二章 『拘束の魔女』
私が『爆弾の魔女』、サナエと戦闘した次の日の朝。
私とミィナはゲート真下の草原で、彼女に飛行術を教えていた。
「取り敢えず一回やってみろ」
「はいッス!」
「集中するんだよ、頑張って!」
サナエは箒に跨って、気合と共に箒の柄を掴む手に力を入れた。
すると、一メートルほど浮かんだ後に宙返りし、彼女の体が箒から落ちた。ゴチン、と痛そうな音が響く。頭を強く打ったようだがもう既に超が付くほどの頭が悪いので、これ以上馬鹿になる心配はないだろう。
「い、痛いッス~! 普通に無理ッスよこんなの!」
「大丈夫? あ、たんこぶになってる。痛そう」
ミィナがしゃがみこんだサナエに駆け寄る。
そして、痛いの痛いの飛んでいけと何回も唱えている。
どうして私がこんな奴に魔術を教えないといけないのだろう。
昨晩、気軽に言ってしまったことを後悔する。
「ここだけの話ね、サファイア。実はわたし……ヒコウを教えられないの」
「は?」
「ヒコウ自体はできるけど、それは魔力を持った本たちのおかげでわたしの力じゃないの。だから、サファイアにお願いしたらダメかな」
「却下だ。私は街人の手伝いで忙しい」
「サファイア、お願い! あの子を早く帰してあげたいの!」
「む、無理な物は無理だ」
「うぅ、サファイア……」
「あぁ、もう! 仕方ないな」
「わぁっ、ありがとう! じゃあ明日の日が昇った頃、またここで会おうね!」
ミィナの上目遣いと可愛らしいおねだりに負け、承諾してしまったのだ。
私は小さな子どもに弱い。確実に弱点を突かれてしまい、勝ち目はなかった。
エイダンには先程、今日は一緒にいれないと言いに行ったが、少し寂しそうだった。早く終わらせて、彼の元へ戻らなければ。
「お前、魔力の使い方もろくに習ってないな?」
「バ、バレちゃったッスか」
「むしろバレないとでも思っていたのか」
思ってましたと言わんばかりの苦笑い。
こいつはいつから授業をサボっていたんだ。魔力の使い方など小学生で習うことなのに。
「そもそも、魔力を使えば何が出来るんですか? あ、魔力弾を作れる~っていうことだけは知ってるッスよ」
「はぁ……。ミィナ、私はお手上げだ。魔力の説明はお前にもできるだろう、頼んだ」
私は呆れかえって地面に座り込む。頭からハテナマークが飛び交っている高校生のサナエに、小学生くらいで彼女以上に博識なミィナは話を始めた。
「魔力は色々なことに使えるの。主な使用方法は三つで、魔力弾を生み出して飛ばす攻撃魔法と魔力を身に纏う防御魔法。そしてサナエが今やろうとしてるヒコウ魔法。この三つは学校で会得するのが普通なの」
「私がお前の爆弾に当たっても無事だったのは、防御魔法のおかげだ」
「へぇ、なるほど~」
「ヒコウ魔法に関しては、身体能力と魔力次第で箒を使わずに行うことができるの。初心者のサナエはまず箒で練習しようね」
「私は飛行魔法の応用、飛行の加速がし易いように箒に乗っているだけだからな。一応自分自身でも飛べる」
「ところでミィナちゃんの飛び方は飛行魔法なんスか? 本が階段みたいになって、ミィナちゃん自身はその上を歩いて空に行ってるッスけど」
「ミィナは特別だな。飛行に魔力を使っているわけではないんだろ?」
「えへへ、そうだよ!」
「じゃあ、どうやって飛行をしているんだ?」
「それはね〜。ヒ・ミ・ツ!」
ミィナはご機嫌になり、一回その場でクルっと回った。綺麗に結ばれたお下げは揺れ、甘い香りがふわりと漂う。
その時、ミィナは私の前で初めて手にある巨大な本を離した。
「うーん、魔力のことは色々分かったんですけど。どうやって使ったらいいんスか?」
「私はお空に行きたいなーって思ったらできたよ!」
「いやそれでできなかったんスけど! 綺麗に一回転したんスけど!」
「まずは魔力を使うことに慣れることだ。私は攻撃魔法を使って慣れていった、やってみるといい」
「ど、どうやってー⁉」
「右手を出して、そこに意識を集中する。全身の意識をそこに集める、というイメージだ」
こんな風に、と右手を出すと、次第に海碧色の魔力が集まっていく。
そして、魔力弾が完成すると空に放った。
「集まった魔力が多ければ多いほど、強力な魔力弾になる。私は魔力だけが取り柄だからな。一瞬で作った魔力弾でも、相手の臓器や骨の損傷を及ぼすほど強力だ」
「サファイアの魔力は綺麗な色だね!」
「はは、私もこの色が大好きだ」
私の魔力は、大事な親友からの贈り物だった。だが……私はこの魔力が大好きだからこそ、使う度に胸が締め付けられるように苦しくなるのだ。
「や、やってみるッス! うおおぉぉぉっ」
サナエは私と同じように右手を伸ばして、一生懸命魔力を使おうとする。
「力が入り過ぎだな。筋肉に力を入れるのとは違うぞ」
「は、はいッス! む、むううううぅっ!」
サナエが独特な声を上げながら集中すること三十分。
魔力は全く出てこない。いや、たまに黄蘗色の魔力が見えるが、それがなかなか集まって形にならない。
つまり、集中力がないのだ。
「な、なんでできないんスかぁ~!」
「集中力がない、以上だ」
「はうっ、それは納得できてしまうッス……」
「そろそろ休憩にしよう、疲れたでしょ?」
「そうだな」
サナエが地面に座り、私もその隣に腰を下ろす。
ミィナは大きくレンズが丸い眼鏡をかけて、地面に置いた巨大な本の上に座り、普通のサイズの本を読み始めた。ミィナは本を読む間も瞼を開くことはなかった。
私はなんとなく、人差し指を空に向けてくるりと回してみた。すると、箒が私を真似するように空中でくるくる回った。サナエがキラキラとした目で私を見る。
「サファイアさん、それなんスか⁉ 魔法ッスか⁉ かっこいいッス!」
「ん? ああ、これか。これはお呪いだな。魔力を使わない便利な技術の類だ、魔力を消費する魔法とは少し違うな」
人間はこれができないようなので魔女の特権のようだ。エイダンの目の前でこれをしてしまった時、弁明するのに大変苦労した。
「どんなことができるんスか⁉」
「所持物や家具など、特定の無機物を動かすことができる。重量があるものほど、お呪いをかける位置にコツがいる」
そんなことも知らなかったのか、と頭を垂れる。だが、確かにこれを頻繁に使っている人は少ない。どうもお呪いをかける場所を探す重力計算がめんどくさいそうだ。私は数学が得意なので、そういう人の意見は理解できないが。
「ん~、あたしもそれやりたいッス~!」
「飛行魔法ができるようになったら教える」
「おぉ! 約束ッスよ⁉」
「ああ、約束だ」
サナエはやった、と両手を上げ、そのまま地面に倒れる。
そういえば、と気になっていたことを問いかけた。
「最初に会った時、お前は私の事を知っているような口ぶりだったな」
「そうッスね。あたし、サファイアさんをある殺人犯と間違えちゃったんスよ。だから殺されると思って攻撃したんス、ごめんなさい」
「気にしていない、大丈夫だ」
「どうして勘違いしちゃったんスかね? 髪の長さも顔つきも全然違うッス、サファイアさんの方が断然大人っぽくてかっこいいッス! 似てるところといえば……雰囲気くらいッスかね~」
「お世辞だな。褒めても何も出ないぞ」
表情を変えずにそう答えると、サナエは私の気に障ったのかと焦り出す。その様子が可笑しくて、手袋で口を覆いながらクツクツと笑う。
「サナエは魔界に帰りたいか?」
「もちろんッス! パパ、ママ、弟、ダチに会いたいッスから! あと、人間界に行ったって自慢とか、それと……」
彼女は自分のしたいことを次々と言っていく。
彼女の魔界での人生は明るいものだったのだろう。彼女の瞳は夢と希望に満ち溢れてキラキラしている。
そうか、と言いながら立ち上がる。
彼女はこの状況を軽々しく思っているが、きっと親御さんや周りの人達は気が気でないだろう。
「なら、一刻も早く帰してやらないとな」
「お願いしますッス!」
「サファイア、ちょっとだけやる気になった?」
「勘違いするな、こんなおバカさんに振り回される親族と友達に同情しただけだ」
二カッと明るく笑うサナエだが、その笑顔に影が見えた気がした。自分の心の中で、何か引っかかる。
その引っかかったものは取れないまま、サナエの飛行魔法訓練は再開した。
「無理ッス~~! こんなの出来る方がおかしいッス~!」
昼になっても浮くことすらできないままで、サナエは駄々をこね始めた。
「いくらなんでも習得が遅いな。これから毎日練習すればいつかできるようになるだろうが」
「うぇ⁉ じゃあ結局帰れるのはいつなんですかぁぁ~」
「勿論、お前次第だな」
「サナエ、わたしも練習付き合ってあげるから。集中力を高める練習くらいなら、きっとマクスおじさんの家でもできると思うの」
「が、頑張るッス~……」
「そういえば、そのマクスおじさんとやらはサナエの面倒も見てくれると?」
「うん! おじさんはとーっても優しいから!」
ミィナは人間界に来てからずっと、マクスおじさんという人の家で面倒を見てもらっているらしい。
昨晩、彼女がサナエはマクスおじさんが面倒を見てくれると言い連れ帰ったのだが、取り敢えず了承は得られたようだ。
ズズズズズ……
「ッ⁉」
「どうしたの、サファイア?」
「今、ゲートが動いた気がした」
「わたしは気づかなかったよ?」
「え、何かあったんスか?」
二人は何も感じなかったようだ。私の気のせいだったのだろうか……?
違う。
上空から感じる魔力の気配。
「いいや間違いじゃない……!」
私が空を見上げると、ミィナとサナエもそれに続いた。
上空からは痩せた青年が頭を地面に向けて落ちてきていた。
体系や顔からして、三十代前半くらいだろうか。
腕は後ろで拘束されていて、顔の半分を覆い、口の部分にチャックがついているマスクをしている。首には丈夫で大きな首輪。おまけに両足に重りのようなものが巻き付いていた。あれでは身動きができないだろう。
「まだ昼ご飯も食べてないのにッスか、迷惑な奴ッス!」
「でも、あの様子じゃ攻撃ができないだろう」
「あの、男は……!」
ミィナが後ろで低く重い声を発した。彼女の様子がどこかいつもと違う気がする。
青年が落ちてくる様子を眺めていると私の元に、一枚の紙が落ちてきた。
それが地面に落ちる前に、手に取る。
「サファイアさん、それは何ッスか?」
「『救済の魔女の居場所を教えろ。さもなくばお前たち全員の命はない』……?」
「『救済の魔女』⁉」
先程落ちてきていたはずの魔女は、空中で佇んでいる。
そして、こちらをジッと見下していた。
「人間界に『救済の魔女』がいるのか⁉」
そう言うと、青年は気に食わなさそうな顔をした。
その表情からは不信と、こちらへの敵意が感じられた。
「ミィナ、あの様子だと戦闘は避けられないかもしれない! サナエは自衛ができない、彼女を連れて逃げろ!」
青年と目を合わせたままそう言うが、二人がいるはずの後ろからは誰の声もしない。
その代わり、空から悲鳴が聞こえた。
「ぎゃあああああ、なんスかこれぇ! あたしこういうプレイは好みじゃないんスよぉ!」
「っ……サファイア、今すぐ箒に乗って! じゃないと、殺される……!」
上空でミィナとサナエが両手首を鎖で縛られて吊るされている。ミィナは手にあった大きな本を開こうとしていたが、地面に落としてしまったようだ。
二人は必死にもがいているが、その鎖は緩まるどころか、更に二人の体を固く縛り上げた。
その先にあるのは桑の実色の魔法陣。ミィナとサナエの手足に繋がれている鎖は合わせて四つ。
そして、鎖一本ごとに一つの魔法陣が展開されている。
これは間違いなく青年の能力。彼は手も足も使わずに、魔法陣から出現させた鎖を操ることができるのだ。箒を手にして飛び上がる。ミィナの言う通り、一本の鎖が私の足を縛ろうと動いていた。
「私たちは本当に何も知らない! 特にサナエは昨日魔界から来たばかりの一般人だ、離せ!」
鎖から逃げながら青年に訴える。
すると、彼は黙ったままサナエに視線を向けた。彼はマスクのせいで話せないようだ。
「……」
「ぐへぇ」
「きゃっ!」
二人を縛る鎖が突然消えて、彼女たちが地面に落ちる。
良かった、彼は私の話を信じてくれたのだ。
そう、油断した。
「ミィナちゃんっ!」
サナエの呼びかけで気づく。
ミィナの背後で展開される魔法陣。
「捕まるわけにはいかない、絶対に今度こそ……!」
狙われていることに気付いた彼女は、先程落とした彼女の本に向かって走っている。
ついに魔法陣から鎖が伸びてきた。
「ミィナ、逃げろ!」
私は魔力弾を作り出し、鎖に向かって撃つ。
鎖に命中したもののそれは一瞬軌道が狂っただけで、再びミィナを襲った。
彼女は本を手にする前に足を捕らえられ、地面に倒れる。鎖がうねって、小さな体が宙に浮いた。その後ろからもう一本の鎖が現れ、それは彼女の細い腕を強く縛っていく。
「い、たい……っ」
鎖がミィナの体を蝕む。
先程より強い痛みを与えられた彼女の顔は歪んだ。
「私たちは何も知らないと言っているんだ、早くミィナを離せ!」
私は溢れ出る怒りを抑えられず、少年を睨みつける。
青年はミィナに向けていた視線をゆっくり私に向けた。
そのとき、私は気づいた。
こちらを見続けている彼の目に、光がない。全てに疲れ切っているかのような、絶望しているかのような表情だ。
そこにはこの行為の罪悪感もない。
僅かでも生気はあるのに、人形のように虚ろな目はどこか不気味だった。
後ろから魔力の気配を感じとる。彼の目を見てから気付いてはいたが、全く私の話を聞く気はないようだ。
魔法陣から出した鎖を操る能力、彼の二つ名は『拘束の魔女』。
「……上等だ」
「サファイア、魔法陣だよ!」
ミィナの言う通り、魔力の気配は魔法陣。
後ろを振り返ると、魔法陣から伸びる一本の鎖がこちらに伸びてきていた。この速度だと私はすぐに追いつかれてしまう。
箒に力を込め、鎖から逃げる。限界まで速度を上げても、鎖は私に近づいてきている。
このままではまずいと、箒は走らせたままで指に魔力を集中させていく。一秒、二秒。集中させればさせるほど、魔力弾は大きく強くなっていった。
「今だ!」
鎖が限界まで迫ると、それを放つ。
魔力弾に当たった鎖はキン、という音を立てて跳ね返る。
「この隙に本体を叩けば……!」
鎖で縛られるなら、得意の防御魔術は使っても意味がない。
そして一度縛られれば魔力弾も扱えないように縛り上げられるのだろう。
その前に相手を仕留めなければならない。鎖は丈夫で破壊ができないことが今までの攻撃ではっきりとした。
私がここでやられてしまえば、二人の命が危ない。
ぐっと箒を握り魔力を込め、全速力を出す。
先程弾いた鎖が復活したようだ。私に向かって伸びてきている。『拘束の魔女』は拘束具のせいか身動きができない。私の攻撃を逃げることはできないはずだ。
あと、あともう少しで届く。
だが、背中に感じる鎖の気配も段々と近づいてきていた。
「は、速いッス!あれなら鎖に捕まる前にサファイアさんの攻撃が先に届く!」
間合いに入った。
鎖はまだ私に追いついていない、大丈夫だ。
少年に飛び掛かり、拳を振るう。
「なっ……!」
だが、その攻撃はあと少しというところで当たらなかった。
拳の一寸先の少年を見ると、彼の首輪に鎖が巻き付いている。
その先はやはり魔法陣。
私の攻撃を受ける直前で首輪に鎖を縛り、能力を使って自身を動かしたのだ。
私は箒から落下しかけたが、間一髪で箒の柄を掴んでぶら下がる。
後ろを見れば鎖が目の前にまで迫っていた。
一度腕を縛られれば確実に私の負けだ。
間一髪で魔力弾を撃ち込み、鎖を弾く。
その間に箒に乗り直すが、鎖はしつこく私を追い続ける。
だが鎖の軌道が読めてきた。一本であれば魔力を使わずとも避けることができる。
この隙に、と思考を張り巡らせながら鎖を躱す。
「はぁ、はぁ……」
慣れていない魔術の連続使用は体力をどんどん奪っていく。
息は切れ、汗が体中から噴き出す。
魔力弾は作れてあと四つほどだろうか……どちらにせよ、箒の動きを最大まで速くするほどの魔力は残っていない。つまり先程の戦法は使えないのだ。
だがあいつを仕留めるにはまず距離を詰める必要がある。
まだ気付いていない弱点があるかもしれないと、『拘束の魔女』に視線を向けた。
すると、バチリと目が合った。
少し驚いて目を伏せ、後ろから追いかけてくる鎖を躱し、別の場所からもう一度彼を見る。
再び目が合った。
彼は私のことを目で追っている。
そういえば、ミィナを捕らえる時も彼女のことを見ていた。
鎖を動かすには、標的を目で追う必要があるのだろうか?
もしそうなら、彼女の能力が有効なはずだ!
「サファイア、二個目の魔法陣が!」
「なっ……!」
一本の鎖から逃げる私の前に、挟み撃ちと言わんばかりに魔法陣が展開される。二本の鎖に追われては数秒もしないうちに捕まえられるだろう。
こうなれば正確さを求めてはいられない。
見出した一つの可能性を、私は信じる……!
「サナエ!」
「は、はいぃっ⁉」
「硝煙爆弾を私にできるだけたくさん投げろ!」
「えぇ⁉」
「!」
『拘束の魔女』は視線をサナエに向ける。
「そっちに視線を向けていいのか⁉鎖が動かない間に私がお前に攻撃するぞ?」
そう言うと、彼はハッとこちらに視線を戻した。サナエがあたふたしているのを横目に、私は引き続き二本の鎖から逃げ続ける。
だが、長時間避け続けるのは流石に無理があった。
一発、二発と魔力弾を撃ちながら逃げる。もう体力が底を尽く。
「もうもたない、サナエ!」
一本の鎖を横に躱すが、その瞬間に目眩が襲う。
魔力使用で体力が消耗しているのだ。私の体はもう悲鳴を上げている。バランスを崩しそうになった隙を狙って、もう一本の鎖が私に迫った。
「サファイアさんにぃぃぃっ、SMプレイなんてさせないッスーーー!」
サナエは助走をつけて、大きく腕を振って球体を五つほど投げてきた。
彼女の球体は上空にいる私に届き、その場で大きな煙になる。
「よくやった、サナエ!」
鎖は私のすぐ隣を素通りしていった。
それからも狙いが定まらず、私から離れた場所を狙って暴走している。
やはり彼は標的を見なければ追いかけることができない。
鎖は自動追尾しない!
出せるだけの速さで煙を抜け、『拘束の魔女』の元へと向かう。
背中にはまだ鎖の気配も魔法陣の気配もない。
―今がチャンスだ!
ある程度距離が縮まったところで、ようやく『拘束の魔女』は私を見つけ、自分の首に繋がった鎖を動かそうとした。
「逃がさない」
その前に鎖を掴んで引き留める。
すると、ぐらっと彼の首が揺れ、苦しそうに息を漏らす。
私が拳を構えると、彼の虚ろな目が大きく見開かれた。
桑の実色の魔力が集まる。それは彼の前方の身体を守るように、円形に集まった。
彼の防御魔法だ。
「弱い」
私はその防御魔法に、真っ向勝負した。
魔力を纏った右手を力強く叩きつける。
「!」
防御魔法は一瞬で砕け、私の拳は彼の胴体に近づく。
しかし、その直前で拳を止める。
「勝てないことは分かったな? さっさと自分の居場所に帰れ」
魔力を纏った私の拳は、生身の相手だと体を貫いてしまう。
私は他人の命を奪うような真似はしたくない。
『拘束の魔女』を睨むと、彼は眉間にしわを寄せた。
それは、悔しいというより……苦しさのように感じられた。
彼は何も言わずに一度全ての魔法陣を解除し、頭上に新たな魔法陣を作り出す。そして器用に鎖を用いた飛行魔法で魔界に戻っていった。
「サファイアさ~ん!」
地上に降りると、サナエが私に抱き着いてきた。
「抱き着くな」
べりっとサナエを引きはがす。
だが、サナエは本当によくやってくれた。彼女の活躍がなければ私は勝てなかっただろう。
感謝の気持ちを込めて、ぽん、と頭を撫でた。
ミィナは鎖を解かれるとすぐに大きな本を手に取り、しばらくその場で座り込んでいた。彼女を迎えに行くと、何かを悔やむように地面に生える雑草を強く握りしめていた。
「どこか痛むのか?」
「……なんでも、ない」
彼女の体に大きな怪我はないようだ。そしてサナエにも怪我はなかった。
体力は消耗したが、二人が無事ならば頑張った甲斐はあっただろう。
ただ、ゲートの真下は危険だということが分かった。
これからサナエが飛べるまでは、訓練は別の場所で行わなければならないだろう。
そして、『救済の魔女』が人間界にいるというのは本当なのだろうか。
もし本当だとしたら、魔界はもう『救済の魔女』に見捨てられたのだろうか?
私たちには本来関係のない話だが、今回のように身の危険が迫るならば黙っていられない。
少しずつ『救済の魔女』について調べていく必要があるだろう。
……エルカビダ。
そういえば、エイダンがその場所に魔女がいるという噂を聞いていたはずだ。
もしかしたらそこに『救済の魔女』がいるかもかもしれない。
小さな手掛かりを胸に秘め、私はミィナたちを家まで見送ると、時計塔に帰った。
「生きているのなら、また……会えるよね」
別れる直前、ミィナがゲートに向かってそう言っていたが、真意は分からなかった。
「縛られた人生は楽しいか?」
そう聞かれたことがある。
確か、魔女騎士団の副団長の言葉だ。
僕は心の中で、こう返した。
「楽しくない。けれど……苦しくもないよ」
僕は自由が嫌いだ。
自由に生きるということは、自分の欲のまま生きるということ。
生き物の欲は怖いものだ。
理性はあるのに、すぐ自分の欲に飲み込まれる。
それで人生を破綻させた男の伝記を読んだ。その話が、怖くてたまらなかった。
僕は絶対にそんな風にはなりたくなかった。
口を縛った。腕を縛った。足を縛った。
それでも気を抜くと動こうとする自分がいて、怖くて堪らなくて。
縛れる場所を全て縛った。
その結果、僕は自分の能力を使わないとほとんど動けなくなった。
だが、まだ僕の恐怖はなくならなかった。
僕は責任というものも嫌いだった。
悪意のない失敗をしてしまったとき、「どうしてそんなことをした」と言われたことが大きな傷だった。
だから僕は、選択や人生も縛られたいと望んだ。
そんな僕に両親は、僕の能力なら役に立てるだろうと魔女騎士団への入団を勧めてくれた。
僕は勿論その通りにした。
魔女騎士団はすべきことを全て命令してくれる。
僕はただそれを遂行すればいいだけ。
生きることがとても楽になった。
だが十年前のある日、僕の人生は歪んだ。
僕が、重い罪を背負った日。
初めて、任務に失敗した日。
僕はその時から……『災厄』が生きていることを知っていた。
だがそれを言うのは任務じゃない、そう思い込むことで罪悪感を押し殺していた。
僕は、魔女騎士団の裏切り者のようなものだ。
その日のことを忘れたくて忘れたくて、積極的に自分から任務を受けるようになった。
だが十年経った今でも、心の傷を生んだ、あの目を忘れられない。
「あなたを、ぜったいにゆるさない……!」
本来の色を失くした白目は黒く染まり、その中に真っ赤に染まった瞳が僕を見ていた。
そんな僕に、再び重大な任務が課せられた。
「私はお前の実力を理解している。今回の任務は重大だ、頼んだぞ」
団長から直々に下された、『救済の魔女』の情報を聞き出すという任務。
僕に立ち向かってきたのは、膨大な魔力を持った魔女と、『爆弾の魔女』。そして、あの日出会ったまま姿を変えないあの魔女。
動揺を隠し、余計な感情を生まないようにして全力で戦った。勝機はあったのだが、『爆弾の魔女』の爆弾による錯乱で敗れてしまった。
重大な任務を失敗した。
少女がいたせいもあり、「あの日」のことがはっきりと思い出される。
胸が苦しく、息もまともにできなくなっていた。
「また任務を失敗してしまったのね、ユク」
「!」
ふらふらと魔界に帰ると、そこにいたのは『呪術の魔女』。
昔から何かと僕の世話を焼いてくれた上、かつて僕の命を救ってくれた母親のような人だ。
彼女は不敵な笑みを絶やさずに、ゲートの縁に立っていた。彼女は僕の体をふわりと抱きしめ、そっと頭を撫でる。
「辛かったでしょう、罪悪感に襲われながら任務をこなそうとして、それすら失敗して」
彼女は表情とは反対に、優しい声色でそう囁く。
彼女は『災厄』を守る存在で、魔女騎士団の敵だ。彼女につけば、僕は今度こそ本当に魔女騎士団を裏切ることになる。
「私の元に来れば、その罪悪感も何もかも楽になるわ。あなたの罪を許してあげられるもの……そう、それができるのは私と私の仲間だけ」
その言葉は温かく、僕の心を溶かしていく。
こんな辛い思いを、もうしなくていいのなら。
僕にとっては拷問のような温かさに、長年罪悪感に苛まれた体は抗えず、彼女に何もかも委ねる。
そのとき、くすっという笑みを聞いて初めて、自分が魔女騎士団を裏切ってしまったのだと自覚した。
もう戻れない。
僕は裏切り者として生きていく。
全ては、「あの日」の任務を終えるために。