Period, 2-3 離離たる少年と『少女』
流石に一度に文字数を詰め込みすぎたと思い、『Period, 2-3』を『Period, 2-3』と『Period, 2-4』に分けることにしました。読んでしまった人はすみません。
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俺、一ノ瀬唯斗は自他共に認める一般人である。
これは既に周知の事実となったが、これにさらに付け加えて言えることがある。それは一ノ瀬唯斗という少年が今までに、一度たりも注目される場に立ったことがないということだ。
一般生徒。それ故に目立つようなことをその人生の歴史に刻んできていない。
もちろん、クラス内でのちょっとした発表はしたことはある。
だが、言ってしまえばそれだけなのだ。
だから、
……あれ?
「それでは本番いきますね」
あ、おい。
……ちょっと、待てくれ。
本番ってそんな簡単に始まるのか?
もっと、初心者に配慮とかしてくれないのか?
こっちは放送すらしたことがないんだが。
「了解です」
しかし、そんなことを言えなかった。
俺の隣に座っていた男子生徒が機材部屋から顔を出している音響担当に向けて頭の上で丸を作る。それは、放送の開始を意味していた。
……まずい。
体が震えてまともに何かを言える気がしない。
気のせいだろうか呼吸も荒くなってきた。
ここに一人取り残されるまでは余裕だと思っていた。
言われたことをそのまま伝えればいいだけだと、そう考えていた。
……でも違うんだ。
これは、校内に放送されてる。
俺一人の失敗が、この放送の不始末につながるんだ。
それにもし噛んだりしたら、学校中の笑い者にされるかもしれない。
「はぁ……ぁ……」
おかしいな……。
俺は緊張する質じゃないはずなんだけどな。
いや、もしかしたらそれは俺が今までこういう場面に遭遇してなかったからじゃないか?
まずい。
「……」
確かに、いきなり呼び出されて完璧なパフォーマンスをして見せろと言われてもできる人なんて、100人に1人もいない。
でもだからって、ノーリスクでを犯せるわけじゃない。
「ははっ……」
馬鹿だろ。
さっきまで調子に乗ってた俺はどこへいった。
いきなり緊張して、ダサくないか?
でも、俺はこんなことしたことないんだよ。
というか、こんなの少し酷いだろ。
……ああ、まずい、
情けないことに弱音を吐き始めている。
そもそも放送はもう始まってるのか?
落ち着け。
深呼吸をして声を出してみろ。
そうだ。
大丈夫。俺はしっかりとやれる。
「……っぁ」
……なんだよ。
声なんて、でてないじゃねぇか。
なにが集中して、呼吸を整えればできるだ。
それよりも、周りの声すら全く耳に入ってこない。
……というか、放送部の奴ら俺のことを見てないか?
ダメだ。
せめて、あと1分待ってくれ。
さっきまで被っていた平凡という名の仮面が崩れていく。
……いや、違う。
もともと俺は、こういう緊張とかに弱かったのかもしれない。
今まではうまく避けながら生きてきただけで、その脆さが今回のことで露呈しただけなんだ。
はぁ……なんか妙に落ち着いてきた。
それも、ダメな意味でだ。
このまま失敗するなは派手に転ぼう。
いっそのこと逃げてしまおうか。
頭の中に嫌な思考が存在感を強める。
「……」
……おい、待て待て。
おかしいだろ。
俺は今までそんな弱気になったことなんてなかった。
今の俺は明らかにおかしい。
でも、もう。
……情けない話、逃げてしまいたい。
プレッシャーってやつなのだろうか?
正直、俺には重い。
全校生徒600人が俺の今の醜態を見てる。
俺がこの放送を面白くしなくちゃいけないんだ。
くそっ、重すぎて骨が軋んでる気がする。
……ほんと、
ダメだ、もう。
……いきなりこんなこと無茶だったんだ。
『……ねぇ』
場数が足りなかった。
『いちの……』
俺はやっぱり普通の生き方が似合ってるんだ。
だから、もう……
『ねぇ。一ノ瀬くん』
「っ……」
顔を俯かせながら諦めかけたその時。
さっきまで遠くに聞こえていた声がはっきりと俺の耳に届いた。
『大丈夫だから落ち着いて一ノ瀬くん。今は私の声に耳を傾けて』
どういうわけかイヤホンから絢瀬さんの声が聞こえる。
『一ノ瀬くん、あなたならできる。今動けないのは一人だからじゃない』
「あや……せさん?」
『周りの声に耳を貸さないで。今はただ自分を信じて』
俺は相当滅入っているのだろうか。
俺はどうやら、幻聴が聞こえているらしい。
言い方はひどいかもしれないが、少なくとも俺の知ってる絢瀬さんは、こんなことを言ってくれる人じゃない。
それでもこの聞き覚えのある声は、確実に彼女のものだった。
「はははっ……」
『なに笑ってんの』
「幻聴じゃねぇ」
『バカにしてるでしょ』
その声からはいつもの冷淡な感じが染み出していた。
でも、それが逆に平常を取り戻させてくれた。
「……いや、すまん。でも……なんか分からないけど、なんか楽になった気がする? のかな。ありがと」
『……そうやって勝手に自己満足するのほんときもいから』
俺は俯いていた顔をあげて収録部屋の周りを一瞥する。
そして、大きく深呼吸をすると頬をパチンと思いっきり叩いて気合を入れた。
「一ノ瀬くん!? いきなりどうしたんだい?」
きょとんとした表情で俺に尋ねる田久保先輩。
「すみません。ちょっと、気が動転しちゃって。それより放送はどうなりましたか?」
「ん……? あ、いや、一ノ瀬くんが体調悪そうだから、ちょっと待ってみようってことになって。もし君が大丈夫なら、もう少ししたら始めるけど」
「問題ないです」
「……そうかい?」
俺は苦しげに、それでも自身の漲った笑みをその顔に浮かべる。
「……そうだね。だったら、始めようか。ちょっと、音響室に伝えてくるよ」
「すみません」
そう言って奥の部屋に姿を消す田久保先輩。
今、録音部屋で席に座っているのは、俺の他に3人の生徒。
机の上には一人一つ目の前にこれから声を入れると思われるマイクが設置されていて、他にもペットボトルや台本などが置かれている。
……大丈夫だ。周りはしっかりと見れている。
手の震えはおさまっていないが、それでもさっきほどではない。
「ほんと、助かったよ」
『……』
返事はなかったが、それでいい。これはあくまで独り言だから。
恥ずかしいから独り言で終わらせてほしい。
「それじゃあ、始めるよ」
しばらくして、お昼の生放送が始まった。
まず、いつも通りコメンテーターがお昼の放送の説明などを行った後、導入トークを挟んで適度に場を温める。
「それとですね。本日は、あの絢瀬恵梨香さんに男子生徒で初めて名前を呼ばれたという一ノ瀬さんに特別ゲストとして来て頂きました。一ノ瀬さん、まずは、軽く自己紹介をしてもらってもいいですか?」
そして、その時がやってくる。
爆音の心臓と握った手から染み出す汗。
『一ノ瀬くん。いい? まずは自分の名前とクラスを名乗って』
イヤホンから絢瀬さんの声が聞こえる。
「……どうも、1年Cクラスの一ノ瀬です」
「んまぁ、本人は若干乗り気じゃないですが今日も張り切っていきましょう!」
乗り気じゃなくて悪かったな。
というかそれをお前らがいうか?
そもそも、この放送で呼ばれるゲストで進んで参加しているやつなんてただの、目立ちたがり屋くらいだからな。
まぁ、それでもことはうまく運んでいた。
多少のタイムラグはあったものの、質疑もしっかりと応答できていた。
イヤホンから聞こえた声を頼りに俺はなんとか会話を続け、ついに最後の質問に移る。そんな時だった。
————キーン
突然、耳鳴りのような高い音が聴覚を支配する。
俺はそれがイヤホンから発せられているものだと瞬時に理解した。
「なっ、なんだこの音」
「ちょっと、音を下げてくれ」
放送委員の何人かがこの音に気付いて、音響室に合図を送るが向こうも何が起こっているのか分かっていないようだった。
数秒間続いたその音は、何の合図もなくぷつりと止んだ。
もしかしたら、卯城さんが周波数を誤ったのかもしれない。しかし理由はどうであれ、それを悟られるわけにはいかない俺は、手で前髪を弄るフリをして顔を覆い表情を隠した。
「……止みましたね」
「まぁ、機材のトラブルなんだろ。続けるぞ」
「そうですね。まぁ、こういったトラブルも放送には付き物ですもんね」
なんとか話は一段落し、
「それじゃあ最後の質問をいいかな?」
マイク越しに田久保先輩と視線が交わる。
「わかりました」
最後の質問ということは、デートプランを考えろというやつのことだろう。
正直、何をいっていいか分からないがここも絢瀬さんに任せよう。
「……あ、そうだ。それとね、一ノ瀬くん」
そう告げると、田久保先輩は放送中だというのに突然、椅子を引いて立ち上がると、俺の隣まで足を運ぶ。
「田久保先輩?」
そして、先輩が俺の頬へと手を伸ばして微笑む。
『一ノ瀬くん、そっちで何が……』
————違う。
頬に伸びたと思っていた先輩の手は、確実に俺のそれを掴んでいた。
「この質問では、イヤホンは外してもらうよ」
「っ……!!」
先輩は乾いたさっきと同じような乾いた笑みを浮かべると、もともといた席へと戻る。俺や放送委員会の生徒はその様子をただ唖然と眺めていた。
いつから気づかれていたんだろうか。緊張して顔を伏せていた時か? それともさっきのノイズの時か?
……いや、今はそんなことはどうでもいい。
まずは、この放送を終えることが先決だ。
質問はもう分かっている。絢瀬さんがいなくてもなんとか乗り切れるはずだ。
「じゃあ最後の質問を始めるね」
田久保先輩は俺の方を見つめると口角を若干上げる。
その表情はどこか、獲物を最後まで追い詰めた強者の余裕の笑みにも見えた。
「一ノ瀬くん、絢瀬さんの本性について教えてくれないかな?」
「なっ」
田久保先輩は何を言ってるんだ。なんでそれを知ってる。
ハッタリなのか? まずい、動揺して思考がうまくできない。
「田久保先輩、本性ってどういうことですか……?」
恐る恐る、俺はさもそのことを知らないかのように訊く。
「言ってる意味がわからなかったのかい? 本性は本性だよ。僕はね、彼女が日常生活で常に猫を被っていると考えているんだ」
「……そうですかね?」
「教えてくれないかな、一ノ瀬くん。君ヶ咲の全生徒が聞いているこの状況ならそれを暴露するに申し分ないと思うんだが」
そう告げると、俺の耳から外したイヤホンを机の上に提示する。
……鋭い推測と、精密な計画。
これは即興でやったものじゃないのかもしれない。
もし俺がここで絢瀬さんの事実を言ってしまえば、それはこの学校中に知れ渡ることになる。いや、それだけじゃない。既にこのイヤホンが物的証拠としておさえられているんだ。熱狂的な絢瀬さん信者でもなければ、黒とまではいかなくても確実にグレーと判断される。
「もしかしてとは思うが、君は絢瀬さんに脅されているのかい?」
それにどういうわけか、田久保先輩は俺が何も言えないことをなんとなく察している。だからこそ、この全校生徒の前という状況が活きてくるというわけか。『暴露するに申し分ない』というのはそういう意味なんだろう。
「ぁっ……」
これが査問委員会。
さっきまで動揺していた、他の委員会メンバーも田久保先輩の暴走行為を止めようとはしない。全ては面白い放送のために。全ては学校を盛り上げるためにという屈強な精神。はっきり、これほど厄介な野次馬はいない。
「なぁ、真相を教えてくれないか。そうすれば君は、また元通りの生活が戻れると思うんだが」
先輩の口調はすでに俺が絢瀬さんのせいでと確信しているようだった。
普通の学園生活。……確かにそれは魅力的だ。
俺は元々自分の平均的で何も起こらない人生に満足していた。適当に生きて、適度に楽しくて。そんな人生でも十分満足できた。
これから絢瀬さんに脅されて、昨日や今日のこの状況のようなトラブルに巻き込まれると考えると、先が思いやられる。
ここで全てを白状すれば、俺はいつものように良太郎とゲームをして、適度に可愛いことお付き合いをして、適当な結婚をして。それなりの人生が送れると、俺は断言できる。
なぜなら、俺は一般の中の一般。
普通オブ普通だから。
『ねぇ、一ノ瀬くん。このことを誰かに言ったら、あなたの希望に溢れた学園生活がどうなるか想像できるよね?』
『なんのつもり。昨日のあなたからは想像できない従順ぶりだけど?』
『別にいいでしょ。私には友達がいないから。それともなに、それを知らないからって何か不幸に見舞われるわけ?』
『一ノ瀬くんみたいな、ぼっちに憐憫の念を持たれたら、私の立場がなくなるでしょ』
うん。どこのシーンを思い返しても、優しくなんてない絢瀬さん。
ラノベとかでこういう場面でフラッシュバックするのは普通いい思い出のはずなんだが、彼女に限ってそんな場面なんてなかった。
……それでも。
『一ノ瀬くん、周りの声に耳を貸さないで。今はただ自分を信じて』
「…………何言ってるんですか? 田久保先輩」
「ん? なにって」
「絢瀬さんに裏がある? そんなわけないじゃないですか」
別に、絢瀬さんを助けようとかそういうつもりはない。
強いていうなら、新しいウェーブに身を預けてみてもいいんじゃないか。なんてバカらしいことを考えてしまったからだろう。
「だってあの、絶対的高嶺の花である絢瀬さんですよ? 運動も勉強もなんでも完璧な完璧美少女。でも実はそんな絢瀬さんが実は悪逆非道な最低人間でした。なんてことは絶対にないと思いますけど」
「……そうかね?」
「先輩がなにを疑ってるかは知りようがありませんが、俺の知る限り彼女に裏表なんてありません」
ただそれだけの理由で俺は、嘘をついてしまった。
この度は『Period, 2-3 孤立無援な少年と『少女』』を読んでいただきありがとうございました。