倉庫に呼ばれた。
「サファイア、私は」
言葉を詰まらせる彼女の唇は少しだけ震えていた。どうしたの、と歩み寄り、顔を覗き込むと、彼女は顔を上げた。
「もうすぐ死んじゃうんだ」
「え?」
「私は『玩弄の魔女』。人の能力を操る能力なの。その代償は……短命」
『玩弄の能力』も強力な能力故に、それにも短命という代償があった。彼女の母親もこの代償によって若くして亡くなったと彼女は話した。
「私は長くない。最悪、一カ月も持たないかもしれない。だから最後にお願いしたいことがあるの」
「な、なに? 私にできることなら、なんでもするよ」
「私に『犠牲の能力』を使って、魔力を手に入れて欲しい。あなたが少しでも普通の魔女と同じように暮らせるように」
「そ、そんなことできない!」
「うん、あなたのことだからそう言うと思ってた」
どこか嬉しそうな笑顔を向ける彼女。彼女が何をしようとしていたかなんて、私には見当もつかなかった。
ディアナは目を見開く。彼女の三つ編みが激しく揺れ、海碧色の魔力が彼女に集う。しばらくして、彼女の顔に紋様が浮かび上がった。
「『犠牲の魔女』、その能力の実行権を剥奪した。私を犠牲の対象とし、膨大なる魔力を手にせよ」
「もしかして、『玩弄の能力』を使うつもり⁉」
「あなただってずっと望んでいたはずよ。他の魔女と同じように、能力や魔力のせいで気味悪がられることのない人生を」
「でも私は、ディアナがいればそんなの……!」
「私はどっちにせよもう死んじゃうの。私の命を意味あるものにできるのは、きっとサファイアの能力だけだから」
彼女の言う通りだった。
私は他の魔女と同じように暮らせたらどんなによかったかと、ずっと思っていた。彼女には分かっていたんだ。
そう思った次の瞬間、ディアナの立つ地面から黒い煙のような物が湧き上がる。それは彼女の全身を覆い、彼女の体内に入っていった。ディアナは苦痛に顔を歪ませる。
「ぐ……っ!」
彼女は普段の柔らかい声とは想像もつかないような低い声で唸っている。口を塞ぐことができないようで、言葉は言葉として聞き取れないほどにぐちゃぐちゃになっていく。
「ディアナ……!」
私は彼女の名を呼んだ。どうしたらいいか分からなくて、ただただ彼女が苦しむ様子を見ていた。
―彼女を犠牲にすれば、力が手に入る。
私は自分がこんな汚い人間だとは知らなかった。目の前で苦しむ親友より、自分のことが大切のようだ。
自分の罪から逃げるように目を伏せる。彼女は刻々と死に近づいていく。
「笑顔もとっても可愛いのね!」
ディアナは、一人だった私に手を差し伸べてくれた。
「誰より大切な親友だもの」
私のことを、誰よりも大切にしてくれた。
そんな人を、私は見殺しにするの?
「だめ!」
記憶の中に残る、彼女の笑顔。
自分の手でそれを失いたくない!
顔を上げる。
がくがくと痙攣し始める彼女。能力を止めようと必死にディアナの手を握って叫ぶ。
「魔力もみんなと同じ日々もいらない、もうディアナを苦しませないで!」
すると、突然ディアナの力ががくんと抜けた。彼女は私にもたれかかるように倒れ、それを受け止める。
「良かった、能力が止まった!」
安心して彼女を抱きしめようとしたが、掴んだのは空気だった。
「ディアナ……?」
ディアナは消えていた。
彼女だけではない。彼女の衣服でさえもその場からなくなっていた。
その場に残ったのはただ一つ、彼女がくれたマフラーだけだった。
『犠牲』の能力が、発動されてしまったのだ。
止めようとした時には手遅れだった。
「後悔」なんて言葉では足りないほど、私は自分の選択を悔やんだ。
途中で止められたかもしれないのに、自分の未熟さでこの世で一番大切なものをこの手で失った。
そうして、私は膨大な魔力を手にしたんだ。
魔力量は、私がディアナと過ごした日々に比例していた。
私が、あの子と知り合ってしまったから。
私が、何の努力もせずに弱さに甘えたから。
私が、魔力なんて少しでも望んだから。
そう思って、自分のことが嫌になって変えたんだ。口調も、髪型も、性格も。
ちっぽけなことでも、強い自分に生まれ変わるためにと。
そんなことをしても、罪や過去は消えないなんて分かっていたのに。
でも、悪いのは私だけじゃないじゃないか。
私はやれることは全てやった、努力したのだ。
魔力を用いる授業以外では、常に学園トップだった。お呪い、魔獣に乗ることも。やれることは必死にやった。それでも世間は認めてくれなかった。
「全て、全て全てこの能力のせいだ」
そう、こんな能力がなければ。
私は最初から、普通の魔女と同じように生きることができたのに。
「……お前の能力は、いいな」
「私の能力は尊敬する母上から授かった。当たり前だ」
「そうだな。だから、だからこそ妬ましい、こんなにも、こんなにも……!」
私がいつ望んでこんな能力で生まれた?
こんな能力のせいで、私は苦しんで、苦しんで、苦しんで苦しんで苦しんで本当の私を受け入れてくれる唯一の親友でさえも失った。
だが、母を責めることはできなかった。母もまた、私と同じように苦しんでいたからだ。私への罪悪感で、一人家で泣いていたからだ。
やり場のない怒りが、二十六年間心の中でずっと蠢いていた。
それが解放されてしまう。
自分の身がどうなるかは分からない。けれど、もうどうなってもいいだろう?
「お前がこの上なく妬ましい、ライウェ」
彼への激しい嫉妬心と、心の中に溜め込んだ怒りを解放していくと同時に、体中から魔力がドクドクと溢れ出す。魔力の色は変貌し、いつしか海碧色から漆黒に染まっていた。
溢れ出す魔力は、周りの生物をどろどろと溶かしていく。漆黒の魔力は虫も植物も、この地面でさえ存在を許さない。
「ライウェいけない、今すぐ離れて!」
ミィナの叫ぶ声が聞こえる。でもどうだっていい。彼女にとっても私はただの殺人鬼でしかない。
次第に、私の体は漆黒の魔力に覆われていく。漆黒に包まれて、私は悟った。
―これが魔力の暴走……またの名を、魔女の堕落。