Period,1-1 触らぬ『美女』に祟りなし
事実は小説より奇なり、という言葉を聞いたことがあるだろうか。
現実で起こることは空想なんかよりも一層不思議である、という意味なのだが、昨日からやけに、この言葉に親近感を覚える。
——これはきっと昨晩、公園で絢瀬恵梨香という高嶺の花には毒があることを知ってしまったからだろう。
はっきり言って、ラノベなんかでよくある『男の子かと思っていた男子が実は、男の娘でした……』みたいなレベルで信じがたい。
というか、あまり思い出したくない。
すでに完治した溝落ちに、変な感覚が走って、胃がきゅっと引き締められる。
「あっ、絢瀬さん!おはようございます」
校門を過ぎて、もう少しで下駄箱というところで目的地に人混みを発見する。
男女問わず集まっているその集団は、俺たちがここに入学してきてから今日まで2ヶ月、ほぼ毎日発生していてすでにこの学校に通う生徒にとっては、日常の一部である。
加えていうと、絢瀬恵梨香も俺たちと同じ一年生だ。同じ学年だというのに、その知名度の差には、毎度のことながら——愕然とさせられるが。
「ふふっ、皆さんおはようございます」
「絢瀬さん!おはようございます!」「絢瀬様、今日もお美しゅうございます」「絢瀬さん、おはよ」「あーやせさんっ!おっはー」「おはよう。絢瀬さん」
この学園を含め地域一帯には『絢瀬の会』が組織されているが、それを除いたとしても彼女は人気である。彼女と会って、挨拶をしない人の方が少ないだろう。俺だって毎日、挨拶をする。
まぁ、挨拶しないと『絢瀬の会』の連中が睨まれて色々と面倒だからという理由も確かにあるけど。
「はぁ……」
めんどくさいが、俺も早く教室に行かなければいけない。なんていったって、これから昨日読んだ過去作『どうも、ニートです』のレビューと感想を良太郎に伝えなくてはいけないんだ。
俺は、再びため息をつくと、絢瀬さんの視界の隅にでも入らないよう、細心の注意を払いながら、人混みをかき分けて自分の靴箱へむかう。
……というかなんで、俺が、こんなにコソコソしなくちゃいけないんだ。
「ん? あら、そちらにいるのは一ノ瀬さんではありませんか」
「ひっ……」
…………。
息が止まりそうになったという表現が非常に適しているだろう。
隠れんぼで、絶対にバレない場所に隠れたのはいいものの、誰も見つけてくれないから——様子を見るために顔を出したらすぐに見つかってしまった時の感覚に似ている。
「……あはは、おはようございます絢瀬さん。今日もとても綺麗ですよ」
「ふふっ」
濁り気も、歪みも、一切混ざっていない、100%純粋な満面の笑みで俺に笑いかける絢瀬さん。それが逆に、俺に恐怖心を与える。
昨日のことを踏まえて、どんな気持ちで俺に笑いかけてきたんだろうか。
「なぁ」「あぁ……」「お前も聞いたか……」「やっぱり聞き間違いじゃないのか」「……お、おいっ」「ああ」「あの絢瀬さんが、」「まさか、あの絢瀬さんが」
一斉に、周りにいた男子生徒と、一部の女子たちが、ガヤガヤと雑談を始める。
何か特別なことがあったのかと思い、周りを見渡すとその視線が俺に集まっていたことが、判明した。
つまり、危機的状況にあるのは俺で間違い無いだろう。数瞬置いて、さっきの絢瀬さんとの会話が、今の異変に関係していることを俺も察した。
「「一ノ瀬の名前を呼ぶなんてぇぇ〜〜!!」」
……ほんと、これは本当にまずいことになってしまったかもしれない。
絢瀬さんは気付いてないかもしれないが、彼女に名前を覚えてもらうということは——この学園ではテストで100点をとるほどに栄誉なこと。
『テストで満点を取ることor絢瀬さんに名前を呼んでもらう』という、アンケートを100人から取ったとして——その約9割が後者を選んでしまうだろう。
「おい、一ノ瀬。どういうことだ?」「なんで、絢瀬さんがお前の名前を覚えてるんだ?」「俺なんか、毎日努力しているというのに顔すら覚えてもらってないんだぞ」
いや、流石に毎日声をかけているのに、顔すら覚えてもらえないというのは可哀想だが俺は何をしたわけでもない。
ただ、事件現場に居合わせて、その犯人から脅迫され、挙げ句の果てに今のような状況に至ってしまっただけだ。
俺の被害者っぷりをお前らに伝えてやりたい。
「くそっ、一ノ瀬に先を越された!」「これで3人目かよ」「今度こそ俺が、呼ばせてやる!」「というか、これって査問委員会案件じゃないか?」
「おい待て、査問委員会にだけは絶対に行きたくないんだが……」
「いやー、こればっかりは確定だろうな」「前に、名前を呼ばれた二人も渋々連行されてたしな」「同情はしないぞ、一ノ瀬」「それがお前の責任って奴だ」
いやいや。早まるな。それより責任ってなんだよ。
説明すると、査問委員会とはうちの学校の放送部のことである。
昼休みに流れる放送で、最近起こった事件を本人に聴取するという、迷惑極まりないことを強行的に続けていたら、いつの間にかそう呼ばれていた——というこの学園のレガシーの一つ。
ちなみに、生徒の間だけでなく教師たちからも人気があるという。
全くもって傍迷惑な話である。
「俺は逃げるからな」
「無理だろうな」「無理だな」「やめとけ」「諦めろー」
「いや、口を揃えて否定するな。お前ら気色が悪いぞ」
「あいつらは、地の果てでも追ってくる」「魔の放送部」「鬱陶しいってレベルじゃない」「思い出しただけで鳥肌が……」
『経験者は語る』というやつか。
査問委員会に聴取された奴らの声が、そこら中から聞こえてくる。
果たして何人犠牲者がいるのだろうか。ざっと、数えただけでも4、5人はいる。……本当にこの学校は大丈夫なのだろうか。心配になってくる。
「ったく」
前までは他人事のように楽しんでいたが、いざ自分がなると鬱陶しい。絢瀬さんは俺を困らせるためにわざとやったんじゃないだろうか。
俺は絢瀬さんに視線を注ぐ。しかし、彼女は眉根を寄せながら何か考え事をしているようだった。そんな彼女の様子からは、一切の愉悦などは感じられず——動揺すら見受けられた。
きっと、俺が放送で昨日起こったことを洗いざらいぶちまける、という事態を恐れているんだろう。
もしかしたらだが、これは近いうちにアポがありそうだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「唯斗、悪い。俺もうお前とは親友やめるわ」
「おいおい」
教室に行くと良太郎が、俺を上がってくるのを待っていたかのようにドアの前で立っていた。
その表情は氷山のように険しく、鶏には到底真似できるようには思えないほどに怪訝な顔だった。
「どうしたんだ、良太郎。そんなこと言い出して。俺が昨日お前のことを鶏——って言ったことがそんなにショックだったか」
「違う……って、そんなこと思ってたのか!?」
おっと。お喋りだったようだ。
「……もしかして、絢瀬さん関連か?」
「そうだよ」
ということは、さっきのアレを言っているのだろうか。いや、それにしても情報が早すぎる。俺はあの後絢瀬さんと一切、口を利くことなく、下駄箱で靴を変えると最短ルートでこの教室まできたはずだ。
にも関わらず、この3階の1年Cクラスまでその情報が伝わってきているということからも、絢瀬さんの学園に与える影響の膨大さが窺える。
「よく考えてみろ、良太郎。この俺が絢瀬さんと進展があったと思うか?」
俺の顔を眉根を寄せて凝視する良太郎。
「んー、確かに一ノ瀬だったからな。何があるとも思えない……」
「だろ? 昨日も言ったが俺は、高嶺の花とか美少女とかそんなものには極力関わりたく無いんだ。俺は、普通の『あれ、ちょっと可愛いんじゃね?』みたいな子とエッチなことがしたいんだ」
「さすが唯斗。直球すぎて、軽くひくぞ……」
どうやら良太郎も納得したようだった。その表情からは、さっきのような汚物を見るような印象を感じなくなっていた。
危うく、9年間培ってきた、良太郎との好感度がたった1日にして全ロストするとこだった。
「そういえば、昨日読むとか言ってた『俺、ニートやめます』はどうだったんだ?」
「『どうも、ニートです』な。俺ニートやめますだと、完全に逆物語だから」
どっちでも良いだろという顔を浮かばせる良太郎。しかし、これは案外重要な問題だ。ライトノベルのタイトルは、索引のファーストインプレッションを決めると言っても——過言では無い。
そこに、誰しもが夢と期待と、想像を忍ばせて表紙をめくるんだ。
「まぁまぁだったな」
「なるほど、お前がそこまでいうってことは相当酷かったんだな」
「いや、内容は面白かったんだ。ただ、説明が多くて読んでて疲れた」
「……確かにそれは、大問題だな。特に俺にとって」
説明的な文章は非常に読者を疲れやすい。文字が多くても、読者を飽きさせるし、逆に少なすぎても叙景や感情表現が足りなさすぎても——現実味がなくなってしまう。
中庸が1番良いんだ。まぁ、会話だけで話を成立させるラノベも心当たりがあるが、それはあくまで例外だ。
ちなみに、説明が長い文章の例を挙げるとするなら、まさに今である。
「まぁでも、深い話ではあったんだよな……」
「おいあれ見ろよ!」「まじか、どうしてこの廊下に絢瀬さんがいるんだ?」「絢瀬さんって、別棟にあるクラスのはずだよな!?」「ちょっと見に行こうぜ」
「それに、冴えないニートとそれを応援する幼馴染みの掛け合いという、コメディー要素もあってすごく微笑ましかった」
「というかまじで可愛いな」「俺今日いいことあるかも」「馬鹿言え、それは俺な」「は? 何言ってんだ。絢瀬さんは皆んなのものだろ!」「た、確かに」
「さらに言えば、ハロワに行かなきゃいけないというのに、熱中症やら夏バテやら、五月病やら、色々と理由をつけて親から逃げようとする主人公のクズっぷりも清々しい」
「絢瀬さん、もしかしてCクラスに用があるんじゃないか」「いや、どう考えてみBだろ」「わからんぞ、Dクラスかもしれない」
「最後の最後でまさか転生してしまうとは流石に予想もつかなかったが……っておい。さっきから妙に騒がしくてレビューなんてもんじゃないだろ」
目を瞑りながら語っていたため気づかなかったが、今クラスに残っているのは俺一人だった。そして教室の外に目をやると、そこには体育館に行くときに廊下に整列させられるあの光景が存在していた。
……まじで、今言った理由以外でそれをしている奴らを初めて見た。
この君ヶ咲学園には総合学科ともう2つ、国際教養学科と専攻学科というものがある。総合学科とそれらの学科では、階層どころか校舎まで別なため、会う機会といったら、全学年全生徒共通の靴箱から、校門までの道だけだろう。
つまり、絢瀬恵梨香は国際教養学科を専攻しているためこの廊下に来ることすら珍しいというわけだ。
「おい、良太郎。俺の話の途中で廊下に出ていくんじゃない」
「悪い悪い」
廊下にいた良太郎の肩に俺の手を置きながら、こっちに向かってくる絢瀬さんに焦点を合わせる。彼女の歩く姿は非常に可憐で、廊下というものは彼女が歩くためだけの道なのではないか、と錯覚してしまう……って何思ってんだ俺は。
「お、おっ、おい。こっちに来るぞ!」
良太郎は動揺しながらも、決して絢瀬さんから目線を外そうとしない。それどころか、指をワキワキさせるほどに興奮している。
——そして、絢瀬さんが廊下を進み、俺たちの前を通り過ぎた。
「っ……」
特に、サインなんてものはなかったが、俺は彼女がもしかしたら、アポを取ろうとしているのではないかと睨んでいた。また、俺は彼女の立ち姿に見惚れていなかった。
だから気付くことができた。彼女が俺の前を通る瞬間に、その手元から一枚の紙切れを落としていったことを。
俺はすぐに、廊下に落ちている折り畳まれた白い紙切れを——あたかも自分が落としてしまったかのように——拾うとポケットに突っ込む。
「全く、他の人が拾っていたらどうする気だったんだよ」
教室に入り自分の席に座るとその紙をポケットから取り出して広げて内容を確認する。
そこには達筆な字で一言こう書かれていた。
『今日の放課後、駅前の Cafe : concept に集合』
と。
タイトル変更しました。
この度は『自身のためなら脅迫すら厭わない二面性のあるヒロインは嫌いですか?』を読んでいただきありがとうございました。