異世界の呼び声
ピピピピーッピーッ! ピピピピーッピーッ!
布団の中でスマホのアラーム音が鳴り響き、ブルブルと震えながら明滅している。
体が一瞬ビクンッと強ばり、目を閉じたまま眉間に皺を寄せた。
手元に置いてあったスマホを取り、即座に画面をタップして止めたのだが、心臓は既に激しく脈打っている。
やっぱりアラームは嫌いだ……
◇
俺の名前は、真坂暁斗。地元の小さなIT関連の会社に勤める、38歳。バツイチアラフォーだ。
これといった趣味はないが、流行りのモノには一通り手を出し、学生時代は独り暮らしで家事全般何でもやってきた。なので、自分で言うのもなんだが何でも出来る。
ただ、楽器やスノボなどの技術や熟練度を要する趣味は、どれも中級程度までしかならなかったので、ついたあだ名が「器用貧乏」だった。
先日、会社の研修会での荷物用にトートバッグを手作りしたのだが、同僚の女子社員にはドン引きされてしまい、それは今でも納得出来ない。「俺様用」ってフキダシのアップリケをしただけなのに。
まぁ、結婚に至っては中級どころか、ダメダメだったけど……
そんな訳で、今は仕事もプライベートも特に大きな問題もなく過ごしていた…… はずだった。
◇
ベッドで体を起こし、改めてスマホで時間を確認する。
……いつも通りの時間だ。
二度寝した訳でも、スヌーズをガン無視して寝過ごした訳でもなかった。
砂漠に埋められたとか、首を折られたとか、はたまたコードリールに巻き取られたとか……、かなり長い夢を見てたと思ったのだが、ほんの二、三分の間でしかなかったらしい。
まぁ、予定通りだ。
起き抜けで半開きの目を擦りながら、自分の体をまじまじと眺め、異常がない様子に安堵した。
夢。普段なら起きると覚えていないものだ。夢とはだいたい忘れるものだし、それに固執するものでもないと思っていたが、今回はどうも違っていた。
まるで子供の頃の、熱を出してうなされた時の悪夢が如く、強烈な印象と共に記憶に残っていたのだ。
――寝過ごして砂漠に埋められたなんて夢は、さすがに酷過ぎる。仕事で失敗し、コンクリート詰めにされて東京湾に沈められる方がまだマシ…… じゃない、どちらもごめんだ。
暁斗は余計な雑念を振り払い、気持ちを仕事モードに切り替えた。
「夢も希望も無い夢で縁起は悪かったが、現実での準備はバッチリだ。さぁ、行くぞ」
◇
寝不足感の否めない頭をフル回転させながら臨んだプレゼンも、ある程度の成果を実感しながら、無事昼過ぎには終わった。
グッタリしながらも遅い朝昼飯を食べ終え、今は午後三時を回ったところだ。
ほぼ徹夜で資料づくりをした暁斗は、寝不足に安堵感も相まって、耐えきれずデスクに頬杖をつきながらウトウトとし始めてしまった。
「ねぇねぇ」
「……あっ、すみません。昨日ほとんど寝てなくてつい寝ちゃい……?」
突然声を掛けられた暁斗は、焦りながらも体を起こし、声の方へ顔を向けた。
「……誰? ……ですか」
そこには、見るからに場違いな雰囲気の少女が立っていた。細身で歳は十四、五歳くらいだろうか。
紫がかった黒く長い髪を後ろで一本に結わえ、透き通るような白い肌に赤い瞳が際立っている。巫女服の様な服装だが、おおよそ日本人ではなさそうな少女が、こちらを覗き込むような姿勢で立っていた。
「先ほどは失礼しました!」
「は?」
その少女は突然、暁斗に向かって深々とお辞儀をした。しかもそれは、神社などで見る腰を直角に曲げた、いわゆる拝礼と言うヤツだ。見事にビシィッ!!と決まっていた。
とぼけた声を出してしまった暁斗だが、謝られたり拝まれたりする理由に心当たりはない。
それにここは会社である。
部外者の、しかも美少女に頭を下げられているシチュエーション、同僚や上司の目が気になり周囲に目をやった。
「はぁ~??」
本日二度目のとぼけた声を出してしまった暁斗だが、余りにも違う周囲の様子に、思わず絶句してしまった。
見渡す限り、霧が立ち込めた様に真っ白だった。何となくデスクやキャビネット、同室にいる上司や同僚達の輪郭が見えたが、全く動いている様子がない。
立っている人も座っている人も、その場でピタッと止まっていたのだ。
そして、暁斗自身はと言うと、腰から下に霧がかかり上半身だけが霧から生えていた。
腰から下はボヤけていて見えない。この場ではっきり見えるのは、自分の上半身と、目の前で絶賛拝礼中の謎の少女の姿だけだった。
「えーと、顔を上げてください。これは一体何が起きてるんですか? それに、謝られる理由も分からないのですが……」
「あ、すみません。私はネムと言います。この幽界で管理人の一人をしている者です」
その少女は、上体を起こして軽い口調で話した。
――幽界? なんだそれ。
「えっと、ネムさん? 何言ってるのか分からないんだけど……」
「あのですねー、君は今上半身だけ幽界にいるんですよ?それに、こうして話が出来るのも普通じゃ有り得ないんです。いわゆる不法侵入中ですから、本来はすぐ強制送還するんですが、先ほどの事故の事もあったので、一応謝っとこうと思ったんです」
――さっき? 事故って? 通勤中に何かやらかしたっけ? 不法侵入って何だ?
「分かってないみたいだから言いますけどー、あの事故で君を助けてあげたのって私なんですからね? 他の現界の方を見たと思ったら、頭だけ突っ込んだ挙げ句、ジタバタしながら祈り始めるし……」
――何を言ってるんだ? こいつ。あ、ヤバい。アブないヤツだ……
「酷~い! 私アブなくなんかないのにー。って口に出さなくても聞こえてますよー? 幽界では隠し事なんて出来ないんですっ。とにかく、さっきも言った通り強制送還しますから、さっさと起きちゃって下さいね」
すると何処から取り出したのか、巨大なピコピコハンマーの様な物を大上段に構え、暁斗に向かって振り降ろした。
「えっ! ちょ、ちょっと待っ!!」
ガタタッッ
暁斗は頬杖が外れ、デスクに顔をぶつけそうになって目を覚ました。思わず周囲をキョロキョロと見渡す。上司も同僚たちもみんな普通に動いている。
ネムと名乗ったアブない少女も見当たらない。一方的に話だけして殴りかかってくるなんて、また変な夢だった……。
すると、隣の席の同僚がニヤニヤしながら声を掛けてきた。
「真坂、汗が凄いけど大丈夫か? 顔ニヤケてて気持ち悪いし…… あぁ、徹夜したんだっけ?」
「あ、あぁ、寝てた? プレゼン終わって気が抜けたのかな……」
暁斗は冷や汗をかきながら取り繕う。まさか夢で美少女にぶん殴られたなんて言えるはずがない。ついニヤケてしまったらしいが、変態かよ。
それにしても白昼夢を見るなんて…… 疲れもピークだったんだろうな。
まだ三時過ぎ。定時までは頑張ろう、終わったらとっとと帰るんだ。
おかしな夢ばかりで嫌になる。でも、可愛かったなあの子。夢だけどね。
夕方、仕事を終えた暁斗は、寄り道もせずに帰路についた。
その晩暁斗は夕食後、一人湯船に浸かっていた。
足の先から温まっていく感じが、ジ~ンとして気持ちいい。まるでお湯の中に体が溶け出してしまいそうな心地よさだ。
「まったく、今日は夢に振り回され過ぎだ、ストレス溜まってるのかなぁ」
一日の出来事を目を瞑りボーッとしながら考えていた。夢の内容についてこんなに考えるなんて今までは無かった。そもそも覚えている事が珍しい。せいぜい、十代の頃にエッチな夢がいいところで終わってしまって悔しがった事があるくらいだ。
「さて、そろそろ出て寝るかー。……わっ」
湯船を出ようとしたその時、何故か足を踏ん張る事が出来ず、思い切りひっくり返って湯船の底に尻餅をついてしまった。
「なんだぁ~!?」
よく見ると膝から下が…… 無い。
足が消えている。
足の先の感覚はあるのだか、何かに足首を掴まれ引っ張られている。突然のホラーな出来事に、暁斗は混乱して悲鳴をあげた。
「うわぁぁーーーーーっ!!」
立つことも叶わず、どうにか腕の力だけで湯船から這い出た。その時すでに足は膝上まで消えていたが、それ以上消えていく事は無かった。
だが、暁斗は恐怖と焦りで混乱の極致にあった。
すると足を掴んでいる何かは、暁斗には見えない足の裏をくすぐり(?)始めた。
「ぎゃははははは!」
恐怖にひきつり目に涙を浮かべながらも、笑わずにはいられない。さらには踵を掴まれ、グイッグイッと押された。
すると、消えていた足が押し出されるように、膝の辺りから次第に現れ、キュポッと言う音と共に、元の足に戻っていった。
呆然とする暁斗。未だ混乱したまま洗い場で足をペタペタと触り、異常がないかを確認した。どうやら無事のようだ。
「ちょっと、うるさいよ。何かあったの?」
母親が脱衣室から声をかけてきた。
「……あ、大丈夫。何でもないよ」
「そう? まったく、お風呂で動画なんて観てるから……」
動画を観て笑い転げていたと思われてしまった。まぁ、本当の事を言っても「寝惚けて何言ってんの」と言われるのがオチだ。
母親が出ていったのを見計らい、体を拭いていそいそと着替え、自分の部屋へと足早に戻っていった。
何か変だ。今朝から変だ。絶対おかしい。
砂漠に生き埋めの夢も、美少女に殴り飛ばされる白昼夢も、足が消えた夢? ……これは現実だった(気がする)けど。
何かに憑かれてる? これはお祓いか何かしてもらった方がいいのだろうか?
暁斗はベッドにうつ伏せになり、ノートPCを広げて、今日の不可思議な出来事について検索し始めた。
「砂漠 埋める 体」「白 世界 美少女」「足 消える」
しかし、結果で出るのは「生き埋めwiki」や、「白亜のロシア美女(画像)」とか「足が消える!! 心霊写真の恐怖」などだった。
ギリギリだが、心霊写真ってのが近いのか? と思いながら記事を読み始めた。
「うーん、足が消える体験だったけど、もしかして霊界にでも呼ばれちゃったのか? やはりお祓いするのがいいのかな? はぁ、次の休みに行ってみるか……」
しばらく記事を読んでいた暁斗だったが、寝不足だった体は休息を欲し、明かりも点けたまま転げるように眠りに落ちていった。
◇
そこは霧の中だった。太陽は見えないのだが周囲は明るく、霧の細かい粒子一つ一つが光を放ち、それぞれが反射を繰り返している様な光景だ。
暁斗はそこに立っていた。地面……に見える部分も白い霧に覆われている。その白い地面に足首から下が埋まっていた。
「またか! クソッ」
暁斗はまた「埋まっている」「足が無い(見えない)」「霧の中」である光景にウンザリしていた。
いい加減、ワケの分からない状況にも嫌気が差してきたのだ。
そこへ、昼間の少女が姿を現した。
「こんばんわ、今回は少しばかり干渉させてもらいました。落ち着いて話を聞いてくれると嬉しいです」
「……」
「あの……?」
「………」
「ちょっと、聞いてます?」
「…………」
「なんで返事してくれないんですか!? ねー、なんで返事してくーれーなーいーのー?ア・キ・トさん??」
「なんで俺の名前知ってんだっ!!」
「良かったぁ~、聞こえてたんですね♪」
「チッ」
「舌打ちしないでくださいっ」
「分かったよ。分かったからさ、何が起きてるのか教えてくれると助かるんだけど? それにこれ、心霊現象にしてはだいぶリアルなんだけど、やっぱりあんた悪霊なのか?」
「悪霊って、ヒドッ!! それに、何でそんな不機嫌な感じなんですかぁ~?」
「あー、悪い悪い。で、悪霊じゃないなら何?」
「自己紹介した時に、管理人だって言いましたよねっ! ねっ!……もう、しょうがないですねぇ。それじゃあ最初っから説明しますから……」
と言って、少女は話し始めた。
この不可解な一連の現象が始まる切っ掛けは、俺が今朝目覚める直前に見た夢での出来事だったらしい。
夢を見ていた。いかにも楽しい夢。(元)妻がいて、子どもが公園で遊んでいるのを、二人で眺めながら談笑していた。軽い口調、下らない話題。幸せと思える時間、それが永遠に続くのではないかとも思えた。
しかし、夢は永遠には続かない。
突如視界に光があふれ、公園や(元)妻、子どもを包み込みながら消えていく。それに伴い夢の内容も記憶から消えていき、今度は急速に暗転していく。
……普通はそこで目覚め、夢の印象だけが残るのだ。
夢を見ている時、人の心は肉体から解き放たれ、幽体となって幽界を漂うそうだ。
ただし、幽体の自我は決まって自分の心の内側に向いているため、他の幽体と出会ったり、それを求めたり、会話したりという事は無い。夢とは心の内側で、記憶や知識、深層意識や過去の体験を元にカタチ造られるものだからだ。
そこで、違っていたのが今回の俺。
目覚めに向かい、幽体の爪先が現世の体に入った時、どうやら地球ではない、別の世界から呼ぶ声が聞こえたらしい。
――幽界には、様々な世界がふよふよと浮いている。大きなスライムの様な、膜に覆われた塊の中にそれぞれの世界があるのだと言う。地球を含む銀河系も、そんな膜に覆われたスライミーな塊の中にあるようだ。
そんな異なる世界の一つからの呼び声だが、本来なら反応することもなく、目覚めに向かうはずだった俺の顔が、突如クイッと声の方向へ向いてしまったらしい。
その瞬間、その異世界が引き寄せられる様に俺に突進してきたと思ったら、ズボッ!!と頭がその異世界にハマってしまったのだ。
そして、その世界は俺を拉致ろうとでも言うのか、凄まじい速さでその場からどんどん離れて行ったそうだ。
……それがあの砂漠の世界って事だな。拉致ってたんか。
そこで、幽界と現世にあった俺の体はと言うと、爪先だけは体に繋がっているものの体は引き伸ばされ、そのまま引かれ続ければ薄くなりすぎて体との接続も切られ、引きちぎられてしまう危険もあったらしい。
異常に気付いたネムは、爪先だけ現世に引っ掛かり伸び続けていく俺の体を、スッポ抜けないようにおさえながら引っぱり続けていたらしい。
そして何度も緩急をつけながら引いていたところ、ようやく頭が異世界から抜け、爪先の先にある現世へと引き戻されて行ったのだ。
その後は俺も知る通りの、コードリールである。
「……え? 俺が悪かったの?」
夢から覚める前に、声に反応して気になっちゃったとか、そんな事があったとも知らなかったし!? それにしても異世界? 確かに見たことも無い光景だったけど、そんなのが本当にあったのか……
「いえ、アキトさんのせいではありません。あの呼び声は、禁忌とされている異世界召還術でしょう。本来、世界を渡るような行為は禁じられているのですが、その術式の波長とアキトさんの心の波長が共鳴してしまっていたので、それで引き寄せられてしまったのだと思います」
すると少女は、どこか厳かな雰囲気を醸し出しながら、話を続けた。
「古来より、幽界は全ての世界の間にあり、繋ぎ、それぞれの世界の干渉を防ぎ、守護する役割を担っています。
幽界とは全ての世界の、全ての生命体、その眠りについた肉体の、幽体における安息の場なのです。
今回の、他世界に及ぶ術の行使は、決して赦されるものではありません!」
何やら、何処からともなくゴゴゴゴゴゴ…… と言う音が響いてくる。何かものすごく嫌な予感がする
「さあ、勇者アキトよ、穏やかなる幽界と秩序ある世界、さらにその生きる命の全てを守るため、彼の世界に正義の鉄槌を!!!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!!
「遠慮します」
ゴゴッ…… グゴッ……
「え、えっ…… えぇぇぇぇぇっっっ!?」
「サラリーマンだし。鉄槌なんてそんな物騒な」
「あ…… 鉄槌は、まぁ、一度言ってみたかったセリフなんで…… 冗談だったんですけど…… いえね、ちょっと問題解決のお手伝いをして欲しいかなーって」
少女は次第にオロオロしだした
「いやいや、問題解決なら管理人のあんたが出張っていけばいいんじゃねーの?」
「うっ…… 私は世界の内部に直接干渉する事が出来ないんです…… 幽界に来ているアキトさんには干渉出来るんですが……」
マジか。管理人さんとは言ってもアレだ。玄関掃除とかゴミ捨て場の掃除とか草取りとかしている人の方だ。大家さんみたいな偉い人は別の所にいるってか。困った……
「でも、どうして俺が?」
「はい、もうお気付きだと思いますが、通常、他の世界に入ることは出来ません。ほら、あの膜みたいのに覆われてるでしょ? あの膜はその世界に登録している幽体だけを選別し、通過する時に纏うようにして肉体を生成してくれるんです。でも、あの擬装術式を組み込んだ召還術に乗っかる事が出来れば、あの世界に直接入り込む事も出来るんです!」
ドヤーン!!!
ち、ちょっと…… ドヤ顔で言われても…… ほら、禁忌だって言ってなかったっけ?それに乗っかるとか、異世界の術師頼みなのはいいのか!? 頼りねーな……
「実は、あの事故でアキトさんの幽体は、自我が内側ではなく、外側に向いて固定されてしまったんです。意図的ではないにしてもアキトさんて今、ちょっとマズい状況なんですよね。心のパターンも相手側に特定されてるみたいだし、干渉にも過敏になってるし……」
「それって、あの、足が消えたのがそれ?ここ(幽界)を経由しないで直接召還されちゃったとか?」
「いえ、幽界は経由してました。足だけがみょーんって伸びて、例の異世界に突っ込んでましたから。問題は、夢を見ていない状態、心が幽界に来ていない状態にもかかわらず、異なる世界にあるアキトさんの波長を特定し、召還出来てしまったって事ですね。何が目的なのかは分かりませんが、よっぽど波長が合っていたんですかねー?」
――波長が合うとか…… こっちの都合はガン無視なのね
「 ……ちなみに、手伝いってどんな事を?」
「はい、異世界に行って今回の事件の元となった禁忌の術を探しだし、封印又は破壊して欲しいのです。ですが、まずは幽体を完璧に制御出来るようにここで訓練してください。そうしないと、さっきの様に体の一部だけ召還され、無理に引っ張られればいつ幽体が千切れてもおかしくありません。幽体を自在に扱い、維持出来なければ、命を落とす事になりますからね」
さらっと怖いことを言ってくれる
「現世で死ぬって事? 幽体ってのは、霊とか魂と違うの?」
「幽体とは、肉体と命に接続された生きた精神体で、ここ幽界にて実体化出来るものです。霊(霊体)と呼ばれるものは、命と肉体を失った精神体です。幽体を維持出来なくなった場合も、命を失い、肉体との接続が断たれて霊になります。そして魂とは、命を内包している器で、幽体は魂を通して肉体に接続しています。霊にも魂はありますが、命も肉体も無いので、幽界には存在出来ません。霊になると、霊界に行きます」
――何だかややこしいな。要するに、幽体が千切れたら現世でも死ぬらしい。それを防ぎたいなら幽体を完璧に制御出来なければならない。そして、幽体は精神体。精神を鍛えろって事だな。
「それで、幽体の制御って、どうすればいい?」
「私の話に乗ってくれるんですねー、よかったー」
「ちなみに、俺に拒否権は?」
「ありません。と言うか管理者への協力が出来ないのであれば、外向きの自我に目覚めた幽体には、各種精神防御処理を施し、幽界のとある場所に隔離する事になります」
――いつの間にか管理人から管理者に格上げしてやがる
「各種精神防御処理ってなんだ?」
「外向きの自我に目覚めた幽体は危険ですので、あらゆる情報や干渉をシャットアウトします。これでもちろん、異なる世界からの干渉も遮断出来ます。そうすれば安全安心な環境で、ゆっくり時間をかけて自分の心の奥底を見つめ直す事が出来るでしょう。まあ、私や他の管理人ともコンタクト出来なくなりますが」
「ん? 異世界からの干渉も遮断出来るなら、それで良くない?」
「いいのですか? 現世からの情報も遮断されますが……?」
「え? 現世に戻れないの?」
「もちろんです。幽体が隔離されれば肉体の精神は休眠状態となり、幽体自身は内面を深く探る旅を始める事となります。そうなると、現世での活動は不可能となり、肉体と命に関しても現状保持のみとなります」
――マジか。それって、もしかして植物状態ってヤツか?
――それはマズい!! そんな状態になったら、本棚の裏に隠した(エロ)DVDとか、パソコンの中の(エロ)ブックマークとか!! 見つかったら人生終わりだ。クソッ、断固阻止だ!!
「……クスクス。アキトさんて変態なんですね」
ウガ――――――!!
――心を読まれた、忘れてた。ここでは心の声もダダ漏れだった……
穴があったら入りたい気分だ……
思わぬ所で精神を削られていると、ネムが心配そうに暁斗の顔を覗き込んできた
「アキトさん、意外に繊細で精神耐性が低いかな? 早々に鍛え上げないとマズそう?」
――今度は同情されてしまった…… さらに落ち込む…… こんな、年下の子供に…… 憐れみの眼差しを向けられて……
「あっ、勘違いは困りますよ。幽界って現実世界と違って時間の流れって言うべきものがほとんど無いんですよ? こんな見た目ですが……そうですね、アキトさんの世界の時間に換算すると ……」
――慰めてくれるつもりか ……? こんな子供に……?
「十万十四歳!!」
「悪魔かよ!!!」
白塗りで歌ウマーな、閣下の姿が脳裏にチラついた。
「えっと…… アキトさんの私のイメージってェ……」
「なんかすみません…… でも、お陰で落ち込んでた気持ちも少し浮かんだ気がします…… それにしても、あの引っ張り魔ってネムさんだったんですね」
「引っ張り魔って…… まぁそうですけど。じゃあ、早速契約ですね♪」
「はぁ…… 巻き込まれた感が凄まじいですが、とりあえずやってみます」
暁斗とネムの間に、いつの間にか一つのクリスタルが浮かんでいた。それは淡い光を放ちながらクルクルと回っている。
「じゃあ、両手をこの前にかざしてください」
暁斗はネムに倣い、向かい側で手をかざす。
すると、クリスタルが明滅しながら徐々に明るさを増していく。掌には暖かみを感じる。やがて、クリスタルの頂点から光の柱が真っ直ぐに立ち上り、弾けて二人に降り注いだ。
契約が成されたのだろう。目の前に「契約完了」という光の文字が浮かんで、消えた。
そして、続けて「肩書: 涅夢の眷属」と浮かんで、消えた。
「契約はいいとして、眷属ってなんだ?」
「一応、私の部下っていう事だよー。これで、アキトさんがいつここに来ても強制送還させなくて良くなったよー。ふっふっふ……」
「なるほど、今までの俺は、存在自体が違法だったのか。それにしても、仮にも事故の被害者をハンマーでぶん殴るとか、ビミョーに納得出来ないし、そりゃ無いよなー」
「あ、あの時は現世はまだ明るい時間だったのに急に現れたから、そう、焦っちゃったんですよー、ビックリしたんだからー」
なんだ、こいつ俺より精神耐性低くないか?
「それはそうと、これ、どうにかなんないの?」
暁斗は埋まった足を指差した。すっかり忘れていたが、こちらに来てからずっと固定されたままだった。
「あー、こいつ呼ばわりされたのはとりあえず置いときますが、それはですね、これからする幽体の制御訓練にも関係してますが、幽体を完全に把握して接続を切らずに解放する事で自由に動けるようになりますよ」
「……また読まれ…… クッ。どうすれば良いのかまったく分からん……」
「あっ、一つ大切なポイントがありました」
「それを先に言わんかい!」
「では、心して聞いてください」
「はいよ」
暁斗はゴクリと唾をのんだ(気がした)………
「全ての欲望を捨てて下さい」