Period,0-1 『高嶺の花』には毒がある・前編
「絢瀬さん、これ、タオルです。体育の後にでも使ってくださいっ!!」
「絢瀬さん、忘れ物してないですか? 僕のでよかったら教科書でも、体育着でもなんでも借りてください!」
「絢瀬さん、今日もとてもお美しいです!!」
「うふふ、有難うございます」
「絢瀬さん!」「絢瀬さーん」「絢瀬さん、」「絢瀬様」「絢瀬さんっ!」「絢瀬さん……」「絢瀬さんっ」「絢瀬さん。」「女神絢瀬……」
日常生活の中で、見ていることが精一杯で手なんてとてもじゃないが出せないものを指すときに、『高嶺の花』なんて言葉が使われることがある。これは、高地に咲くシャクナゲという花を摘むには常に危険と隣り合わせだということに由来しているらしい。
そして時にこの言葉は時にモノや、人物に使われる場合もある。例を挙げると、ここ私立君ヶ咲学園高等学校の一人の女子生徒が——俺の知る限り、最も適しているだろう。
その生徒の名前を絢瀬 恵梨香という。この君ヶ咲学園で『絢瀬』というワードを聞かない日はない。そう言い切れるほどに彼女は有名だ。
あらゆる宝石よりも煌びやかな金色の髪に、完璧なまでに整った顔のパーツ。そして、誰にでも人当たりが良く、困っている人を放って置けない性格。それに加えて、文武両道ときた。果たして、これは同じ人間なのだろうかすら疑わしい。
「やっぱ、可愛いよな。絢瀬さん」
昇降口の前でみんなと朝の挨拶を交わす綾瀬さんを眺めながら良太郎が言い放つ。その声色からは、彼の心酔具合が手に取るように伝わってくる。
極論、彼女に興味を持っていない男子はこの学園に存在しない。まぁ、流石に言い過ぎだがあながち間違いではない。
「なぁ、唯斗。お前、絢瀬さんと話したことあるか?」
「お前は俺が綾瀬さんと話ができる人に見るのか?どう考えてもないだろ」
「やっぱそうだよなー、俺も一度でいいから一対一で話してみたいぜ!」
「そうかい、そうかい」
唯斗というのは俺の名前である。一ノ瀬唯斗。俺の能力値を一言で表すとするなら『平均的』という言葉がふさわしい。そう断言できるまでに、なんの変哲もない人生を歩んできた。
——平均的な家柄——平均的な学力——平均的な容貌。
などなど、挙げるだけでキリがないだろう。
「いや、俺は夢物語で終わらせる気はないぞ!いつかはきっと……」
「はいはい、授業始まるぞー」
そして、俺と話しているこいつは、猿渡良太郎。
見た目はそこそこいけてるクセに、本性がダダ漏れなとこと、変に負けず嫌いな面があるせいで——あまりモテない。黙ってさえいればイケメンなのにな、というちょっと残念なレッテル付きの幼馴染み。俺とは、小学校からの付き合いで今日も放課後良太郎の家でゲームをする予定だ。
「なぁ、どうやったら美少女と友達になれるんだろうな……」
「そりゃ、あいつらみたいに毎日アタックするしかないだろ」
俺は、昇降口の前で必死にアタックを続けている男どもに目線を置く。
彼らは最初、2、3人で活動をしていたが、いつしか規模が大きくなってこの地域一帯を含めて100人体制にまで成長した。そんな一大組織の名前を『絢瀬の会』といい……ってこの情報いらないな。
「いや……それでもやっぱ、あいつらみたいにはなりたくない……」
「それなら無理だな諦めろ。普通の恋でも探すことだ」
「ふげっ……。だ、だったらそういうお前はどうなんだよっ!」
「俺は、別に彼女のことはなんとも思ってない。俺は普通の彼女を作って、普通にエッチなことをして、普通に結婚して、普通の幸せを掴み取るんだ」
つまんねぇやつだな、と言わんばかりの呆れた目を俺に向ける。
……好きに思ってろ。
俺は、案外自分の器用な生き方を気に入っている。
「そういえば、新作のラノベはどうだったんだ?」
「ん。あれは、堪らん……」
良太郎の問いに、俺はご満悦な表情を作って応える。
ラノベというのは、先日発売した『先輩はアンドロイド』の3巻のことを言っているのだろう。
俺はこの作品が発売された時からずっと読み続けている熱狂的な読者だから、昨日も、3時をまわっても読んでしまった。今もかなり眠気が襲ってきているが、それでも一切の後悔はない。
「え? でもそれって、巷で批判されまくってるじゃねぇか」
「まぁ確かに、文章は稚拙だし、内容も入ってこなかった……」
「ほらな」
「けど、だからといって駄作というわけじゃないんだよ! ヒロインのセリフは幼い感じをしっかり出せていて、当然のことながら萌えたし、驚きの展開にも涙した。ベタベタな展開も途中含まれていたが、最後にはしっかりと全ての伏線を回収して完璧なまでのフィナーレを決めてくれた。たとえ、どんなに批判されようと俺は、これからもこの作品の一人のファンとして、作者を応援していきたい」
「うわっ。また始まったよ、唯斗のラノベ評論……」
卑しいものを見るような目で見つめる良太郎。
いやいや。俺が勝手に話し始めて悪い感じになっているが、この話を先に持ち出したのは紛れもないお前だからな。
追加で言うと、俺はすでにご承知のとおり、ラノベオタクである。アニメも人並みに嗜むが、やはり小説の方が好きだ。作者の伝えたいことがダイレクトに伝わってくるところが、実にいい。
「いやいや、ラノベもいいけど、アニメの方が動くし音があるしカッコいいだろ。小説なんてずっと読んでたら目が疲れるだけじゃねぇか」
「ふーん」
今度は俺が、良太郎を呆れたような目で見る。
確かに文字を読むと疲れるが、それも慣れれば楽しいものだ。
ゲームだって、長時間やっていれば、目も疲れてくる。それと同じで、小説も体力勝負だから、読めるようになれば苦しいことなんてない。
それを理解できないなんて、オタクとしてまだまだだな。せっかく幼い頃から叩き込んでやったというのに、大事な場面でそれを発揮できないなんて——全く良太郎らしい。
「……なんだよその目は」
「気にするな——哀れな子羊を見ているだけだ」
「そうか……ってそれ俺じゃねぇか!!」
はいはいそうですか、と俺。
「そういえば、お前。今日、直接俺ん家に来るのか?」
「まぁ。そうだな。一応そのつもりだが」
「だったら、俺のゲームの腕を見せてやるぜ」
「お前、俺に毎回ボコボコにされてるの忘れたのか?」
俺の方から目線を逸らし、あはは、と苦笑する良太郎。
こいつを一言で言うとすれば、お調子者がふさわしいだろう。どんなに辛いことがあっても、次の日には立ち直る。鶏だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「くっそ、もう9時過ぎてんじゃねぇかよ」
良太郎の家から帰る途中、愚痴を溢す。
太陽はとうに暮れて、道路に立っている外灯だけが、俺の道を照らしていた。
「勝つまでやめない。手を抜いたらもう一回とか、俺を家に返す気ねぇだろ。あいつ自分にゲームの腕がないことを理解してないのか?」
良太郎の気まぐれのせいで、こんな時間になるまでゲームをさせられていた。
正直、目が痛い。チカチカする。静かな夜道だったため、ゲームの音がまだ耳に残っているような気がしてならない。
「っ———」
十字路を曲がって、あともう少しで家に着くというまさにその時。
近所の公園から、誰かの叫び声のようなものが聞こえた。
俺は、特に興味がある訳じゃなかった。
ただこれがもし、誘拐の類だとしたら、後で胃が重くなるだろう。
俺は、家に向いていた足を傾けた。
「———ない、——ね」
どうやら声は、公園の奥にあるブランコ付近でしているようだった。ここからでは、よく聞こえないのでもう少し近づいてみる。
「まじでキモいっ! ほんとありえない!」
その声に反射的に公衆トイレの後ろに隠れてしまった。
……というか、ただの愚痴じゃねぇか。誰だ誘拐とか言い出した奴は。心配性にも程がある。
「はぁ……」
どうやら、無駄な気を回し過ぎたようだ。
俺はそのままその場をさろうとする。
しかし、そこである違和感に気づく。
「あー、もう……」
どこかで聞き覚えのあるその声。
「ほんとに、うざい!」
「おいおい、流石にまさかだろ……」
俺は、その事実を不慮の事故で知ってしまった。
平均的な人生を送ってきたこの一ノ瀬唯斗の平凡な生活を終わらせる真実。
その声の主が学園の高嶺の花である『絢瀬恵梨香』のものだということを——この時、俺は知ってしまったのだ。
この度は『自身のためなら脅迫すら厭わない二面性のあるヒロインは嫌いですか?』を読んでいただきありがとうございました。
また、長ったらしいタイトルなことをお詫びいたします。
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